思い出を残すため?

この光景を忘れたくないから?

移り変わる時の
たった一瞬を切り取って

君は…どうしようと言うの?

そんなこと
その一瞬を切り取るためだけに
存在してる
僕が言うことじゃないかもしれないけど

でもきっと

あの子の笑顔は永遠だと思うよ?




キズ 〜 シンジョウ 〜





喉が痛い……。
思いつつ手を伸ばす。
でもそれはすぐに取られて。
枕から顔を上げれば、彼の笑み。
少し憎たらしく思いながら、前髪をかき上げてくれるその手をそのまま受け止めて。
わずかに目を細めると唇が重ねられた。
顎を支えてくれてる指が、口を開かせるように動いて。
その通りに唇を開けば、生ぬるい液が入ってくる。
嚥下すれば、喉の痛みは少し引いていた。
「飲みたかったんだろ?」
彼が持っている透明なコップには、透明な液。
小さな子は、水色って言うんだろう。
そんな色の液でコップは満たされていて。
わたしは薄い掛け布を胸元で押さえつつ、上半身を起こした。
それから、言葉もなく手を伸ばす。
けど、彼はそれを渡してはくれなかった。
「…ください」
「まだ少し掠れてるな」
誰の所為だ、誰の!
言ってやりたかったけど、うまく声が出ないのはわかってたから。
差し出されたそれを、また言葉もなく受け取って。
掛け布を両脇にしっかりと挟んで、わたしは両手でそれを煽った。
まったく、加減ってものを知らないんだから。
「手、動くようになったな」
「ほぇ?」
言われて、コップを持つ手を見る。
確かに、両手を使ってた。
完璧に無意識。
「気づかなかったか? おまえ、途中から……」
「言わなくていい」
咄嗟に枕を彼の顔に押し当てて。
わたしはうまく、彼の言葉を遮断出来ていた。
だって――思ったんだ。
彼の腕の中で。
彼のことを抱き締めたいって。
抱き締めてあげたいって。
「動かしたいって思うことが大切」
「?」
「お医者さんがそう言ってたんだ。動かしたいって、そう思えば自然と動くって。思ってると思ってたんだけど、違ったんだね」
考えて、左手を動かして。
ベッドの端に腰を下ろした彼の背中に、寄り掛かった。
遮るものが何もないから、彼の体温、そのままのそこ。
その暖かさに安堵していると、彼が動いた。
コップを取り上げて、サイドテーブルへとそれを置いたあとで。
彼はもぞもぞと横に入ってくる。
そしてそのまま、眠る体制。
「ちょっ…! 今日、仕事は?」
「休む」
「『む』ってことはあるんでしょ? 何時から? ご飯作るから」
「いい」
「よくない!」
「今日はおまえのそばにいる。そう決めた」
勝手に決めないでよ。
怒られるのは絶対にわたし。
昨日だって、連絡を入れたのは彼じゃなくてわたしだった。
まず初めに驚かれて。
次に残念がられて。
本気か嘘かわからないそれに苦笑を零せば。
「おめでとう」とか。
「絶対そうなると思ってた」とか。
そんな言葉を浴びせられて。
それで最後に言われたのが。
「葉月のことは玲ちゃんに任せた!」
……だったから。
彼を制御できないと、怒られるのはわたし。
絶対に、わたし。
「休むのはいいけど、連絡したわけ? マネージャーの堤さんとか」
「…してない」
「しなさい!」
声が寝ぼけているから、彼はもう起きない。
きっと、起きてはくれない。
だからわたしは、だるい身体をどうにか動かして、ベッドから降りた。
のに、腕を取られてわたしはまたベッドへと逆戻り。
「ちょっと、珪ぃ〜?」
「寒い」
「わたしが服着るまでの少し間、待っててください」
「…どこ行くんだ?」
「携帯取りに、行くんだけど……?」
薄いとはいえ、掛け布を奪ってしまったから、彼はそれを取り戻そうと腕を動かしてくる。
けど、それはすぐにわたしの腰に回されて、止まった。
それで彼も上半身を起こす。
後ろからがっちりと抱き込まれて。
……動けない。
「どうして?」
「堤さんに連絡入れる。休むなら休むで、そう言わないと」
「……メールが入ってた」
「メール? 携帯に?」
「ああ」
「何て?」
「休むなら着信入れろって。いつでもいいから、仕事の時間までに」
「……で?」
「入れた。起きて、そのメール見た直後に」
「………」
「今日のスタッフ全員、おまえとのこと知ってるし、尽が明日と交換してやってもいいって言ってるから、明日に延ばしてもいいって」
つまり休みになったんじゃん…。
大きくため息を吐いて、身体から力を抜いた。
彼の胸に寄り掛かれば、肩に重みが乗る。
瞳を動かせば、彼が顎を乗せてた。
だからわたしも、頭を預ける。
重ねた手のひらは、ほんの少しだけ冷たくて。
彼の手だと、そう思えた。
骨張ってて、ちゃんと男の人の手で。
わたしとは違う。
「今日、どうする?」
「玲の手料理が食べたい」
「それから?」
「ずっとこうしてる」
言葉にくすくす笑う。
でもわたしもそうしたかったから。
反論はせずに頷いた。
離れていた時間を埋めるみたいな行為。
暖かさを届けてくれるなら、どんな距離でもいいんだけどさ。
なんて、言わないけど、心の中でだけ、思ってた。




