| 誉めてください 『綺麗』という言葉は
もう聞き飽きました
『可愛い』という言葉も
飽きました
『儚い』というのは
誉め言葉なんでしょうか?
でも もし違ったとしても
その言葉は
とても好きです
誉めてください
別の言葉で
あなただけの
言葉で
キズ 〜 コトバ
〜
週に一度、編集部に顔を出すのが、なぜか決まりごとのようになっていて。
今日は簡単な打ち合わせって感じだったから、仕方ないのかもしれないけどね。
と、わたしはその応接室の扉をくぐった。
目の前には、わたしの担当に自らなってくれた編集長である諸岡さん。
最初は不安そうな顔をしていたんだけど、すぐに長く、息を吐いた。
言いたいことはわかる。
わかるつもり。
「本人から聞きました」
はい。
…って言うか、言ったんだ、彼。
当たり前かな。
諸岡さんは、あの頃の彼にしてみれば、わたしと再会するためのチャンスをくれた人だったんだから。
「別れたんだって? 葉月くんと」
出されたお茶。
綺麗な緑色。
それに思い出しかけたものを追いやるように、わたしはこくん、と小さく頷いた。
お茶を出してくれた女の子の顔が、わずかに嬉しそうで。
ぱたんと閉まった扉に、わたしは顔を上げる。
ブラインドが降りている、そのガラスの向こう。
さっきの女の子が、嬉しそうに他の人と話しているのが垣間見えた。
「ごめんね。あの子、葉月くんのファンでさ」
「いえ。どっちかって言うと…嬉しいですよ」
ふっと笑みを作る。
わたしと彼。
別れたことで、悲しんでくれる人も、もちろんいるけど。
ああやって喜ぶ人の方が多いんだろうな。
そう思ったら、これでよかったのかもしれない、なんて……考えてた。
いくら悲しんでいたって、時は止まってくれないし。
わたしが悲しんでいても、笑っていても、怒っていても。
こうやって、世界は確実に、淀みなく流れていって。
わたし一人を置いて、時は進んで。
わたしなんかいなくても、明日が来ることに、代わりはなくて。
そこまで考えて、わたしはフルフルと軽く、頭を振った。
俯いた視線の先。
膝の上に置いた左手の薬指。
別れたあの日から、指輪は消えていた。
彼の家のリビングに、言葉もなく、置いてきたから。
「いい経験には、なりましたから」
「もう、AKIRAちゃんの中では、思い出になってるわけ?」
「いつまでもうじうじ悩んでいても仕方ないでしょう?
思い出に摩り替えなきゃ、生きていけないです、わたし」
呟いて、息を吐き出して。
そして、目の前に差し出されている雑誌を手に取った。
今回の仕事は、この中の数ページ。
仕事の話をしたい、というわたしの気持ちは、うまく届いたらしい。
諸岡さんは、少し躊躇した後で、口を開いた。
「学校がテーマのページを作りたいんだ。で、出来ればAKIRAちゃんには、その一回目を担当してもらいたい」
「学校…ですか」
頷いて、諸岡さんはわたしの目をじっと見る。
「作家自身が母校に足を運んで、物語を書いてもらう。何でもいいんだ。短編小説でも、コラム、という形でも。けど、僕としては、AKIRAちゃんの高校生活に、ものすごく興味がある」
「…………」
「まぁ、中学校でもいいよ。写真を何枚か撮りたいから、学校自体に許可を取ってきてもらいたいんだ」
何なら、どこって言ってくれれば、こっちから行くけどね。
顔だけで笑って、諸岡さんはそう紡ぐ。
高校時代は、楽しかったけれど、痛みもあって。
嬉しかったけれど、切なかった。
そんな…時間が流れていた。
あの校舎は、そういう場所。
考えて、考えて。
それからわたしは、「いいですよ」と仕事を承諾した。
「近いうちに、学校の方に行ってみます。許可を取るついでに、構想固めたいし」
「頼みます」
「写真、また藤井さんに頼んでいいですか?
彼女もはば学だったから」
「もちろん。彼女には僕から話しておきます」
下手下手に謙る編集長に、わたしは笑いを抑えられなくて。
くすくすと笑ってた。
欲しかったものを、一時だけだったとしても、手に入れられることが出来て。
例え、わずかでも、わたしはあなたのそばにいられたから。
それだけで…よかったと、今は思う。
願うのは君の幸せ。
君が幸せならば、わたしも幸せ。
ぱたんとノートパソコンを閉じる。
ホテルの部屋は、どこか清潔すぎて。
やっぱりわたしの肌には合わなかった。
誰もいない公園で、わたしはぼんやりと思考を働かせる。
わたしは何をしたいんだろう?
こうして言葉を書き続けるのは、何のため?
