慌てたくはないけれど
慌ててしまうのも
仕方がないのかもしれなくて

それでも ほしいものを手に入れるため
すべてを失ってもかまわないと思いながら

彼女との繋がりだけはと
それだけは冷静に
前を見据えている




Truth 〜 peep 〜





膝の上の姫を退けて。
脱ぎ捨てていたコートへと手を伸ばした彼女に。
その音楽の出所は、携帯なんだろう、なんて思う。
こたつから出ないで、必死に手を伸ばしてるのに、少し笑めば。
姫が俺から遠ざかるように、彼女の左側へと歩いていった。
手にできたコートのポケットを探って。
彼女が取り出したのは、思っていた通りの、小さなもので。
けれど俺は、見たことがなかったもの。
「はい、AKIRAです!」
俺がいるのに……。
肩を下げて、どうすればいいのか、わからなくて。
ただただ俺は、彼女を見続ける。
小さく笑ったのは、なぜかわからないけれど。
彼女が耳に当てた携帯から漏れてくる声には、聞き覚えがあって。
それでも、話し続ける彼女を、俺は見続ける。
「元気ですよ。じゃなかったら、この家、大変なことになってますって。料理出来る人間、僕しかいないんですから」
紡がれた言葉に、へーなんて。
それしか、思えなくて。
「原稿ですよね? 上がってますよ?」
それに、すべてに合点が行った。
聞いたことがあると思ったのは、諸岡さんだからか、なんて。
作家なんだと、聞いたから。
その電話に。
俺が口を挟めるわけもないし。
この電話を、後回しにすることも、彼女にしてみれば、気が引けるのかもしれない。
きちんと座り直した彼女は、左側をちらりと瞳に映して。
だからそこに、姫がいるんだろうと、何となく思う。
「そう言ってくださると嬉しいですよ。で…いつ持っていけばいいですか?」
電話は続く。
コートよりも手前に置いていたバッグに手を伸ばして。
手帳を取り出した彼女は。
開いて、備え付けられてたペンを構えてた。
それを覗き込んでも、彼女からの叱責の声はなくて。
手帳には今日のことが書かれているのが、見えた。
「ええ、一週間以内に…ですか? できれば指定してほしいんですけど。………。明後日ですね? いいですよー。早い方が書き直しを命じられても、すぐに出来ますし」
明後日。
そう言って、書き込んだ彼女に、小さく息を吐く。
明日は、俺が諸岡さんに会うから。
だからたぶん、彼は明後日と口にしたんだろう。
それからすぐに、携帯を耳から離して。
通話終了の、そのボタンを押した。
「ごめんね」
言いながら、携帯を置いたから。
それから、手を離したから。
俺がしたのは、それを手にすること。
今の――薄くて、小さな繋がりを、もっと確かなものにするために。
それから、何も知らないのだということを装うための話題を、彼女に振ること。
「誰だ?」
「担当さん」
「担当?」
「うん。というか、編集長」
「………」
「諸岡さんって言ってね。小説家としての僕――AKIRA――が、お世話になっている方」
「……小説?」
「えとね」
知っているのに。
わかっているのに。
それでも、彼女のことを知っておきたくて、言葉を繋げる。
こう聞けば、彼女のこと。
自分が小説家をしているという、その証拠を持ち出してくる。
必ず。
その通りに、彼女は立ち上がって。
こたつから出て、立ち上がって。
閉められている扉の前の棚へと、歩いて。
そこから、雑誌をいくつか取り出した。
戻ってくると、腰を下ろしてから、雑誌を広げて。
俺に…見せてくれる。
「これ。HP…見たんだよね?」
「ああ」
それは、確かに見たから。
隠さずに届けて。
俺の前に置かれたそのページに、目を通してた。
文字がその紙の上、三分の二を埋め尽くして。
他の部分は、抽象的な絵が埋め込まれている、そのページ。
絵が、そのものでないのが、彼女らしくて。
小さく、笑みを浮かべる。
「HPを見た諸岡さんがね、僕宛てにメールをくれたのがはじまりで……今ね、連載してるんだ、小説」
連載と、彼女は言うけれど。
言ったけれど。
これはどう見ても、読み切りで。
