息を強く吹き掛けられて
仲間たちの丸い姿が 露になる空気に乗って 風に乗って
飛んでいく
けれど 割とすぐ
小さな指先に突つかれたり
不意の小さな風に負けて
仲間たちの姿は
空気に溶けて消える
次々に生まれる仲間たちに
小さな子供たちは 残念がったりはしないけれど
一瞬 辛そうな表情を見せる子もいるから
だからわたしは
すぐに消えないように
出来るだけ
すべてのことに――抗って見せる
キズ 〜 ニタク
〜
だから言ったんだ。
「何でいないのよー?」
子供のように頬を膨らませたなっちんは、それでも真っ直ぐに歩いていて。
「仕方ないよ。氷室先生、今日は来てなかったんだしさ」
「そう言えば、警備員さんがそんなこと言ってたんだよねー。でも、すぐに来ると思います、なんて言われたけど、結局一回も姿見せなかったし」
「氷室先生にしては…少しおかしいかもね」
校門を出てすぐ、有沢さんとは別れた。
聞けば、何かこれから、誰かと会うことになったらしい。
携帯を弄っていたその手は、わずかに照れが入っていた。
「まぁいいや。とにかく行こう、玲の家!」
「はいはい」
くすっと笑って、歩いていく。
歩くと結構遠いけど。
それでもま、途中で買い物したりしているうちに着くしね。
考えて、なっちんにそれを届けた。
「買い物ー? 別にいいけど。でも、何で?」
「なっちんのお目当ては僕の手料理、でしょ?」
「まぁ、ね……。それに、出来れば教えてほしいなーなんて思ったりもして」
「なっちんって一人暮らしだよね?
いつもは食事、どうしてるの?」
「適当。コンビニのお弁当とか、そんなものばっかり」
「………」
呆れって言うのかな?
想像はしていたけど、まさか本当にそうだったとはって感じ。
なっちん、筋はいいのに、自分からやろうとしないんだから。
「何よ?」
「ニィやんに呆れられても知らないよ?」
「……大丈夫、じゃない?」
本気で言ってるのかな?
それとも、そうなれば嫌でもやるからって?
わたしはため息を吐いた。
他人のこと、今は言えたもんじゃないけど。
というより、きっと。
他人よりも、今のわたしの方が酷い。
他愛ない話をして。
途中のスーパーで買い物を済ませて。
わたしはマンションのエントランスへと足を踏み入れた。
そこで。
何か今日は散々だな。
そう思う。
なっちんを待たせて郵便受けを見に行こうとしたその時。
ちらっと見えた姿に、そう思ってた。
何でいるのさ。
そう聞きたい。
思っていたら、なっちんの声がわずかに響いて。
わたしは小さく息を吐いたあとで、彼女たちの元へと歩いた。
「何しに来たのよ?」
「おまえこそ」
「アタシは玲の手料理を頂きに来たの!
アンタは?」
「………」
黙っている彼の視界に、わざと入ってみる。
背を向けていたなっちんは、彼が微妙に表情を変えたのに振り返って。
そこにいたわたしにほんの少し、驚いてた。
「玲…」
「ん?」
「…………」
笑顔を向ければ、彼女も黙り込む。
優しいね、なっちん。
思いながら、彼の顔に焦点を合わせた。
「何しに来たの?」
聞けば、彼はわたしから視線を外して。
「何か相談?」
「………」
返事はない。
答えがないのかもしれないけど。
用事がなくても来ていい時期は、もう過ぎた。
わたしたちはもう、そんな関係じゃないよ?
