| わかっていたのかもしれない でも
いつものことだと
目を背けていたのかもしれない
大切な――ことだったのに
Truth 〜 incompatible
〜
目の前にあったものは、すべて片付けられて。
それを手伝うなんて、とても言い出せないほどの重い空気の中で。
俺は考え続けてた。
彼女の背中を、見られるはずもなく。
ただ、蛇口から吐き出されている水の音を、聞きながら。
彼女の症状――そう言っていいのかどうか、わからないけれど、そう言うしかない――が、ひどくなったのが。
親友の月宮との距離が、離れた時。
それと同時に起こったのは。
ほぼ同時に起こったのは。
俺との――再会。
その事実を知っているのは、俺だけだから。
とりあえず。
彼女の立場に立って言えば。
彼女に起こったのは。
親友の代わりとなる俺を、見つけたということ。
彼女が俺のそばにいたかった理由は。
彼女が俺を、そばに置いておきたかった理由は。
親友の、代わりに。
その親友の、意味は?
『彼女がいないと、わかってくれる人が…全然いないから』
彼女はそう、言葉を落としていた。
高校一年の時。
初めて、ちゃんと向き合って、話した時。
彼女の中の、親友の定義は。
きっと。
自分をわかってくれること。
だから俺に、彼女は、わかってもらいたかったんだろう。
それに俺は。
応えてやれていたとは、思うけれど。
彼女が望む通りのものだったかどうかは、わからない。
甘えてもらっていたとは、思う。
月宮に甘えるものと、同じかどうかは、わからないけれど。
そして、高校が終わって。
高校生活が、終わりを告げて。
彼女が取った行動は。
俺から、離れること。
俺から離れたとしたって。
月宮が戻ってくるわけじゃ、なかったのに。
そうして、二年経って。
月宮は、彼女のそばに、いるようになって。
けれど、症状は悪化していく。
引っ越してからひどくなったと、月宮は言った。
引っ越してから、すぐに起こったのは、俺との出会いだから。
彼女に必要なのは。
俺じゃなくて、月宮ってことになる。
でも月宮は。
彼女に自分は必要ないと。
そんな言い方を、さっきしていた。
必要なのに、手にしたくないと思う、その理由。
それは。
ひどくなっていくかもしれないから…?
甘えたいから。
自分自身で、甘えたいから。
自分を曝け出すことになるから、かもしれない。
自分が、普段考えていることを、相手に伝えるために。
けれど俺は、それを彼女から言われたことはない。
言いたくなかったのだとしたら。
それが意味するのは、何だろう?
考えて。
不意に、水の音がしていないことに、気がついた。
顔を上げれば。
彼女は同じ場所で。
それでも、身体をこちらに向けて。
姫を――腕に抱いていて。
もし。
都合のいいように考えるなら。
俺に、否定するようなことを、言わなかったのは。
俺に…嫌われたくなかったから。
嫌われてはいないと思っていたし。
そばにいてくれたり、いさせてくれていたから。
好かれているのかもしれないと思うことさえ、多々あった。
だとしたら。
彼女が俺を、好きなのだとしたら。
俺に嫌われないために、言わなかったのかもしれないというそれは。
べつに、無理な仮定じゃない。
けれど、もしそうなら。
彼女は俺に、本当の姿を見せていないことになって。
でも俺は。
姫にばかり笑みを見せている彼女が。
とても嫌で。
引き離したいとさえ、思う。
立ち上がって。
俺はゆっくりと、歩を進めた。
目の前に立てば。
彼女は、俺が立ったせいでできた影の中に、いるような形になったから。
それを不思議にでも思ったのか、顔を上げた。
彼女のことが、許せなくて。
俺はまだ、こんなにも好きなのに。
彼女は結構、敏感だから。
他人の心には、敏感だから。
気づいていないはずは、ないのに。
なのに、姫にばかり心を傾けている彼女が、許せなくて。
それをすべてぶつけるみたいに、唇を重ねた。
啄ばんで。
小さく、トンッという音が、耳に入った。
けれど、それを見る余裕なんか、俺にはなくて。
抱き締めたいと願い続ける姿は、目の前にあって。
手を伸ばせば、そうできる距離にあって。
