漂うだけ

僕は仲間たちと一緒に 漂うだけ

形とか 大きさとか

時に仲間と手を繋いで

時に一人 離れたりして

僕はゆっくりと

風に行く手を任せて

ただただ 漂うだけ




キズ 〜 リユウ 〜





仕事はし続けてた。
やらなきゃ、生きていけないし。
別に、無理に生きていこうとは思わなかったけど。
頑張れって言ってくれる人たちのために。
わたしはここにいなくちゃいけないんだって思ってた。
彼と鉢合わせして、一週間後。
彼に恋人が出来たと、世間が騒いでた。
――なっちんは怒ってたけど。
わたしはそれでいいって思ってた。
わたしといるよりも幸せだと思えることがあるのなら。
わたしといる時よりも、笑っていられる時間が長いのなら。
彼が取った、その行動は、当たり前のことなのだと思う。

潮風って、好きだけど嫌いだって、やっぱり思った。
この香りが、好きだけど嫌い。
理由はないけど、そう思う。
海沿いの道を歩いていたけれど、わたしは足を止めた。
真っ青なはずの海は、夕方の空を映し出して。
オレンジの夕日と同じ色に染まっていた。
その海と向き合って、わたしはガードレールを両手で掴む。
綺麗だなーって、ぼんやりと思ってた。
帰るなら、わたしは空に帰りたい。
地平線を見つめながら、考え出す。
「人は…最も怖いと感じる場所へと、最後には帰る」
そんな一節を思い出す。
誰かが言っていたのか、本で読んだのかさえ、もう忘れてしまっているけれど。
キラキラと反射する海を見ながら、またわたしは歩き出す。
歩くのは好き。
嫌いじゃない。
だから歩く。
たった一人で、歩く。
買い物、して帰ろうかな。
思いながら、財布をポケットから出して。
中身が入っていることを確認した。
たいしたものは買わないし。
買う気もないし。
閉じて、ポケットへと仕舞う。
一瞬――わたしはどうしたいんだろうって、考えた。


買い物袋を下げて、マンションのエントランスへと入る。
郵便受けを覗いて。
中に何かあることを確認したあと、わたしはそれを開ける。
取り出して、そのほとんどがダイレクトメールであることに、眉根を寄せた。
足音が響いたのを、耳の奥で聞く。
わたしもゆっくりと足を動かし始めたのだけれど。
目の前に現れた影に、足を止めた。
顔を上げれば、考えた通りの人物がいて、わたしは少し驚いた。
けど。
「何? 何か…相談?」
「……そんなとこ」
答えた彼に、ほんのりと微笑って。
わたしは彼を避けて、また歩き出す。
「なっちんから聞いたの? それとも、尽?」
「両方」
「そっか」
鍵を回して、扉を開ける。
自動で開いたそれに、早く入るように、彼を促して。
わたしもあとへ続いて、中へと入った。
エレベーターで五階へと上がる。
「恋人、出来たんだって?」
「……ああ」
聞いてみたくて、どうしようもなかったから。
わたしはそう、言葉にしてた。
気まずい?
まぁ、当たり前なんだろうけど。
わたしは……そうでもない。
「そっか。ちょっと安心した」
「……おまえは?」
「いません。ってか、今は仕事が忙しいから、いいかなーって思う。余裕が出来たら考えるよ」
微笑を零して、彼を見る。
エレベーターが辿り着いたことをわたしたちに教え。
扉が開いた。
わたしが先行して、あとを彼が追ってくる。
手の中で、鍵がチャラチャラと音を立てた。