こうしてここにいるのは、誰のため?
わたし自身を必要としてくれている人は、一体何人いるんだろう?
自問自答を繰り返す。
季節で言えば、出会いの季節。
でも、別れの季節でもある、春という時期。
見上げれば桜が咲いていて。
ピンク色のそれに、視線を注いだ。
強い外灯に照らされて、それはどこか、幻想的に見えて。
そう、わたしの目には――怪しく見えて。
「………」
何も言えずに、じっと見つめてた。
言葉が見つからないって言うのは、こういうことを言うのかもしれない。
綺麗だけれど、どこか偽りのもののように思えて。
裏では何を考えているんだろう。
わたしはそんなことを考え始める。
この樹を見上げた人は何人いるんだろう?
その何人が、同じ言葉を口にしたんだろう?
何人が笑った?
何人が、わたしのように――泣いた?
溢れた涙を、すぐにぐいっと手の甲で拭き取った。
すべてを吐き出す場所がなくて。
わたしは今、きっとひとり。
彼は今、どこにいるんだろう?
誰と過ごしているんだろう?
考えたくもないことを頭に浮かべて。
わたしはノートパソコンを片手に立ち上がった。
桜に贈った言葉は一つ。
小さく呟いて、わたしはそれに、背を向けた。
どこに行っても、結局一人なら。
わたしは暖かな場所に帰ることを望んだ。
ホテルへの道を辿る途中。
野良猫がわたしの前を横切っていった。
声をかけたけど、振り返ってくれたけど。
無言で闇へと溶けていった。
少し……羨ましかった。
エレベーターを使って上がって。
開いたそれに、安堵した。
明日…世間は休み。
学校、行ってみようかな。
自動で開いた扉に、顔を上げることなく足を踏み出す。
思い出が溢れている場所は。
出来れば行きたくはないけれど。
慣れないことには、どうしようもない。
ポケットの携帯が震えて。
そういえば、バイブにしておいたんだっけ、と思い出す。
創作の時間、出来れば煩わしいものはない方が嬉しいし。
でも、何か緊急な用事だったら、困るし。
そういう、諸々の事情で、携帯は音を奏でなかった。
取り出して、開いて。
映し出された番号に、長々とため息を吐いた。
「何?」
『何って何だよ? 人がせっかく心配してやってるってのにさー』
「誰も頼んでない。それじゃ」
『別に切ってもいいけど』
「?」
『俺、帰らないぜ?』
「はぁ?」
廊下を曲がって、顔を上げる。
その声は直に聞こえてきた。
「よぉ、玲!」
「……あんたね…」
姉を呼び捨てるな!
そう言いたかったけど、無視をした。
通話を終わらせて、大きく肩を落とす。
「何でいんの?」
部屋の前まで歩いて、そう聞けば。
「明日学校休みだから」
「あのね」
「母さんが心配してる。どこにも行くところがないんなら、帰ってこいって」
「…考えとく」
鍵を開けて、ドアも開ける。
もちろん、締め出すつもりでいた弟は、逆にわたしをねじ伏せて、部屋へと足を踏み入れた。
力じゃ敵わない。
こいつも所詮、男か。
わたしよりも上にある弟の後頭部を眺めて。
思って、息を吐く。
部屋の中をきょろきょろと見渡した尽は、すぐにソファへと腰掛けた。
家には、もちろん連絡した。
事務的なもので終わらせたけど。
それで様子見ってところ?
でも、尽が来てくれたのは、まぁ、ありがたいって言えば、ありがたい。
「――葉月から、聞いた」
「で?」
「俺が聞きたい。で? 玲は何でこんなとこにいるわけ?」
「何でって…葉月くんとこにそのまま居続けるわけにはいかないし。麻衣と一緒に住んでたとこには、もう別の人が住んでるし」
「そうじゃなくてさ。まだ好きなんだろ?」
「………」
様子見じゃなくて、恋愛のアドバイスをしに来たわけ?
答えずに、わたしは尽に背を向けたままで、コーヒーを作る。
「姉ちゃん、幸せそうに見えたのに」
「そう」
「何であんなにあっさり別れられんだよ」
「好きだから、じゃない?」
「姉ちゃん…」
くるりと振り向いて、笑顔を浮かべる。
歩いて、テーブルに二人分のカップを置いて。
絨毯の上に、座ってみた。
「困らせたくなかったんだよ、彼のこと」
「物分かりのいい女でいたいって?」
「そうじゃなくて。わたしと一緒にいるよりも幸せだと思えることがあるなら、それをやって欲しいってこと」
「………」
「わたしの一人よがりなら、それはしちゃいけないことなんだと思う。わがままっていうのは、聞いてくれる人がいるから、言えることなんだってこと」
「玲は、わがままを葉月に言ったこと、あったのか?」
「…多分ね、ないと思う」
「あのな」
「何度も言おうとは思ったけど。彼が見ているもの、欲しがっているものが、以前のわたしだったらどうしようって思うと、怖くてね」
「以前のって……ああ、俺が生まれたばっかりの頃の?」
「そう。あの頃のわたしは、自分でも感心するくらい、女の子やってた。可愛くて、スカートはいて。そりゃもう、ウェディングドレスを夢に見るような女の子。お姫様みたいになりたいって、ふんわりと笑ってるような、女の子」
「………」
「今とは、全然逆なんだよ。だからね、口にするのが…怖かった。彼のイメージを崩すかもしれないって思ったらね」
変わってない、って言われるたびに、心臓がどくどく言ってた。
いつと変わってないんだろう?
