足元に擦り寄って
声を上げて

気にしてくれる人とか
いるけれど

時折 足で蹴られそうになって

でも

ひとりで生きられないから――
仕方がなくて

抱き上げてくれる優しい手に出会えるまで

きっとあたしは

声を上げ続けるんだと思う




キズ 〜 カンジョウ 〜





今日が何の日かと聞かれたら。
何の迷いもなく、誕生日! って、笑顔で答える。
今日は僕が生まれた、記念日。
――の、はずなんだけど。
「何で誰も来てくれないのー?」
屋上で叫んでた。
いつものベンチに腰掛けて。
曇り空を、仰ぎ見ていた。
灰色のそこは、どんよりしてて。
見ててもあんまり、楽しくなかったけど。
あの、白い箱の中にいるよりは、よっぽどよかった。
今、雨が降ったらどうしよう、なんて考える。
いや、まず、ここから避難はするけど。
「和馬のとこに行こっかなー」
考えたけど、ようやく面会者の減ったあそこに僕は邪魔なように思えて。
ため息を吐いた。
とにかく、と。
傍らに置いていたノートを開く。
本当は、パソコンを持ち込みたいんだけど。
退院が明日だからって、やめた。
延びたのはやっぱり、左腕の所為で。
支障はないですから! と、医者を説得し続けて。
勝ちを得た。
んだけど、やっぱり、傷のことは、気になった。
でも、早くここから抜け出したくて、どうしようもなくて。
それでも――時間を見て、ペンを走らせていたそれは。
あとはもう、パソコンで清書するだけっていう段階になっていて。
右手だけでも、結構何とかなるんだなー、なんて、しみじみ思っちゃったりもした。
左腕は動かない。
けど、今のところ、不都合は何もない。
っていうか、それよりも何よりも。
「つまんなーい!」
叫んで、くすんと泣きマネして。
なっちんは今日、仕事だって言ってた。
有沢さんも、同じ。
そう何日も、店を空けるわけにはいかないみたい。
っていうか、当たり前だけど。
タマちゃんは和馬に付きっきりだし。
尽は姉の誕生日だっていうのに、多分、気づいてないだろうし。
「これで平気な顔して旅行行ってたら、まじめに疑うよね。あいつの性格」
ため息吐いて、思い付いたものを書いていく。
今度の締め切りは十分間に合うだろうし。
だとしたら、その次のことを考えた方がいい。
「熊谷さんは菜穂子さんと昨日来てくれて、プレゼント置いていったから、今日は来ないだろうし」
というか、本を大量に置いていってくれた。
資料にいいよーなんて、熊谷さんは笑っていて。
確かに、ジャンルが幅広くて、読んでて飽きなかった。
諸岡さんも来てくれて。
仕事の方を気にしてた。
無理しなくていいよって、何度も言ってくれて。
それでも、その申し出だけは辞退した。
書けない状況にあるわけじゃなかったから。
「あー、明日誰が来てくれるんだろう?」
タクシーでひとりで帰るっていうの、かなり悲しい。
そう言えば――氷室先生は…気にしてたりするのかな?
同じマンションに住んでいるはずの元教え子に、全然会わないっていうの。
「気にしてても、口にしなさそう……」
背もたれに身体を預けて、だらけてみる。
何か寂しい。
淋しい。
心細いって言うか、そんな感じ。
「遊びに行きたいなー。海行きたい。ご飯美味しくないから、美味しいもの食べたい。猫さんと遊びたい」
我が侭を言ってみる。
誰も聞いてないし、いいよね。
「映画観に行きたい。水族館行きたい」
空はどんより。
だからこんなことばっかり、外に出るんだ。
きっと。
「そう言えば博物館でバイクの展示会やってるって言ってたなー、ニィやんが」
「行きたいのか?」
「そりゃあもう!」
身体を起こして、ぐっと拳を握る。
あれ?
そう思った瞬間。
笑い声が響いた。
出所を探れば、その通りの人物がいて。
「他には?」
そう、続きを促してくれた。
「植物園行きたい。有沢さんのお店も覗きたい」
言い終えて、にっこり笑う。
彼にではなくて、空に向けて。
伸ばした右手は、不意に捕まれた。
それに、大きく驚いて。
驚愕って言うのかな。
こういうのを。
そんな感じで。
ぐっと引っ張られて、立ち上がる。
抗うことは――忘れてた。
「部屋、戻るぞ」
「………」
「雨が降る」
「えーと…、勘?」
「勘」
言葉が続かなかった。
繋げられた手は、大きくて。
離されるような気配は、全然、なくて。
ノートとペンは、彼の手の中にあって。
引っ張られて、歩き出す。
ヤバイなぁ、とか。
マズイなぁ、とか。
そんなことばっかりが頭の中にあって。
それでもどうにか、階段を降りた。
何かを言おうと思っても、思考が働かなくて、うまく言葉にならなくて。
途中の踊り場で、足を止めてしまった。
「玲?」
それでも何か――と考えた。
だって、そうでもしないと、壊れてしまいそうだったから。
思い出したのは、有沢さんの言葉。
退院したら、何かをくれるって言ってた。
