ぼくはきみのなに?

ともだち?

かぞく?

だったら おとうと?

それとも…おにいちゃん?

なんでもいいよ そばにいられるなら

ぼくにふれて わらってくれるなら

きみに てやあしや
すべてをあやつられて

ときどき かべにむかってなげられたりもするけど

それでもぼくは きみがすきだから

たくさんのなかから ぼくをみつけだして きにいってくれた

きみのことが すき――だから




キズ 〜 ギジ 〜





有沢さんって、わたしと似てるのかもしれない。
そう思ったのは、実は、出会ったその時で。
それでも、彼女に重荷を背負わせるわけにはいかない、みたいに考えてたから、何も言わずに来た。
どこか麻衣に似てた。
ものすごく強く見えた。
でも、わたしにも似てた。
ものすごく、弱くも見えた。
だからかもしれない。
わたしの気持ちを押し付けて、彼女の心に、負担を掛けちゃいけないって。
そう、思ったのは。
「怖かったの」
ノートを開けたまま、わたしはそう、零す。
出来るだけ涙声にならないように、と…気をつけながら。
「付き合ってても、そばにいても、何をしてても……」
「彼が?」
こくんと頷く。
「どうして?」
顔を上げられずに、わたしはただ、俯いて。
瞼をきつく閉じたまま、言葉を探す。
「今は……そばにいてくれるけど、いつかはどこかに行っちゃうんだって、そう思ったから。信じられなかったの、彼のこと」
「戻ってきたのに?」
「それでも…また、わたしを置いて、どこかに行っちゃうんだって。またどうせ、ひとりにするんだって。彼が求めているのが、今のわたしじゃなくて、子供の頃のあのわたしだったりしたら、絶対にどこかに行っちゃうって。わたしはもう、あの頃とは違うから。わたしは変わった。変わったんだよ。どうしようもなく、戻れないところまで来ちゃったんだよ」
そこでわたしは、瞼を押し上げて。
固めていた手を解いて、涙を拭った。
そこにハンカチを差し出されて。
わたしは素直に受け取って、それで雫を拭いた。
じんわりと広がった跡に、また泣き出しそうになる。
「でも彼は、変わってないって言い続けてた。笑い方が変わってないって言われた。でもわたしは、変わったと思う。昔は本当に、心から、屈託なく笑ってた。でも今は、上辺だけで綺麗に笑うことしか出来ない。彼の前で、そりゃ、心の底から笑うこともあるけど……でもやっぱり、心のどこかは妙に冷めてて、自分が嫌になってた」
洟を啜って、ハンカチを目に押し当てる。
「いつまで経っても、彼は昔のわたしを重ねてくるの。それが嫌で、どうしても怖くて……。昔のわたしが、そのまま成長したような女の子が現れたら、きっと彼は離れてく。そう思ったら、本当に怖くなって…。その前に、もしかしたら別れちゃった方がいいのかもしれないって、思い始めてた」
「葉月くん……、気づかなかったのね」
「――うん。絶対にそう。わたしはきっと、物分かりがよくて、あんまりわがままじゃないって思ってたと思う」
ハンカチを離して、袖でぐいっと目元を擦る。
泣いても、わたしの場合。
こうやって…程々で済ますから。
わーわー、声を上げて泣くこともないし。
見てる人はきっと、あっさりしてる、とか思うんだろう。
「田端さんはかなりわがままなんだけど、口に出さないから」
「顔にも出ないからね。わかりづらいんだと思う」
泣き笑いの表情を浮かべて。
もう一度、涙を拭いた。
言いたいことがある時。
不満がある時。
わたしはじっと、一点を見つめるようなことをする。
言えば必ず、それはわたしのわがままになるだろうから。
それが、わかっているから。
何も言わずに、しばし、見つめて。
それから顔を背けてた。
諦めるのは結構早い。
それは、わたしの癖のようなもの。
高校時代、気づいたのは――実は彼女一人。
「葉月くんに言いたかったわがまま、今、言っちゃえば?」
頬杖を突いて、有沢さんはそう零す。
綺麗になったって、本当に思う。
「有沢さん、って、髪長い方がいいね」
「そう? 今、店の方に人手がなくて…、時間が出来ないだけなんだけど」
「でも、長い方が絶対にいい。何か……艶っぽい」
「…まったく」
ふぅ、と息を吐いたあと。
書庫の扉。
それの閉まる音が響いたのを、有沢さんは確認して。
わたしの言葉を、ただただ、待ってくれた。
「それで?」
「……あのね」
言いかけて、ふっと微笑って。
顔を上げられないまま、そうやって。
「ずっと、一緒にいて欲しかったの。何も言わなくてもいいから、そばにいるってことを、届けて欲しかった。わたしが淋しくて、どうしようもない時。言わなくても、それを感じ取って欲しかった。わがままなのは知ってる。でも、それさえ叶えば、他のなんて、どうでもよかったの」
ふふっと微笑って。
またハンカチを一度、軽く押し当てた。
「無理だったけどね。言わなかったし、気づいてくれなかった。いつだってわたしは、彼のあの広い部屋でひとりきりだった。彼の家だけど、帰ってくる保証なんて、どこにもなかったし。わたしが彼の仕事場まで行かなきゃ、いつだってひとりだった」
顔を上げて、「無理だけどね、今更だし」と発して。
わたしはハンカチをバッグの中に仕舞おうとしたんだけど。
「いいわよ、返して」
「でも、ちゃんと洗って……」
「今度いつ会えるかわからないもの」
そう言って。
彼女はわたしの手から、それを奪い取った。
小さなバッグの中にそれを入れて。
有沢さんはふっと微笑う。
でもそれは、どこか自嘲気味。
「自分からあなたのところに来てくれる人は……今はいるの?」
少し考えて、ふるふると首を振る。
いるわけがない。
麻衣が近くに住んでいたとしたら、必ず来てくれるんだけど。
彼女は――いつもそうだった。
わたしに何かあると、それを察知して、電話を掛けてきたり、突然、押し掛けてきたりしてた。
何も言っていないのに、声音だけでそれに気づいてくれる。
「何かあった?」
とか。
「吐き出せ、全部」
とかって、突然言ってくる。
何の脈絡もなく、突然。
だから一瞬、驚いて、言葉に詰まるんだけど。
今は――麻衣もそんなことは出来ないみたいで。
わたしが直後に入れたメールに、同じようにメールを返しただけだった。
まぁ、話したくないっていう気持ちも、汲んでくれたんだろうとは思うんだけど。
本当に、麻衣の存在ってば大きい。
大きかったんだ。
今になって、思い知らされたりして。
「でもね、なっちんがそばにいてくれてる。毎日のように、電話してきてくれるし」
「そう」
「うん。だから、余計なこと、考えないでいられてる」
大きく息を吐き出して。
わたしは窓の外を見た。
と、いつかと同じ調子で、ピアノが流れて。
わたしは小さく、瞬き。
それでも、それはすぐに途切れたけれど。
「恋、したい?」
あの曲が何だったのかを思い出そうとし始めたわたしの思考。
有沢さんのその言葉で、現実に戻された。
恋…したいのかな?
考える。
『永遠』はない。
『絶対』もない。
わかっているなら。
知っているなら。
もう傷つきたく、ないのなら。
「しなくて……いい」
「そう」
短く返された言葉に頷けば。
わたしはどこか、ほっとして。
小さく、肩を落とした。