子供の頃?
それとも、高校時代?
そうやって、毎日ビクビクしてた。
カップを持ち上げて、スプーンでかき回す。
今思えば、それも別れた原因かな?
彼は時々、それに気づいたように目を細めることがあったから。
でもわたしは、何も言わずに、笑ってた。
尽の視線が、そこでわたしから外れる。
長いため息が、耳に届いた。
「玲の言いたいこと、わかるつもりだけど」
苦々しく、吐き出すみたいに、尽が言う。
いいヤツだ、やっぱりこいつは。
「でも、わかんない」
「だろうね」
カップを口元で傾けて。
暖かさに、ほっとして。
「葉月に言えばよかったんだ、そういうこと。嫌われるかもしれない、じゃなくて、今の自分を真っ正面から見てもらうために」
「だね」
「……」
「でももう、手後れだし。いいんだよ、もう」
「姉ちゃん」
「尽は尽で、きちんと頑張ればいいんだよ。彼女さんは元気?」
「………」
視線を向ければ、彼は一度、苦い顔をして。
にっこりと笑みを送れば、その顔をすぐに逸らされた。
「…尽?」
「別れた」
「……はい?」
「俺が玲のことばっかり気にしてるって指摘されて。姉のこと気にするのが悪いのかって思ったけど、自分のことを一番に考えて欲しいって言われて……一気に冷めた」
「コラコラ」
せっかく一人に絞ったのに…結果がこれじゃ、どうしようもないじゃない。
言ってやりたかったけど、口にはしなかった。
引き金はわたし、かもしれないけど。
彼女は相当わがままだったらしいね、って考え直した。
言ってみれば、尽に求められた許容範囲っていうのは、かなりの大きさだったんだろう。
尽にしてみれば、その許容量を超えてしまったってこと。
仕方ないのかな、って…ちょっと思った。
「それじゃ、新しい恋人でも探しなさい」
「玲は?」
「わたしは……当分は、いいや」
というより、もうする気はない。
そうだな、彼が幸せになったら……わたし以外の人の前で笑えるようになったら、考えよう。
結論づけて、またくるくるとスプーンを回す。
「葉月は……まだ姉ちゃんのこと、好きだよ」
言われたことに、ピタッと。
本当にすぐに、手を止めた。
「俺、事務所一緒だし」
ああ、そっか。
モデル、やり始めたんだっけ。
思い出して、苦笑する。
CF作家、なんて肩書きが付いちゃってる所為か、新人のモデルやら、俳優やらの名前は、どこからか流れてくる。
流れてきて、耳に入る。
尽が自分で言いに来たけど、その時は、実感ってものが湧かなかった。
彼から言われても、知ってる、ですませてたし。
でも、業界の人間が囁けば、一気に真実味は増した。
CFにもちょこちょこ出てて。
テレビで流れる身内の顔に、苦笑してたりもした。
「時々、一緒に仕事する?」
「してる。だからわかる。葉月、笑ってないから」
「そう」
「そうって……!」
「大丈夫だよ。彼は綺麗に笑える。わたしとのことを忘れられれば、大丈夫」
「………」
「心が痛みを忘れたなら、大丈夫だよ」
「無理だよ。葉月は、姉ちゃんに会いたがってる」
「彼が、そう言ってた?」
「言ってない。けど、わかるよ。スタッフ全員、葉月のマネージャーだって、近いうちに急に休みを入れられるようにって、スケジュール、調整してる」
「そう」
「明日、CF撮りだろ? 姉ちゃんが書いたやつ、葉月の」
「……うん」
「来いよ、絶対。俺も行くから」
言って、彼は立ち上がって。
そのまままっすぐ、部屋を出ていった。
バタン、って…大袈裟に音が響いて。
それから少しの間、動けずにいたけど。
「明日は…行けない」
まだ、無理だから。
彼の前で綺麗に笑う自信が、まだわたしにはないから。
小さく呟いて、瞼をきつく。
きつく、きつく――閉ざした。
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