次の日はないなんて
毎日 隙をうかがっていたのは
あの頃の話今は少し
冷静になっていて
状況を見極めることも できている
だからこそ
ほしいものを手に入れるために
ゆっくりと
次の日もあるなんて
構えてみてる
Truth 〜 unexpected
〜
背後に立つと、彼女が焦ってしまうことを、知っていたから。
俺はゆっくりと、彼女のそばまで歩いていく。
肩から斜めがけしていたバッグに、彼女は鍵を仕舞い込んで。
そうして、ドアノブに手をかけたのに。
ぴたっと、彼女は止まってしまった。
「あ、そうだ!」
わずかな間のあと。
彼女はそう、声を上げて、俺を見る。
「あのね、僕…ここに友達と住んでるの」
「ああ」
だろうな、なんて思う。
彼女の性格からして、一人で住むってことは、しなさそうだったから。
だからたぶん、その友達は。
高校時代に、何度となく聞かされた、親友だろうと思う。
「でね、今日は…一人いるんだ、ウチの中に」
言われて、瞬いて。
彼女と同じような仕事をしているのか。
もしくは、俺みたいに休みが不定期なのかもしれない。
『一人』という単語に、首を傾げはしたけれど。
考えながら、まだノブを握っている彼女に、ふっと、笑みを浮かべた。
「心配しなくていい。ちゃんと、挨拶はする」
「そうして。多分、向こうも葉月くんのこと、気に入ると思う」
「……そうか」
「あ、いや…無理かも」
「? どっちなんだ?」
「うーん…まぁ、会ってみればわかるんじゃない?」
言葉に、小さく首を傾げて見せる。
彼女は苦笑しながら、ドアへと向き直って。
握り続けていたノブを引いた。
聞こえたのは、小さな声で。
垣間見えたのは、小さな姿。
「ただいま、姫」
呼ばれたそれは、にゃー…と、返事をする。
踏まないようにと、彼女はそれを抱き上げて、中へと入っていくけれど。
俺は黙って、固まっているだけ。
「今日はね、友達連れてきたんだ。いいよね、姫」
その問いにも、変わらない声で答えて。
彼女はそれにお礼を言ったあと、頬を擦り寄せてから、下に降ろした。
それにも俺は、中に入れないまま。
「……猫?」
声にできたのは、それだけで。
彼女はそんな俺を、振り返ってくれた。
「当たり前でしょう? 他に何に見えるわけ?
君には」
「……友達?」
「友達。というか、口説いたから…恋人か?」
「………」
「どうしても、猫飼いたくて。でも、気に入った子がいなくて、何度も何度も通ったのね、ペットショップ」
恋人?
思いながら、その猫を見ていると。
俺の顔を、興味深げに見ていて。
それに眉根を寄せれば。
視界の端で、彼女が手招きする。
「鍵閉めてきてね」
廊下続きの部屋へと足をかけて、彼女はそう言って。
俺はようやく、その通りに動き出す。
猫はといえば、彼女と俺の、ちょうど真ん中にいて。
まだ俺のことを見ていた。
扉を閉めて、鍵もかけて。
そうしてから、靴を脱いで、家へと上がる。
少し緊張しているのは。
きっと、この。
猫のせい。
「にゃー」
物音のする奥へと、歩を進めれば。
俺の足元に、猫はやってきて。
俺が進む速さで、ついてくる。
申し訳程度の廊下を進んで。
部屋へと入れば。
「でね、ようやくこの子! っていう子に会ったの。それが、姫」
と、彼女の説明が、再開される。
「で? それがどうして…口説いた、になるんだ?」
「だってさ、全然靡いてくれないんだもん。姫ってば」
冷蔵庫の扉を閉めた彼女は、頬を膨らませていて。
俺はそれを、入った場所で、見つけた。
立ち上がって、彼女はビニール袋をたたんで。
そばにあった箱へと入れる。
そうしながら、口を開いて。
「毎日毎日会いに行ってるのに、僕のことを一度も見てくれないの。痺れ切らして、最後の手段!