そして、拒むような仕種も、ないから。
俺の立てた仮定は、あってるのかもしれなくて。
「玲」
角度を変えて。
離れた時に。
ほんの少しだけ、離れた時に。
呼びたくても呼べなかった名前を、俺は口にしてた。
「玲」
わずかに、逃げるように、彼女の身体が、後ろに傾ぐ。
けれどそれは、本当にわずかで。
追いかけても、それ以上はどこにも行かずにいて。
左手に触れたあたたかさに、気をよくしてた。
彼女の頬を、両手で覆って。
角度を変えて、彼女の唇を、啄ばんで。
何度も、口付けて。
でも。
「玲……?」
指に触れたものに、俺はそれを止めた。
あたたかくて。
そして。
濡れた、感触に。
離れれば、彼女は泣いていて。
あの日と同じように、泣いていて。
大きく、目を見開いていて。
そこから、大粒の涙を零していた。
目を細めれば、胸に、手が当てられて。
彼女は下を向きながらも、俺を後ろへと、押す。
同じだと、そう思った。
思ったら、俺は押されるままに、後ろへと一歩、身を引いてしまって。
彼女の手に、逆らえないまま、そうしてしまって。
そこに蹲った彼女を、追いかけて、俺も身体を屈めた。
嫌だとか、そう思っているような涙じゃないことだけは、確かで。
でも彼女は、泣いていて。
触れていいのか、わからなくて。
姫が試すかのように、声をかけたのを、俺は聞く。
彼女を呼んでいるのは、俺にもわかって。
彼女の膝に、前足をかけて。
彼女の顔を、覗き込むようにして、声をかけ続けて。
「玲?」
俺も、その合間に、名を呼んだ。
嫌ではないのなら、理由が聞きたい。
嫌ではないのに、拒む理由を、俺は知りたい。
なのに、彼女はただ、首を振るだけで。
何も……言ってはくれなくて。
言葉はなくて。
声も、なくて。
そんな彼女に、俺は触れたくて。
でも、触れられるような、雰囲気ではなくて。
どうすればいいのか、わからないままでいた、その時に。
扉が開く音が、響いた。
振り返れば、そこには月宮が扉を開けたことを示すみたいにして、そこにいて。
それから、彼女の様子を見て、小さなため息を吐いた。
責められそうな気がして。
俺は視線を外す。
彼女はまだ、そこに蹲っていて。
月宮は足音を立てて、そばまでやってきた。
何も言わずに。
俺のことも見ずに。
月宮は真っ直ぐに、彼女の元へと歩く。
そこから少し、離れるようにして。
一歩、身を引けば。
そこに、姿は収まって。
身体を、折った。
「玲、葉月さん泊めるよ?」
「………」
「外、吹雪いてきたから。私の車で送っていってもいいけど、事故る可能性のが高いからね」
届けられた言葉に、彼女は黙っていて。
それでも小さく、頭は縦に動いた。
気のせいかとも思えるぐらいのものだったけれど。
月宮は小さく、息を吐いて。
彼女の頭を撫でる。
軽く一度だけ、そうして。
「顔、洗っといで。ついでにお風呂」
そう、紡いだ。
それに従うように、彼女はすぐに立ち上がって。
目元に手を当てたままの状態で。
真っ直ぐに、一角へと消えていく。
どこに何があるのか。
わかり切っているから、ぶつかることもなくて。
戻ってきたら――俺は何を、彼女に伝えよう。
考えて。
彼女が消えた方向に、目を向け続けていれば。
「玲から、聞いて知ってたんですけどね、あなたのこと」
そう、言葉が届けられた。
こいつは、彼女の一番近くにいる存在だから。
彼女がすべてを話していたって、不思議ではないけれど。
何をどう言っていたのかが、気になって。
黙って、次に紡がれる言葉を、待っていれば。
「悩んでたんですよ、あの子。どうしたらいいのかわからないって」
「……俺のこと?」
「ええ。あなたのこと」
「……それは…」
どういう意味なのか、わからなくて。
聞き返すように、そう言えば。
月宮はちらっと、彼女が向かった方向を見て。
視線を落とした。
「玲と会ったのは、中二の時です。その頃から、玲はああでした。自分の心を吐き出すようなことは一切なくて。周りを一番に考えて」
「……?」
「あいつはね、理由を聞かれると、自分のためって言うんです。自分のことしか考えてないって。この前、葉月さんがここに来たでしょう?
