彼女の言葉は
俺の中に 確実に 残るから今度は俺が
残す番
Truth 〜 detour 〜
たぶん――だけれど。
彼女は前者なような気がした。
もうすでに暗闇に包まれている中を歩きながら、俺はそう、考えてた。
彼女の本当の感情を垣間見たことがあるのは。
見えたと。
見られたと。
そう思ったのは、ほんの数回。
高校時代の、あの三年間で。
たった……数回。
涙を見たのは、たった二度。
二度だけ、だし。
思い出して、息を吐く。
あの時に――初めて、彼女の涙を見た時に、自覚したんだと。
思い出せば思い出すほど、くやしくて。
俺はぎゅっと、拳を握った。
繋がりは確かでも。
それでもまだ。
理由がなければ、携帯のボタンを押すことは、できなくて。
でもそれでも。
小説を借りることはできたから。
仕事のこと抜きで、もう一度、会うことはできる。
その時に、すべて伝えられるといい。
拳を目の前へと持ってきて。
ふっと笑った。
大丈夫。
こうして、一つずつ、階段を上がって。
一歩ずつ、踏み出して。
彼女に近づいていけばいい。
慌てる必要なんか、ないのだから。
考えて、またポケットに、その手を収めて。
前へと、視線を投げた。
部屋に入ったその時から、選考ははじまっていて。
「とりあえず、そのままと変えたもの。それだけは分けたんですけど」
「はい」
「専門的な部分は、わからないので。好きだと言っても、素人じゃないですか。なので、やっぱり、葉月さんが選ぶべきだと思うんですよ。編集長も…見てたんですけど」
「……どうでした?」
一つ一つ確認しながら見て。
添えられた書類に、目を移す。
「編集長は微妙な顔してましたね。ほら、変えてきた人、少ないじゃないですか。全体の五分の一ぐらいだし」
「……」
「それに、光るものがないと、零してました」
俺はそうでもないと思うんですけどね。
香野さんは付け加えて、苦笑して。
それに俺も、全体を見てから、小さく、息を吐いた。
「そうですね…」
机の上に並べられたそれは。
二つに分けられてはいるけれど。
描いたものと違うのは、本当に少なくて。
でもそれをきちんと見たくて、そっちへと歩き出す。
「その通りに作ってきたものは、精巧なものが多いんで。それで決めちゃってもいいんじゃないかって、思うんですよ」
手に取って。
目を細める。
何だろう? これ。
「どうしました?」
「これ……」
俺が一つをじっと見ていると。
香野さんが気づいてくれて、そばまで来てくれた。
けど。
「どれです?」
「これ…。この部分」
花?
考えて、首を傾げる。
だとしたら、つぼみ…だろうか?
わからなくて、香野さんを見れば。
「何ですかね? 花びら…みたいにも見えますけど」
花びら?
言われて、また見れば。
それは花びらにも見えてきて。
「でも……」
「? 何です?」
「こんな形、してないんです。スターチスの花びら」
「………」
「これだって、ほとんど、萼で、花じゃないし」
「じゃあ、葉、ですか?」
「それにしては、短いような…」
何だろう?