やられたらやり返す。
これ、わたしのモットー。
小さく深呼吸して、わたしは手を胸の前で固めた。
ぎゅっと握ったあと、軽く開いて。
その手で、扉を叩いた。
コンコンッと二度。
それからすぐに、返事が聞こえた。
はい、と短いそれ。
それにわたしは、言葉もなく、扉を開けた。
小さな音が響いて。
彼女は、わたしを振り返る。
「田端さん…!」
「珪が今日、仕事でね。いるって言われたから、来てみたんだけど」
「………」
「紗枝さん?」
ガタッと音を立てて、紗枝さんは立ち上がる。
泣いちゃうかもしれない。
これからまた、撮影だって言ってたのに。
だからわたしは、大きく息を吐いた。
こういう時、わたしに力をくれたのは……誰だった?
「泣かないで。顔上げて」
背の高い女友達のことを思い出しながら、少し強めにそう言えば。
紗枝さんはぐっと瞼を閉じたあとで、すぐにそれを上げて。
それから顔を上げてくれた。
目元を拭かないのは、泣いていないという意思表示とプライドと。
それから、後々のことを考えた所為だと思う。
「あれはあなただけの所為じゃない。だから謝らなくていい。わたしたちには、必要な回り道だったの。それをわからせてくれたのは、誰でもないあなただったから。だからわたしは、あなたにお礼を言いに来たんだよ? ありがとうって。それから、いろんな思いを抱えさせてしまって、ごめんなさいって」
彼女はわたしの言葉に涙を滲ませて。
それから、それを隠すみたいに、大きく首を横に振った。
「人を好きになったら、誰かを妬んだり、憎んだりって、当たり前のことだと思う。だって好きなんだもん。それ以外に理由はないよね?」
コクンと首を縦に振って。
彼女は俯いてしまう。
泣かないでよ?
もう一度言えば、彼女は頷いただけで顔を上げてはくれなかった。
仕方ない。
そう考えて、わたしは彼女の顔を覗き込んだ。
泣いてない。
泣いてないけど、今にも泣いちゃいそうだ。
「モデル、辞めるの?」
「…考えて、るんです」
「どうして?」
「あんなことして、このまま、この世界で、なんて…出来るわけ、ないって……」
「どうして?」
「どうしてって……」
「あの場にいた人間がみんな、何も言わなければ、あの時のことは表には出ないよね? もし誰かが言ってしまったとしたって、当事者であるわたしが否定すれば、紗枝さんはここにいられるよね?」
「………」
紗枝さんは驚きで顔を上げて、わたしを見てくれて。
わたしはそのことが嬉しくて、笑みを浮かべた。
「紗枝さんには、モデルを続けて欲しいんだ。わたしの勝手な言い分だけどね。でも、言わせてくれる?」
「はい……」
「わたしの中学の時の先生が言ってたんだけど、わたしたちは旅をしてるんだって。大切なもの、綺麗なものを探す旅。でね? わたし、思うんだけど。紗枝さん、綺麗じゃない?」
「私は、綺麗なんかじゃ……」
「綺麗だよ。紗枝さんは綺麗。だから自分に嘘を吐かずに行動出来るの。すごく羨ましいと思うよ?」
「……っ」
あー、泣かせちゃいましたか。
ごめんね?
言わない代わりに、頭を撫でた。
本当は、抱き締めてあげたい。
「そんな紗枝さんを探してる人が、きっとどこかにいると思う。わたしはね? だから――その人が少しでも早く、紗枝さんのことを見つけられるように…モデルの仕事、続けてほしいんだ。ここにいるっていうことを、発し続けてほしいの」
いい? って重ねて聞けば。
彼女はもう一度頷いてくれた。
そんな紗枝さんに笑んで。
わたしは身体を起こす。
――もう一度言おう。
やられたらやり返す。
が、わたしのモットー。
それはこの性格になってからずっと、変わらない。
「それから、ここまで言っておいて何なんだけど」
「?」
「刺された時ね、すっごく痛かったんだ」
「あ、ごめんなさ……」
「謝らなくていいって言ったよ? 僕」
「………」
紗枝さんは困惑気味な表情でわたしを見て。
わたしはそれに、さっきとは種類の違う笑みを浮かべた。
「だから、仕返ししていい?」
「え?」
キャミソールを着ている紗枝さんの左腕。
ちょうど、わたしが刺されたのと同じ場所。
心臓の高さのそこを、わたしは一度撫でたあと。
思い切り抓った。
「痛…」
「仕返し終了」
顔を歪めた紗枝さんにわたしは酷く満足して。
手を離して、少し赤くなってしまったそこを手で扇いで。
そうしながら、わたしは彼女を見る。
目が合って、二人で笑った。
「私は、田端さんの方が綺麗だと思う」
「そう?」
「うん。何か可愛いし」
言われた言葉にびっくりして。
わたしは何も言えなかったけど。
でも…すっきりしたような笑みを見せてくれた彼女には。
嬉しさしか湧かなかった。

