| ただ流れるだけだけれど 僕の中を泳いでくれる魚たちの声を聞くのは
楽しくて
一緒に流れていくのも
楽しくて
それに 時々だけれど
僕の上に落ちてきた
彼ら以外のものを海へと運んだりする
それは 彼らには有害であったり
無害であったりするんだけど
僕には判断をすることが出来ないから
ただただ 運ぶだけなんだけど
でもそれが
結構――楽しかったりするんだ
キズ 〜 ケツイ
〜
一番に考えたのは、どうしてここにいるんだろうってこと。
思い出そうとしても、うまく頭が働かなくて。
起き上がろうとした瞬間。
動かない左腕と、そこに走った痛みに。
わたしはただ、顔を顰めて。
それから――起こってしまった事実を、思い出した。
その日の朝早く、わたしは目を覚まして。
カーテンの隙間から部屋へと射し込むその光をぼんやりと眺めてから。
朝食もきちんと摂ったあとで、家を出た。
海の防波堤の前までゆっくりと歩いて。
ボーッと、海を眺めていた。
足元に広がる海岸に散歩にやってきた犬とその飼い主の姿に、ちょっと微笑ったりもして。
それから、気がついたら約束の時間が近くなっていて。
わたしは名残惜しく、その場を離れた。
向かったのは、弟の仕事現場で。
ちょうど仕事を終えた尽に、わたしはとあるものを差し出した。
昨日までに、一生懸命考えて、用意したもの。
「何これ?」
「誕生日プレゼント! もう一ヶ月以上も前の話だけど」
「………」
「旅行をプレゼントしてあげようと思ってね。しかも、あんたが行きたいって言ってたとこ!」
「ホテルは?」
「取ってあるよ?」
「誰の名前で?」
「田端尽」
「…二枚あるけど?」
「誰でも好きな人とどうぞv」
「………」
「新しく彼女作って、その子と行ってもいいし。友達と行ってもいいし」
「休みは?」
「マネージャーさんには話してある。休みになってるよ」
嬉しいでしょう?
聞けば、尽は肩を大きく落として。
それでも、受け取ってくれた。
その時に吐かれたため息を、わたしはもちろん、無視したけど。
「家に帰るんだろ?」
って聞かれて、頷いた。
一回、帰ろうと思っていたのは事実だったし。
着替えてくるから、という尽に、笑顔で首を縦に振って。
それでも、そのあとに雑誌のインタビューが入ってるんだってマネージャーさんに言われて。
尽は渋々と、それでもどこか引きずられるような感じで、スタジオをあとにしていった。
代わりのように、見知った人物がわたしの前には現れる。
「玲」
呼ばれて、振り返って。
「撮影? 今から?」
「ああ」
短い言葉に、頑張ってね、と届けて。
他愛ない言葉を交わした。
変わっていない彼の言動に、少しほっとしながらも。
やっぱりどこか…悲しくて。
それを悟られないためにって、必死に笑顔を浮かべてた。
それから割とすぐに、彼の仕事は始まって。
カメラのフラッシュの中にいる彼は、本当に綺麗で。
目が離せなくて。
彼とわたしは、やっぱり違うのだと、実感してた。
綺麗な彼と。
そうでない…わたし。
ぎゅっと拳を握って。
それでも、目が離せなかったわたしの前に。
そんな時に――彼女は現れた。
名前も顔も。
容姿も…声も知ってる。
でも、話したことは一度もないその人は、すべての人の邪魔をしないようにとこの場に入ってきた。
ゆっくりとわずかに開かれた扉に、わたしは結構すぐに気づいて。
彼女の姿を見止めて。
このあと、彼と食事にでも行くのかなーなんて思いながら、見てたら。
彼女も、わたしに気づいてくれた。
綺麗な人。
中身はわからないけど、きっと素敵な人なんだろうと思う。
わたしなんかより、ずっとずっと、彼の隣に並ぶのに、ふさわしい人。
「紗枝さん……ですよね? 田端って言います」
思い切ってそばに寄って、口を開く。
名前を言えば、彼女はにっこりと微笑んでくれた。
「おキレイですね。さすが! って感じ」
「そうでもないですよ」
「そうでもありますよ! 僕なんか、足元にも及びません」
くすくす笑いながらそう言って。
でも、耳に入ってきたシャッター音に、わたしは瞳を彼へと戻す。
お似合いだって、きっと誰もが思うはず。
そんな――二人。
「田端さん、私より年上でしょう?」
「でも、タメ口なんて無理ですよー。紗枝さんのほうが大人です」
「そんなこと……」
「ありますよ。自分でも思いますもん。子供過ぎるなって。だから、彼に呆れられたんだと思う」
「………」
「紗枝さんのほうがお似合いだし。美男美女だし。僕じゃ無理だったから、ごめんねって、そんな気持ちでいっぱいになる」
「………」
「余計なお世話かもしれないですけど、彼のこと、幸せにしてあげてください。紗枝さんの方が、ふさわしいから」
言ったあとで、小さく息を吐く。
いくつも響く、シャッター音。
彼へと要求を出す、カメラマンさんの声。
それらを、彼から瞳を逸らさずに聞いていた。
直後、響いた声に、わたしは彼女のほうを振り返った。
尽の声だった。
姉ちゃん、じゃなくて、玲って呼ばれて。
その声音が必死なものだったのにも驚いたけど、こんな場で言うか?