上着を脱いで、ハンガーへと掛ける。
時計を見れば、もう、六時過ぎで。
外へと視線を泳がせれば、闇が世界を覆い始めていた。
カーテンを閉めて、キッチンへと踵を返す。
買ってきたペットボトルを二つ持って、リビングへと舞い戻る。
「ごめんね。今、これしか出せません」
テーブルの上に置いて、わたしは床へと腰を降ろす。
飴色の液の中。
小さな空包が、上へ上へと昇っていく。
「………」
彼は沈黙。
それに、息を吐いて、わたしは蓋を開けた。
炭酸の抜けた音が、小さく響く。
「平気なの?」
「…何が?」
言葉が返ってきたことに、わずかに安堵。
「何がって…恋人。こんな時間に、元恋人である僕と二人っきり。しかも、ここは僕の部屋」
「べつに……大丈夫だろ」
「そうかなぁ? 女の子って、結構繊細な生き物だよ? あとでフォロー、いっぱいしなさいな」
くすくす笑って、一口含む。
「で? 相談って? 仕事関係?」
「………」
返答はない。
それに、ちょっとだけ疑問に思う。
ソファに腰掛けた彼は、何かを思案中で。
わたしはその顔をじっと見ていたんだけど、すぐにため息を吐いて、逸らした。
考えていることは、何となくだけど――わかる。
わたしに聞きたいことがあって来たんだろうって。
多分、わたしはそれに答えてあげられる。
わたしは、あなたの前では、嘘を吐けなくなるから。
「…時間、掛かりそう?」
控えめに聞けば、彼からは返答はなくて。
「君が聞きたいこと、当ててあげようか?」
言えば、彼の肩がビクッと震えた。
それで、多分、合ってるんだ…って、確信した。
息を吐いて、ペットボトルを見る。
「今ね、別に…悲しくない」
話し始めたわたしに、彼の表情は変わらない。
「無理…してるのかも、しれないけど。でも、大丈夫みたい。心配することは、ないと思う」
「…ああ」
「別れたのは、そうしようって決めてたから。なっちんから聞いたかもしれないけど、君の言う通りにしたかったの。君の困ったところ、僕が見たくなかったから」
「………」
「前に戻っただけなんだって、今は思ってるし。思い出に擦り替えるのも、そんなに……苦じゃなかったし」
「………」
「君は君で、幸せ探してくれれば、それでいいから。君が幸せなら、僕もきっと、幸せだからさ」
ね?
と、畳み掛けて。
笑みを送る。
幸せの在り方なんて、人それぞれだと思うから。
わたしと彼と。
それが少し、違っただけ。
「あとね、どうしても…聞きたいことがあったんだけど」
「何だ?」
彼が顔を上げたのがわかったけど。
わたしは、顔を上げられなかった。
否定されたら、傷付くなーって、思ってたから。
「…葉月くんは、本当に好きだった?」
「……当たり前だろ?」
「そうじゃなくて…」
頭を振って。
彼の言葉を否定する。
「子供の頃のわたしじゃなくて、今のわたしのこと」
「………」
「自分でもわからないわたし自身のこと。君は本当に探してくれてた? わたしはいつだって、『僕』じゃなかった?」
「…それは……」
「わたしは、わからなくなった。君のことを好きだと言ってるのが、誰なのか。わたしであるはずなのに、『僕』のような気がしてならなかった。君を手放したくなくて、どうしようもなかったから、『僕』が君が望んでる『わたし』を演じてるのかもしれないって、思い始めてた」
ぎゅっと手を握って。
泣くのだけは、我慢してた。
「それだけは言えなくて。言ったとしたって、誰が答えをくれるわけじゃないし」
「玲……」
「ごめん。今更かもしれないけど、どうしても聞きたかったんだ。でも、もういい。開き直って、『わたし』であることをやめればいいんだって、ここに来て考えたりしてるから」
口元を歪ませて、わたしは顔を上げる。
涙はない。
わかっているから、彼を見た。
苦い顔をして、わたしを見て。
彼はすぐに、視線を逸らす。
「だからね? もう平気。だって『僕』は。いつも元気で、強くって明るくって、みんなを引っ張っていかなくちゃいけないんだしね」
そんな自分を演じることは楽で。
すぐにみんな、わたしをそう見てくれる。
嘘から出た真っていうのもあるし。
わたしは、それを目指せばいい。
「ってわけで、玲ちゃんの話は終了! 他に言いたいこととかあったら言って。聞いてあげるから」
笑えるなら、うまくいってるんだって思う。
もうきっと、必要とされているのは『わたし』じゃなくて。
『僕』の方だから。
心は曝さない。
また作り上げればいい。
昔みたいに、嘘の心。
「………」
彼は無言。
握られた手が、物語るのは――謝罪。
いらないから、いいよ。
謝って欲しくはない。
わたしが欲しいのは――君の幸せな笑顔。
わたしに向けられていなくてもいいから。
君が笑ってくれていれば、それでいい。
カチッと、時計の針の音が、耳に入った。
「ないなら、帰りなさい。君の幸せの場所は、ここじゃないでしょう?」
言えば、彼は一度、瞼を伏せて。
無言で、腰を上げた。