って思って、姫に手を差し伸べて、言ったのよ」
こちらを向いた彼女は、俺が知っているどの彼女とも違っていて。
一度俯いて、胸に手を当てる。
それが、わざとらしくて。
顔を上げた彼女の表情は、ほんのりとした、笑み。
それに、眉を顰めれば。
「姫、あなたが外の世界を怖がるのは、よくわかります。ですから、どうか私に……あなたを守らせてください。――って」
「…………」
もしかして、なんていうのは思ったけれど。
何度も、彼女のHPを覗いて、わかっていたことだけれど。
準備とか、心構えとか。
何も……できていなくて。
「どうかした?」
気がつけば、彼女は俺の、目の前にいて。
その声は、普段のものと、まったく同じで。
その落差に、俺は眉間に縦皺を刻む。
まだ少し、混乱していたけれど。
「…びっくりした」
そう届ければ、彼女はにっこりと、笑みを浮かべた。
「そっか。それはよかった」
発して、彼女は踵を返す。
猫は、キッチンのそばに置いてある、円形の机の上に、軽々と飛び乗って。
ねー? なんて、頭を撫でられながら、彼女に同意を求められて。
声を上げていた。
「適当に座って。今、コーヒー入れるからさ」
壁際まで、彼女は歩いて。
首だけ回して、俺へと、言葉を届けてくる。
それから、コートを脱いで、そのそばへと置いた。
簡単にたたんで。
そうした彼女に倣うように、俺もコートを脱いで。
簡単にたたんで。
どうしようかと迷ったけれど。
猫がまっすぐに向かった方向に、俺も進んだ。
こたつ…。
思いながら、腰かけて。
電源を探し出して、入れる。
と。
「僕のでいい?」
なんて、急に問い。
それで彼女の方を見れば。
彼女はキッチンに立っていた。
「何が?」
「コーヒーカップ」
振り向いた彼女が、手にしていたのは、猫柄の青いカップで。
ほんの少し、嫌だとも思う。
猫柄のを使っているところが、彼女らしいけれど。
「返事がないなら、肯定と取るよー」
言いながら、前を向いた彼女に、俺は急いで、立ち上がって。
彼女のそばへと、早足で進む。
声を発したとしても、答えを求められるだけだし。
そうだとしても、答えを持っていないから。
彼女はきっと、コーヒーを作り出す。
なら、彼女の行動を止めた方が、早い。
辿り着いた場所で、俺は、インスタントの粉が入ったビンへと伸ばされた、彼女の手を遮った。
彼女はそれを、くすくすと笑っているだけ。
「ほかにないのか?」
「あと? あとはねぇ……」
俺の手から、するりと手は離れて。
彼女は食器棚の前に立つ。
そうして、中を覗き込んで。
「大きいのしかありません」
「………」
開けて、出して。
彼女は俺に、見せてくれる。
黄色と、白。
確かに、コーヒーカップには大きくて。
俺は小さく、息を吐いて。
彼女が持っていたスプーンを取り上げて。
猫柄のコーヒーカップに、それを入れた。
「これでいい」
少し、尾を引くように、独特の音が響いて。
それにまた、小さくため息を吐き出した。
彼女は棚の扉を閉めて、くすくすと笑みを零して。
「やっぱり、楽しい」
そう、言葉を落とす。
楽しいって……俺といることが?
話すことが?
でも、どっちにしても。
そんなことを言うのは、本当に彼女ぐらいで。
だからこそ俺も、ふっと笑みを浮かべた。
「おまえ、変わってる」
「うん? うん、いいんじゃない?
みんなと一緒って言われるよりはいい」
「…変なヤツ」
「個性があるって言われてるんじゃないの?
違う?」
「取り方も同じだな、昔と」
「はいはい。そこで笑わないで」
俺も楽しいと思う。
だからこそ、隠さずに笑いで届ければ。
彼女の手は、俺の頭を叩いてくれた。
それから逃げるように、こたつへと戻れば。
そこにいたのは、あの、『姫』と呼ばれた猫で。
何も言わずに、首を少し、傾げてた。
インスタントコーヒーの、その匂いが立ち込める前に、俺はこたつの中へと、足を入れたけれど。
入れられた、けれど。
猫はじっと、俺の顔を見ているだけで。
そばへと寄ってきても、見ているだけで。
だから俺も、眉根を寄せて、その顔を見てた。
視界の端に、彼女が動いたのが入ったけれど。
瞳を逸らしたら負け、みたいな。
そんな気にもなっていて。
俺はただ黙って、猫を見続ける。
俺が言うはずだった言葉を。
彼女自身が口にして。
そして、それを届けた、相手。
彼女が止まったのは、俺のそばで。
「姫?」
「ああ」
問われたことに、俺は短く、答えを返す。
コトッという二つ分の音が、一緒になって、一つ分だけが響いて。
彼女が足を入れたのが、いろんな動きでわかった。
「やっぱり……勝手に入れたな?」
「入れた」
「まぁいいけど」
彼女がほっと息を吐いたのがわかったけど。
俺はじっと、その猫――姫を見てるだけで。
姫もまた、俺を見てるだけ。
「…………」
どちらも動かなくて。
どちらも何も、言わなくて。
動くのは、彼女だけ。
言葉を発するのも、彼女だけ。
「ここ置くよ?」
「ああ」
何のことかわかっているから、そう返して。
俺はただじっと、姫の出方を見ていた。
彼女がカップの中へと、息を吹きかけたのが、音でわかる。
そのあと、口を付けて。
小さく肩を竦めたんだろうことも、視界の端で捉えて。
「にゃー」
彼女の方へと、少しだけ、意識が傾きそうになった時。
小さく、姫がそう、声を発した。
