ピッとボタンを押すことで鳴った音を聞きながら
それを元の場所へと置くそうしながら どんな内容のものだったかを
俺から彼女に話していた
俺のスケジュールを
彼女が知っているのは
当然だと思っていたから
それに
俺自身も
教えるのは当たり前だと 思っていたから
のに
いつからか
俺から言わないようになって
だから 彼女が問いかけてくるようになって
そして
いつからか
彼女の問いを
曖昧な言葉で
躱すようになった
Bridge 〜 記憶 〜
ああ、また夢だ。
そう、頭の片隅で、ぼんやりと思っていた。
川の音。
流れているのは、また、丸いカプセルばかりで。
ただ――声は聞こえない。
どこかに行ったのか?
考えるけれど。
川の向こう側でさえ、暗闇に包まれていて。
奥に何があるのかは、わからない。
もしかしたら、誰かがそばに、戻ってきたのかもしれない。
それか。
誰かを捜すために、歩きはじめたのかもしれない。
どちらにしろ、声は聞こえなくて。
気配もなくなっていて。
ただ、闇ばかりが、視界に広がっている。
……ひとりなのは、俺だけ。
仕方なく、歩きはじめた。
下流へ向かって。
そこにあるんだろう、海へ向かって。
途中で、誰かに会えることを願って。
そしていつか。
あの声の持ち主の、幸せな笑顔を見られることを願って。
「あれ?」
不意に上がった声に、俺はそちらへと、視線を向ける。
きょろきょろとその人は周りを見て。
それから。
「紗枝ちゃん、どこ行った?」
と、言葉を綴った。
言われて、そう言えば姿がないな、なんて考えて。
俺はわずかに、腰を上げる。
広いその中を見渡して。
姿は見えなくて。
「まぁ、今はいなくても平気だけどさー」
そんな、のんきな笑い声を聞きながら、そこを出た。
廊下へと出て。
その時に擦れ違ったマネージャーに、短く、紗枝を捜しに行くことを伝える。
俺の感覚さえ間違っていなければ。
そんな風に、思考を働かせて。
紗枝に会った瞬間に感じた、それは。
遠い昔に味わったそれに、とてもよく、似ていて。
初めて見たのは、少し人見知りの強い、そんな表情だったけれど。
そういう部分でさえ、あの頃に感じたものに、そっくりで。
だから。
彼女と同じように。
『あき』と――同じように。
どこかで泣いているんじゃないかと、勝手に思っていた。
それなら。
捜し出すのは、俺の役目だと。
なぜかそう、考えていた。
控え室にはきっと、まっすぐには戻っていないだろう。
そこ以外に、一人になれる場所…。
考えて、考えて。
見当を付けたその場所で、くすん、と小さく響いた音に、そっと扉を押し開いた。
非常階段のそこで。
小さく蹲って、ハンカチを目元に押し当てているようで。
わずかに俯けた瞳には、背中しか映らなかったけれど。
その姿がやっぱり、『あき』にそっくりで。
俺は足音を立てないように気を付けながら、紗枝の隣りに座り込む。
その瞬間、紗枝はビクッと肩を震わせたけれど。
「大丈夫か?」
声をかけた俺に、ゆっくりと顔を上げた。
同じだ、と。
いつかと同じ光景を見ているような気になって。
気が付けば、彼女の頭を撫でていた。
泣いている理由はわかる。
知っている。
駆け出しで。
この仕事を、はじめたばっかりで。
後ろ盾は何もなかったから、自分で勉強をしていくしかなくて。
俺は…やる気、なかったから。
洋子姉さんが、必死になって、フォローに回ってくれていたみたいだったけど。
彼女にはそれが、ないから。
「わかっては…いるんです」
呟いて。
彼女は軽く、目元にハンカチを押し当てる。
「何を?」
「この仕事、私には……向いてないって」
「やる前から、決め付けてるのか?」
「………」
「おまえは期待されてる。だから、ここにいる」
「……でも時々、それが重くって…」
「そんなのは、逃げにしかならない。そんなことは、わかってるんだろ?」
無言で彼女は、少し考え込んで。
それから、躊躇いがちに、コクンと頷いた。
そんな彼女の頭を一撫でして。
「プレッシャーに耐えられるのは、自分に自信を持ってるやつだけだ」
「………」
「自分に自信がないなら、とりあえず、自信を持つこと、だな。期待されてるっていうのは、逆を言えば、おまえだからできるって思われてるってことなんだし」
「あ…、そうです、よね……」
「そう考えれば。自信に変えていくことは、苦じゃないだろ?」
顔を上げて、彼女は「はい!」と答えてくれた。
笑顔まで、ダブって見えて。
俺は一人で、わずかに苦笑して。
それから――考えていた。
立ち上がって、階段を上へと上って。
スタジオへと戻る、その後ろ姿を追いながら。
目に見える幸せ、その意味を。
彼女が欲しているのは、こういうことなのだろうかと。
俺が、誰かべつの。
彼女じゃない、誰かのそばにいること。
そこで、穏やかに微笑んでいること。
そういう…ことなんだろうか、と。
だとしたら。
彼女と一緒にいるのは、いいことなのかもしれない。
『あき』と一緒にいるような感覚に陥るから。
それなら。
俺自身の目的とも、うまく……かち合うし。
「葉月さん!」
ずいぶん前を歩いていたはずの紗枝の姿が目の前にあって。
俺は大きく、目を見開いた。
少し怒ったような表情で、彼女はそこにいる。
「…どうした?」
「やっぱり。私の話、聞いてなかったんですね?」
「……悪い」
「いいです。その代わり、今日の夕飯、奢らせてください」
「?」
くるりと背を向けて、彼女はまた、歩き出して。
俺は慌てて、その隣りへと付く。
「紗枝?」
「だって…さっき、励ましてもらっちゃいましたし。そのお礼、したいんで」
呟くように言って。
紗枝は俺を見上げて、笑う。
少し照れが入っているかのようなそれでさえ、いつか見たようなもので。
俺が彼女を置いていかなければ。
すぐに戻っていたなら。
こんな風になっていたのかもな…なんて、ぼんやりと思いつつ。
承諾した。
シナリオ狂……。
そんな風に、話をしながら、思っていた。
『なるほど。接点としては充分ですね、確かに』
そして、そんなやつに相談してる俺も俺だと、頭の片隅で思う。
彼女と俺が付き合っていた頃は、あんなにも相対していたのに。
別れた瞬間に、こんな風に、電話をして。
俺の話を聞いてくれる理由を問えば、確実に。
『そんなの、玲のためですよ。あなたのためではありません。絶対に』
そう、答えてくれるんだろうな、なんて、小さく笑っていた。
『何笑ってるんですか?』
目敏く見つけられて。
俺はすかさず、「べつに」と短く答える。
今の彼女と、電話の相手は。
確かによく似ていて。
電話口からは、ペンを走らせる音が微かに響いてくる。
「どう思う?」
『どうって…いいんじゃないですか?