その時だってそう言ってましたよ。見られるのって、結構疲れるから。彼のそばにいたら、自分は見られるから。疲れるから。だから、ここに連れてきたって」
「…あいつは……」
「いつだったか、藤井さん…でしたっけ?
なっちんってあいつは呼んでたけど。その人がここに来た時のことなんですけどね。他愛無い話をして、二時間ぐらい…いましたけど。彼女が帰った直後、あいつ、玄関で大きく息を吐いてたんです。安堵するような、そんな息。それで気づいたんですよ。ああ、今日は玲は一人で過ごしたかったんだなって。でも、彼女のことを考えたら、それは言えないから、相手してたんだなって。今日来るって前々から連絡あったし、って言ってましたし。聞いたら、約束破りって思われたくないからって返事でした」
開けられた扉の向こうを、睨むように見て。
俺は月宮の言葉の行き着くところを、考えてた。
確かに彼女は、他人にあわせる部分は、あったけれど。
「あいつはイイコ過ぎるんです。中学の時だって、先生方の評判はよかったですよ。勉強熱心ってわけじゃないのに、優等生って見られてた。それを友達に言われると、あいつは『劣等生なのにね』って笑ってた」
「……」
「どう見ても、『田端 玲』っていう人間を演じているようにしか見えなかった。どこでも、どんな時でも。一人でいる時でさえ、緊張して。誰がいつ、どんな風に来ても…対応出来るように。だからあいつのそばにいてやろうって思ったんです。だって、家族の前でもああなんですから」
「!」
「本当のことです。気づいたの、私だけです」
全然、知らなくて。
でも、言われてみればと、思い出す。
言いたいことを言えていないと。
彼女はそう、前に言っていた。
それが、演じるということを、意味しているのなら。
俺にも……わかる。
「誰かと一緒にいるのが怖いって。でも、独りは寂しいから嫌だって。それを聞いたから、私はそばにいてやりたかった。心の中にあるもの、全部吐き出させてやりたくて。でも……あいつは、私の前でも、演じるようになった。それが――こっちに引っ越すっていうのを、家族から聞いた翌日のことです」
身体を回転させて。
月宮は、そこにあった円形のテーブルの。
備え付けてあるいすを、音を立てて引いた。
「理由聞いたら、本人無意識で。でも、考えてくれました、理由。そしたら…多分、別れるからだって」
「別れる?」
「ええ。出会ったとしても、いつかは別れるから。なら、最初から信じない方がいい。心を預けない方がいいって。それ聞いたら、玲はまだ、私に心を開いてくれてはいなかったんだって気づいたんです。だから私は、玲に連絡を取り続けた。私はそばにいよう。私だけは、玲の味方でいよう。玲のこと、裏切らずにいよう……って」
「……」
「――だったん…ですけどね。結婚、決まっちゃって」
「………」
「彼、ここから、結構離れたところに住んでて。結婚したら、私もそこに行かなきゃならない。となると、玲のそばにいられないんです。あの子が会いたいって言っても、すぐには会いに行けなくなる。だから、延ばしてもらったんです。彼にわがまま言って」
その言葉で、いかに月宮が、彼女のことを気にしているかがわかって。
俺は視線を伏せる。
彼女が心配だから、放っておけなくて。
彼女が、演じなくてすむ人間が。
言いたいことを言えるような、人間が。
自分のほかに現れるまで、月宮は待っていたかったのかもしれない。
「そしたら、あの子。結構敏感で。そのことに気づいちゃったんですよ。多分、そうだと思うんです。麻衣は幸せになってね。わたしは一人でも平気だからって。そう…言ってましたから」
