| 人は ひとりじゃ生きていけない だから ひとりひとりに
もうひとりの自分と言えるような相手がいる
半身って 言われたりするけど
わたしはそれを信じていながら
実は…なければいいって
思ってる
綺麗な心の手に入れ方
〜 一対 〜
鍵を閉めて、靴を脱いで。
コートのボタンを外しながら、リビングへと向かう。
と、コトッとカップを置く音が響いた。
「?」
首を傾げてそれを見る。
「カフェオレ。飲むでしょ?」
「ありがとう」
自分のを目線の高さにまで上げた彼女に少し笑って。
コートを肩から外しながら、わたしは真っ直ぐ、コタツへと歩いた。
「寒いって言ってたのに」
座ってすぐ、彼女からそんな言葉が出る。
「明日、出掛けるからさ。慣れとこうかなーって」
「はいはい」
彼女が、口元でカップを傾ける。
わたしは……もう少し、待たなきゃいけない。
でも…どうしてこれが出てくるんだろう?
「出てった時に、火、掛けといたんだ。牛乳」
「……起こした?」
「起きてた」
「そっか」
答えに納得して、わたしはカップに瞳を向けた。
まだ、湯気は出てる。
もう少し、もう少し。
「さっき――彼は綺麗だって言ったじゃない?」
急な問いかけ。
わたしは、特に考えもせずに頷いた。
「うん。言ったよ? 本人にもね、何度も言ってる」
「…よく呆れられないね」
「半分、呆れてるんじゃないかな?
すぐに流されるし」
「そか」
「うん」
息を吹きかける。
麻衣が作ったカフェオレって大好きだから、実は早く飲みたかったりして。
ふぅーっと、思い切り、吹きかける。
「で…自分は汚いって、言ったじゃない?」
「うん。彼に比べたら、ずっとずっと……汚い」
「すべてが対になってるって言うんだったら、彼と対なのは、玲?」
「…だと思う」
「じゃぁ……」
「あのね」
彼女の言葉を遮って、わたしは恐る恐る、口を付ける。
まだ少し…熱い、かな。
一口含んで、両手で包んでいるそれを、下へと降ろす。
彼女が言おうとしていることは、わかる。
「太陽と月って…隣りにはないでしょ?」
「ないね」
「そういうことだよ」
「…どういうことだよ?」
睨むような視線に、少し苦笑。
「光と闇って、同じ時間に同じ量で、存在はしてないでしょ?」
「してる時もあるよ?」
「全部で考えるの! 光が届かないところに影が出来る。その時は…光のが多い」
「……うん」
「暗闇の中に光を当てると、そこだけ切り抜かれたようになる。その時は…闇のが多い」
「…うん」
「同じ量では、存在できない」
「………」
「だからね、わたしと彼が、同等の立場でいると、どちらかが壊れるんだよ。彼がわたしを飲み込むか、それとも――逆か」
言葉を切って、カフェオレを飲む。
ちょうどいい、暖かさ。
そこでほっと、息をつく。
「――彼が、わたしの心を包むなら、別にいい。でも…逆は嫌なんだ。彼の心を汚してしまうことが、嫌」
「それか」
「うん。だから…言えないの」
これ以上は、踏み込みたくない。
だから、拒むことしか出来ない。
本当は、そばにいたくて、仕方ないのに。
「わたしでいようとすると、怖いんだ。彼が変わってしまいそうで。何より、わたしが変えてしまいそうで。彼の綺麗な心に、わたしの色が載ってしまうことが嫌なんだ」
「色…? あの……」
「そう、前に書いた。『絵』の話」
カップを置いて、頬杖をつく。
「たくさんの色を重ねられた絵は、たった一つの色で描かれた絵を見て、思う。綺麗だなって」
「………」
「わたしには、たくさんの色が重ねられ過ぎて、見たくもないのに…。彼は、彼の色しか持っていなくて」
「それはない。彼は独りじゃない。そう思ってるのは、本人だけだよ?」
「知ってる。でも、その所為で…彼の心には、色が少ないんだよ。色が重なることもない」