思い出したのは、遠い昔のこと。
まだ尽が赤ちゃんで。
小さな手が、何気なく、上へと挙げられたのに、わたしはなぜか、その手を取ってた。
小さな小さな手を、ぷくぷくとした、可愛い手を…取って。
笑顔を見せてくれた赤ちゃんに、わたしも笑顔を返してた。
でもそれは、お母さんがその場にいない時の話。
その時の尽が求めていたのが、誰かはわからないし、知らない。
聞こうと思ったって、当の尽も忘れてしまっているだろうし。
というより、そんなことがあったことさえ、覚えていないだろうと思うし。
わたしだって、知ろうとも思わない。
ただ、淋しげに、誰かを求めて挙げられた手を見て、わたしは無意識に、その手を掴んでた。
名前を呼んで。
微笑って。
仄かに香るミルクの匂いと。
ぎゅっと人差し指を掴んでくる小さな手に。
守りたいって思って。
でもわたしは、まだ子供で。
でも、お姉ちゃんだし。
頑張らなきゃって…思って。
それでも、役には立たなくて。
お母さんが戻ってくると、何も出来ない自分が情けなくなって。
わたしは外へと飛び出してた。
泣いていたのは、本当はそんな理由。
両親を尽に取られたからじゃない。
わたしが尽に何も出来なかったから。
生まれたばかりの弟に、何もしてやれなかったから。
たった一人の弟。
わたしの、弟。
それなのに、って。
走って、走り疲れて。
とぼとぼと歩いた先に見つけた教会の前で、とにかく泣いてた。
情けない自分に。
それと、ここがどこだかわからない怖さに。
帰れるんだろうか、と不安になって。
そんな時に、声を掛けられた。
座り込んでいたわたしの頭上から、声は降ってきた。
怖くて、どうしようもなくて。
それでも、しゃがみ込んで、顔を覗き込んできた男の子は、わたしと同じぐらいの年で、ほっとしてた。
泣いてる理由を聞いてくれたけど、わたしは頭を振ることしか出来なくて。
大丈夫って、届けて。
立ち上がって、手を差し伸べてくれたその男の子に、ありがとうって伝えた。
「俺、けい。おまえは?」
「あき……」
自分の名前、その時はものすごく嫌いで。
最後の一文字だけは、言ったか言わないかぐらいの声で発してた。
何度も聞き返されて、白状して。
彼は、わたしのそんな気持ちを察して、『あき』って呼んでくれた。
嬉しかった。
その日はそのまま、手を引いて、家まで送ってくれた。
綺麗な髪の色してるって思った。
目の色も綺麗で、いいなって思った。
でもわたしも、素敵なものをいっぱい持ってるんだよって、自慢もした。
次の日からは、彼と遊ぶことで、頭の中はいっぱいで。
幼稚園に行って、帰ってきて。
それからすぐに、教会へと足を運んで、彼と遊んだ。
尽のために出来ることないかなって、彼に相談してみたりもした。
そう、その時のことを覚えているなら、彼はわかるはずなんだ。
たったひとりで、ベビーベッドの上で寝ているだけの弟に、わたしは何をしてあげればいいのかな?
そう聞いたわたし。
彼はもう、もしかしたら、忘れているのかもしれない。
「尽が幸せになるためには、わたしはどうしたらいいんだろうね?」

