わたしを使って
何かを記す ということがあなたにとって 何なのかを
考えてください
覚えるための行為?
思い出すための行為?
それとも
誰かにオモイを伝えるための…行為?
きちんと考えてください
考えた上で
わたしを使ってください
きっと 記されている方も
そう思っているはずですから
キズ 〜 オモカゲ
〜
彼の部屋を出てから一ヶ月。
あの部屋に落ち着いて、三週間とちょっと。
桜は、この前、少し強めに降った雨で、ほとんどの花が落ちてしまって。
あの淡い色は、わずかになっていた。
それでなくとも、もう散り始めている時期だけれど。
まぁ…、葉桜も嫌いじゃないから、いいんだけどさ。
わずかに緑を覗かせる樹を眺めて、わたしは思ってた。
今年は、お花見に行く気も起こらなかった。
大体、一人で見に行くのはつまらない。
周りが大勢で騒いでいる中。
たった一人で、お弁当を広げている――なんて、惨めだとしか言いようがないし。
それに、去年のことを思い出して、泣いてしまうかもしれなかったしね。
はぁ、とため息を吐いて、歩き出す。
ハイヒールなんて、そんなものは履かない。
動き回るのに、あれは不利な代物としか言いようがない。
洒落っ気がないと言われようが何だろうが、わたしはスニーカーを愛用してる。
スカートもほとんど穿かない。
ほとんどが、パンツ。
取材なんて話になれば、一日中歩き回るのだから、当たり前としか言いようがないでしょう?
それに、化粧もあんまりしない。
化粧って、男の人を魅了する手段だって知ってた?
自分を綺麗に見せるってことは、全部が全部、そこへ繋がるわけだけど。
わたしは別に、綺麗になろうとは思わない。
どう思われたっていい。
わたしはわたしのまま。
この生身で勝負する。
勝負してる。
――なんて、ただ面倒臭いだけなんだけどね。
ふっと微笑って、四週間ぐらい前に上がった坂を、着実に上がって。
わたしは俯かせていた視界を、上へと押し上げた。
太陽の照り返しが、わずかにきつく感じて、手を翳す。
眩しいって、ちょっとだけど、思ってた。
それからまた、歩いて。
「なっちーん!」
校門の前で待ち合わせしていた彼女の姿を見つけ、わたしはそう、叫んだ。
わたしに気づいて、彼女が手を振り返してくれる。
そう、今日は。
わたしたちの母校、はばたき学園を取材しに、やってきたわけで。
わたしが肩から提げたバッグの中身は、ノートと筆記用具が入っていたりする。
「ちょっと遅いからさ、心配しちゃったよ」
目の前まで辿り着くと、なっちんが微笑ってそう言った。
遅い?
携帯を出して確認すると、確かに五分の遅刻。
「ごめん」
「いいよ。警備員さんには事情話したから、早く行こう!」
言うや否や、踵を返して。
なっちんは校舎へと歩き出す。
彼女はわたしとは違って、顔には薄くだけど、メイクしてる。
それでも、服装は、わたしとそんなに変わらない。
今日の主役は彼女だもんね。
背中を追いかけながら、わたしはクスリと笑った。
「どんな写真が欲しいわけ?」
「えーとね、とりあえず、教室から見た外の風景」
「教室って? 何階?」
「…そこまでは……」
「言うと思った! んじゃ、適当に撮っちゃうよ?」
「あー、うん。そうしてください」
申し訳なさそうに零したわたしに、なっちんは自分で持ってきた小さなノートに、ペンを走らせた。
四階まで一気に駆け上って。
その中の一つの教室で、なぜか今になって、詳しい打ち合わせをしてみたりする。
理由は、実は簡単で。
わたしの方が、なかなか構想が定まらなかっただけだったりする。
「あとは?」
「部活風景が欲しい。出来れば、陸上部」
「何で陸上部?」
「走ってるのがいいって思ったから」
「なるほど」
あとは?
畳み掛けられて、わたしはちょっと黙る。
欲しいのが、もう一つある。
外観だけでいいんだけど。
なっちんは……あの建物の存在の意味を知ってるだろうか?