「何か、アタシらが動かなくてもどうにかなってたんじゃん? ……みたいな感想しか出ないんだけど」
なっちんの言葉に、わたしは笑うことしか出来なくて。
それでも、睨んできた瞳に、表情を変えた。
「えーっと…ごめんなさい?」
「曖昧な言い方だよねー。何かホント、玲には騙されたって感じ」
「ど、どの辺が?」
自覚はあるけど、とりあえず聞いてみる。
と、なっちんははぁ、と深くため息を吐いた。
「玲は、すごい前向きなヤツなんだって思ってた。悪いこととか、失敗しちゃったことがあっても、すぐに『次があるよ!』って言ってたし。でも」
「でも?」
「実は逆にものすごい後ろ向き! いつまでもうじうじ悩んでさ。自分にウソばっかり吐いてるし。口では平気、なんて言っておきながら、心の中じゃずっと悲しみ抱えてんだもん。見ててこっちが辛いって!」
言われて、びっくりして。
進んでいたと思っていたのに、自分はやっぱり進めていなかったのだと、そう気がついた。
すぐに彼のことを思い出していたのは、歩き始めていなかった証で。
わたしは動くことを必要以上に怖がっていたのだと思い知らされた。
「ごめん…」
「いいよ。今思えば、麻衣が言ってたのはこのことなんだろうなって思うしさ」
「………」
「玲の『鏡』に騙されないでって。何のこと言ってるのかよくわからなかったけど、きっとこのことでしょ? アンタは周りに心配掛けないようにって考えすぎ! 頼むからもうちょっと、周りを信用しな。それぐらいでアンタのそばからは離れたりしないからさ」
「うん、ありがとう」
泣きそうになりながら、わたしはそう綴る。
と、後ろから抱き締められた。
「何やってるんだ?」
「珪!」
「葉月!」
名前を呼んだのはほぼ同時。
彼のことを確認したあと、彼は離れてくれて。
隣りへと腰掛けた。
丸い円形のテーブル。
それに等間隔に並べられた四つの椅子。
わたしの方に椅子を寄せて。
彼はわたしの目の前に座るなっちんから遠ざかる。
小さく苦笑を零しちゃったりしたんだけど。
なっちんは頬を膨らませてた。
「何で離れるのよ!」
「べつに離れてない」
「んじゃ、何だって言うわけ?」
「玲ちゃんのすぐそばにいたい。それだけやろ?」
彼が座らなかった椅子の後ろに、その人はやってきて。
彼と同じ方向――つまり、なっちんの方――へ、椅子を寄せた。
困惑の表情を浮かべている彼女に、その人はにっこりと笑みを送る。
「すぐそばって…」
「独占欲強そうやからなぁ、葉月は」
「あー…さすがだね。当たりだよ、ニィやん」
「そうなの?」
「多分、ここに来たのも、奈津実に玲ちゃんを取られないように、やろ」
「だと思う」
「………」
「ね? 珪」
聞けば彼は視線を逸らして。
それでも、テーブルの上に置いていたわたしの手をぎゅっと握ってくれた。
手を返して、握り返す。
「なーんか、ラブラブ?」
「ラブラブやなぁ」
「そっちだってそうじゃないの?」
聞けば二人は顔を見合わせて。
ニィやんはへらっと笑みを浮かべた。
「ラブラブ?」
「〜〜〜っ! 知らない!」
テーブルの下で握られていた手を上へと挙げたニィやんに。
なっちんは顔を赤くしてから、その顔ごと、視線を逸らした。
そんな二人にくすくす笑う。
彼もふっと微笑してくれた。
二人の手は繋がったままで。
そういう、暖かさって、やっぱり嬉しいよねー、なんて。
四人で話している間、わたしはずっと思ってた。