「……そうだね」
「わたしは、色を重ね過ぎた。いろんな人を、求め過ぎた」
「仕方ないよ、それは」
「そうかもしれないけど…その所為で、わたしの心はめちゃめちゃなんだよ」
目を閉じる。
静かだな、そう思う。
彼は寝ただろうか。
眠った…だろうか。
「使い物にならないから、もう一つ、心を作らなくちゃいけなかった。本物だと、自分が辛いから、すぐ壊せるように……って、すごくよく似せた、偽物を」
眠ってくれているといい。
今だって、声は潜めているけれど…耳を澄ませば、聞こえなくもないだろうから。
彼にこんな話……聞かれたくはない。
沈黙が降りる。
部屋に響くのは、姫の微かな寝息と、やけに大きな、壁掛け時計の秒針の音。
麻衣は何も言わない。
彼女も独りだった人間だけれど。
本当に必要な人間には、心を開くことが出来た人だったから。
偽らずにいた、人間だったから。
演技は一切、していなかったから。
「麻衣みたいに生きられれば、もうちょっと…強くなれたかもしれないのにね」
「かもね。玲のは…少し辛過ぎる」
閉じたノートパソコンの上。
頬を当てて、息を吐く。
早く朝になればいい。
そうすれば…『わたし』はいなくなる。
この時間だけは、どうしても、寂しくなるから。
泣きたくなるのを我慢して、わたしは闇を見つめる。
麻衣は黙ってくれていて。
わたしは静かに、朝を待っていた。
何にしよう?
キッチンで、立ち尽くす。
和食? ……は、時間掛かるからなぁ、パス。
となると、洋風。
卵…結構あったな、昨日。
なのに、また買ってきちゃったんだっけ。
んじゃ、卵は使おう。
オムレツ…のがいいか。
プレーンで。
好き嫌い、多いからなぁ、麻衣が。
あとは…サラダ。
ボイルするか。
葉月くん、生野菜の苦いのが嫌いって言ってたし。
生じゃなきゃ、何でも食べられるでしょ。
細かく聞いたことないから、何が具体的に嫌なのか、わからないし。
かくいう僕も、生野菜って、あんまり好きじゃないし。
昨日の夜と同様。
そんな風に考える。
主食はパンだね。
昨日おいしそうなのがあって、買ってきちゃったしv
あと、飲もうと思って、スープも買ってきたんだった。
それも温めましょう。
決定!
組んでいた腕を解く。
小さ目の鍋に水を張って、火に掛けて。
沸騰するまでの間に、野菜室を開けて、いくつか野菜を取り出した。
洗って、まな板を出して、包丁も出して。
一口大に切っていく。
トントンッと、小気味よい音が響く。
「にゃー」
「あ、おはよう、姫」
足に擦り寄ってきた姫に言葉を返す。
切り終えてから、鍋に視線を移して。
沸騰するまでもう少し、というのを確認してから、わたしは身を屈めた。
「気を付けてね。僕も、守る努力はするけどさ」
「にゃーぉ」
返事を発して、姫はわたしの肩へと乗る。
なぜか朝のこの時間だけ、姫はわたしの肩に乗りたがる。
ちょっと重くなるんだけど、ずっとやってきたことだから、もう慣れてしまった。
そしてまた、朝食作りに戻る。
卵を出して、シンクの縁に、軽く打ちつけて。
割って、ボールに中身を入れる。
二回、それを続けて。
白いところを菜箸で取って。
塩と胡椒をほんのちょっと入れて。
「砂糖……どうしようか」
考えて、結局止めた。
三つとも同じにしよう。
あとでわからなくなるのも嫌だし。
そう考えて、わたしはくるくると菜箸で混ぜていく。
黄身と白身がごっちゃになって。
塩も胡椒も姿を消して。
きちんと混ざりあった時に、フライパンを火の上に乗せた。
あとはスープを温めるだけ。
そうやって、待っているわたしの背に、扉が開かれた音がぶつかった。
「…にゃー」
姫が小さな声で挨拶をする。
結構不機嫌。
……ってことは、麻衣じゃないな。
「おはよう」
「……ああ。おはよう」
