| 素直 って……どんなこと? わたしらしいって何?
綺麗な心 なんて
わたしの中
どこにも――ない
綺麗な心の手に入れ方
〜 崩壊 〜
それは今、目の前にあって。
目を背けたいはずなのに、反らすことは叶わなくて――わたしはそれを、ただただ、見ていた。
絵じゃない。
それがわたしの、感想。
「これ……」
「あなたが前に、ミズキに言ったでしょう?
色を重ね過ぎた絵は、綺麗じゃない。そう、言ったでしょう?」
思い出す。
確かに言った。
だけど…そう言った、わたしの声は。
本当に小さかったはずだし。
聞いていないとばかり……思ってた。
なのに、これはここに、存在してる。
「色サマに、そのことを話したのよ。そうしたら…描いてくださって」
「………」
「感想は?」
「…こんなの、絵じゃない」
吐き出して、目を細める。
瞬きでさえ、わたしは忘れる。
色が重ねられ過ぎて。
最初、これは何だったのかさえ、わからなくて。
色が多すぎて。
何を思えばいいのかなんて……わからない。
「そうかもしれないわ。ミズキね、ずっと…今日、いらしてくださった人たちに、この絵の感想を聞いたわ」
「……絵じゃない」
「まぁ、聞きなさい。そうしたら――二通りだったわ。大きく分けてね。あなたのように、絵じゃないと言った人と」
「だって、こんなの絵じゃない!」
「玲さん!」
わたしと瑞希さんと。
二つの声が響く。
胸が痛い。
泣きそうで、どうしようもなくて。
わたしはその場に蹲った。
「絵じゃない」
「そうかもしれないわ」
「かもしれない、じゃない。こんなの、絵なんて…呼べない」
頭を抱えたわたしのそばに、足音が近寄ってくる。
すごく…慌てた様子で。
だけど、わたしは、それを気に掛ける余裕もなかった。
声が震える。
でも、言わずには…いられなかった。
「色が載せられてるだけ。そうとしか思えない。綺麗じゃない、絵じゃない。汚い……!」
背に、大きな手が触れる。
息が出来ないぐらい、胸が痛い。
涙が零れた。
そうだよ。
これは絵じゃない。
もう、絵じゃない。
「そうね。でも、とてもおもしろいと言った人もいたわ」
「………」
「まだ、描いている途中にも見えるし、これで完成のようにも見える。とてもおもしろい。そういう人も……いたわ」
わたしは首を振る。
そんなの、社交辞令だ。
三原くんの機嫌を損ねないために、って…そう言ったに過ぎない。
絶対そう。
だって、これは。
絵なんて物じゃない。
「ミズキもそう思うわ。それに…とても素敵」
「……そんなわけない」
「あのね、玲さん。価値観なんて、人それぞれよ?
何を綺麗と思うか、汚いと思うかなんて、みんな違うわ」
「綺麗だと思うものは、みんな一緒だよ」
「そうかしら」
「そうだよ! だって! だって……」
彼を汚いと言った人はいない。
彼の心を否定した人なんていない。
知らない。
わたしは泣き続ける。
ただ、涙を零し続ける。
痛みを発する胸を、ただただ、抑えて。
「須藤」
「何よ? 葉月くん」
「こいつ…連れて帰る」
「そうね、それがいいわ。ギャリソン!」
「いい。歩いていく」
彼がわたしを支えてくれて。
その手に促されるように、立ち上がった。
それから、どうやってここまで来たか…なんて、覚えてない。
目が覚めたら、見慣れた天井があって。
ベッドの上で。
泣き疲れて眠ったんだろう、ということは…想像がついた。
辺りは少し、暗くて。
目を凝らして時計を見れば、夕方を少し過ぎた時間で。
何があったかを思い出そうとして……やめた。
あれは…絵じゃない。
それだけが、胸にあったから。
息を吐いて。
上半身を起こそうとして、失敗する。
腰に回されていた腕に…遮られて。
「葉月くん……」
視線を動かして、そばで…横で眠る彼を確認する。
腕を上げて、彼の髪を梳く。
指から零れて、さらさらと…それは音を立てた。
どうしよう。
やっぱり、やっぱり……。
涙が零れた。
ほんの――一筋。
わたしは、それを拭う。
どうして優しいの?
わたし、酷いこと…いっぱいしたのに。
あなたが優しくしなければ、わたしはまた、こんなに苦しい気持ちを抱かなくて、すんだのに。
そうだよ?
好きだよ。葉月くんのこと。
どうすればいいの?
