| ぬいぐるみを抱いているのを見て 何度も
似合わないと紡いでいたのを
「かわいいですね?」
そう言った彼女を見て
思い出した
Bridge 〜 鈍痛 〜
打ち合わせの最中の紗枝に、小さく手を振って、店を出る。
扉が閉まると同時に鳴った音に、隣りにいた尽は足を止めて。
店を見ていた。
静かに。
静かに。
「尽?」
「…葉月、知らないかもしれないけど」
視線の先は変えないまま、尽は口を開く。
そのそばへと寄って、俺はその顔を見下げた。
「姉ちゃん。最初は…『シモン』でバイトしてたんだ。高校の時」
「……知ってる」
「じゃあ、ここに変えた理由は?」
指を差すのと同時に問われて、口を閉ざす。
バイト先を、雑貨屋『シモン』から、喫茶『ALUCARD』に変えたということは知っている。
ただ、彼女から聞いたのではなくて。
『シモン』のオーナーの花椿せんせいから、そう言われた。
いい店員だったのに、俺に取られた、とかって。
意味がわからなかったから、聞き流していたのだけれど。
皺を作った俺に、尽はふっと笑って。
「友達がそばでバイトしてるからって」
そう、綴った。
「友達?」
「そ。葉月のことだろ?」
「………」
「ひとりでいつもいるから。とりあえず、一緒にいてあげたいかなって、言ってた」
「………」
「葉月だってことはわかってたからさ。好きなのかなーって、思ってたんだ。でも、姉ちゃんはそういう感じには、全然ならないし。気づいてないのかなって思ったんだけど。葉月のこと聞けば、優しくないだの何だの言うし」
そうだとは思ったから、短く息を吐くに留める。
けれど尽は、そんな俺を置いていくように、歩きはじめた。
それを追って、俺も歩きはじめる。
「姉ちゃんは自分で捜すタイプでもないし。いつか王子さまがってタイプでもなかった。でも、彼氏が欲しいって言い出して。でも、捜さないし。捜そうとしないし。何なんだって、思ってた」
「…で?」
「で、結論。無意識に待ってたんだと思う。自分のこと、見つけてくれる相手を」
言葉を聞いて、黙るしかなくなって。
俺はまだ、彼女のことを見つけてはいなかったから。
本当の彼女のことを、まだ。
『あき』と『玲』は。
同じなのだろうけれど、まだ俺は。
どこかでべつのものだと思っているのかもしれなくて。
その答えは、まだ出せていない。
だから。
「俺、前の彼女と別れる前も、そいつとは出掛けたりしてたんだ。ただし、みんなでだけど」
話が戻ったことに、俺はまた、瞳で隣りの人物を捕らえる。
尽は後頭部に両手を持っていって。
そこで、手を組んでいた。
隣りのスタジオの。
そのビルの入り口をくぐる。
二人で、並んで。
「その時はさ。ただ、鈍臭いやつ、って程度にしか思ってなかったんだ。みんなにも心配されてるし。でも、別れる直前ぐらいに、そいつが言ったんだ。『みんな優しいね』って。『甘えちゃってるねー』って。で…『ごめんね』って」
「………」
「ああ、こいつはこいつなりにわかってるんだなって思ったら。当たり前のように、いいよって言えた。おまえが急にしっかりしだしたら、こっちが調子、狂うしな、って。そしたら、何か…一歩近づけた気がして。――違う存在になったんだろうな、あの時」
階段を上がりながら、彼は言う。
俺はただ、その話を聞くだけで。
そうしながら――階段を上がりながら。
自分のことを、思い出していた。
尽が今言ったような場面は、俺にもあった。
それはたぶん、あの。
高校一年の時の、あの屋上でのできごと。
あの時までは、ただ煩いだけだったのに。
そのあとの屋上での会話で、彼女の心に、触れられたのだと。
触れさせてもらえたのだと、そう思った。
彼女は遠慮なく、俺の中に入り込んでいて。
俺の心の端に、触れていたから。
そばに置いておかざるを得なくなった。
だめだと言えば、それに素直に従うのに。
何も言わなければ、ついてくる。
何度も俺に、声をかけながら。
それが最初は嫌だったのに。
あのあとは、心地よくなって。
「で、別れたあとに、そいつが怪我してさ。いつも笑ってたのに、その時ばかりは、さすがに顔、歪めてて。その時に、ものすごく、守ってやりたいって。守ってやらなくちゃって、思ったんだ。俺が悪いわけでもないのに、ごめんって言葉が、口を衝いてた」
「………」
「『尽くんが悪いわけじゃないでしょう?』って言われても。何か、俺が悪いんだって、そんな気になってた。そんな俺に、そいつ、泣きそうな顔して。俺を見てて。――抱き締めたいって、思った。本気で、強く」
「………」
「それで、俺、こいつのこと好きなんだって。そう……自覚した」
彼女が俺のために泣いてくれたのは、高校三年の、あの日で。
何度も罵倒されたけれど。
それよりも、彼女が泣いているその理由の方が、大事だった。
自分に呆れているんだと、彼女は言っていたけれど。
確実に、俺のためで。
その時に、俺も思っていた。
抱き締めたいと。
許されているなら、抱き締めてやりたいと。
そばにいてやりたかったのに、それを許されなくて。
触れたくて、仕方がなかった。
その時に、自覚した。
思い出して、軽く、瞼を閉じる。
いつもそばにいてくれたから。
気づくのがきっと、遅くなったのかもしれない。
それでも。
そばにいることは、許されていたはずで。
でもその時は、許されなかった。
触れることでさえ、許されていたのに。
その時は、戸惑ってしまった。
だから、気づけたのかもしれなくて。
「葉月がどういうつもりで、紗枝さんと付き合ってるのかはわかんないけどさ。でも…忘れて欲しく、なかったからさ」
ごめんな?
