自覚するのって
偽ることのはじまりみたいで

実はあんまり…好きじゃない




綺麗な心の手に入れ方 〜 自覚 〜





同居人である彼女が帰宅したのは、彼が帰っていってから、少しして。
わたしはといえば、夕飯の用意をしながら、思考を働かせていた時だった。
彼が機嫌を悪くして。
わたしにもう、連絡をしてこなければいい。
そんなことを…ゆるゆると考えていた。
「そう言えばさぁ、そこで葉月……珪だっけ? に、ものすごく似ている人を見たんだけど」
部屋着に着替え終わったのか、コタツに入って彼女は言う。
それを背中で聞きながら、わたしは手を動かし続けていた。
「それ、多分似てる人じゃないよ。本人」
「……何で?」
「昨日言ったでしょ? 久しぶりに会うって」
「………」
彼女が口を閉ざす。
何?
少し振り向いて、その表情を視界に収めれば。
彼女は姫を見つめていた。
「…本当だったんだ」
「嘘だと思ってたんですか!」
「うん」
だから姫が機嫌悪いんだ…。
ポツリと零して、コタツの上へと顎を落とす。
両手もコタツの中へと入れたんだろう。
そんなに外は寒いの?
「で? 何でここに連れてきたの?」
「………」
視線を戻して、コンロに火を入れる。
今日は和食。
簡単に…焼き魚とかぼちゃの煮物。
あと、お味噌汁はもちろん作る。
わたしの好物だから、作らないといられない。
「だってさ、彼……」
「「目立つんだもん」」
「…………」
沈黙。
一瞬、何が起こったのかわからない。
それでも、気づかずにはいられなかったりして。
鍋に張った水が、わずかに沸騰しはじめる。
それが目に入って、わたしはそこに両手をついて、項垂れた。
「そんっなに、僕の考えは稚拙ですか!」
「うん。少し考えればわかるよ。玲ちゃんの頭の中は」
子供に言うように、彼女はそう言う。
わたしをちゃん付けで呼んだ時は、いつもそう。
「何か、昔からそうだよね? 麻衣にはいつも読まれてる」
「玲は似てるからね。私と」
「少し違うけどね」
「それに……猫だし」
「……それ今日、葉月くんにも言われた」
「ってことは、高校時代もそうだったってことか。引っ越しちゃって変わっちゃわないか心配だったけど、変わってなかったか」
よかったよかった、なんて嬉しそうな声が届けられる。
それにますます項垂れながら、わたしはぐっと耐えていた。
彼女――月宮 麻衣――は中学からの付き合い。
わたしがはばたき市に引っ越してきてからも、しょっちゅう連絡を取り合っていた。
そして、彼女が短大卒業を控えた秋に、家を出たいと相談してきて。
それにわたしも乗っかるようにして、彼女が卒業して直後、ここで一緒に暮らしはじめた、というわけ。
それでも、家族のことを考えて、わたしは家族のそばのこの家を選択した。
わたしも家を出たかった。
理由は…彼があの家を知っていた所為でもあった。
だからと言って、ここに連れてきちゃったら……同じなのだけれど。
「本当に玲は、他人を一番に考えるねー」
「違うよ。僕は僕のことしか考えてないって」
「んじゃ、今回の行動は? 彼のためじゃないの?」
「………」
細く切った大根を入れて、油抜きした油揚げも入れて。
「――見られるってさ、結構疲れるよね?」
「…だね」
「だから」
「確かに、彼のそばにいたら、玲は見られるかもね」
「うん」
だから嫌だった。
外にいること。
そうだよ。
わたしはいつだって、自分のことしか考えてない。
それでいい。
「あんまり無理しないでよ」
言葉に、わたしは思い切りよく、振り返る。
そこには彼女の、少し…悪戯っぽい笑みがあって。
バレてる。
やっぱり…バレてる。
さすが、わたしの親友さま。
思いながら、小さく頷いた。



