あの時季は嬉しくて

楽しくて 悲しくて

怖くて 痛くて

いろんな感情が渦巻いていた

その思い出はまだ この場所に来ると

フラッシュバックして

わたしはこれを書くことになった時

酷く 悩まされた




キズ 〜 ガッコウ 〜




この場所に来るのは好きだった。
靴を履き替えて、友達に会って。
そんな些細なことが、わたしには嬉しかった。
おはようの一言を交わして。
そのまま話をしながら教室へと入って。
楽しくないはずは――なかった。
別れたって、つかの間で。
授業が終われば、また話せるし。
授業中だって、教科書とノートさえ開いていれば。
先生の声を聞きながら、窓の外に目を向けていられた。
グラウンドからは声がして。
気がついた時に、黒板に視線を移して――。
嫌いな時間じゃなかった。
そのグラウンドを走り回るのも。
廊下を歩くのも。
体育館での朝礼でさえも。
退屈だったけど、楽しかった。
だからこそ、その時間が終わりを告げる時が来てしまうことが悲しくて。
怖くて。
そして――胸が痛かった。

そこまで読んだところで雑誌は取り上げられて。
わたしは目を丸くする。
急になくなってしまったそれを掴んでいたはずの手を動かしてから。
視線を上げて探せば。
なーんだ、なんて、よく知っている声が響いた。
「尽!」
「何読んでんのかと思った」
「何を期待してたのか知らないけど、自分が書いたものの最終チェックしてただけです」
「葉月のでも見てんのかと思った…」
ソファに腰掛けていたわたしの隣りに座って、尽はぺらぺらと捲っていく。
これからまた撮影なのか、我が弟くんは、少し小奇麗な格好をしていて。
よくよく見れば、顔には薄くメイクもしていた。
時々視線を落としているから、読んでいるのかなーとは思うんだけど。
わたしが担当したのは、八ページだけだぞー、なんて。
心の中で呟いたら、尽はページを戻して。
わたしがさっきやっていたように、最初からゆっくりと読み始めた。
っていうか、それを取られると何もすることがなくなるんですけど。
じーっと、尽の顔を眺めているのも、なんだかつまらなくて。
わたしは腰を上げた。
ここに来たのは言うまでもなく。
あの事件があった日の続きをしに。
――と、言うより。
ひとりでいたくなかったってだけ。
窓の外を眺めて。
そこで打ち合わせをしている彼の姿を見つけた。
窓に手を付いて、視線を注げば。
彼は気づいてくれて、視線を上向けてくれた。
にこって笑えば、優しい微笑。
「俺、ちょっとこれ、わかるかも……」
声に顔を上げて、振り向く。
尽はまだ、視線を落としたままで。
わたしはそれに、少しだけ微笑う。
「そ?」
「うん…。俺今、大学通ってるけど」
「だってね。一流?」
「いや、二流」
「何で? 尽の成績なら……」
「仕事してるから。俺、両立って無理だなーって」
「なるほど」
「でさ。高校卒業する直前は、こんな気持ちになったよ。終わらなきゃいいなーって。でも同時にさ、いろいろ思い出して。全部過去形なんだよな。これからのことなんて、考えてないんだよ。続けばいいなーって思いながらも、その続いた時のことが考えられなくてさ」
「淋しかった?」
「…多分だけど、そうなんだと思う」
ポツリと零して、また、尽は視線を滑らせ始めて。
やっぱりこいつはいい奴だなぁ、なんて。
弟の横顔を見ながら、そう思ってた。
ちらりと窓の外を見る。
そこでは撮影が始まっていて。
ポーズを取っている彼の姿が見えた。
綺麗だなぁ、やっぱり。
太陽の下にいる彼を見て、深くそう思っていた。
「でもさぁ」
話し始めた声に振り返る。
読み終わったのか、尽はわたしに焦点を合わせていた。
「姉ちゃん、高校の時から葉月のこと、好きだったんだな、やっぱり」
「知って…たの?」
「うーん、何となくかなぁ。葉月のことになると過剰反応してたしさ」
「してた?」
「してた。思いっきり」
おもしろいぐらい。
くすくす笑って、そう付け足して。
尽は傍らに雑誌を置く。
それから、立ち上がった。
「んじゃ俺、そろそろ撮影だからさ」
「頑張れ」
「言われなくてもそうするって」
それから。
一歩足を踏み出したところで、尽は何かを思い出したのか、その歩を止めた。
「それから、何?」
「ウチ、帰るんだろ?」
「帰るよ? 珪と一緒に」
「葉月も一緒? 何で?」
「よくわかんないけど、報告したいことがあるんだって」
「葉月が?」
「そう」
「………」
尽は顎に手を当てて。
そうして、何かを考え込んでいて。
わたしは、窓に背を向けた。
それから、首を傾げる。
「…まぁ、いいけどさ」
零された言葉に、眉根を寄せる。
「俺も一緒に帰るから、待っててって、葉月に言っといて」
「別にいいけど…珪、このあとデザイナーとしての仕事があるって言ってた……よ?」
「………」
「尽?」
「んじゃ、玲だけでも待ってろ!」
怒ったようにそう言って。
尽は大きく足音を立てながら去っていった。
何なのよ……。
息を吐く。
寄り掛かった窓は暖かくて。
わたしはそこから、背を離す。
もう一度だけ、外を見ると。
こちらを見ていた彼と視線が重なって。
わたしは口だけで、これからわたしが行く場所を、彼に届けた。