「あと…教会」
「教会? あの、お化け屋敷?」
「お化け屋敷って……」
苦い顔をして見せた彼女に、やっぱりいい、と否定して。
代わりに、体育館、とお願いした。
知らない人の方が多いのかもしれない。
わかりにくい位置だし。
本当のことを知っている人間はきっと、少ないんだ。
みんな、たくさんの噂に簡単に左右されちゃって。
あそこへと足を運んで、本当の姿を見た人は、きっと、ほんの数人。
その証拠に、高校時代。
時々足を運んだけど、そこにいたのは数匹の猫と。
彼――だけだったし。
小さく息を吐いて、わたしもノートを開く。
まだ完全な形にはなっていない、その文字たちの中。
あの場所のことを綴ったエピソードに、大きな×印を書こうとして。
結局、いびつな○で囲むだけに留めた。
「わかった。じゃぁ、とりあえず、これだけでも撮ってくるわ。ポラだから、すぐに確認出来るよ」
「恩に着ます」
「いいって。で? アンタはどうすんの?」
言われて、少し悩んだけど。
「ここにいていいんなら、ここにいる。もう少し整理して…何なら、書き始めてる」
「そうだね。それじゃ、そうしなさい」
笑って、笑い返されて。
小さく手を降って教室を出ていったなっちんの背中を見つめてた。
開け放った窓からは、風が舞い込んできて、わたしの頬を撫でた。
昔の方がよかった、なんて思わない。
今だって十分、楽しいよ。
一日が過ぎる速さだって、前と変わらないし。
こうやって、ぼんやりと外を眺めてる間にも、時間がどんどん、過ぎていってるんだし。
淋しいなんて思わない。
悲しいなんて、思わない。
これはわたしが選択したこと。
彼に罪はない。
ふっと微笑を浮かべて、シャーペンを握り直す。
野球部の大きな声。
吹奏楽部の綺麗な音色。
陸上部の、ホイッスルの音。
近かったり、遠かったりするそれらを、意識の中からすぐに追いやって。
わたしはノートへと手を伸ばした。
お昼になって、買ってきたものを胃に収めてから、わたしたちはまた、別行動を取った。
わたしが書き始めたものに目を通したなっちんは、もう一度撮りに行く、と言って教室を飛び出して。
午前中に彼女が撮ったものに目を通していたわたしは、その背中に「これでも充分平気なのに……」と、ポツリと零してみたりしたんだけど。
彼女には届かなかったみたいで。
仕方なく、また続きを書き始めていた。
のだけれど。
しまった、資料関係、何も持ってこなかった…!
辞書の一つでも持ってくればよかったのに、と後悔しながら、わたしは腰を上げて。
今は図書室に向かっている最中だったりする。
歩きながら、腕を上に伸ばして。
うーん、なんて、声を上げた。
吹奏楽部も、そろそろお昼の時間は終わりらしく、個々に練習を始めたみたいで。
不揃いな音が、耳へと届けられた。
高校の時、図書室は休日でも開放されていた。
わたしは使うことはなかったけれど。
有沢さんや守村くんがそう言っていたから、間違いはない。
今も、司書の先生が代わっていなければ、開いているはず。
バッグを持っていない方の手で、扉を開けようと、手を掛ける。
わずかに真横に引けば、それは動いて。
開いていたことに、ほっと息を吐いた。
それからは、あまり音を立てないようにと気をつけて、開ける。
と、そこには誰もいなくて。
「緊張して、ちょっと損したかも……」
小さく呟いて、わたしは思い切り音を立てて、その扉を閉めた。
出入り口に一番近い机に、荷物を置いて。
携帯を出して、まずはなっちんにメールを書いた。
『図書室にいるね』
送信されたのを確認して、軽く電源ボタンを二回押す。
それから、辞書を取りにそれが収められているはずの本棚へと足を伸ばした。
国語と和英と。
あと、どうせ使うことになるのだろうと踏んで、漢和。
三冊持って、机へと戻る。
重いな、と顔を顰めたりもしたけれど、距離にしたらそんなでもないし。
三往復、もしくは二往復する羽目になるよりはいいか、と諦めた。
椅子に腰掛けて、ノートを出して、ペンも出して。
調べたかったものを調べ始める。
携帯に、なっちん専用のメロディが流れて。
わたしはそれに、折り畳みの携帯を開けた。
メールを読んで、折り畳んで、また仕舞う。
BGMは不揃いの音符。
それが別に、嫌ではなくて。
たった一人だけだったはずの空間に、時々司書の先生がやってきて。
「二年生の時に、図書委員だったわよね?」
と、わたしのことを覚えていると言ってくれて、嬉しかった。
それから、なっちんが写真を見せに来てくれて。
いろいろと話して。
またなっちんは、図書室を出ていって。
時間が遅いようで、早いようで。
埋まっていくノートに、締め切りまでには何とかなりそうだと思ったりもして。
そんなことを考えているうちに、扉が開く音がした。
司書の先生は、部屋続き――と言うか、奥に扉が一応あるけれど――の書庫にいるはずだし。
なっちんはまだ、さっき行ったばかりのはずだから、帰ってこない……と思う。
となると、在学生の誰かかな?