わたしの心はもう、心じゃない。
色が載せられ過ぎた、ただの…ものだったのに。
そんなわたしが、あなたの隣りになんて、いられない。
いられるはずがない。
起こさないように、気を使って。
上半身を起こす。
涙の残骸を拭って。
姫の姿がないことに気づく。
と、隣りから、かすかに姫の声が聞こえた。
麻衣の部屋にいるんだ…。
ちょっと、ほっとする。
それから、彼の顔を振り返った。
真上から、覗き込む。
綺麗だなって、そう思う。
何度も。
何度も…そう思って。
何度も。
何度も…本人に、そう届けた。
だからこそ、わたしは。
そばにいられないと思ってきた。
のに。
どうして……あなたは、わたしを求めてくれるの?
「わたしは…あなたのそばにいても、いいの?」
「いい」
返った声に驚く。
彼の腕が、わたしを捕らえて。
一瞬の後。
わたしの身体は、彼に組み敷かれてた。
わたしの身体の下には、ベッドがあって。
彼の手が、わたしの顔の、すぐ横にある。
彼の瞳が、わたしを映しているのが、見えた。
「起きて…たんだ?」
「ああ」
「…あれ……綺麗じゃなかったね」
何を言っているのかわからない、と言うように。
彼の眉は、一度…顰められた。
けど、彼はすぐに、口を開いた。
「ああ、綺麗じゃない。三原…らしくなかった」
「うん。わたしがね、前に、瑞希さんに言ったんだ。色が載せられ過ぎた絵は、きっと汚い。綺麗じゃないって」
「………」
「その通りだった。ううん。それ以上だった。絵じゃない。あんなの」
「………」
シーツに顔を埋める。
水玉模様が、見る見るうちに、広がっていく。
「色が重ねられ過ぎてるだけ。何も思い浮かばない。見られたものじゃない」
「……そうか?」
「そうだよ」
「でも俺は…好きだけどな、あれ」
言われたことに、目を見開く。
それでも、瞼はすぐに閉ざした。
涙って、枯れないのかな?
なくならないのかな?
そのぐらい、泣いてる気がする。
「でも、隣りに綺麗な絵は並べられない。どっちかは消えるもん。どっちかの印象は、消える」
「でも、三原は並べてた」
「でも、現にわたしは、あれの隣りに何が並んでたかなんて、覚えてない!」
「俺は覚えてる」
枕を探り当てて、顔に押し当てる。
優しくしないで。
わたしが欲しい言葉なんて、くれなくていい。
胸が痛む。
壊れるよ。
もう、無理だよ。
「何を考えて描いたかなんてわからないけどな。でも…綺麗だった」
「……葉月くんは、特別なんだよ。超能力があるから、覚えてられるんだよ」
「そうかもな」
「そうだよ。普通の人は、覚えてない。だから、わたしは並べない」
「………」
「わたしが隣りにいたら、葉月くんが消える。今日で、よくわかった」
「並べる」
「並べない。もし並べたとしても、どうせ……いつかまた、ひとりになる」
「………」
「独りにされる」
彼が黙る。
わたしは…話し続ける。
「いつだって、ひとりだった。みんな、わたしを置いていく。わかってるから、知ってるから。だからわたし、みんなには何も言わなかった。寂しいとか、怖いとか。冗談めかして、言うだけだった」
「俺はしない」
「するよ! そう言って、あの子もわたしをひとりにしたんだもん!」
肘でわずかに上半身を上げて、わたしはそう言い放った。
顔も覚えていない、男の子。
でも、約束だけは覚えてる。
忘れてしまえれば、こんな風にはなってなかったかも、しれないのに。
「必ず戻ってくるって言ってたのに。全然、戻ってこなかった」
「…玲」
「ずっと、待ってたのに。引越すっていう日だって、ギリギリまで、教会で待ってたのに」
「………」
「あの子は、戻ってこなかった」
「悪い」
「……?」
涙の向こう。
彼が、目を細めていて。
わたしは…ベッドに身体を沈める。
「どうして、葉月くんが謝るの?」
「置いていかれたのは、俺の方だと思ってた」
「……?」
「帰ってきた時、あの教会には…誰もいなかったし」
「……葉月くん?」
「おまえのこと、こんな風にしたのは、俺なんだな」
彼の手が、わたしの髪を梳いて。
涙を拭いてくれる。
それで、すべてが蘇った。
あの男の子。
戻ってくると、約束してくれた…男の子。
尽が生まれて、両親は、生まれたばかりの赤ん坊に付きっ切りで。
わたしは、毎日一人で遊んでて。
寂しくて泣いていたわたしに、手を差し伸べてくれた男の子。
教会に連れていってくれて。
そばにいると言ってくれて。
それから、毎日のように遊んだ。
思い出して…わたしはまた、涙を流す。
「悪い」
「はづ…、けーくんは、悪くない」
泣きながら、わたしは首を振る。
彼は…あの子は、戻ってきてくれたのに。
けーくんは、わたしの前に、戻ってきて……くれたのに。
独りにされたと思い込んだのは、わたし。
わたしが勝手にこうなったんだから。
彼は悪くない。
「わたしが悪いんだから。わたしが、勝手に思い込んで、こうなったんだから。けーくんは、悪くないよ」
「でも……」
「だって、戻ってきてくれたし。けーくんは、悪くない」
微笑んで、腕を伸ばして、彼の顔に触れる。
思い出せば、すぐにわかる。
だって、あの頃の面影、きちんと残っているから。
綺麗だと思った、わたしとは違う、髪の色とか。
瞳の色とか。
思い出して。
愛しくて。
指先からゆっくりと…触れて。
手のひらで、彼の顔の形を確認する。
そっか。
葉月くん…けーくんは、戻ってきてくれたんだ。
あの頃のまま……綺麗な心のままで。
でも、わたしは……。
そこまで考えて、わたしはすぐに離した。
「でもやっぱり、隣りには並べない」
「玲……」
「わたしは、綺麗じゃないから。けーくんの隣りには、並べな……」
唇が塞がれて。
ほんの少し…驚いたけど。
重ねられるままに、受け止めた。
だって、一瞬だったし。
わたしの言葉を止めるのが、目的だったみたいに。
「並べられるかどうかは、俺が決める」
真剣な瞳が、そこにはある。
どうすればいい?