「恋愛物じゃないんだけどね。そういう雑誌じゃないから、全然かまわないんだけど……女の子の読者が多いんだよ?」
「…へえ……」
「ファンレターをもらうんだけど。一ヶ月に一度、まとめて。それを読む時が一番楽しいんだ。次の話に影響されちゃったりして。こんな考え方もあるんだなって…本当に考えさせられる時もある」
「………」
「僕が書いてるのは、一話一話の読み切り。主人公はその都度変わる。楽しいこと、悲しいこと、辛いこと。そういうのを……書いていってる」
自分に、極端に自信の持てない彼女だから。
きっと、いつ打ち切りになっても、っていう考えで、こういう形にしてるんだろう。
諸岡さんの評価なんて、全然、知らないまま。
「明後日渡す約束なのが、十五・十六回目。隔週で出てる雑誌だからね、そうやって…一度に二回分、渡しちゃうんだ」
じゃあ、諸岡さんに会うのは、一ヶ月に一回…なのか?
聞けなくて。
それを払拭したくて、ページを捲っていく。
目を、通していく。
言葉を発しなければ、聞こえるのは、ページを繰る音と。
わずかに揺れる、携帯のストラップの音。
「おまえらしい」
「…うん。自分でも、そう思う」
にっこりと笑った彼女に、ほっと息を吐く。
彼女らしいと思ったのは、うそじゃない。
彼女じゃなければ思いつかないようなことが書いてあると、そう思ったから。
「急に終わりになってもいいようにってこういう形にしたんだけどね。何か…半年以上も続いてるんだよね、これ」
やっぱりな。
そうだと思ったから、小さく笑みを零した。
諸岡さんが、本当はどう思っているかなんて、教えられないから。
その差に、ただただ、笑うだけ。
そうしていても、彼女の言葉は、すんなりと俺の中に入ってくるのだと、実感してた。
本当にこんなこと、考えてるのか?
そう、主人公として書かれてるやつらに聞きたいぐらい。
「これ、ほかにないのか?」
「あるよ。読む?」
あるのなら読みたい。
そう思ったから、こくんと首を縦に振ったのに。
「相談は?」
「………」
言われて、携帯を軽く振っていた手を止めた。
忘れてた、なんて、言えなくて。
彼女なら、視線を明後日に向けるか。
にっこりと笑うかの、どっちかをしているだろう、反応を。
俺はただ、どうすればいいかを考えながら、行動を止めてた。
彼女に、ただただ会いたかったから。
会ったら何を言おうかなんて、考えていたけど。
そのいくつかの中の一つでさえ、言えていない気がする。
「平気じゃない?」
唐突な一言に、俺は視線を上げたけれど。
彼女が見ていたのは、まだコーヒーが残っているカップ。
「何が?」
「考えてるでしょ、ってこと」
「…?」
「葉月くんのこと。マネージャーさんとか、スポンサーとか」
「………」
「だからね、君が出来ないだろうと思われる仕事は、多分スポンサーも打診しないし、マネージャーさんも受けないだろうってこと」
「…つまり?」
「……言っていいの?」
「ああ」
短く返せば、彼女の口からは、吐息。
それから、こめかみを爪で掻いて。
答えをくれるために、口を開いてくれた。
「取り越し苦労」
「………」
「言い方を変えるなら、労力の無駄。つまり、君が僕と連絡を取ったこと自体、無駄だってこと」
言い放って、彼女は立ち上がったけれど。
俺は…無駄じゃないと、そう叫びたかった。
会いたかったんだから。
俺は。
彼女に、会いたかったから。
会うだけでも、よかったから。
言葉を交わして。
できることなら、触れて。
そう、ずっと願っていたんだから。
「わからなかったわけじゃないでしょ? …てか、本当に心配してた?」
「……してた」
「……少なくともさ、台本見たりとかしてからにすれば? それで演技が必要だって思ってからでも、遅くはなかったんじゃない?」
うそを吐いた俺に、彼女の口から漏れたのは、ため息で。
俺は眉根を寄せる。
彼女は会いたくなかった。
そう、言われているようで。
「悪かったな」
「本当にね。でもま、いいんじゃない? 僕は会えて嬉しかったし」
「そうか」
言葉に大きく安堵すれば。
彼女から手渡されたのは、一つの封筒。
