大丈夫よ
断りもなく 雲がわたしの身体を覆ったとしても

大丈夫よ
勝手に太陽が わたしの身体の一部で輝いていても

だって わたしは広いもの

覆われたって それは一部でしかないから
どこかでは わたしはまだ 青いままだもの

太陽がどこかで輝きを放っていたって
わたしにはわたしの色があるもの

わたしはずっと 青いままよ

だから 大丈夫よ
闇がもしわたしを覆ったとしたって

広いから 大きいから

わたしのどこかは 青いままよ




キズ 〜 エガオ 〜





荷物をまとめ終えて、ほっと息を吐いた。
ホテル住まいは今日で終了。
明日からは、マンションの一室で一人暮らし。
結局、わたしは氷室先生に甘えてしまった。
支えてくれる人がいないと立っていけない。
前に、親友の麻衣が、彼に話していた。
確かに、その通りだと思う。
わたしはひとりでいられない。
弱過ぎるんだ、きっと。
周りから誰もいなくなると、わたしはすぐにその場にへたり込んで。
一歩も動けなくなる。
多分、そうなんだろうと思う。
背を押されて。
手を引かれて。
そうやって、誰かと一緒でないと、歩いていけない。
子供だなー、って。
しみじみ思った。
ベッドに腰掛けて、荷物を入れたバッグを、足先で蹴った。
何となく、の行動。
意味なんか、全然ない。
はぁー、と長く息を吐き出した。
一人はまだ、慣れないけれど。
早く慣れないといけないんだよね。
そう思う。
実家には必ず、誰かがいるから。
一人になりたい時に、一人にはなれない。
すぐに息苦しさを感じてしまうから、実家には帰りたくない。
わたしのわがままな心。
それを知っている人としか、一緒には住めない。
なっちんには……まだ、すべてを曝け出せないでいて。
何となく。
有沢さんに会いたいかもしれない。
なんて、考えた。
彼女が一番、高校時代からの女友達にしては、わたしのことをわかってくれていたから。
急に、「大丈夫?」って、声を掛けてきてくれたことも、ザラだったし。
わたし自身は気づいていなくて、「何が?」と聞き返して。
それに深いため息を吐いてくれたっけ。
思い出して、薄らと笑みを浮かべた。
でも…邪魔しちゃいけないかな?
彼女は今、花屋の経営で四苦八苦してるはず。
守村くんのことはどうしたんだろう?
諦めたってことはないだろうけど。
「会いたいなぁ……」
呟いて、真っ白な天井を見上げた。
明日、氷室先生が迎えに来てくれる。
そうしたら、ここにはもう、戻らない。
左手を真上へと伸ばして、開く。
肌色しかないその手に、少し悲しくなった。
軽いや。
この手の重さにも…慣れなきゃ。
手をゆっくりと下ろして。
瞼を降ろした。
今は一人は嫌だ。
誰かそばにいて。
そう思うのに。
誰にもそう、言えなくて。
わたしはベッドへと倒れ込む。
携帯が特定の音楽を奏で始めていたけど。
わたしはとりあえず、まだそれを取る気にはなれなかった。









新居での仕事、一発目。
それを終えて、わたしは肩から力を抜いた。
プリントアウトされるそれを見ながら、わたしは電源を切らずに、ノートパソコンを閉じた。
頬を押し当てて、瞼を閉じる。
静かだなって思う。
窓の外からも、ほとんど音は聞こえてこない。
開けてるんだけどな。
その証拠に、風がゆっくりとレースのカーテンを揺らした。
ここの家賃を聞いて、最初は驚いたけど。
今のわたしの稼ぎからすれば、全然問題なかった。
それを知った時も、もちろん、驚いたけど。
氷室先生って、いくら稼いでるんだろう……。
単純に、そう思った。
外車に乗って、マンション買って。
そのマンションだって、オートロックで。
頼めば何か。
訪れた人が、部屋に辿り着くまで、全部ビデオカメラで追いかけることも出来るらしい。
それを聞いた時は、さすがに頭を振ったけど。
氷室先生は、念には念をってことで、付いてる部屋に住んでるらしい。
そこでわたしは、はぁーと息を吐いた。
いつも着てるスーツだって、安物っぽくないし。
締めてるネクタイだって、結構してそうだし。
まぁ、氷室先生だからなー。
そう思えば、全部納得がいってしまうのはどうしてなんだろう?
ふっと笑うと同時。
プリンターが印刷を終えた音を発した。