何だっけ?
確か――。
「カンノン…?」
「?」
「有沢さんがくれるって言ってたんだ」
「有沢が?」
「そう。お店の、持ってくるからって。何だっけ? カンノン……」
「カンノンチク?」
「多分、それ」
「どうして?」
「知らない」
「………」
見つめてくる瞳を見返せなくて。
考えるふりをして、視線を伏せた。
それでまた、歩き出す。
今度は、わたしが彼を引っ張って。
予想はついてるんだけど、そのものがわからない。
熊谷さんがくれた本の中にあったっけ?
なんて考えながら、部屋へと入った。
手近な棚に、彼はノートとペンを置いて。
それでもなお、彼は手を放さない。
目的のものを見つけたのに、これじゃ何も出来なくて。
「調べたいことがあるんで、離してください」
そう、お願いしてみた。
「何を?」
「調べたいこと?」
「ああ」
「花言葉」
「カンノンチクの?」
「そう」
「『素直』…だろ?」
どうして知ってるの?
っていうのは思ったけど。
それよりも何よりも、言われた言葉に、本当に思考は動かなくなった。
――違う。
動いてるけど、一つのことしか考えられないっていうか、そんな感じで。
繋がったままの手に、力を込める。
「『素直』?」
聞きたいことがある。
「ああ」
言いたいことも――ある。
「……『素直』…」
どうして戻ってくるの?
せっかく、離したのに。
思いながら、瞼を伏せた。
足音が数度響いて、彼が目の前に立ったのが、気配でわかる。
開けていた窓から、後ろから、風が吹き込んで。
その外からは、小さく声。
「玲、どうし……」
「…紗枝さんは?」
ダメだ、って思った。
思ったけど、止められなかった。
思考はそこから動かなくて、どうしようもなくて。
「あいつは…、おまえに謝りたいって言ってた。仕事辞める、とか言ってたけど、それは周りが止めてる。おまえも、それは嫌だろうから」
「うん。紗枝さん、綺麗だし」
「言うと思った。だから、それを言っておいた」
「…そっか」
「ああ。そしたら……」
そこで彼は言葉を切った。
沈黙。
その中で、何かが顔を上げろって煩くて。
だから、顔を上げた。
彼の顔が、近くにあって。
グリーンの瞳に、映っている自分の姿を見止めて。
こうやって見上げるの、ものすごく久しぶりなような気がする。
そんな風に思いながら、目を細めた。
声が――出ない。
彼は、ふっと笑った。
「振られた」
「………」
「当たり前だけどな。紗枝は、おまえの代わりだったから」
視界がぼやける。
無理して笑わなくていいよ。
そう言いたいのに、言えなくて。
だって、『わたし』だって、無理してる。
人のことなんて、言えないから。
「やり直せないか? 俺達」
「………」
「虫のいい話だっていうのは、わかってる」
首を振る。
苦しい。
何かもう、胸が苦しくて。
仕方が…なくて。
素直って、よくわからないけど。
言ってしまいたいことが、『ここ』にはあって。
「あの、ね?」
「ん?」
全部吐き出してしまえ! って。
そう思った。
「わたし、すっごいわがままなの」
「ん」
子供だ、とか。
そんなこと考えないようにしてたけど。
「珪が仕事に行っちゃうとね、すぐに寂しくなるの。そばにいてほしいの。そんなこと――無理なのに」
「……ああ」
呆れないでって、祈るように思ってた。
「別に、珪が誰としゃべっててもかまわないの。わたしだって、珪以外の人と、話してるし」
「…ああ」
「でもね、ひとりにされるのは嫌なの。怖いの」
言いながら、彼の胸にもたれてた。
コロンの向こうから、彼の体臭がして。
わたしはほっと、息を吐いた。
左腕が動いていれば、確実に――背中に手を回していただろうと思う。
苦しさは、なくなっていた。
「ごめんね? 重いよね?」
「………」
「言いたくなかったの。ずっととか、そういうの。だって嫌でしょう? 一緒に暮らしてたのに、それ以上に、だもん。わがままなのわかってたから、言わなかったの」
子供過ぎるって、わかってた。
わたしのこの気持ちは重いんだろうなって。
一度、目を閉じたあとで、身体を起こした。
手が離されたから、やっぱり呆れてるんだろうなって。
そう思った。
のに。
ぐって、肩を抱かれた。
「け、珪?」
「もう、呼び方変えるなよ?」
「え?」
「おまえに『葉月くん』って言われると、かなり傷付く」
「…………」
彼の肩に額を付けて、くすくす笑う。
独占欲の強い彼。
好きな人を自分だけのものにしたいっていうその気持ちは、わからなくもない。
けど、そんなこと無理だから。
その人だけいればいいっていうのは、生きていく上では、無理な話。
それでも、独占欲を向けられるのは、嬉しかった。
必要とされているんだって、そう思えたから。
わたしじゃなきゃダメなんだって、そう思えたから。
でも――そばにいるだけじゃ、不安なんだよ。
