距離が詰まれば詰まるほど
思い出すのは 昔のこと笑顔よりも 小さな笑み
そればかり だけれど
彼女が感情を露にした
その時のことだけは
今もしっかりと
思い出せる
Truth 〜 rest 〜
思えば。
彼女が嬉しいと口にしたのは、何回だろう?
自分のことで、あまり嬉しいと口にしたことがないように思うけれど。
誕生日にプレゼントを渡した時も。
ありがとうとしか、言わなかった気がするし。
彼女が頼んできたことをやった時だって、同じだった。
彼女を嬉しがらせるには。
彼女が考えていないことをやるしかなくて。
けれど、単純なものでないと、彼女は気づかない。
だから今まで。
彼女が『嬉しい』と、俺に対して言ったのは。
どの時…だっただろう?
考えて。
思い出せなくて。
表情で届けられたことは、何度もあったのに。
言葉で届けられたことは、少ないか。
全然…ないかの。
どっちか。
考えて。
考え続けて。
コンコンと叩かれた扉に、俺は声を投げた。
「失礼しまーす」
言葉と共に入ってきたのは、見知った顔で。
俺は少しだけ、目を丸くする。
「久しぶり」
そう声をかければ。
「だよねー。この前、玲から話だけは聞いたけどね」
腕を組んで、そう言って。
藤井は控え室の真ん中まで、歩いてくる。
肩から提げているのは、カメラで。
「それで? どうしたんだ? 今日は」
彼女を挟んでしていた会話を。
今はダイレクトに。
考えていれば、藤井はカメラを構えて。
そして、シャッターを切った。
「藤井?」
「実はさ、持ち込みしたのよ」
「持ち込み?」
「カメラマン志望なの、アタシ」
人差し指を立てて、そう言って。
藤井はそばのいすに、腰かける。
「玲が小説書いてるところに。でさ、その帰りに、玲とアンタのこと、話したら。コネ使えないかなーって、考えて」
「コネ?」
「人間撮った方がいいんだって、アタシ。だから、アンタの知り合いのカメラマンに、アタシのこと、紹介してくれないかなーって」
カメラを撫でながら、そう零して。
藤井はちらりと、俺を見る。
「べつに、いいけど…」
「ホント?」
「ああ」
応えれば、アンタってホントはいいヤツだったんだねー、なんて、藤井は感想を落としてくれて。
俺はそれに、腰を上げた。
「もう?」
「早い方がいいんじゃないのか?」
「…アンタ、変わったね」
立ち上がって、俺に付いて歩き出しながら、藤井は言う。
――変わったかと言われれば。
確かに、変わったかもしれない。
彼女の隣りに立つのに、ふさわしいように。
そうなれるように。
願って…いるから。
変わらないものなんて、ないから。
自分もまた、その一つだから。
「前はさ。何にも無関心って感じで、冷めてたじゃない」
「…かもな」
「でも今は、何か必死って感じ。自分は自分って構えてたのが。今は何か……、周りに置いていかれないようにって、言うか」
「……ああ」
「前が無関心だった、その反動?」
問いに、横を向けば。
藤井は小さく息を吐いて。
前を向いたままで。
「でもまー、いいけど。アタシには関係ないしー?」
放って。
カメラに手を添えて。
歩を早めて、俺の前を歩いていく。
前だってべつに、無関心だったわけじゃない。
ただ、怖かっただけ。
触れたものはすべて、俺には優しくなかったから。
だから、触れなくなった。
それだけのこと。
でも、彼女に会って。
彼女を通して見たものは。
とても、優しかったから。
それは、怖くはなかった。
俺は彼女を子猫だと言い続けていたけれど。
今となっては、どっちが子供だか、わからない。
彼女はあんなに、俺に触れ方、接し方を、教えてくれていたのに。
俺は、彼女の大切さに気づいた瞬間に、手放すことが、怖くなって。
いなくなったその時に。
ただただ、それだけを、悲しんでいた。
そしてまた、怖がって。
触れずにいて。
でも、彼女にまた、出会えたから。
彼女が教えてくれたことを、思い出せた。
そして。
彼女が教えてくれた、触れ方、接し方で。
今度は直に、世界と触れ合ってる。
怖いと思い続けていたものなのに。
違う面から見たら、全然、違ったから。
彼女が見ていたものは、これだったのかと。
それを、俺も、知ったから。
そして俺も、彼女と同じものを知りたいから。
だから今は、必死。
彼女と同じ、目線で話せるように。
彼女と同じ場所に、立てるように。
スタジオに入れば、そこはまだ、形になっていなくて。
まだ、もう少しか、なんて、思っていれば。
藤井はへぇーなんて、言葉を落としてた。
準備をしていたカメラマンに、声をかけて。
藤井のことを、紹介して。
「勉強?」
「見学させてもらうだけでも、いいんです」
自分の思いを言葉にしていくのを、俺はただただ、聞いて、見ているだけ。
怖くても、飛び込んだ。
その時のことは、今も覚えてる。
俺が造った物を、置いてほしくて。
俺自身でぶつかって。
怖くて、どうしようもなかったけれど。
それでも、受け入れられたことが、嬉しかった。
思い出して、小さく微笑して。
「俺からも、頼みます」
「え?」
「葉月?」
「俺に頼んだから無理だった…とか。あとで文句言われるのも……嫌だし」
「アンタね…」
「ああ、そうか。オレ、葉月くんの顔に、泥を塗っちゃうかもしれないんだ」
笑って、その人は言って。
「すぐに仕事っていうのは、無理だろうから、段階を踏んでって言うんだったら、いいよ」
かわいい子がそばにいてくれるのは、嬉しいしね。
くすくす笑って、その人は藤井に、何かを頼んでた。
さっそく。
それに、藤井は嬉しそうに、礼を言って。
俺にも小さく、礼を投げて。
それから、踵を返す。
その背を見てから。
俺も、控え室へと戻ろうと、足先を廊下へと向けた。
考えてみれば。
誰かの口から、嬉しいなんていう言葉を聞く方が、稀なのかもしれない。
俺だって、嬉しいという言葉を使ったのが、いつだったかと聞かれれば。
難しいし。
嬉しかったことがいつかと聞かれたら、答えられるのに。
言葉にしてまでっていうのは、きっと。
誰も。
考えないのかもしれない。
表情でも、それがもらえるだけで。
それだけで。
十分…か。
考えて、俺は視線を下げる。
欲張っても、もらえるわけじゃないから。
そうやって、一つ一つ。
確実に得られるものを、ふるいにかけていかなくちゃ、ならない。
結論を出して。
俺は控え室のその扉を、開けた。
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