「おまえ…は?」
「気づきました? あの子、自分は幸せになっちゃいけないみたいな言い方もするんです。だから…悩んでたんだと思う」
『麻衣は』というその言葉に。
つい、零した言葉に。
月宮は淋しそうに、苦笑する。
演じるということは、うそを吐くことだと、彼女は言っていた。
彼女は、それをわかっていて、続けてきたなら。
うそを…吐き続けていたなら。
彼女が罪悪感を抱いていても、不思議はなくて。
欺き続けた自分は、悪者で。
だから自分は、幸せになんか、なっちゃいけないと。
彼女はそう……思っているはずで。
けれど彼女だって、そうしたくてしているわけじゃない。
だから、彼女だって。
救われていいはずで。
そのために。
彼女が…救われるために。
必要なものは。
月宮以外の、素直に、言いたいことを伝えられる、相手。
「綺麗な人がいる。友達になった。でも、それ以上を望む自分がいる。彼も望んでくれている。でも自分は、彼とは違うから、そばにはいけない。隣りには並べない。どうしたらいい?
って。最初は、何を言ってるんだって思いましたけど。あの子の心を理解すれば、すぐにわかるんです」
「………」
「葉月さんは強いですよ。一人で生きていけてるんですから」
「……」
「誰かを必要とはしないでしょう?
玲以外に」
「……ああ」
「でも、あの子は違う。全く逆なんです。一人を怖がる。誰かが支えていてくれないと、壊れちゃう」
「………」
「その誰かは、誰でもよくて。自分に優しくしてくれる人間の手を、あの子は離そうとはしないんです。離れてほしくないから、その人が望む『玲』を演じ始めるんです。あの子、芝居は得意だから、みんなうまく騙されていく。でも、あなたは違った。真っ直ぐにあの子を見てた。だから…玲は悩んでた。本当の自分を見せるべきかどうかを悩んでた。で…あの子は答えを出した。あなたには見せない。見せられない」
「どうして?」
「あなたが綺麗だから。綺麗すぎるから」
「………」
「玲に聞いて、そんな人、いるはずないって思ってたんですけど…会って、確信持ちました。あなたは、あの子とも、私とも違う。あの子が羨むぐらい、綺麗な心を持っていた」
「……心?」
「私は別に、羨ましいとは思いません。私にしてみれば、あの子の方が強い。あなたは、外も中も一人。だけどあの子は、周りにたくさんの人がいても、結局、あの子の心は一人きりなんです。誰も、あの子の本当の心が、何を感じているのかなんて…考えてあげてませんからね。それでも、あの子は弱音を吐かずにここにいる。それが崩れそうなのを、知っていながら」
「………」
月宮はそこで、言葉を切って。
俺は何も言えずに、噛み砕くことしか、できなくて。
そうしていると、ぱたんと、扉が閉まる音が聞こえた。
もしかして、なんて思って、顔を上げれば。
姫がニャーと、声を上げた。
「聞かせてたんです、あの子に」
そう、簡単に言ってくれた。
姫を抱き上げて。
「わかってるんですよ、あの子も。自分に、何が必要なのか。でも、隣りに並ぶのが怖いから、言えなくて」
「………」
「わかっているのは、あの子が崩れそうだということ。そして、あの子が崩れなくてすむには。壊れなくてすむには。あなたがそばに、いなくちゃいけないってこと」
膝の上に、姫を座らせて。
月宮は片手で、背を撫でながら。
もう片手で、頬杖を突いて。
にやりと、笑ってた。
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