「知らなかったでしょ?」
「何が?」
背中に手を回す。
あったかいなって、そう思った。
「珪、一緒にいても笑わなくなってた」
「……」
「だからわたしも、笑えなかった。一緒にいて苦痛なら、離れた方がいいよ。そうすることで、珪が笑えるなら――その方がいい」
「……だから?」
「だから。別れようかって言ったの。わたしは、どんな立場にいても…珪の笑顔が見られれば、それでいいからさ」
頬を擦り寄せて、彼の返事を待ってた。
誰だっけ?
麻衣――だったかな?
わたしのことを、子猫だって言い表した。
甘えん坊だから、そう言われちゃうのかな?
なんて、思ってたから。
そんなことを考えていたら、頭の上から笑いが聞こえた。
顔を上げようとしたら、ぎゅって抱き締められて。
「やっぱりおまえ、ヘン」
って、耳元で聞こえた。
「どうせヘンだもん。オカシイもん」
「そうか」
腰で、彼の両手が繋がれて。
離れられないの、わかってたけど。
彼の胸に手を付いて、上半身を起こした。
「…笑ってるし……」
「そうか?」
「うん。自覚ないの?」
「たぶん」
「…ヘンなの」
言えば、額に唇が落ちて。
わたしはそれを受け止める。
「約束…する」
「? 何を?」
「誓ってもいい」
「だから……」
「そばにいる。ひとりになんかしない」
「……」
「淋しくなったら言ってくれていい」
「珪……?」
「遠慮なんかしなくていい。俺…おまえが何度も別れようかって聞いてくるから、そうしたいのかと思ってた」
「だから?」
「だから、その通りにしたんだ」
言葉を、一生懸命に砕いて。
飲み込んで。
わたしはふっと笑う。
「バカみたいだね?」
「だな」
「わたしたち、二人して相手のこと考えて…。それで沈んでちゃ、意味ないのにね?」
嬉しくて仕方がなくて。
涙が零れそうになった。
欲しかった言葉をもらえたとか。
彼の本心が聞けたとか。
それは嬉しかったんだけど。
やっぱりバカらしくて。
笑いながら泣いてた。
「明日、迎えに来る」
「うん。用意しとく」
「で、そのまま家に帰ろう」
言葉に、黙ったままで頷いた。
氷室先生にお礼しに行こう、とか。
なっちん、ニィやんに笑顔を届けよう、とか。
有沢さんにありがとうを言おうとか。
和馬にタマちゃんのことで文句言ってやろう、とか。
いろいろ考えて笑った。
彼の手が涙を拭ってくれて。
嬉しかったから、爪先立ちをして。
キスをプレゼントしてみたりして。
「ありがとう」
そう、届けてみたりした。
「でも、きっと大変だよ?」
「何が?」
言いながら、彼はベッドへと腰掛けて。
もちろん――手が離れることはなかったけど。
彼の両足の間に、わたしは立たされて。
当然のように、わたしは彼の首へと手を回す。
下から見上げられて、こういう時だけって、考えてた。
こういう時だけ……左腕が動かないことを後悔してる。
「玲?」
弱かったけど、光が彼の髪に反射して。
たったそれだけなのに、彼はキラキラと眩しくて。
「だってわたし、すっごいわがままだよ?」
「大丈夫だろ?」
「でも……」
「おまえのは、捉え方次第だから」
「……」
「確かに大変かもしれないけど。でも、簡単だって言うことだってできるだろ?」
「かも…ね」
「それに、今までの方が大変だったからな」
「今まで?」
「高校の時」
「………」
何も言えなくて黙り込む。
確かにいっぱい、いろんなこと言ったとは思うけど…。
「うー…ん、んじゃぁ」
「「これからも迷惑かけます」」
……あれ?
思って、眉間に皺を寄せてみる。
彼はくすくすと笑い始めて。
わたしは――急に不安。
「あ、あれ?」
「おまえ、わかりやすすぎ」
……そうですか。
彼の肩に額をくっつけて。
深々とため息を吐いて。
「わかってた、はずなんだけどな」
彼の言葉を静かに聞いてた。
「だっておまえ、わかりやすいし」
「あんまり言われると、ヘコむんですけど……」
「そうか」
「うん」
「でも、俺も考えが足りなかったのかもな」
呟くようにそう言って。
悪い、と彼は続けた。
ここで、わたしも悪かったし、なんて言っても、彼は聞き入れてくれずに。
きっと。
同じ言葉を二人で繰り返すんじゃないか、なんて考えたから。
わたしはうんって頷いて。
「ごめんね?」
そう、呟いておいた。
「明日、珪の食べたいもの、作ってあげるね?」
「じゃあ、手伝う」
「うん。ありがと」
言って、届けて。
瞼を下ろした。
大好きだから。
ひとりにしないで。
言おうとしたけど――やめた。
わかっていると、彼は言ったんだから。
その心でさえ、わかってもらおう。
身勝手だけど、考えた。
髪を撫でてくれる彼の手が気持ちよくて。
わたしが安心出来る場所は、やっぱりここなんだと、再確認していた。

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