AKIRAがお世話になっている編集社は、家の最寄り駅から電車に乗って、三つ目の駅にある。
そこから十五分ぐらい歩いた小さなビルの中。
三階に、それはある。
ちなみに、同じ系列の出版社は、そこから更に十分ぐらい歩く。
「あー、AKIRAちゃん!」
案内されるまでもなく、わたしは慣れたそこを歩いていた。
もちろん、諸岡さんのデスクへと歩いていたんだけど…その本人に、全く逆の場所から呼び止められて、わたしは足を止める。
「あれ?」
立ち上がって、手を挙げて。
そんな諸岡さんを振り返って、わたしはすぐにそちらへと急いだ。
ガラス一枚を隔てた、応接室。
今日は、ほかに誰かが原稿を持ってきてるのかもしれない。
思いながら、わたしはドアの前に立つ。
諸岡さんの手によって、わずかに開けられたそれを開け切って。
その時、少し中を覗き見たら…見知った顔があった。
「なっちん?」
「玲?」
二人同時に名を呼ぶ。
諸岡さんはといえば、「知り合い?」と不思議そうな顔をしていた。
「友達なんです。高校が同じで……」
「へぇー。それはそれは」
何が、それはそれは、なんだろう?
嬉しそうな顔をしている諸岡さんに促されるようにして、わたしは革張りのソファに腰掛けた。
茶色のそれに、なっちんの隣りへ。
「久しぶりだね」
「そうだねー」
笑いあって。
けれどすぐに、わたしは諸岡さんに向き直る。
バッグの中から封筒を取り出して。
その中から、八枚の紙を取り出して。
順番とか、向きとか。
そういうのを確認してから、わたしは諸岡さんにそれを差し出した。
「これ…今回のなんですけど」
「じゃ、読ませていただきます」
恭しく、頭を下げて受け取ってくれたその行動に、少し笑ってしまう。
いつもこうなのに。
予想はしているはずなのに。
何で引っかかっちゃうんだろう。
「今回は…花?」
「はい。十五回の方が花で、十六回の方が人間」
「久々だね、人間」
「ええ。男の子…なんですけど」
「年齢は?」
もう前半四枚を読み終えたらしい。
さすがに早いな。
思いながら、書いたものを思い出す。
「十六・七歳? とりあえず、高校生です」
「女の子のその頃って、まだ書いてないよね?」
「難しいんですよ。一番多感な時期じゃないですか、女の子も男の子も。なんで…一番難しいんじゃないかなって思っちゃった方じゃなく、少し楽かなーって方……男の子に、今回はチャレンジしたんです」
「楽? AKIRAちゃん、女の子でしょ?」
顔が上がる。
それに、苦笑で頷いた。
「女ですけど…わからないことの方が多いですよ、自分のことって。周り以上にわからないし。やっぱり、その頃の女の子を書くってなると、自分のことを必要以上に投影しちゃうでしょう? そうすると、ものすごく……難しいなって」
「そうかな?」
「そうなんですよ。あの頃は、何をしていても楽しかったし。それと同時に、寂しさや、悲しみを抱えていたような気がするんです。わたしは――ですけどね」
苦笑で答えて、出されたお茶を受け取った。
ここのって、実は結構おいしいから好きなんだけど、今日はちょっと、飲めそうにないな。
諸岡さんが視線を落とす。
何度も何度も、読み返してる。
わたしは無言。
隣りのなっちんも無言。
でも少し、そわそわしてるのがわかる。
そういえば…高校時代のことを思い出す。
なっちんの趣味。
カメラ……って言ってたっけ。
いつか職業に出来れば、とも。
それかな?
机の上に置かれた封筒。
その中にあるものを想像しながら、わたしはそのわずかな間が終わるのを待っていた。
ガラスの向こうで、電話が鳴り響く。
「いつも思うけど…」
諸岡さんが口を開く。
今回はどっちだろう。
そのまま行ける?
書き直した方がいい?
「AKIRAちゃんって、本当に彼氏いないの?」
緊張していた自分がバカらしい。
肩の力を抜いて、わたしはその質問に答えるべく、顔を上げた。
「いませんよ。何度もそう言ってるじゃないですか」
「んじゃ、高校時代」
「いません。仲のよかった男の子は……いましたけどね」
一昨日会った彼じゃなく、高校時代の彼を思い出す。
ふっと笑みを零すと、諸岡さんは、我が意を得たりって感じで、笑ってくれた。
「好きだった?」
「でしたよ」
「その彼か。この主人公」
「そう思っていただいてもいいですよ」
本当はちょっと違う。
彼に友達はほとんどいなかったから、そこが違う。
今回の主人公には、友達は多いから。
「なるほどね」
言って、立ち上がる。
そばのコピー機の前へと行って、おもむろにコピーを取り出した。
そこまで来れば、今回はOKってことだろう。
「今回はこのまま行こう。いや、今回も…かな?」
コピーをわたしに差し出して。
原稿は、諸岡さんの目の前に置かれる。
「今回も、ですね。調子いいな、この頃。三ヶ月連続、即OKもらってますよ、僕」
「いつまで続くかな?」
「頑張ります」
くすくす笑い合って、わたしの方は終了。
もらったコピーを封筒に仕舞って、わたしはやっぱり、と……お茶を一口、含んだ。
うん、今回もおいしい。
抹茶が少し混ざってる…とか言ってたっけ。
「で、藤井さん…だったね」
「は、はい!」
隣りから元気のいい声が上がる。
この前会った時と変わってないな、やっぱり。
「筋はいいと思う。でも…ね、何かが足りない。まだ、趣味の域を出てないんじゃないかなって思う」
「そうですか……」
肩を落として、彼女は呟く。
大丈夫。諸岡さんは、ここで突き放したりはしない。
第一、諸岡さんが見てるってことは、ほかの人たちはいいって認めたってことなんだから。
まぁ、わたしは……諸岡さんが編集部の皆さんに広めてくれたんだけど。
「もう少し、いろんなものを観察してご覧。カメラを持たないで、自分の目で」
「自分の…目で?」
「そう。自分の目と、心で。特に人間。風景はね、うちにも何人か、抱えてるのがいるけど……そういう人たちと渡り合っていくのには、ちょっと弱い。だったら、人間の方がいい。そっちの方が、筋はいいしね。先にテーマを決めて撮ってごらん。撮ったあとで、テーマを決めるんじゃなくてね」
「はい……」
バツの悪そうな顔。
図星か。
わたしはしばし、なっちんを見る。
簡単な方へ、簡単な方へ、人は流れていっちゃうから。
難しいのは、出来ればやりたくないよね、やっぱり。
でもね、難しいことをやれば、人はきちんと評価をくれる。
簡単な方へ流れたものは、それなりの評価しか、くれないけどね。
諸岡さんの目は確かだ。
この人の心、ちょっと覗いてみたいかもしれない。
「また持っておいで。いつまでも待ってるから」
「は、はい!」
ほら、見捨てない。
さっきとは打って変わって、嬉しそうな表情を見せるなっちんに失笑して、わたしはゆっくりと立ち上がった。
それに倣うようにして、なっちんも立ち上がる。
「それじゃ、また一ヶ月後に来ますね」
「近くなったら、連絡入れるね。いつものように」
「待ってます」
「手紙はあとで送るから。今回もちょっと多くてさ、手渡せないんだよね」
「…待ってます」
「藤井さんもね。待ってるよ」
「はい!」
二人一緒に、そこを出る。
諸岡さんはといえば、煙草を一本出して、吸いはじめていた。