――やっぱり。
かなり寝ぼけている声。
振り返らなかったわたしを気に掛けることなく、彼は洗面所に消えたらしい。
姫の行動がそう教えてくれた。
姫が擦り寄ってくるから、応えるように首を傾ける。
ぺたぺたと前足を頬に押し当てたりしてくる姫に、微笑んだりする。
視界の端で、鍋の様子を見つつ。
「何、やってるんだ?」
姫がわずかに爪を立てたなって思った直後、彼から声が掛かる。
あ、結構近い。
足音殺して、近寄らないでよ。
ちょっとびっくりしちゃった。
「知ってる?」
「何を?」
「コーンスープってね、沸騰すると、泡がものすごく大きくなって、溢れちゃうの」
「……そうなのか?」
「うん。家で一回やっちゃってね、怒られたことがあるんだ」
ぷつぷつと、鍋肌で泡が生まれては消えていく。
もう…ちょっとの我慢。
「そんなに?」
「すごいんだから。一気に膨れ上がるの。で、それをしないために、警戒してるんです」
いいかな? 大丈夫かな?
思いながら、火を止める。
味見は出来ない。
なぜなら、わたしは熱いものを口の中に入れることが出来ないから。
「終了」
スープ用の大きなカップは二つだけ。
それでも、もう一つは、ちょっと大きいかなってカップに注いだ。
何か、柄が可愛くて。
ついつい、昨日…買ってしまった、そのカップ。
それがここで役に立ってくれるとは思わなかった。
ちなみに――柄は、姫によく似た、グレーの子猫が描かれたもの。
大きさ的には、ちょっと微妙だったんだけど、まぁいいかって。
姫に見せたかったっていうのも、実はあったんだけどね。
「スープのカップ、どっちがいい?」
入れながら、彼に聞く。
すぐ後ろに立ってるのは、知っているから。
「…どっちがおまえの?」
「黄色い方」
「じゃあ、そっち」
「……わかった」
そういえば、こうだったっけ、彼は。
自分の気持ちを知られたあとは、途端に開き直る。
だからと言って、それで態度を変えたりはしない。
わたしは。
「どこがいいかな? こんなのの」
「おまえがおまえだから」
「…答えになってないと思う」
「それ以外に、答えようがない」
こうだもん。
短く息を吐いて。
振り返る。
やっぱりいたよ、この人。
「持っていって。暇でしょ?」
「………」
無言でわたしの手から、カップを取って、歩いていく。
そのあとを付いていくように、わたしは真新しいカップを手にして歩く。
姫はまだ降りない。
このあとの仕事までは、わたしに甘え続ける。
「あ」
麻衣の部屋から、携帯の音楽が流れた。
何度も聞いた着信音。
それは、しばらくして消えた。
取った様子は……ない。
となると。
わたしは自分の携帯を見る。
コタツの上に放ったままにしてあるそれ。
手に取って、見続ける。
………。
やっぱり。
思いつつ、鳴りはじめた音楽を切って、通話開始。
「はい、もしもし? 光太さん?」
『あ、玲ちゃん? 麻衣は?』
聞き慣れた声。
それに、わたしはカップを置いた。
「まだ寝てます」
『やっぱり。じゃ、いいや。玲ちゃんに言っておく』
「今日の予定ですか? って言うより、待ち合わせの時間?」
『そう。九時に、そっちに迎えに行く約束になってるんだ』
「九時…ですか?」
『そう、九時。そっちにお邪魔はしないつもりだから、頼むよ』
「わかりました。それじゃ」
通話、終了。
ディスプレイを、しばし眺める。
「九時…ってことは、そろそろ起こさないとマズイな……」
今、時刻は七時半を少し過ぎた辺り。
そう思ったからこそ、光太さんは、麻衣に電話を掛けたんだろう。
……無理だったけど。
麻衣は、一度起こしても、三十分ぐらい、ボーッとしてる。
朝食だって、ゆっくりじゃないと、食べてくれないし。
でもって、準備だの何だのと、いろいろやるんだろうし?