顔を上げずに、そんなことをつらつらと考えながら、わたしはペンを走らせていた。
思い出を整理していくかのような、そんな作業。
それを遮ったのは、すぐに目の前で上がった、大きな音だった。
ドンッと、重いものを置く音。
何だろう、と顔を上げる。
「あら、やっぱり田端さんだったのね」
「……ほぇ?」
「びっくりした顔してる」
「うん…、びっくりしてる」
たくさんの本の向こう。
髪が伸びて、綺麗になった友達がそこにはいた。
笑顔もどこか、艶っぽいって言うか、そんな感じで。
な、何があったんだろう、この七年間に……。
なんて、考えてしまうほどで。
「見違えちゃった」
「そうでしょうね。高校卒業して以来だから」
「手紙は何度か、交換してたけど」
「顔を合わせるのは、本当に久しぶりだものね」
笑った彼女から、目が離せなくて。
わたしは少し、羨ましい、なんて思った。
「それで? どうして有沢さんはここに?」
聞けば、彼女は今さっき置いた本の上に手を付いて。
「これを寄贈しに来たの。もう読み終えてしまったし、内容もほとんど、頭の中に入っているしね」
と、答えてくれた。
ハードカバーのそのほとんどは、まだ新品みたいに綺麗で。
題名から察するに、内容はバラバラみたいだった。
「田端さんは?」
「なっちんと取材しに来たんだ」
「奈津実と?」
「うん。今なっちん、写真撮りに行ってるよ」
「そう……」
呟いた彼女に、司書の先生がどこにいるかを聞かれたから、それにも答えた。
そのあと、有沢さんは書庫へと消えていき。
またわたし一人の時間へと戻る。
トランペットのやけに大きな音が一音、耳に飛び込んできて。
わたしはぷっと吹き出してた。
それから、有沢さんが戻ってきて、わたしの目の前に腰掛ける。
もちろん、本はカウンターへと置いてから。
「何かあった?」
「?」
不意に、そんなことを聞かれて、わたしは首を傾げる。
「って言うか、奈津実からいろいろと話は聞いてるんだけど」
彼女が軽く、頭を振ったから、後ろで一つに纏めている髪が、ふわりと揺れた。
「彼と付き合ってたのに、この前別れたって。……本当?」
顔がほんのりと陰る。
さっきも少し、暗くなってたなって思い出した。
見間違いかもしれない、って思ってたけど。
そうじゃなかったんだ。
「本当。別れようって言われたから、別れた」
「…本気?」
「本気」
「………」
「呆れた?」
「ええ」
言われて、わたしはなおも、笑みを作る。
それでも、視線は背けてしまったけど。
「そっか。有沢さんも呆れちゃうか」
わたしの言葉に、少しの間、有沢さんはわたしを見て。
そのあと、小さく息を吐き出してた。
「どうして別れたの?」
「好きだったから」
「………あなたはいつもそうね」
「?」
「どうせまた、彼のためじゃなく、自分のためって考えて、行動したんでしょう?」
「…うん」
素直に頷けば、有沢さんはまた、ため息。
「でもそれって、本当に自分がしたかったことじゃないんじゃないの?」
言われて。
それにもまた、こくんと頷いた。
本当にしたかったことじゃない。
それはわかってるけど、そうしたかったんだよ。
「彼のため。結局、最後はそうなるのよね、あなたって人は」
言葉は辛辣かもしれない。
口調だって、そうかもしれない。
でも、彼女は本当に優しい。
じゃなきゃ、時々送られてくる花たちが、あんなに綺麗に咲いているはずはない。
そのことに、わずかに涙が目に溜まって。
「吐き出しちゃいなさい。聞いていてあげるから」
この上もなく優しい言葉に。
わたしはとうとう泣き出して。
何も言えずに、頭を縦に振ることしか出来なかった。
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