壊していいの?
このまま、すべてを壊してもいいの?
わたしは、わたしのままで、いても……いいの?
「俺がいいって言ってるんだ。だから、いい」
言葉に、わたしは笑う。
彼が求めているのは、『僕』じゃなくて『わたし』なんだと。
そう……言われたような気がしたから。
「…勝手」
「ああ」
「わがまま」
「知ってる。おまえだって、知ってるだろ?
そんなこと」
「知ってる。だから好きになった」
言えば、彼は目を丸くして。
微笑むわたしを、見てた。
「知らなかった? ずっと…好きだったんだよ?」
「……知らない」
零してから、彼は「いや…そんな気はしてた」と続けた。
でも、確信は持てなかった、とも。
「勝手で、わがままで。子供みたいなとことか、結構あって。でも…やっぱり綺麗で、目が離せなくて。そばにいたいって、ずっと思ってた。ひとりきりだと思ってる心に、それは違うんだと、教えてあげたかった。だけどわたしは、綺麗じゃないから、怖かった」
「………」
「汚いって、ずっと思ってた。だから、葉月くんの前でも、嘘をつき始めた。そばにいちゃ、いけないって。許されるはずないって」
「…そうか」
「素直になりたいってずっと思ってたのに、色が載せられ過ぎたこの心には、わたしらしさなんて、どこにもなくて。探しても、どこにもなくて。だから…別の心、作ったの。演技は得意だったから。『僕』を作ったの。みんな…騙されてくれて。嬉しかったけど、悲しかったの。誰もわたしを見てくれなくて。わたしはどこに行けばいいんだろうって、そう……思ってた」
「そうか」
視界を腕で遮って、わたしはまた、涙を流す。
泣いた分だけ、偽りの心が壊れるのは、経験から…知っていたから。
麻衣の前でも、結構泣いた。
でも、ここまでじゃ、なかった。
少しだけ泣いて、また、少しだけ…作り変えて。
そうやって、生きてきたような気がする。
「だけど、『僕』でも、葉月くんの隣りには並べなかった。綺麗な心、作れなかったから。作っても、その偽りの心の上にも、他人の色が載っていくの。気づいた時には、人と接するのが、怖かった。でも、ひとりじゃ嫌だった。寂しくて、どうしようもなくて」
「もういい」
「それでも、君のそばにはいたかったから、友達で居続けようとした。でも、嘘をつく度、胸が痛くて……。どうすればよかったのかな?
どうすれば……」
また、胸が痛み出す。
助けて、と…それだけは言えなかった。
言ったって、誰も助けてくれないのは、知っていたし。
自分だけが苦しめば、それですむと思ってた。
苦しさだって、いつかは…忘れられるって。
そう――信じてた。
だけど、痛みは、消えなかった。
その時の痛みを抑えることは出来ても。
どんどん強くなる痛みを、無視することは、出来なかった。
わたしから、彼に連絡を入れなかったのは、この所為。
でも、あの日。
彼からのメールに応えたのは、その日、一日だけだと思ったから。
だから…耐えられると思った。
結局は、無理だったんだけど。
「わたしは…きっと汚い」
「俺は好きだ」
「……心なんて、どこにもない」
「それでも、いい」
「わたしらしさなんて、どこにもない」
「探してやる」
腕が取られて。
涙でぐちゃぐちゃの顔を見られた。
彼は、微笑んでいて。
わたしは…嬉しくて、泣いた。
もう、嘘はつきたくないって。
本気で……思ってた。
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