またね、という言葉を紡がなかった相手がいた。
この場所だから、会い続けていたんだと思うから。
そう、理由を付けて。
卒業式が終わったあとの、その時に。
今になって思えば、一番のその人との思い出の場所で。
わたしはその人に、「またね」ではなくて、「バイバイ」という言葉を紡いだ。
「またどこかで会えたらいいね」
そんな風に。
「また会おうね」ではなくて。
会えないことを。
会わないことを。
連絡を取らないことを――前提にして。
そばにいたくてどうしようもなかったのに。
それでも、そばにいてはいけないと自分に言い聞かせて。
極々自然に、わたしはその人に、その言葉を紡いだ。
言った直後、流れなかった涙は。
この場所を出た、その時に流れた。
ごめんね、と。
届かない言葉を、何度も発してた。

パタン、と扉の閉まる音で、わたしは顔を上げた。
部屋の隅の椅子に腰掛けていたわたしは、その光景に笑みを浮かべる。
そこには、さっきまでの撮影衣装を着込んだ彼の姿があって。
わたしは雑誌を膝の上に乗せたままで、とにかく手を伸ばした。
取ってくれることを知っているから、言葉を綴ることはしない。
「おつかれ」
「ああ。で…何読んでたんだ?」
手を取ってくれて、彼はそばまで歩いてくる。
そうして、抱き締めてくれて。
わたしはほっと、息を吐いた。
張り詰めていたものが切れるって言うか、そんな感じで。
「雑誌?」
「あのね、学校っていうテーマで八ページ任されたの。諸岡さんが、僕の高校時代に興味があるって言ってたから、はば学のこと、書いたんだ」
手を差し出したのは、きっと。
わたしが書いたというそれが見たいと思ったから。
読みたいと、そう思ってくれたから。
雑誌を渡せば、彼は壁に背を預けて。
それを開く。
「なっちんがね、写真撮ってくれて」
「藤井、うまくなったからな」
「うん」
返して、彼の顔を見上げる。
……子供だって、本当に思うけど。
考えるけど。
甘えても…平気?
「どうした?」
「いや、別に……」
ぱっと視線を外して、背を伸ばす。
急に姿勢を正しちゃう。
言っちゃえば楽になるのになーなんて思うけど。
それじゃ本当に、わたしは子供だ。
もしくは、相当な淋しがり屋。
そして、甘えん坊。
「あ、あのね? 尽が待っててって」
「どうして?」
「一緒に帰るって。珪はまだ仕事でしょう? ここで尽が終わるの待ってるからさ。打ち合わせ、行ってきなよ」
「………」
「終わったら、連絡入れるから。そっちも終わったら、連絡入れて?」
黙ったままの彼に畳み掛けて。
わたしは答えを待つ。
「――おまえ、会いたいって言ってただろ?」
予想もしていなかった言葉に、わたしは少し、面食らう。
えーと、と思い出したのは、ずいぶん前の会話。
「花椿せんせい? 確かに言ったけど、ずいぶん前の話だよ?」
「今はもう、いいのか?」