なんて思って。
時と場所を考えろ、なんて、考えて。
出入り口の方を振り返ったその時に、わたしは目を見開いた。
頬に走った痛みと。
わずかに赤が乗せられた、銀色。
そこにスタジオ内の光が鈍く反射してて。
痛みのもとを押さえたわたしの指には、ぬるっとした感触があって。
やっぱり切られたんだ、と、赤く染まった指先を見て、思ってた。
彼女は静かな怒りをその顔に称えていて。
この人にとって、わたしは存在していてはいけない人間なのだと、思い知った。
でも、わたしはこうして存在してしまっているわけで。
「あのね? 命乞いをするわけじゃないけど、意味、ないよ?」
静かに、言葉を発する。
黙ったままでいる彼女に、目を細めた。
届かなくても、別によかった。
ただ、言っておこうと、思った。
それだけ、だったから。
わたしは言葉を続けていく。
「もうすでに、わたしはこうして存在してしまっていて、彼とも過ごしてしまった。その事実は消せないよ?
彼が記憶を無くすとか、そういうことがない限り」
「………」
「でも、思い出は書き変えられると思う」
そのために、わたしが邪魔なら、勝手にすればいい。
考えながら、振り上げられるものを見つめていた。
足はそこに杭でも打たれたかのように動かないし。
耳は、音を拾おうとは思わないみたいだった。
視界の端に、スタジオに入ってきたなっちんの姿が見えた。
必死に何かを言っていて。
でも、聞こえなくて。
彼女も同じなんだろう。
気にすることなく、わたしを見てた。
これは彼女の問題であり、わたしの問題。
他の人に、どうこう言う資格はない。
だから――声も聞こえない。
切っ先の角度が変わる。
それに、小さく笑みを浮かべて。
わたしは瞼を閉じた。
逃げること、許してね?
誰にともなく、心の中で呟いた瞬間。
「玲!」
その声だけが、耳に飛び込んできた。
その声に、身体は意志に逆らって動いてしまって。
わたしはまだ、呼吸をしていた。
声に押されてしまった。
痛みを発したのは、左腕。
床に座り込んで、そこを押さえた。
血の感触なんか、もうどうでもよかった。
ただ、焼けるような痛みと。
急に戻った音に。
わたしは必死になって、食らいついていた。
理由もわからないまま、許されなかったと、それだけを悲しんで。
「玲!」
駆け寄ってきたのは、もちろんなっちんで。
抱き締めようとしてくれた彼女に、わたしは抵抗するように右手を出したんだけど。
その手でさえ、血に濡れていて。
服が汚れるから、というその言葉は紡げなかった。
「紗枝さんは……?」
「そこで崩れてる。ナイフはもう、放してる」
「そう………」
息を吐く。
痛みは少しずつ、薄れていく。
たくさんの足音と。
たくさんの視線。
抱き締めて、温かさを届けてくれているなっちんの肩に、わたしは頭を寄り掛からせた。
逃げられなかった。
許してもらえなかった。
仕方ない。
それが、答えなんだから。
「……なっちん」
「何?」
「腕、動かな………」
「玲?」
必死な声。
でもわたしは、それ以上言葉を紡げなくて。
「救急車! 早く!」
すぐそばでそう上がった声と。
声に反応して、いくつかの足音が走り去るのを、ぼんやりと聞くことしか、叶わなかった。
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