作家仲間に、熊谷徹さんって人がいる。
わたしよりも、かなり年上なんだけど。
わたしの書いたものを読んで、すぐに感想言ってくれたり。
仕事の方で、何かと相談に乗ってくれたりしてくれる人で。
でも、この人の口癖に、わたしは今日も、参ってしまっていたりする。
「…またですか」
「つれないなー、玲ちゃんは。俺は結構、本気なんだけど」
本気でも何でも、わたしにその気はありません。
息を吐いて、椅子から腰を上げる。
「あれ? もしかして、忙しい?」
慌てたように、熊谷さんも立ち上がって。
「これから、スタジオに行かなきゃいけないんです。CMの脚本、頼まれていて」
「その主演をするモデルに会いに行くってこと?」
「そんなとこです」
「場所は? 送るよ?」
「そんなに遠くないですから、いいです」
「大丈夫だって。別に取って食おうって思ってるわけじゃないから」
「不倫宣言してる人に言われても、真実味はないですね」
「だから、玲ちゃんのことに関しては、俺は本気」
「奥さん美人なのに」
こんな会話ばかりして、最後は別れるわけなんだけど。
今日はずいぶん、食い下がってくるな。
最初に「不倫してくれない?」と言われたのは、わたしが彼のCMの脚本を書き終えたばかりの頃。
しかも、一番初めのやつ。
もちろん、丁重にお断りした。
付き合い始めたばかりだったし。
何より、彼以外の男の人のことを考える余裕、わたしにはなかった。
それから、会うたびに
「不倫、してくれる気になった?」
と、一回は言ってくる。
「あいつは関係ないでしょう? この際」
「関係ありますよ。被害者なんですよ、奥さん。僕、熊谷さんの奥さんのこと嫌いじゃないんで、やっぱり嫌です」
「んじゃ、別れたらしてくれるんだ?」
「考えてもいいですけど、やっぱり嫌だって言うと思いますよ?」
「どうして?」
「熊谷さん、タイプじゃないんです」
にっこり笑って、歩く速度を上げる。
タイプがどうと言うより、年上って苦手。
だから無理。
そういう相手として見られない。
「言うね、玲ちゃん」
「どうも」
「でもさ、結局は彼のことが忘れられないってことでしょ?」
「…忘れる気は、ありませんから」
暗くならないようにそう言って。
わたしは前へと進み続ける。
「成長できないよ?」
「これ以上、しようと思ってません」
「作家としては致命的だね、その考え方は」
「別に、無理だと思ったら、辞めるつもりでいますから、この仕事」
「………」
「やりたかったってだけですから。悔いはありませんよ」
歩幅の違い。
結局彼は、わたしの隣りに並んでる。
「他にも、やりたいことはある?」
「今は特に。でも、その時になれば、嫌でも出てくるとは思いますよ」
答えたわたしに、熊谷さんは大きく息を吐いて。
「やっぱり、俺と不倫した方がいいよ、玲ちゃんは」
そう、零した。
どこがどうなって、そういう結論に至るのかが、全くもって――わからなくて。
わたしはふっと微笑った。
「生きてる理由がないんでしょう? だからどうでもいいって思ってる」
「それは…ありますね」
「でしょう? 君は恋に生きるタイプだ。そうは見えないかもしれないけどね」
「………」
「誰かのために、っていうんじゃないと、生きられない。彼と別れたことで、生きていく理由がなくなってる。だから、俺にしときなさいって言ってるんだよ」
「熊谷さんとお付き合いすることで、誰も悲しまないって言うんだったら、そうします」
有り得ないから、そう言って。
「それじゃ、この辺で失礼します」
頭を下げて、わたしは駅へと足を踏み入れた。

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