「雑誌よりも、こっちの方が読みやすいと思うから」
ページを探さなくてすむしね。
受け取って、中を覗き見れば。
彼女はその手を戻さずに、そこに置いたまま。
理由がわからなくて、眉間に縦皺を刻めば。
「携帯」
そう短く、単語で返ってきた。
「変えたんだな」
「変えたよ? だから何?」
「番号」
「…教えろって?」
「普通だろ?」
「よく言うよ、今まで全然連絡くれなかったくせに」
「それはおまえも同じ」
「忙しいかな、って思ったから。気を使ってあげたのに…そうやって酷いこと言うんだ?」
「べつに忙しくない」
「どうだか。今だって、夢は追っかけてるんでしょ?」
言われて、その通りだから、肯定の言葉を発する。
急激に形になるために動き出してはいるけれど。
本当に、あまり、忙しくはない。
俺…自身は。
「だったら、忙しいに決まってる」
忙しくない。
ほとんど、諸岡さんと、香野さんに任せているから。
言えなくて。
でも、確かな繋がりはほしくて。
大きく開かれた手に、携帯を返すことは、できなくて。
「もしもし?」
「番号」
「………」
「……教えろよ」
「…わがまま」
「………」
「ガキ」
「何とでも」
「………」
子供の言い合い。
自分でも、それは思う。
きっと、彼女も思ってるはず。
「はぁー……」
大袈裟に、長々とため息が零されて。
彼女はこめかみを、爪で掻いた。
表情は、微妙で。
でも、あきらめてくれたことは、わかる。
俺は、口角を上がるのを、止められなくて。
「わかった。わかったから…返して」
「本当に?」
「本当に。ちなみに…葉月くんは変わってない?」
「変わってない」
携帯を差し出せば、彼女はそれをつかんで。
小さく撫でてた。
本当に大袈裟。
思いながら小さく笑えば。
彼女は折り畳みのそれを開けて、操作する。
俺の番号……登録してあったのか?
まだ。
驚いていれば、俺のポケットの中で、携帯が音を発して。
けれどそれは、すぐに切れた。
「それが僕の携帯の番号」
開けて確認すれば。
確かにそこには、見たこともない番号が、不在着信として残っていて。
俺はそれを登録するべく、手を動かしていく。
「これでいいでしょ?」
彼女は携帯をこたつの上に放るように手放して、突っ伏した。
教える気はなかったのかもしれない。
思ったけれど、繋がりが確かなものになったから。
笑みを浮かべてしまったのは、仕方のないことかもしれなくて。
今の彼女の携帯番号を知る人間は、友達だけじゃないから。
変えるにも気が引けるだろうし。
だからこそ、繋がりは確かなものになったのだと、本気で思ったから。
「言っていい?」
不意に紡がれた言葉に、携帯の画面に向けていた瞳を、彼女へと戻す。
身体を起こして、左手で頬杖を突いた彼女は。
俺のことをまっすぐに見ていて。
「本気で…芝居やりたいって思ってる?」
「…どうして?」
「葉月くんには無理だと思うから」
静かに紡いで、彼女は俺から視線を外して。
前を見て、それからまた、口を開いた。
「芝居ってね、自分じゃない自分を演じるってことなんだよ。心と上辺と、全く別々のことをやってるの。心は悲しんでるのに、顔は笑わなきゃいけない、とか…そういう風に」
「………」
「もちろん、自分をそういう状況に持っていく人もいるよ? でもね、そういう人は……かなり経験豊富か、他人をかなり観察してるかのどっちか。君が芝居やりたいって思うなら、まずは上辺だけでも笑うことを覚えなきゃダメだよ」
「…笑いたくないのに、笑うのか?」
「芝居ってそういうものだよ」
「おまえは?」
「……さてね」
答えはもらえなくて。
会話を拒絶するかのように、彼女は瞼を伏せる。
だからこそ、俺はそれ以上、何も言えなくて。
ただ、目を細めるだけ。
そろそろ、夕方。
今日はここまでにして、帰った方がいいんだろうか?
考えながら。
心を入れ替えるように、思い切り瞼を押し上げた彼女を。
ただただ俺は、見てた。

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