「よくはないけど…」
「けど?」
「尽も心配してくれたしさぁ……」
ダメだなぁ、と思う。
もうずっと、甘えっぱなしだ。
高校の時は逆だったのに。
まだ、大人の振りをしていられたのに。
もう、本当に子供だ。
麻衣に子猫って言われても、仕方がない。
「…って、今日は花椿せんせいと打ち合わせなんだ?」
「……ああ」
「ふぅーん、そっか」
極力、彼と目を合わせないようにして会話する。
だって、嘘を吐けなくなるから。
ぎゅっと手を握る。
膝の上で、拳を作る。
と、その上に彼の手が乗った。
顔を上げると、しっかりと目が合って。
やっぱり、わかっちゃってるよなぁ、なんて。
そう思った。
「玲」
「……はい」
小さく返事。
壁から身体を離して、椅子に座っているわたしの前まで歩いて、彼は身体を屈めた。
見上げられて、目が離せない。
綺麗な緑色。
「本当は?」
「………」
「玲」
聞かれて、促されて。
少し冷たい彼の手が気持ちよくて。
手を返して、ぎゅっと握った。
「一緒に…いたい、です」
「そうか」
彼の表情がほっと緩む。
「でも、尽が……」
言い淀めば、案の定。
彼は眉根を寄せた。
「尽のこと、煽ろうか? 早く仕事終わらせろーって」
「始まったのは?」
「…三十分ぐらい……前?」
へらっと苦笑。
彼は大きくため息。
「わたしね、珪がいればそれでいいって思ってるけど、現実はそういかないことも知ってるから。だから多分、この生き方は変えられないと思うんだよね?」
「…だから?」
「つまり、自分の弟であっても、その対象?」
「家族なのに?」
「所詮は他人」
「………」
安心してるんだと思う。
どんなに冷たくあしらっても、彼はどこにも行かない、みたいに。
そんなはずないけど。
でも、少し位なら大丈夫、みたいに。
「嫌になった?」
「ならない」
「本当?」
「本当」
こんなにも不安なのに。
大丈夫、なんて思ってる。
矛盾してるよ、やっぱり。
「心配しなくていいから」
「うん…」
「おまえのことはわかってるから」
「ご迷惑掛けます」
「本当にな」
返された言葉に頬を膨らませる。
それでも、彼の頭を引き寄せた。
力を込めて抱き込んで。
「ごめんね? でも、嫌になったら言っていいから」
「ならない」
「……ありがとう」
包み込まれるっていう行為が、どれだけ安心させてくれるか知ってる。
彼もわたしに甘えてくれるといい。
昔みたいに。
わたしは…受け止めてあげられるから。
綺麗な彼の髪を撫でて。
梳いて。
安心したように、彼が瞼を下げてくれる。
「わたしも、そばにいてあげるから。珪がそばにいてくれる分だけ。もういいって言うまで」
「言わない」
「じゃあ、ずっとだね」
そうやって、時間が過ぎていくのを感じてた。
彼の携帯が音を発するまでのわずかな間。
続けばいいなって思ってたけど。
その時はきちんと、訪れた。