と同時に、右前足が、俺の膝にかけられて。
ほんの少しの間を置いて、小さな姿はきちんと、俺の膝の上へと乗っていた。
少しだけ、座りやすい場所を探すかのように動いて。
「にゃあ」
はっきりとわかる声を上げてから、腰を下ろす。
けれど、眼差しから、好意は見て取れなくて。
どちらかといえば、疑いの、目。
だから手を出すことも、できなくて。
そうしていると、コトッと、彼女がカップを置いた音が響いた。
「姫」
声もほぼ同時で。
俺は顔を上げたけど。
呼ばれたのは、俺の膝の上のやつだったから。
彼女が見ているのは、姫の方。
「ちなみに、その人が葉月 珪くん」
「………にゃぉ」
「そ。僕が時々話してる人」
そう、彼女が告げた途端。
俺の膝の上は、軽くなって。
姫は真っ直ぐに、彼女の膝の上に乗った。
「無理だったか」
「………」
何が何だかわからなくて。
俺は彼女を見る。
けれど彼女は、すぐには明快な言葉をくれなくて。
代わりに、小さな微苦笑をくれただけで。
姫の小さな頭を撫でる。
俺に答えをくれたのは、そのあと。
「姫って――結構嫉妬深くてね」
「……」
「僕が…君が載ってる雑誌、買って帰ってきた時に、気づいたんだけどね」
「……」
「それを見てたら、興味深そうに覗き込んできたからさ、教えてあげたのよ、君のこと」
「それで?」
「そしたら、次の瞬間。その雑誌はビリビリに」
「………」
「読めなくなっちゃったんで、ゴミ箱行き。仕方なく、それ以来――立ち読み」
そこで彼女は、言葉を切って。
背中を丸めるようにして、こたつに頬杖を突いた。
ちらりと、膝の上を見たのは、姫のことを気にしているからで。
それに俺は、眉根を寄せる。
「何、言ったんだ?」
「別に? 仲がよかった友達、だとか…高校時代は一緒に出掛けたなー、とか」
「それで?」
「それで」
ただの飼い猫。
けれどさっき、彼女は、友達で恋人だと言った。
だから、たぶん。
そう思っていると、彼女が言葉を落とした。
「あのね、姫にとって、僕は飼い主じゃないよ?」
やっぱり。
思いながら、カップに触れれば。
彼女はその、俺の手を、ちらりと盗み見るようにして。
「口説いたって、さっき言ったでしょ?」
「…ああ」
「だからね、姫にとって、僕は『王子さま』なのさ」
その言葉に、渋面を濃くする。
もしかして、とは思ったけれど。
その通りだったことが、嫌で。
「いつも、『姫』って呼んでるのも原因の一つかもね。本当の名前はレイ…うららって書いて、レイなんだけど、そう呼ばないから、この家の人間。で、多分、君のことは…恋敵とか、そういう風に思ってるんじゃないのかな?」
頬杖を崩して、彼女はカップに両手で触れた。
小さく笑みを浮かべたのは、その暖かさに。
「恋敵……?」
「そう。仲がいいのは許せないって感じ?
一緒に住んでる友達でさえ、最初はすごかったし」
「そんなに?」
「言うことは聞かない、友達が用意したものは食べない、食事はしない」
「………」
「邪魔ばかりするし、睡眠でさえ、妨げる」
「本気で?」
「本気で。……てか、どっちのことを言ってる?」
「どっちも」
「…どっちも本気」
「…………」
「僕は姫の王子で、姫は僕を一人占めするために、いろいろやった」
「………」
「今は平和。友達が僕のことを姫から取り上げることはしないって気づいたんじゃない?」
彼女は『王子』じゃなくて、『姫』のはずで。
なのに、俺の知らない間に、『王子』になっていて。
俺は、どの立場に立てばいいのか、わからなくて。
なぜならすでに、『王子』も『姫』も、存在してしまっているのだから。
そうして、眉根を寄せていれば、彼女はカップを持ち上げて、息を吹きかけてた。
「葉月くんだって大丈夫だよ。そのうち慣れてくれるって」
零してから、彼女は口を付ける。
まだ熱いのか、わずかに片目は細められて。
――慣れてくれたとしても、きっと。
好きにはなれないと思う、俺。
言えなくて、黙っていれば。
「……拗ねてる?」
そんな言葉が、投げられた。
顔を上げれば、彼女は俺を見ていて。
両肘を突いて、顔の高さまで上げたカップを、支えていて。
「どうして?」
「猫、好きなんだよね?」
「…ああ」
「その猫に嫌われちゃったから」
「……べつに」
言えば、息を吐かれた。
「素直じゃないなぁ」
そう、言われても。
拗ねてはいないから。
ただ、嫌なだけ。
あれだけ、『王子』と呼ばれるのは、嫌だったのに。
彼女がそう呼ばれたり、自分をそう思っているのが、嫌。
『王子』なのは俺で。
『姫』は彼女。
そうじゃないと、嫌だと思う。
コトッと音が響いて、彼女がカップを置いたのがわかる。
それを聞きながら、カップを口元で傾けて。
「大丈夫だって。葉月くんは優しいし」
「………」
「悪いヤツじゃ、ないんだしさ」
その言葉で、俺がどれだけ救われてるかなんて。
きっと彼女は、わからないと思う。
そして同時に、打ちのめされていることも。
彼女は知らないと思う。
俺は優しくなんてない。
自分よりも、ずっとずっと、小さい生き物にさえ、嫉妬してる。
彼女の膝の上から、退かしたいと。
そう、思ってしまうほどなのに。
そんな時、小さく音楽が流れた。
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