繋がれたままの手に、ふふっと微笑う。
暗い道を歩くのは、前から好きだったけど。
彼に手を引かれて…なんていうのは、もっと好き。
「どうした?」
振り返られて、わたしはほんの少しだけ、歩を早める。
彼の隣りへと着いたところで、もう一度微笑った。
「嬉しいなーって」
「そうか」
「うん。麻衣と歩いてた時もね、こうやって、手を繋いだりしてたんだよ? 腕組んだりとかさ」
「………」
「本当にダメなんだね、わたし。誰かにこうやって、引っ張ってもらわないと」
一人でいるとどうしても不安で。
でも、下手に誰かと一緒にいるのは怖かった。
だから、一緒にいられる人は限定されていた。
麻衣がいない時は彼。
彼がいない時は、麻衣。
二人一緒にいたら……今は、彼を取ると思う。
だって、麻衣には光太さんがいるんだから。
わたしがいなくても、大丈夫なはず。
でも彼には。
わたしがいないと、ダメ。
「ごめんね? きっとわたし、すぐに立ち止まっちゃう」
「だからって、『僕』に戻るなよ?」
「………」
「俺が引っ張ってやるから」
優しい瞳がわたしを見て。
わたしは目を見開く。
確かに『僕』なら、迷惑掛けないようにって、立ち止まっていないふりをするだろう。
「見抜かれてるね」
「ようやく見つけたからな」
「?」
「本当のおまえ」
首を傾げて彼を見て。
彼は一度前方に視線を投げたあとで、口を開いてくれた。
「寂しがり屋」
「それは…ある」
「泣き虫」
「そんなことないと思う…多分」
「強がり」
「……うん」
「わがまま」
「うん…けどそれは……!」
「ちゃんと叶えてやるって言った、俺が」
「うん……」
ぎゅっと手を握って、彼の体温を確かめた。
彼は優しい。
その優しさに甘えてしか、わたしはきっと、生きていけない。
歩いていけない。
わたしっていう人間は、ものすごく未熟で、小さい。
わかってるけど、わかってたけど。
彼を補えるぐらいにはなりたい。
わたし――自身で。
「がんばる」
「……程々にな」
見上げた彼の顔は柔らかな微笑で。
その向こうの空は、満天の星空だった。

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