考えて。
答えは出なくて。
「借りてもいいですか? これ」
そう、気づいたら聞いていた。
それに、香野さんはにっこりと笑って。
「もちろん、構いませんよ。写真、撮ってありますし」
「じゃあ、その写真の方でもいいですけど」
「はい、じゃあ……」
踵を返した香野さんの背から、視線を外す。
手にしていた物を、元の場所へと置いて。
隣りにあった物を、手に取った。
そうして、見ていったけれど。
少ない。
小さく、口の中で呟いて。
肩を落とす。
気になるのは、最初のものだけで。
俺は足を、分けられているもう一つの方へと、伸ばした。
写真を、携帯のカメラで撮って。
友達のアドレスへと、送る。
この時間なら、たぶん、大丈夫だろう。
考えて、手の中のそれを見ていると。
案の定、すぐに、電話はかかってきた。
通話ボタンを押して。
「…はい」
『あ、もしもし? 守村です』
「葉月…」
よかったとほっとしつつ、いすの背もたれに、身体を預ける。
開いた片手に、写真を持って。
目線の高さに上げて。
「メールの……」
『ええ。見ました。これ、スターチスですよね?』
「ああ」
『すごいですね。形にするの、難しいのに』
「…だな」
『それより、葉月くんがわからないのは、この、下のですよね?』
「ああ。わかるか?」
自分でわからないなら。
わかるやつに、聞けばいい。
そう考えたから、俺は、守村にメールを送って。
こうして、答えを待っている。
『スターチスでは、ないですね』
「…だろうな」
『ええ。でも…たぶんですけど。これかなっていう花はありますよ』
「?」
『ヘリクリサムって、知ってますか?』
「ヘリクリサム?」
眉根を寄せて。
知らないことを、言葉で届ければ。
守村はていねいに、一つ一つ、教えてくれる。
『スターチスと、共通点が多い花です。花びらにケイ酸が多いんで、水分がなくて、パリパリしてるところとか。だから、ドライフラワーとしての方が、有名なところとか』
「へぇ……」
『あとは、花言葉ですね』
「………」
『スターチスのは、前に教えましたよね?』
「…ああ」
だから、作ろうと思った。
聞いたから。
思い出して、写真を置く。
スターチスの花言葉は。
『永遠に変わらず』
とか。
『永遠の愛』
とか。
永遠に関すること。
となれば。
『ヘリクリサムの花言葉は、「黄金の輝き」とか、なんですけど』
「? 違うだろ?」
『あとは、ドライフラワーによくある、永遠に関するものとして…「永遠の思い出」』
「………」
『だからたぶん、ですけど。ヘリクリサムの花びらだと思います。僕は』
答えを聞いて、目を閉じて。
それから。
短く礼を言って。
いつか会おう、なんて。
そんなことも、話して。
それから、通話を切った。
これを造ったやつは、知っていたんだろうか?
考えて。
俺はそばにおいていたバッグから、スケッチブックを出す。
クロッキーも出して、手にして。
滑らせて。
組み合わせるのは、いい手かもしれない、なんて。
考えて。
「ん? 作業中?」
降った声に、顔を上げれば。
そこには、諸岡さん。
「あ…、すいません」
「いえいえ」
待ってるよ。
そう言って、彼は腰を下ろして。
ウェイターを呼んで、注文してた。
それを見届けてから、手を動かすことを再開して。
けれど。
ヘリクリサム自体の花を、俺は知らなかったから。
途中で、それを閉じた。
「もういいの?」
「…はい」
「ごめんね? 邪魔しちゃったみたいで」
首を横へと振って。
すべてをテーブルの上から退ける。
と同時に、諸岡さんが注文したコーヒーが運ばれてきて。
「さて、一ヶ月ほど経ちましたが」
決めたかい?
なんて言われて、軽く笑む。
それから、コクンと頷いた。
何のことを言っているのかは、わかっているから。
聞き返すことはせずに、頷いた。
明日は確か、彼女が来る。
ここへ。
ここではなくて、編集部の方だとは思うけれど。
それでも、この人に、会いに。
昨日、彼女の家に行った、その時に。
彼女の携帯へ、この人から連絡があって、そう話していたから。
諸岡さんは、俺の明確な言葉を待っているみたいに。
俺の顔を、見続けているだけで。
それに、小さく息を吐いて、肩を落とす。
昨日。
家へと帰って。
彼女から借りたものを、読み続けていた。
そして、やっぱり……と、確認していた。
彼女の言葉は、すんなりと、俺の中へ入ってくる。
彼女の本当の言葉が、その中のどれかはわからないけれど。
それでも。
知りたいと、そう思ったから。
もう一度、チャンスが与えられているのなら。
