あまり 文字を読む
ということをしなかったけれど
彼女が綴ったものだけは べつで
べつだった
はずで
けれど それさえも
そう いつからか
文字を追うということが
億劫になった
Bridge 〜 大略 〜
バサリと、雑誌が目の前に置かれる。
開かれているページには、モノクロの写真が、大きく載っていて。
それは俺と、もう一人のもので。
本当に食いついたな、と。
俺は内心、驚いていた。
の、だけれど。
「面倒なこと、してくれたわね」
呟かれた言葉に、眉根を寄せた。
「べつに、俺が何をしようと、勝手だろ?」
「そうかもしれないけど。玲ちゃんと別れたのが、紗枝と付き合うためだって、世間は思うのよ!」
「だから?」
「葉月が悪者になるじゃない」
「………」
俺と彼女のことを必死で隠してくれていた人は、業界の間の人間だけで。
マスコミだって、知っていて、知らないふりでいてくれていたけれど。
それが今では、露にされていて。
だからこそ、世間はそう、思うのかもしれないけれど。
それでもかまわない、なんて、俺は思う。
悪いのは彼女じゃない。
俺だから。
だから、俺がどんな風に思われても。
俺自身はかまわない。
「とりあえず、これからは紗枝と二人きりで会うのは控えてちょうだい」
言い捨てるようにして、マネージャーは離れていく。
それに長く息を吐けば。
代わりに目の前に現れた姿に、俺はふっと笑みを浮かべた。
「すっげ。麻衣姉の読み、大当たり」
周りの人間に聞こえないように小声で、尽は零す。
俺の行動はすべて、彼女のため。
そう、考えれば、気持ちは前を向いたのか。
笑うことでさえ、苦にはならなくなってきて。
「姉ちゃんには言ってないから。安心しろよ」
小声で言われて、俺は頷く。
それから、雑誌へと目を向けた。
よく写してあると、本気で思う。
俺と紗枝と。
二人で並んで歩いているそこは。
夜の街中で。
この前、一緒に夕飯食べに行った時か…?
と、考えた。
「葉月、目立つからな。姉ちゃんとのことは、必死になって隠してたけど。今回は葉月が先に、何も言わなかったから、手回し出来なかったんだろうな」
「たぶん」
「でも、それでよかったんだって、俺は思うよ。玲もこれで、違う考え方、持ってくれるだろうしさ」
言葉を聞いて、短く息を吐き出す。
とにかく、表立った行動は取れなくて。
もしかしたら、尽にも、迷惑をかけてしまうかもしれなくて。
「何か言われても、俺の意見しか言わないから。葉月のことも、玲のことも擁護しないから」
「ああ」
「だから、気にしなくてもいいぞ?」
見透かされて、くすくすと笑いを零す。
たぶんこれで、俺と彼女の距離は。
これ以上は――遠くはならないはずで。
あとは距離を詰めるだけのはずで。
「俺も言わないから、葉月も、本当のこと、玲には言うなよ?」
諭されるように紡がれた言葉に、ぐっと唇を噛んだ。
誰にも言ってはいけないことは、わかっている。
誰かに言ったとしても、彼女はこの手には戻っては来ないのだから。
それは……わかっているのだけれど。
早く早くと、焦りばかりが、先立ってしまって。
それよりも、俺にはやらなければならないことがあったのだと。
今更ながらに気がついた。
待ち合わせた場所は、人目に付きにくい、小さな店で。
けれど、誰かに悟られても、今はかまわないと思ったから、店員に口止めをするようなことはしなかった。
電話をかけたのは、俺が事務所から帰る、その途中で。
控えろと言われたから、この場所にした。
彼女とも何度か、この店に足踏み入れたな、と思い出したけれど。
目の前のいすが、不意に引かれたのに、視線を上げた。
「すみません。遅くなりました」
「いや…。呼び出したのは、俺の方だから……」
「………」
「悪かったな、急に」
綴れば、彼女は小さく、首を横へと振る。
大きなキャップをかぶっている彼女は。
その、キャップの中に、長い髪を隠しているのか、後れ毛がわずかに見えているだけで、ショートヘアのようにも見えて。
考えたな、と、その姿を見て、思っていた。
「私も、葉月さんには会いたかったので」
「…そうか」
綴って、彼女は注文を取りに来た店員に、アイスティーを頼んで。
また、視線を伏せる。
彼女が下を向くと、大きなつばが陰を作って。
上手い具合に、俺から彼女の表情は、捉えることができない。
「マネージャーに…言われたんです。葉月さんがどんなつもりだったのか、聞いてこいって」
「………」
「何度も言ったんですけど、聞いてくれなくて。葉月さんはプロジェクトのために。私に合うアクセサリーのイメージを固めるために、私と出かけたんだって。でも――聞いてくれなくて」
膝の上で手を固めたのか、両肩がわずかに上がる。
そんな彼女に湧く感情は。
守りたいという、それで。
そして、謝罪の、もので。
本当のことを紡ぎそうになるのを、どうにか押し込めた。
代わりに、口に上らせたのは。
「出よう」
という、短いもの。
ちょうど持ってこられたアイスティーに見向きもせずに、伝票だけを受け取って。
紗枝に先に出てもらってから。
車のキーを渡して、中で待っているように言ってから、金を払うために、レジへと歩く。
これが目撃でもされていたら、決定的だな、なんて思いながら。
財布を出して、自分のことを考えていた。
今、これから。
俺がしようとしていることは、もしかしたら。
人として、最低なことかもしれないけれど。
それでも。
答えを……出すために。
そのためには、必要なことだから。
ありがとうございましたー、と。
追い討ちをかけているような声を背中で聞きながら。