無理に彼のことを考えないわたしがいる。
誰にも言ってないけれど、わたしの中に一つの疑問が生まれてた。
今年に入って、割とすぐ。
わたしはわたし。
そう言えない自分がいるってこと。
それに気づいた時、彼にも言えない秘密が増えた。
思うんだけど、まだ多重人格者とか、そういう方が、楽だったんじゃないかなって。
そうすれば、まだわたしは。
『わたしはわたし』
そう言えたと思う。
それだけ、わたしの中で。
『僕』という存在は大きくなっていて。
わたしは誰?
なんて、悩まなかったと思う。
それを悩み始めると、どうしても心は――胸は。
痛みを発してしまう。
『田端玲』は、誰?
わたしの名前なんだろうけれど。
そう思えないのは、なぜなんだろう?
『僕』の名前のように思えて仕方ないのは。
きっと、長く演じ続けてしまっているから。
結局。
今こうして存在して。
『わたし』として生きている時でさえ。
嘘のように思える。
『僕』が『わたし』の一部。
ではなくて。
『わたし』が『僕』の一部。
そんな風に思えて…仕方ない。
生き方は変えられないってことなのかもしれない。
それに気づいてしまったから。
わたしは、自分を見直す時間が欲しかった。
テレビからは、同じものが流れ続けている。
微妙に違うけれど、流れ的には同じ映像。
わたしが脚本を書いた、CMの完成品。
といっても、この中から一本だけを選んで、流すんだけど。
「なーんかなぁ……」
そんな感想しか持てなかったりして。
まぁ、わたし自身、その場にいなかったわけだから、何も文句は言えない。
だから、いくらわたしがイメージしていたものと違っていても。
わたしはこの中から一本、選ばなくちゃいけないわけで。
って言うかさ、スポンサーに選ばせればいいじゃん。
机に突っ伏して、息を吐く。
それでも、瞳はテレビの中の彼を追っていた。
――葉月、笑ってない。
弟の言葉を思い出して、確かにね、と思った。
――葉月は、まだ姉ちゃんのこと、好きだよ。
それはどうだか。
そうも思う。
彼は笑える。
わたしがいようがいまいが……必ず、笑える。
それなのに、彼がそれをしないだけ。
笑顔を忘れたわけじゃない。
したいと思っていないだけ。
音声を消したテレビからは、彼の姿しか流れない。
彼は綺麗だ。
綺麗過ぎるから、結局わたしは、並べない。
ただのものであるだけのわたしは。
映像が終わって、ビデオが止まる。
わたしは適当に手もとの紙に『三番目』とだけ書いた。
ビデオを出して、壁に掛けてある時計をちらりと見る。
立ち上がって、ビデオを鞄へと押し込んで。
薄めの上着を羽織って。
わたしは部屋をあとにした。



