やっぱり 昔とは違う

胸の痛みが
少し違う

前はこんなに……強くなかった

壊れる寸前なんだ

きっと

きっと




綺麗な心の手に入れ方 〜 現在 〜





姫を退けて、急いで脱ぎ捨てたコートへと手を伸ばす。
コタツから出る気はない。
だって…寒いから。
この部屋で、唯一の暖房器具なんだもん、コタツ。
ポケットを探って、音の出所を手の中に収める。
着信音は聞き慣れたもの。
だからわたしは、すぐに通話ボタンを押した。
「はい、AKIRAです!」
『や、諸岡です』
含み笑いで返ってきた声に、わたしは少し笑ってしまう。
『元気そうだね』
「元気ですよ。じゃなかったら、この家、大変なことになってますって。料理出来る人間、僕しかいないんですから」
『そっかそっか。で、早速で悪いんだけど……』
「原稿ですよね? 上がってますよ?」
ちらっと、自分の部屋の扉の脇に置かれた棚の上を見る。
茶色い封筒がそこにあるのを確認して、わたしはきちんと座り直した。
姫が今度はすぐ隣りで丸くなる。
『本当? 助かるよ、AKIRAちゃんはきちんとしてるから、大丈夫だろうなーとは思ってたけど』
「そう言ってくださると嬉しいですよ。で…いつ持っていけばいいですか?」
今度はバッグの番。
その中からスケジュール帳を取り出して。
ペンを構える。
「ええ、一週間以内に…ですか? できれば指定してほしいんですけど」
『んじゃ、明後日は? 明日はちょっと、時間なくてさ』
「明後日ですね? いいですよー。早い方が書き直しを命じられても、すぐに出来ますし」
『それじゃ、頼むよ。待ってるからねー』
通話はすぐに切られる。
それを知っているから、わたしも耳からすぐに携帯を離して、通話を終えた。
「ごめんね」
言って、携帯を置く。
それに伸ばされた手を、わたしは別に遮ろうとは思わなかった。
「誰だ?」
「担当さん」
「担当?」
「うん。というか、編集長」
「………」
「諸岡さんって言ってね。小説家としての僕――AKIRA――が、お世話になっている方」
「……小説?」
「えとね」
今回ばかりはコタツから出ないとさすがに無理。
コタツを回って、自分の部屋の前へと向かって。
茶色い封筒が置かれているその棚から、雑誌をいくつか取り出す。
定位置へと戻って、腰を降ろして…雑誌を広げた。
「これ。HP…見たんだよね?」
「ああ」
やっぱりそうか。
というより、それしか思い付かなかったんだけど。
とあるページを開いて、彼の前へと置く。
文字がその紙の上、三分の二を埋め尽くして。
ほかの部分は、抽象的な絵が埋め込まれている、そのページ。
「HPを見た諸岡さんがね、僕宛てにメールをくれたのがはじまりで……今ね、連載してるんだ、小説」
最初は読み切りだった。
それだって、穴埋めって形だった。
プロの人間に、わたしが書いた物が評価された瞬間で。
わたしは酷く嬉しくて…期間が短いにもかかわらず、わたしはその仕事を引き受けた。
それが、何度か続いて。
今は、連載というものまで任されている。
「恋愛物じゃないんだけどね。そういう雑誌じゃないから、全然かまわないんだけど……女の子の読者が多いんだよ?」
「…へえ……」
「ファンレターをもらうんだけど。一ヶ月に一度、まとめて。それを読む時が一番楽しいんだ。次の話に影響されちゃったりして。こんな考え方もあるんだなって…本当に考えさせられる時もある」
「………」
「僕が書いてるのは、一話一話の読み切り。主人公はその都度変わる。楽しいこと、悲しいこと、辛いこと。そういうのを……書いていってる」
主人公が人間じゃない時もある。
鳥だったり、魚だったり、猫だったり、犬だったり、虫だったり。
生き物じゃない時もある。
本だったり、人形だったり、水だったり、月だったり、太陽だったり。
そうやって、わたしはいろんなものの、心を書いている。
「明後日渡す約束なのが、十五・十六回目。隔週で出てる雑誌だからね、そうやって…一度に二回分、渡しちゃうんだ」
わたしの携帯を片手に、彼はページを捲る。
たった四ページの短い文章。
携帯のストラップが、チャラチャラと音を立てる。
「おまえらしい」
「…うん。自分でも、そう思う」
嬉しくて、笑みを零した。
わたしは、毎日の中で、些細なことでも感じたことを文章にしている。
感じ方は、わたしにしかわからないから。
それを伝えようと思ったら…常に考えるしかないから。
「急に終わりになってもいいようにってこういう形にしたんだけどね。何か…半年以上も続いてるんだよね、これ」
それでも、ネタに尽きないのが不思議。
まぁ、命の分だけ、わたしはその命の心を感じ取っていくんだろうと思うから。
ネタなんてもの、あるようで……実はないのかもしれない。
「これ、ほかにないのか?」
「あるよ。読む?」
言えば、彼は首を縦に振る。
でも……。
「相談は?」
「………」
反応がないことに、わずかに呆れる。
忘れてたな、絶対。
いいけどね、また会えるなら……嬉しいし。
思えば、胸が痛みを発した。
わかってるよ。大丈夫。
わたしは…この距離を守る。
何より、彼のために。
「平気じゃない?」
唐突にそう言う。
顔を俯かせていた彼は、またわたしへと視線を上げる。
「何が?」
「考えてるでしょ、ってこと」
「…?」
「葉月くんのこと。マネージャーさんとか、スポンサーとか」