「びっくりしたー」
ビルを出て直後、なっちん――藤井奈津実――はそう発した。
高校からの友達。
彼女に、彼の記事が載った雑誌を見せてもらっていた。
わたしも、時々は買っていたけれど。
今も時々、一ヶ月に二回ぐらいの割合で会っている。
「僕もびっくり。でも…頑張ってるんだね」
「もちろん! ……あれ? 言ってなかったっけ?」
「この前会った時には、聞かなかったな」
わたしの言葉に、なっちんは「ごめん」と零す。
別にいいんだけどね、そんなこと。
わたしの知らないところで、誰かが頑張ってるのって、結構嬉しい。
「玲は? 作家?」
「みたいなもの。今は連載やってるけど…それだって、いつ打ち切りになるか」
「そんなことないんじゃない? あの人…諸岡さん、だっけ? 玲のこと、ベタ誉めしてたよ?」
「本当?」
「ホントホント」
両手を後ろで組み直し、なっちんは空を見上げた。
この辺は人が多い。
ひっきりなしに、誰かと擦れ違ってる。
落ち着かない。
でも…ひとりじゃないって、思うことも出来る。
「もうすぐ、女の子が来るんだけど、その子の小説が綺麗で、情景がこう、目の前にパーっと浮かんで。少ないページしか与えられないのが、本当に悔しいって。長編書いてもらって、本として出版したいぐらいだって」
「…そこまで?」
「そこまで」
「……すごいな、僕……」
本気でそう思う。
嬉しいって言うより、何だろ?
複雑?
本当に? ってまだ、疑ってるし。
顎に手を当てて、一人で考え込む。
そんなわたしを見て、なっちんは笑っている。
「で、来たのが玲でしょ? もう、ホントに驚いたって!」
言って、彼女は両手で四角を作った。
それを目の前に掲げて、片目を瞑る。
「人間って言われたでしょ? なっちん」
言えば、思い出したらしい。
そうでした、なんて言って、彼女は手を下ろした。
「好きな人…か」
ポツリと零された言葉に、わたしは首を傾げる。
「今も会ってんの? 葉月と」
そう来るか。
どう言えばいいのかわからなくて、わたしはわずかに逡巡する。
一昨日は会ったけど…それ以外はさっぱりだし。
「ずーっと、連絡は取ってなかったんだけどね。この前、相談に乗ってほしいって言われて…一昨日、会ったけど」
事実を述べる。
事実だけを、端的に。
「ふーん……。今でも…好き?」
問われて、目を丸くする。
「知ってたんだ?」
「見てればわかるよ」
「そか」
「でも……言えばよかったのに。それは何度も思ったよ」
それで?
答えを促されて、わたしは微苦笑。
それしかしない。
できない。
「なっちんは?」
仕返し、とばかりに聞いてみる。
彼女は周りを見渡して、「何が?」と返事をした。
「ニィやん」
「な、何で!?」
「僕が知らない、とでも?」
「〜〜〜っ!」
大袈裟なくらい頭を抱えて、彼女は唸る。
「今でも会ってるんでしょ? なっちんのことだから」
「……まぁね。でも、あいつだけじゃないよ」
「だろうね。それで?」
「未だにフリーター。社長になるって言ってたけど、まだどんなことをやりたいのかは決まってないみたい」
また、彼女の視線は空へと投げられる。
道の両脇は、背の高いビルばかり。
狭い空に浮かぶのは雲ばかりで。
鳥の姿は…黒いカラスしかいない。
都会って…寂しいイメージしか、わたしの中にはない。
小さく首を振って、わたしはただ、歩いていた。

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