やっぱり、もう起こさないとマズイ。
ここで、姫の出番。
「ヒーメ」
「にゃ?」
「頼んでいい? また今日も」
「にゃー」
わたしの肩の上でそう言ってくれた姫に。
わたしは頬を摺り寄せた。
真っ直ぐ、麻衣の部屋まで歩いていく。
麻衣の部屋の前にも、小さな棚があって。
姫は、わたしの肩の上から、その上へと移動する。
床の上へと、軽々と飛び降りて。
「それじゃ、よろしくね」
「にゃー」
見上げて、答えてくれた姫に微笑む。
扉をわずかに開けて。
姫が入っていったのを確認後、閉める。
それから、牛乳を取りに冷蔵庫の前へと戻って。
それを手に、わたしはコタツへ移動。
「どうする? 先、食べる?」
聞いたわたしに、彼はちらっと、麻衣の部屋を見た。
「いいのか?」
「平気」
麻衣の部屋からは、小さく悲鳴が上がっていたりする。
毎朝のことなんだけど、知らない人が聞いたら、びっくりするんだろう。
やっぱり。
「大丈夫だよ。姫が起こしに行ってるだけだから」
「………」
「しっぽでくすぐってみたり、猫パンチ、かましてみたり。ダメなら、最後の手段」
「…?」
「顔の上に、乗る」
「………」
「さすがに起きるでしょ? そうすれば」
にっこり笑って、手を合わせる。
朝食だけは、わたしが最初に、箸を付けられる。
少し頭を下げて、いただきます、と発して。
そうすれば、声は消えた。
代わりに、姫の声が響いてくる。
「……いいのか?」
もう一度、彼の問い。
「いいの。二度寝しちゃったって、同じことが待ってるんだから」
扉を閉めたのは、その所為。
姫は自分で部屋に入ることは出来るんだけど。
きちんと起こしてきてねっていう意思表示のために、扉は閉めておく。
理解してくれているようで、姫は麻衣に抱かれるようにして、いつも出てくる。
「葉月くんて、今もシリアル?」
「ああ」
「よく飽きないね。そして、よく持つね。僕も一回やったことあったけど、すぐにおなか減っちゃった」
「そうか」
「うん。あとさ、雑誌で読んだこと、あったんだけど」
「何だ?」
「夜はお風呂、朝はシャワー…じゃなかったの?」
「………」
「遠慮してる?」
「……少し」
「しなくていいよ。らしくない」
フフッと笑って、食事を進める。
まぁ、遠慮しちゃうのは、当たり前かもしれないけどね。
それから十分後。
「あれ? 私が最後?」
麻衣が目を擦りながら出てきた。
わたしも彼も、実はもう、ほとんど食事は終わっていたりして。
そして、スープを初めとする何もかもが。
冷め切っているのだけれど。
「玲ー、これ温め直してー」
「自分でやんなさい、そのぐらい。そのまま、レンジに入れるだけでしょ?」
スープが入った、真っ白なカップを持った手を、わたしの方へと伸ばしながら、麻衣は言う。
――朝は立場が逆転する。
わたしよりも、麻衣の方が子供。
「私はご飯食べるのに忙しい」
「じゃ、そのままってことで」
「あきらぁ」
「……ちゃんと全部食べる?」
「食べる、食べます!」
「そう言いながら、いつも残すよね、君は」
「…だってさ……」
「でも、食べるって言ったから、食べてね、今日は」
「………」
「証人、もう一人いるしね、今日」
カップを受け取って、立ち上がる。
麻衣は黙って、一生懸命、口に野菜を運んでいて。
彼は食事を終えて、くつろいでいる。
姫は彼を警戒しつつ、寝転んでいて。
わたしは、ふっと…笑みを零した。
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