「………」
「だからね、君が出来ないだろうと思われる仕事は、多分スポンサーも打診しないし、マネージャーさんも受けないだろうってこと」
「…つまり?」
「……言っていいの?」
「ああ」
そこで一つ、息を吐く。
今日何度目だ? 一体。
思いつつ、こめかみを爪で掻く。
そして…口を開いた。
「取り越し苦労」
「………」
「言い方を変えるなら、労力の無駄。つまり、君が僕と連絡を取ったこと自体、無駄だってこと」
言って、立ち上がる。
棚へと歩く。
今までの原稿を、わたしはここに保管しているから。
少し色褪せはじめた茶色い封筒を取り出して。
また、さっきまで座っていた位置へと戻る。
「わからなかったわけじゃないでしょ? …てか、本当に心配してた?」
「……してた」
「……少なくともさ、台本見たりとかしてからにすれば? それで演技が必要だって思ってからでも、遅くはなかったんじゃない?」
呆れてた。
心の底から、本気で。
………心の…底から。
「悪かったな」
動くな、頼むから。
「本当にね。でもま、いいんじゃない? 僕は会えて嬉しかったし」
「そうか」
頷いて、封筒を手渡す。
「雑誌よりも、こっちの方が読みやすいと思うから」
ページを探さなくてすむしね。
受け取った彼に、今度はわたしが手を出す。
彼は眉根を寄せた。
「携帯」
「変えたんだな」
「変えたよ? だから何?」
「番号」
「…教えろって?」
「普通だろ?」
「よく言うよ、今まで全然連絡くれなかったくせに」
「それはおまえも同じ」
「忙しいかな、って思ったから。気を使ってあげたのに…そうやって酷いこと言うんだ?」
「べつに忙しくない」
「どうだか。今だって、夢は追っかけてるんでしょ?」
問えば、短く、肯定の言葉が返る。
「だったら、忙しいに決まってる」
言い切って、手を大きく開く。
彼の手から、携帯は返らない。
「もしもし?」
「番号」
「………」
「……教えろよ」
「…わがまま」
「………」
「ガキ」
「何とでも」
「………」
変わってない。
変わってなさすぎるよ、君。
君はいつだって、わたしの前じゃ、わがままだった。
子供だった。
そういう反応を見せてくれる度に、わたしは嬉しくなって。
その度に…胸を痛めてた。
きっと知らないんだろうな、そんなこと。
わたしは、一度だって…表に出したことはなかったし。
今だってそうだよ。
嬉しくて…痛い。
「はぁー……」
長々とため息を零す。
甘いかな、やっぱり。
でもさ、いつまでもこんなことやってるわけにはいかないし。
「わかった。わかったから…返して」
「本当に?」
「本当に。ちなみに…葉月くんは変わってない?」
「変わってない」
戻ってきた携帯に、ほんの少し、安堵する。
人質ならぬ、携帯質。
戻ってきてくれてよかったよ。
感慨もそこそこに、折り畳みのそれを開けて、メモリーから彼の携帯番号を探し出す。
削除せずにいたのは、わずかな期待を持っていた所為かもしれない。
彼に、新しい番号を教えていなかったのに。
尽がまた、手助けしてくれるかもってか?
人生そんなに甘くないだろ。
それは自分が一番よく知ってるはず。
出てきた番号に電話を掛ける。
彼の携帯が音を発したのを確認してから、わたしはそれを切った。
「それが僕の携帯の番号」
彼が不在着信のそれを確認したのを見て、わたしはまた、携帯をコタツの上に放った。
「これでいいでしょ?」
突っ伏して、少し不貞腐れたようにそう言う。
全く、どうしてわたしはこうなんだか。
短く、短く息を吐く。
あー、ため息を吐くと、幸せが逃げるんだったっけ?
別に逃げてもいいよ。
というか、今が幸せ過ぎる。
彼の笑顔が眩しいよ。本当に。
しかし…あの頃がまた戻るのか。
ちょっと気が重いかもしれない。
楽しいけど、痛い。
楽しさを感じなければ、そんなことはないんだけど。
彼のそばにいると、心が動く。
どうすればいいのかな?
登録をしている彼の姿を見ながら、考える。
答えなんか…出やしないのは、わかり切っているのに。
「言っていい?」
身体を起こして、頬杖を突く。
左手で。
「本気で…芝居やりたいって思ってる?」
「…どうして?」
「葉月くんには無理だと思うから」
そこで、わたしは彼から視線を外す。
「芝居ってね、自分じゃない自分を演じるってことなんだよ。心と上辺と、全く別々のことをやってるの。心は悲しんでるのに、顔は笑わなきゃいけない、とか…そういう風に」
「………」
「もちろん、自分をそういう状況に持っていく人もいるよ? でもね、そういう人は……かなり経験豊富か、他人をかなり観察してるかのどっちか。君が芝居やりたいって思うなら、まずは上辺だけでも笑うことを覚えなきゃダメだよ」
「…笑いたくないのに、笑うのか?」
「芝居ってそういうものだよ」
「おまえは?」
「……さてね」
曖昧に答えて、瞼を降ろす。
もうすぐ夕方って時間になる。
どうしようもなく、今は穏やか。
それ故に……胸が痛い。
夕食、どうしようかな。
心を彼へと向けないように、別のことを考えはじめる。
偽るのは簡単だから。
そうやって…わたしは生きてきたんだから。
動くな、心。
そう願いながら、わたしは瞼を押し上げた。

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