写真を見て、小さく頷いてみる。
っていうか、わたしはダメ出しはしてません。
出来る立場じゃないでしょ、って……思うんだけど。
「どうしてあれだけの文章で、ここまでのものが撮れるかなぁ?」
「アンタ、本当に自分の書いたのが『あれだけのモノ』だと思ってるわけ? 充分、アタシの中でそういう光景が目の前に広がってたんだけど?」
何となく、だけでよかったのに。
そのものずばり、がここにはある。
わたしが想像していたもの、思い出していたものが、ここにはある。
小さく切り取られて、わたしの手の中にある。
「すごいねー、なっちん」
「すごいのは、アンタ」
「これってさ、以心伝心ってやつなのかな?」
「…かもね。どう思う? 志穂」
「違うわよ。田端さんの腕がいいから、伝わっただけでしょう?」
有沢さんの答えに、なっちんの笑みが崩れる。
腕なんて全然よくないよーって思ったけど。
言わずに置いたのは、そろそろ下校時間が迫ってきていたから。
図書室も閉めなきゃいけないし。
そんな時に、ほぼ部外者であるわたしたちが、ここに居座ったままじゃいけないだろうって判断で。
簡単に荷物をまとめて。
使っていたものを片付けて。
司書の先生に、ぺこりと頭を下げてから、そこを出た。
もちろん、三人で。
「志穂はさ、今日は店、いいの?」
「店長がいなくても大丈夫なぐらいには、店員は育ってるわ。何かあったら連絡して、とは言ってあるけど」
「でもさっき、人手が足りないって……」
「今日は特別。バイトの子たち、全員暇だって言ってたから」
「来させたの?」
「ええ」
「ヒドイんじゃないの? それってば」
「私だって、休みの日くらい、欲しいわよ」
そんなことを話しながら、校舎内を歩いてた。
有沢さんを真ん中に置いて、質問攻めにしてる。
のに、彼女も彼女で、それに全部答えてくれてて。
ちょっと意外だった。
「どうする? このままどっかに夕飯、食べに出る?」
「私は帰るわ。店の方も、気になるし」
「玲は?」
「うー…ん、帰ろうかな、僕も。締め切り近いから、とっとと仕上げたいし」
「そっかそっか。んじゃアタシは、玲んチに行ーこうっと」
楽しそうにそう言ったなっちんに、わたしはしばし、呆然として。
呆れたように、有沢さんが彼女の名前を口にしたことで、ああ、来るんだ…なんて思ってた。
「ついでだしさ、ヒムロッチに送ってもらおうよ!」
「氷室先生、このまますぐに帰るのかな?」
「帰るんじゃないのー?」
「春休みとはいえ、先生方は休みじゃないのよ?」
「いいじゃんいいじゃん、聞きに行こうよ」
音楽室は、図書室からそんなに離れてはいない。
同じ特別棟だし、同じ階。
先立って歩くなっちんの背中を見てから、有沢さんを見る。
心底呆れたって顔をして、有沢さんは息を吐いた。
「変わらないわね、奈津実は」
「なっちんはああだから、いいんじゃないのかな?」
「だからって、少しは大人になるべきでしょう?」
言われた言葉に、わたしは少しだけ、悩んだ。
大人になるって、どうしてもしないといけないことなのかな?
って。
子供のままでいるのがいけないことなのはわかるけど。
子供の心をいつまでも持っていられるのって、すごいと思う。
それに、なっちんは充分に大人。
わたしを包んでくれちゃうんだもん。
大人だよ。
強いよ。
「…子供なのは、わたし…か」
呟いた言葉に、有沢さんは歩を止めることなくなっちんを追いかけていった。
聞こえなかったのかもしれない。
でも、それでもいい。
窓から、夕焼けに染まり始めた空を見る。
ただ流れるだけのわたしの生は、いつ終わるんでしょうか?
問い掛ける相手を持たない疑問は、心の中だけで生まれて。
そして……消えていった。

NEXT

BACK

RETURN