友達はたくさんいた。
だからこそ、こんな気持ちになったんだろうって思う。
外に出て、買い物をしていても、友達の誰かには会うし。
そこで話をして。
それから一緒に行動をすることなんて。
ザラ――だった。
次の日、この場所でそれを話すこともあった。
「あそこにはよく行くの?」とかって。
「だったら、今度は一緒に行こう?」
そんな風に会話は展開していく。
それがなくなるのだから、悲しくて当たり前。
そしてそれが。
たった一人の人物に向いていた、なんていうのは。
実は内緒だったりした。

「玲ぁ、いるかー?」
懐かしい口調とともに開かれた扉に、わたしは息を吐いた。
ここはあんたの控え室じゃないでしょうが!
言ってやりたかったけど、それは帰り支度をきちんと済ませていた弟の姿に、とりあえずは形を潜めた。
けど。
「お、いるいる」
「いるいる、じゃないよ。ノックぐらいしたら?」
「はいはい」
ったく。反省の色、なしか。
思いながら携帯のメールを打ち始める。
邪魔はしたくないから。
まぁ、正直に言えば、声は聞きたかったけど。
………。
「子供かっての、まったく……」
いや、実際、子供なんだろうけどさ、中身は。
打ち終わって、ぱたんと閉じる。
それからわたしは、腰を上げた。
「んじゃ、行きますか」

いろいろと話しながら外へと出る。
と、見慣れた車があって。
わたしは笑みを浮かべて近づいて。
疑問顔の尽を放ったまま、わたしはコンコンッと窓をノックした。
気づいてくれたのか、窓は開く。
「おっはようございまーす!」
「おはよう、玲ちゃん」
業界挨拶をすれば、その人は手を拱いて。
だからわたしは、少し身を乗り出した。
窓から、車の中へと入る。
そんな感じで。
「左手は?」
「動いてますよー? もう、動かなかったのが嘘みたいに」
「それはよかったね。で、彼とは?」
「元通りに。これから、実家の方に行こうと思って、待ってるんです」
「実家って…玲ちゃんの? 葉月くんも一緒に?」
「ですよ? 何ですか?」
「……相変わらず、自分のこととなると鈍いんだね、君は」
「含みのある言い方しないで、きちんと教えてくださいよ」
「いいもの書くんだけどなぁ。あ、そうそう。学校、読んだよ」
「あ、どもです。…じゃなくて!」
どうでした? なんて聞きそうになった自分をどうにか押し込めて。
わたしは声を張り上げた。
確かにわたしは変なところで鈍い。
知っているから、反論出来なかったんだけど。
「今度は彼と一緒においで。菜穂子も会いたがってるからさ」
「は、はい。…って、そうじゃなくて」
熊谷さんは微苦笑。
その顔で、さっきは拱いてくれた手で、わたしを追い払った。
仕方なく、わたしは身体を起こす。
のに、窓は開けられたままで、わたしは身体を屈めた。
「熊谷さん?」
「一つだけ、教えておこうかと思ってね」
「?」
「子供は作った方がいいよ。欲しいならね」
「……」
「後々の楽しみも増えるしさ」
そう言い放って、熊谷さんは窓を上げる。
わたしはわけもわからずに、会釈を返した。
欲しいけど、今はダメ。
だって彼は、有名人。
――彼は欲しいみたいだけど。
息を吐いて、そこを離れる。
と、手を掴まれた。
「どしたの?」
「熊谷、だっけ? あの人」
「うん。熊谷さんが何?」
会話を聞いていたんだろうって思う。
そんな弟に引っ張られながら、その弟と会話する。
弟にまで子供扱いされてる?
わたしってば……もしかして。
「苦手」
「あらあら」
「って言うか…少し、後ろめたい」
「ほぇ?」
立ち止まったから、わたしも足を止める。
前を見ると、彼が自分の車に寄り掛かって、そこにいた。

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