「え? ヒムロッチのマンションに?」
言葉に、こくんと首を縦に振る。
ビデオをテーブルの上に出したあとで、わたしは紅茶の入ったカップに口を付けた。
「はば学に取材許可を取りに行った時に、氷室先生に会って。で、紹介されたの。家賃はちょっと高めなんだけど、その分、セキュリティがきちんとしてるからね」
ここにも結構近いし。
言って、わたしはほっと息を吐く。
わたしの用事はこれで終わったから、もう今日は、いつでも帰れる。
「ヒムロッチかぁ…。アンタのこと、高校の時もかなり気にしてたよね?」
「そう言えば、そだね」
「乗り替えんの?」
「ふっ…、まさか」
苦笑を零して、わたしはカップを置いた。
「先生には先生で、好きな人がいるみたい。本人、気づいてなかったけど」
「はぁ? どういうこと?」
「吹奏楽部の副顧問なんだって」
「先生なの?」
「うん。でね、廊下で書類ぶちまけてたり、仕事いっぱい抱えてるのに、別の人からまた仕事受け取っちゃったりしてるんだって」
「………」
「見てないと心配で、どうしようもないって。フォローをしてあげないと、どこかでくじけるんじゃないかって。でもね、本人は、楽しそうにやってるから、タチが悪いって」
「それは…確かに」
「でも、途中で放り出すことも出来たのに、どうしてそれをやらないんだろうって思ったんだ。もう二年もそうなんだって」
「へぇー……」
にやりと笑って、彼女はスケジュール帳を広げた。
あ、そうだ。
それも決めないといけなかったんだっけ。
思い出して、わたしもスケジュール帳を取り出して、開いた。
「いつ行くつもりでいるの?」
「今、春休みでしょう? で、えーと……、氷室先生が監視役で一緒に回るって言ってたから……平日?」
「平日…か」
「日曜日も学校の方にはいるけど、部活の方が忙しいからって言ってた。日曜はほとんど、自主練習だから、先生もそれを見てあげたいって」
「言うねー、ヒムロッチ」
なっちんが笑うから、それを見て、わたしも笑みを浮かべた。
それから二人で日にちを決めて。
早いうちにって思ってたんだけど、結構ぎりぎりの時間になってしまった。
まぁそれは、なっちんも忙しくなってきていたからっていう理由。
喜ぶべき事実を知って、わたしはちょっと、嬉しくなった。
「遊びでさ、アイツのこと撮ってたんだよね。スナップなんだけど。それが何かね、認められちゃってるみたいでさ」
名指しで言わない理由は、わかってるから。
わたしはそっか、とだけ返した。
確かになっちん、この頃腕上げたなーなんて思ってたし。
わたしの希望も、その通りに叶えてくれちゃうこと、あったし。
頑張ってるんだよね?
言葉にせずに言って、わたしは頬杖を突いたまま、笑ってた。
そんなわたしに、なっちんが上体を近づけてくる。
何だろう? って思って、わたしも上体だけだけど、近寄った。
そのわたしに、なっちんは「大丈夫?」と問い掛けてきた。
何のことを言っているのかをわかっているから、大丈夫、と応えて。
わたしは微笑う。
「今日、ビデオ見てた時は平気だったから、大丈夫だとは思うよ」
「本当?」
「本当」
あまり無理なものに見えないように気をつけて、わたしは微笑う。
確かにビデオを見てる時は平気だった。
音は消していたから……。
まだ、彼の声は聞けないままでいる。
「でもさ、アンタさっさと帰ろうとしてない?」
「…………」
何も言わずにニコッと微笑めば。
逆に微笑まれて。
わたしは冷や汗みたいなものを感じてしまう。
それから、ゆっくりと時間を掛けて。
わたしの微笑は微苦笑へと変わっていった。
「あ〜き〜ら〜?」
「…ごめんなさい。嘘吐きました」
「だと思った」
俯いて呟けば。
なっちんは背もたれを半ば抱え込むようにして、座り直す。
わたしはぎゅっと膝の上で手を固めた。
「声…まだ、聞けなくて」
「じゃ、今日はもう帰った方がいいかもね。アイツ、多分来るよ」
「………」
「暇さえあれば、アンタに電話掛けてる。よっぽど会いたいんだろうね」
「…会ったって、何も変わらないよ」
「……かもね」
「どっちかって言えば、そういう状況にすぐになっちゃった方がいいのかもね。その方が、こんなに緊張しないですむかもしれない」
言って、わたしは自信を持つ。
そうだよ。
演技は得意なんだから、わたしは。
今の彼が望む『僕』を演じることだって、出来るはず。
「……でも、今日はもう帰る。ここにいつまでもい続けても、仕方ないしさ」
「だね」
「うん。仕事があるなら残るけど、何もないし」
くすくす笑って、わたしは立ち上がる。
バッグを持って、肩に掛けると、なっちんがにっと笑ってくれた。
「ガンバレ」
「そだね。でも、なっちんも頑張ってね」
「…?」
「僕らのようになっちゃダメよー?」
「な、何言ってんのよ! まどかはまだ……!」
「ほー、もう名前で呼んでるのか。それはそれは」
「……!」
答えを聞き出そうとすれば、なっちんの顔は、どんどん赤くなっていって。
無理しなくてもいいのになぁ、なんて思う。
自分のことで悲しんでばかりはいられない。
だって、わたしは一人じゃないし。
周りにはたくさんの人がいてくれているから。
わたしはその人たちのために、泣いたり喜んだりしなきゃいけない。
『僕』で居続けるためには、必要なこと。
『僕』はわたしからは切り離せないものだから。
わたしは他人のために。
自分が一人ではなくなるために。
いくら悲しくても、笑って見せる。
別に心に決めなくたって、自然にそうなってしまっているのだから、どうすることも、出来ない。
「よかったね」
微笑って言えば。
「…ありがと」
なっちんは恥ずかしそうに、白状してくれた。
アンタの状態聞いたら、言っちゃいけないような気がしたんだ。
そう、言ってくれた。
それにふっと息だけで笑って。
「気にしなくてもよかったのに」
「するよ、普通は」
「…だね」
「だよ」
控えめに二人で、顔を見合わせて笑う。
それから、わたしは小さく手を振って、踵を返した。