縋り付かない手は、ないから。
「彼女に…『AKIRA』に頼みます」
「そう」
「それで……頼みがあるんですけど」
切り出せば、諸岡さんは首を傾げて。
でも、それ以上、促すようなことはしなくて。
俺はそこから、視線を外す。
目の前には、さっき、香野さんから渡された、CFの脚本。
流して読んだけれど、イメージとは、違っていて。
彼女が書いてくれれば、と、願ってみたりもして。
きっと、彼女が描く俺は、『俺』のままで。
「葉月くんには無理だと思う」
昨日、彼女が言ったその言葉の通り。
俺に、演技が無理なら。
ほかのやつが書く『俺』は。
どこか、『俺』じゃないから。
周りの評価に流されて。
幻想として作り上げられた俺なんだろう。
だったら。
演る気にならない。
起こらない。
そうなるのは、当たり前のことだと思う。
けれど、俺は。
『俺自身』を書けるやつを、知っているから。
そいつにと願うのも、当たり前のことなんだろう。
「明日、彼女…ここに来るんですよね?」
「知ってるんだ?」
「昨日、彼女と会ってたから」
「なるほど。で? 頼みというのは?」
短く息を吐いて。
それから、口を開いた。
他人に頼み事をする時ほど、緊張することって、ない。
この人は、知り合いで。
これから一緒に、仕事をしていく人だけれど。
仕事上の付き合いだけで、いいなら。
知られちゃいけない。
これ以上は。
彼女に拘る理由は。
知られちゃ、いけない。
「まだ…彼女には話さないでいてほしいんです」
「君から話すからって、ことかな?」
「はい」
深く頷けば、「そんなことなら」と、諸岡さんは承諾してくれた。
この人が黙っていてくれるなら、彼女に内緒で、水面下で、仕事の話を進めていける。
逃げ道がないぐらい、がちがちに周りを固めてしまうことも、できるから。
「彼女にOKさせられる?」
「必ず」
そう、必ず。
あの時に言えなかった言葉と。
届け切れなかった想いも。
一緒に……。
ぎゅっと拳を握って、伝えれば。
彼は「頼みます」と、綴ってくれた。
彼女に会うのは、友達として。
想いが受け止められたのなら、嬉しいけれど。
とにかく、逃げ道がないことを知れば、きっと、彼女のこと。
覚悟を決めて、すべてをがんばると言うだろうから。
その言葉は、引き出せるだろう、なんて、考えはじめて。
「それから……」
「脚本、でしょう?」
驚いたあとで、躊躇いがちに、首を縦に動かす。
この人の口から、この言葉が出るってことは。
きっと、彼も、そう思っているということ。
「僕もね? 読んだ時に、違うなーって思っちゃたんだよね。まぁ、急がないなら、もう少し考えてもらおうか」
「はい…」
「何なら、AKIRAちゃんに頼む? 彼女、脚本も書いてるんだし、HPで。だから、やってくれるとは思うんだけど」
「ですね」
「それでも、とりあえずね」
立ち上がって。
そばのテーブルについていた――同じ編集部の人間なんだろう――に、指示を出して。
諸岡さんは、戻ってくる。
「じゃ、そうしましょう。動きがあったら、すぐにでも頼むよ?
連絡。それから、記者会見の日程、決めちゃいました」
記者会見。
出た言葉と、諸岡さんの笑顔に、俺は軽く笑うことしかできなくて。
「いつ…?」
「○日」
「……二週間、ないんですね」
「ないね。でも、十分でしょう? 香野くんから聞いたけど、もう、選定は終わったんでしょう?
スタッフの」
「まぁ……」
「人間性なんていうのは、付き合っていく中で知らなくちゃいけないし。簡単な面接だけでわかるのは、いかに、瞬間の自分を創ることが上手いか、否か。それだけでしょう?」
「………」
どれだけの人を見てきたのかは、この言葉の重みでわかる。
この人は、どっちかと言えば、彼女に近い。
だからこそ、俺にも、逃げ道はないんだろう。
用意、してくれないんだろう。
「スタッフの方を集めて、説明をします。それは、一週間後にでも」
「はい」
「今日中に書類を作って、明日発送して。…一週間後、空いてる?」
「大丈夫です。空けます」
「ありがとう。そのぐらい……かな?」
手帳を開いて、確認して。
それからもう一度、それだけだね、と、言葉を落とした。
俺は頷いて。
これから、何をどうしようかと考えて。
彼女に会うことを、考えなければと、思うのに。
仕事が入っていたはずで。
苦笑を零す。
それでも。
「じゃあ、その日に」
告げて、俺は立ち上がった。
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