俺は紗枝の待つその場所へと、一歩を踏み出した。
ドアを開けて、運転席へと、滑り込む。
バタンとドアを閉めて、小さく息を吐いた。
ちらりと隣りへと視線を滑らせれば。
小さく縮こまるようにして、彼女はそこにいた。
どうするかと、少し考えて。
とりあえず、ここから出ようと、答えを出す。
けれどそれは。
クラッチの上に置いた、俺の手に重なった手によって、止められて。
俺は驚いた表情を、浮かべざるを得なくなった。
「どうした?」
「………」
「紗枝?」
「…ちゃんと、言ってください」
消え入りそうな声で、そう言って。
でも、手は離れないままで。
彼女の視線は、一点を見つめたまま。
紗枝を見ていると。
思い出すのは、『あき』の姿。
あの、小さな姿。
表情。
――だから。
俺はゆっくりと、その手を握り返した。
ピクッと、紗枝の身体が動く。
これは、彼女のためではあるけれど。
俺が、きちんと。
彼女に向ける、答えを出すため。
彼女のことは大切で。
そばにいて、触れたい相手ではあるけれど。
その理由を、明確なものにするために。
「…付き合ってくれって言ったら……どうする?」
「え?」
向けられた瞳には、明らかに戸惑いの色が揺れていて。
卑怯だと言うことはわかっていたけれど。
帽子を少し荒っぽく剥ぎ取って。
ついでのように、唇を掠め取る。
一瞬のできごとではあったけれど、唇の感触は、まだそこには残っていて。
彼女は頬を真っ赤に染めて、口元を空いている方の手で抑えていた。
こんなことをどこで覚えたのかと聞かれれば、きっと。
あまり隙を見せてくれない彼女を切り崩すために覚えたことで。
というより。
彼女がこんなことをしたこともあったと、思い出していた。
「葉月…さん?」
「どうする?」
間近で覗き込んで、答えを強要して。
彼女なら確実に、頬を膨らませて、ずるいと言うだろう。
俺の名前を紡いで。
断れないの、知っててやってるでしょう?
そんな風に。
それから、彼女の方からキスをしてくれて。
俺達はそうやって――進んでいたはずで。
けれど今。
目の前にいるのは、彼女ではなくて。
昔の、幼い頃の彼女に、よく似てはいるけれど。
彼女ではなくて。
『あき』でもなくて。
「紗枝?」
その名前を呼べば、彼女は視線を逸らして。
「どうするって…断る理由、ないですよ……」
小さく呟かれた言葉は、肯定のそれで。
俺はそれを聞いてから、もう一度、彼女の頬に唇を落としてから、アクセルを踏んだ。
そんな風に、紗枝を送り届けた次の日。
会ったそいつは、微妙な顔をして、俺を見ていた。
ため息を吐いて、近づいてきて。
「何してんねん」
そう、小さく。
息を吐くのと同時に、零した。
「おまえには、関係ない」
「そうかもしれん。けどな、話ぐらいは聞かせてくれてもええやろ?」
「………」
「こんなとこで会うたんも、何かの縁やしな」
卒業してから、一度も会っていなかったのにもかかわらず。
姫条は何も変わっていないかのように、踵を返した。
暗に、付いてこいと。
それをわかってしまったのだから、付いていかないわけにもいかず。
俺は短く、息を吐いてから、足を踏み出した。
何をしているのかという質問は。
きっと、今ではなくて。
この時間のことではなくて。
今、マスコミが騒いでいることに対して。
藤井に聞いたんだろうことは、何となくだけれど、察知できた。
「ホンマにジブン、何してんねん」
もう一度聞かれたのは、自動販売機の前。
小銭を入れて、ボタンが押されて。
ガコッという音と共に落ちてきた缶を手にして。
姫条は俺へと手を伸ばす。
小さく息を吐いて、その手に、小銭を乗せた。
そして、同じことを繰り返して。
差し出されたのは、コーヒーの、それ。
「玲ちゃんのことは、ホンマにもう、ええんか?」
受け取ると同時に問いが降る。
それに答えずにいると。
「予想してた通りやんな」
なんて、ため息が届けられた。
「でも、これだけは答えてもらうで」
その声には、酷く真剣味が感じられて。
俺はただ、その瞳を見返す。
と。
「ウワサになってる子のこと…ホンマに好きなんか?」
そう、言葉が紡がれて。
俺はただ、視線を細くする。
好きかと問われれば――Yes。
だから、短く肯定の言葉を口にした。
似ているから、彼女は。
だから、嫌いなわけは、ない。
「……そうか。ならええわ。オレには何も言うことはあらへんよ」
ぐっと缶を一気に煽って。
姫条はそれをごみ箱へと放る。
ついでに踵を返して。
そのまま、後ろ手に手を振って、去っていった。
残されたのは、俺だけ。
すべてを決めたはずの、俺だけ。
蓋を開けただけの缶を、ずっと見続けて。
それから、その中身を、俺もまた、一気に煽った。
そうして。
持っていたその手に、力を込める。
手の中のものは、音を立てて。
形を変えた。
好きかと問われれば、答えはYes。
彼女は似ているから。
昔の。幼い頃の。
彼女に。
――けれど。
愛しているかと問われれば。
答えは――――No。
特に、触れたいとは思わないから。
けれど。
けれど。
彼女は似ているから。
似過ぎているから。
だから、惹かれる。
ただ、それだけのこと。
それを考えれば、見極めるには絶好の相手で。
このまま、俺の気持ちが彼女に傾いていくのなら。
それはそれで、仕方のないことだと。
俺も。
きっと、彼女も。
思うはずで。
「………」
言葉もなく、見上げた空には。
灰色の雲がかかっていて。
なぜか今にも、泣きそうに見えた。
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