廊下を歩きながら、携帯を弄る。
諸岡さんに連絡を取ろうと思って。
でもその手は、前からやってきた人物を見た瞬間、止まっていた。
「…玲……」
呟かれた自分の名に、ふっと笑って。
あ、平気だ。
そう、思った。
「や、久しぶり」
片手をひらひらと上げて。
わたしは彼の顔を見る。
痛みが走っている彼の顔。
でもわたしは、うまく笑えているはず。
やっぱり綺麗だね、君は。
言いたいのをぐっと我慢して。
わたしは彼の前へと歩を進めた。
「ビデオ、見させていただきました」
「あ、ああ……」
「あのさ、僕、台本に笑うように書かなかった?」
「………」
「CMの話を受けたんなら、しっかりやりなさい。僕は君なら出来るって思ってるから、ああいう風に書いたんだし」
「……それは……」
「僕の所為?」
「………」
ずるいのは知ってる。
意地悪なのも知ってる。
知ってて、わたしはこう聞いた。
彼が何も言えなくなるのも、わかってた。
「言ったはずだよ。芝居をやる気なら、いくら悲しくても笑わなくちゃって」
「………」
「それが出来ないなら、もう受けないこと」
じゃね。
ポンッと肩を叩いて、擦れ違う。
大丈夫だった。
平気だった。
ほっと胸を撫で下ろすみたいに、視線を伏せる。
あからさまなことは出来ないから、肩を落とすこともできない。
ただ、視線を伏せただけに留めた。
彼の視線は、久しぶり。
それがわたしに纏わり付いてたけど。
「僕はこれでお仕事終わりなんだよー」
首だけ回してそう言って。
わたしは手を振った。
上着のポケットに手を入れて。
わたしはその建物をあとにする。
大丈夫、大丈夫。
あとで思っても、仕方ないことを思う。
大丈夫だったよね?
そっちなら、話はわかるんだけど。
止めていた足をまた動かし始める。
スタジオのそばの桜の樹は、まだ淡い色を保っていた。

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