君がそんな時、行かなきゃいけない場所は、ここじゃない。
それを視線だけで訴えてから、いろいろ、考えた。
このまま、彼をここに残して、なっちんを連れて家に帰ったら。
きっと彼女は、彼のことをぶちぶちと繰り返すに決まっている。
悪いけどわたしは、それを聞いていられるような冷静さは持てないだろう。
そうしたら、なっちんは今よりもっと、わたしのことを心配してしまうかもしれない。
逆に彼女に断りを入れて彼を招き入れたりしたら、彼はきっと、誤解する。
彼の恋人は、悲しむだろう。
だったらわたしが取る行動は一つだけ。
何も言わずに、二人から背を向けて、歩き出すだけ。
「玲?」
「ごめん、今日は二人とも帰って」
「でも……」
なっちんが彼を見る。
彼はバツが悪そうに、視線を床へと落とすだけ。
「本当にごめん。それじゃ」
扉を開けて、たったひとりで中へと入る。
エレベーターが来るのを待っていられなくて、わたしは階段へと足を進めた。
なっちんが何か言ったような声が聞こえたけど、振り返らなかった。
シャッターの音が続けて何度も起こる。
セットの中にいるのは、わたしの身内。
この前、彼のCM撮りの時、この場に姿を現さなかったわたしに、尽が昨日、連絡を入れてきて。
仕事前に会って話がしたいって言われたから、わたしはここに来たわけで。
「バカ玲」
何度も言われて、頭を小突かれて。
どっちが上かわからなくなった頃、尽の仕事が始まった。
ちょうどいいやって、我が弟の仕事ぶりを今まさに拝見中。
くるくる変わる表情は、年齢に似合わず、子供っぽくて。
でもカメラマンが指示を出せば、年齢以上に大人びて見せた。
さすがに、わたしの弟だ。
演技力も伊達じゃないね。
小さく小さく笑ってから、わたしはスタジオをあとにした。
誰にも素直になることの出来ないわたしは。
以前のわたしに戻ってしまったようで。
胸の痛みに蓋をして。
目を背けて、生きていて。
ただただ、意味なんか持たない生を、受け入れているだけの日々。
こんなの、生きているって言えるんだろうか?
考えるけど、自分から死にたいなんて思っていなくて。
無人に近い廊下を俯きながら歩く。
階段を一段一段、丁寧に降りて。
今日これからどうしよう、なんて考え出した。
原稿はもう結構、形にはなったし。
あとは推敲を繰り返せばいいのかなって感じだし。
公園にでも寄って、ボーッとしようかな?
連載の次の題材を探すためにも。
……そうしよう。
決めて、顔を上げる。
と、そこには見知った顔があって。
わたしは少し、うんざりする。
小さく振ってくる手とか。
これでもかって言うぐらい、見せ付けてくる、笑顔。
「熊谷さん……」
「やっ。何か、暗くない?」
「………」
「明るくなるために、俺と不倫しようか?」
同じセリフ。
小さく笑えば、熊谷さんは気をよくしたように、ますます笑顔に力を込めた。
そこから視線を外して、外を見る。
「雨…」
空は灰色。
降り注ぐものに、小さく落胆する。
ニュースじゃ、お昼からって言ってたのに。
傘なんて持ってきてない。
「さっき降り出してね。玲ちゃんを送ってあげようと思って、待ってたわけ」
「いいですよ、濡れて帰ります」
「そういうわけにもいかないでしょう?」
「………」
返答に困って、眉を顰める。
どうしよう、どうしたらいい?
そうこうしていると、話は勝手に進んでしまって。
「車、こっちに回してくるからさ、ちょっと待ってて」
言い放って、熊谷さんは外へと行ってしまった。
――あの人のことを嫌いになれない理由は。
どこか、ニィやんに似てるから。
笑い方とか、こっちが暗くなりかけてると、一生懸命に笑わそうとしてくれる気の配り方とか。
だからかもしれないって、ちょっと思ってた。
だから、いいかなーって。
送ってもらうぐらい、いいかなって。
だけど。
「玲?」
声に、弾かれたように振り向く。
眠そうな顔に、今まで仕事をしていたのだと知った。
ここまで追ってきた?
そんなわけない。
あそこに、彼の姿はなかったし。
尽が何か言ったんだろうか?