加えて、尽は自分の控え室へと消えていった。
閉まる扉を見て。
確認して。
俺は一つ、息を吐く。
それから、自分が進むべき方向へと、爪先を向けた。
暗闇に瞳を向ければ。
やっぱりそこは、真っ暗で。
何も見えなくて。
橋は本当にあるのだろうかと、もう一度考えていた。
遠いから見えないのか。
ないから見えないのか。
そのどちらなのかも、わからないまま。
「ねぇ」
聞こえなくなって、久しかった声が聞こえたことに、顔を川へと向ける。
足音と軋む音は、絶えず聞こえていたから、歩いていることは知っていたけれど。
痛みに耐えられなくなったんじゃないかと、心配だったことに、変わりはなかった。
…から、声が聞こえたことに、ほっとする。
「どうした?」
「おにいちゃんは、だいじなもの、なくしたこと…ある?」
「?」
問いの意味はわかったし。
答えもあるけれど。
俺はとりあえず、軽く首を傾げておいた。
どうしてその問いを、今するのだろうと。
それが――わからなかったから。
「あるよね?
だからここにいるんでしょう?」
「……まぁな」
なくしたのは、失ったのは大事なもの。
その自覚はあるから、否定はせずに、曖昧に答えて。
この会話がどこへ向かうのかを、見ていれば。
「あのね? このかわにながれてるの、なんだかわかる?」
そんな問いが、投げかけられた。
話の流れがわからなくて、俺はますます、皺を深くする。
それでも、川に流れていたものを思い出して。
「何か丸い……カプセル、だろ?」
「そう。それがなにか、わかる?」
聞かれて。
わからなくて。
さぁ? と、短く答えを返した。
川の、そのギリギリを歩けば、いつでも見える、それ。
「わたしもね、さいしょみたとき…わからなかったの。でも、あうひととかのことおもいだしてね?
わかったんだ」
「…?」
「さいしょにあったひとはね?
ゆめをなくしたんだっていってた」
「………」
「で、それからすぐに、わたし、はなれて、かわのそばにいたの。そしたら…ながれてきたんだ。そのひとのすがたがうつった、カプセル」
「………」
「つぎのひとはね?
あいをなくしたんだっていってた。まだむずかしいかなって、わらってた。それからまた、はなれて、かわのそばにいたら」
「流れてきたのか?」
「うん。そのひとと、もうひとりのひとがうつった、カプセル」
「………」
「だから、そういうものなんだとおもう」
呟かれた言葉に、俺は口を閉ざす。
川へと視線を向けて。
それでも、見えるのは足元ぐらいで。
俺のそれは、一切見えなくて。
見えていたら……掬い上げていただろうけれど。
「だれかがうしなっただいじなものは、このかわをながれていくの。ながれてながれて。じゃりになって。きっといつか、うみのそこにしずむんだとおもう」
その前に掬い上げて。
誰かが掬い上げてくれているなら。
いつか、戻ってくるのかもしれなくて。
「でも……どれだけながれて、どれだけくだっていくんだろうね?」
前方は真っ暗闇で。
だから、そう思うのも、仕方はないのかもしれなくて。
「…そうだな」
だからそれしか、言えなかった。
理由なんてものは、いくらでも付けられるもので。
わかっていたけれど、彼女の元へ行くことは、許されていなかったから。
俺は、どこへ行ったらいいのかが、またわからなくなっていた。
彼女の元へは、行けなくて。
許されていないから、行けなくて。
もう一人の元へは、今は仕事中だから、行けるはずもなくて。
どうするか、と立ち止まって、空を仰いだ。
どっちつかずでいるから、いけないのか。
というよりも。
今はまだ、どちらを取ればいいのかも、わからない。
彼女はそばにいてやりたい。
彼女は…守ってやりたい。
どちらも、根底にあるのは、『大事』という、それで。
だからどちらも、選べない。
取ることも、できない。
迷い続けて。
俺は結局――――。
「葉月さん?」
不意に届いた声に、視線を向ければ。
打ち合わせが終わったのか、彼女はそこにいた。
足早に近づいてきて、俺の服の袖を、軽く引っ張って。
彼女は俺の顔を、見上げていて。
「どうした?」
「………」
「紗枝?」
「何か…淋しそうだった……から」
きゅっと、持っていた袖口を引いて。
俺を見る彼女に。
何も言えなくて、黙り込んだ。
「葉月さん?」
俺を呼んでくれる声も、小さくなって。
「…マネージャーは?」
「……もう、今日は終わりなんで…」
打ち合わせのためだけに、ここに来たようなものなんです。
少し微笑って、彼女はそう言って。
それでもすぐに、笑みをかき消した。
なおもきゅっと握ってくる手を視界に映して。
その手に、俺のを重ねた。
抱き締めたいと思ったのは、初めてかもしれなくて。
それを行動に移したのも、仕方がなかったのかもしれなかった。
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