でも、そんな素振りは少しも見せなかった。
だからきっと。
本当に……偶然。
なのかもしれない。
「葉月くん…、徹夜明け?」
「まぁ、そんなとこ」
「控え室で寝ちゃって、起きたら朝になってた、とか?」
「………」
当たったみたい。
本当に偶然だったんだ。
くすくす笑って、わたしはまた、前を向く。
銀の糸が降り注ぐ中。
一本だけ佇んでいる桜の樹に付いている花が、ほんのわずかしかなくて。
「全部散っちゃうかもね」
そう零せば、彼は短く、同意の言葉を返してくれた。
わたしは彼を見る。
彼は、わたしと、目を合わそうとしない。
「傘、持ってきた?」
「…車」
「あ、そっか」
「送ってやろうか?」
「え? あ、でも……」
熊谷さんが……。
名前を綴れば、彼は眉間に深く皺を寄せて。
わたしはそれに、気づかないふりをして、床に視線を落とした。
そんなわたしの手を掴んで、彼は一歩、足を踏み出す。
「葉月くん…!」
「送る」
「けど、さっき……」
「おまたせ!」
真っ黒な傘を差した熊谷さんが、入り口から入ってきて。
けれどその笑顔は、すぐに別のものに摩り替わった。
彼を見たから。
彼がわたしの手を取っているのを、見たから。
「葉月くん、君、自分がしてること、わかってる?」
静かな問い掛け。
繋がっている手に、力が篭もった。
大きな、男の人の手。
痛くはない。
でも、別のところが、痛みを発してる。
「君が送らなきゃいけないのは、玲ちゃんじゃないでしょう?」
「あんたには関係ない」
「関係あるね。俺は玲ちゃんの彼氏に立候補中なんで」
「結婚してるだろ?」
「それなら君には、恋人がいる」
「………」
「紗枝ちゃんは今、撮影中だよ。君はそれを待っていて、送ってあげるのが道理だ」
名前は、さらっと聞き流せた。
はずだった。
紗枝さんって、知ってる。
わたしは記憶の中から、その姿を思い出す。
とても綺麗な人。
笑うと可愛くて、話してても楽しそうで。
面と向かって会話をしたことはないし、仕事もしたことないけど。
遠目に見て、そう思った女性。
確か、年はわたしより一つぐらい、下だったはず。
そっか、あの人か。
ならいいや。
ほっと息を吐く。
「………」
沈黙が続く。
ちらっと彼を見れば、熊谷さんを睨んだままで。
熊谷さんに視線を移せば、余裕の表情で彼を見てたけど。
わたしに気づいて、笑顔を投げてくれた。
それに、彼がわたしを見て。
何も言わずに、歩き出そうとする。
「ちょっと待ちなって」
彼の前に立って、熊谷さんは彼を止めて。
彼はまた、熊谷さんを睨んだ。
「そこ、退け」
「嫌だね」
「………」
「君にはそんなことをする資格はない。君がそんなだから、玲ちゃんは動けずにいる。君は立場を明確にすべきじゃないのかな?」
別に、動けないわけじゃない。
動こうと思わないだけ。
だって、動いてどこに行くの?
歩くのは好きだけど、目的がないまま歩くのは、ただただ怖いだけじゃない。
だから動けない。
動こうと思わない。
「玲ちゃんのそばにいることを止めたのなら、恋人を作ったのなら、君はもう、彼女に甘えることをやめるべきだ」
「……俺がどうしようと勝手だろ」
「確かに。でもそれに、彼女が巻き込まれるのを見ていられない」
どちらも、優しい。
そしてその優しさが、わたしに向けられているから――この行動に出ているわけで。
彼は確かに、まだわたしのことを好きでいてくれていて。
でも彼は、恋人を作った。
わたしから離れるため。
わたしがずっと、こんなだから。
わたしのそばにいるよりも幸せなことを、彼は探し始めている。
のに、彼はわたしの前から消えてはくれない。
仕事だけの付き合い、そう決めたはずなのに。
彼はまだ、友達以上の関係を築こうとしている。
――わたしは君に、どんな対応を取ればいいの?
「今の玲ちゃんには、彼女だけを見つめ、支えてあげる人間が必要なんだ」
「それがあんただって言うのか?」
「さぁね、それはわからない。でも、君にはその資格はないということだけは、はっきりしてる」
「………っ」
「玲ちゃん、帰ろう。送っていくから」
言葉に従って、そんなに力を込めていなかった手を離せば。
彼の手からするりと抜けた。
急に冷たくなった手。
逆の手に、熊谷さんの手が触れる。
引きずられるようにして歩いて。
押し込むように、後ろの座席に座らされて。
熊谷さんが運転席へと乗り込んだのが、視界の端に見えた。
「食事に行こう。顔色が悪い」
「いえ、送ってくれればそれで……」
言葉を遮るように、エンジンが掛けられて。
車が動き出したのが、わかった。
「諸岡さんのところに、最後に行ったのは?」
聞かれて。
理由がわからないまま、わたしは三日前、と答えた。
ウィンカーが出された音が、耳に響く。
大通りに出たらしい。
何台もの自動車が走っている音が、窓越しに聞こえた。
「その時、食事に行ったね?」
「はい」
「何を食べた?」
「……コーヒー」
「何を食べた?」
「………」
強く言われて、黙る。
何か、頭がぼうっとしてる。
下へ下へ、引っ張られてる感じ。
「俺の家に行くからね。意地でも食べさせてやる」
その声に、わたしは目を閉じて。
背もたれに身体を預けた。
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