葉月さんが決めることですから、そういうことは』
「……だな」
『ええ。私が決めることじゃないです。葉月さんが一緒にいて、苦じゃないと思うなら、それでいいんじゃないですか?
何なら、付き合う前から、派手に動いてください。人目に付くところで二人っきりで遊ぶとか』
「どうして?」
『友達同士でだってやるでしょう? 玲と高校時代、遊びに行ったようにやってください』
「…そうじゃなくて」
『ああ、理由ですか? 紗枝さん…でしたっけ?
その人の逃げ道を塞ぐためですよ』
「?」
『葉月さん、有名人ですし。相手の女性だって、そうなんでしょう?
だったら、マスコミが放っておくわけ、ないじゃないですか』
「………」
『雑誌とかにでかでかと載れば、相手の人だって、そういう存在として見はじめるし。玲だって、よかったって、そう思うに決まってます』
「そうか」
『ええ。ですから、どうぞ二人で遊びにでも出てください。口実はいかようにも付けられるでしょう?
どうせ、彼女をイメージしたものとか、考えてるんでしょうし』
言い当てられて、何も言えなくなって。
俺は失笑を零すことしかできずに、開いていたスケッチブックに目を落とした。
『イメージが固まらないから、少しの間でいいから、一緒に過ごしてほしいとか。そういうのがいくらでも、あるじゃないですか』
「…だな」
『そうですよ。というわけで、それをやってください。それと、ここから先は、全部尽くんに託しますから』
「? どうして?」
『私だって暇じゃないんです!
そばにいる人間の方が、相談しやすいでしょう?
それに、私はあなたのこと、ダイッキライなんですから!』
「………」
『あなたと話しているだけで、はっきり言って、嫌なんです。じゃ』
言い終えたと同時に、電話を切られて。
俺は耳のそば、受話器から聞こえた、その大きな音に、顔を顰めた。
受話器をしばし見て。
ため息を吐きながら、ゆっくりと、受話器を下ろす。
彼女のそばで、彼女を見続けてきた人間からしたら。
確かに俺は、嫌う対象なのかもしれないと、ふと考えた。
彼女のことをよく知っている人間ならば、決して取らなかっただろう態度。
行動を。
彼女のことをよく知っていたにもかかわらず、俺は取ってしまったのだから。
ばかだと言われても、仕方がなくて。
そう、罵られても、俺には反論できなくて。
描きかけのそれを見ながら、何をやってるんだろうと、ポツリと思う。
俺の幸せは、彼女の幸せだったはずで。
彼女と共にいることが、俺の幸せだったはずで。
それでも彼女と離れてしまった今は。
彼女と共にいることで満たされていたはずの、俺の幸せは。
どこかで箍が外れてしまったのか、道を踏み外したのかは、わからないけれど。
二人の歯車は、どこかでかけ違えて。
べつの方を、向いてしまった、今は。
そうやって、彼女と離れてしまった、今は。
その幸せを追うことも、許されなくて。
触れたいと願うのは、ただただ、俺ばかりなのかも、しれなくて。
そう。それなら。
「俺は俺の目的を…まずはクリア、しないとな」
小さく声を発して、スケッチブックを閉じる。
俺の幸せは、彼女の幸せ。
それは、変わらないはずだから。
彼女が幸せそうに微笑んでくれることを期待して。
俺のその姿を見て、少しでも、笑ってくれることを、期待して。
携帯の、その新しく入れられた番号を、画面に映し出していた。
誰かの声が聞こえた気がして、俺は顔を上げた。
暗闇の中。
川の音に混じって。
それは、俺の耳へと届けられて。
「おいで」
けれどそれは、俺に向かって投げられているんじゃなかった。
川の向こう側。
その場所に、二つの気配。
やっぱり向こう側には、誰かいるのか、なんて、考えて。
「こっちへおいで。おまえはいい子だから、頭を撫でてあげるよ」
言っているのは誰か。
言われているのは誰か、なんて、わからないけれど。
川の向こうでのやり取りは。
言われていた方の気配が、ダッと走り出したことで、終わった。
何となく、その気配を追って、俺も走り出す。
下流へ。
下流へ。
そして、その声は聞こえ出す。
「しってるの」
いつか聞いた、その声だった。
ああ、おまえか。
思いながら、川岸に立って。
暗闇へと、瞳を向けた。
「しってるんだ。あのひとのてには、きれいなとげがあるの」
刺?
「あのひとのてをとったら、わたしはずっと、また、うそをつかなくちゃいけないの」
「だからわたしは、だれのても、とれないの」
そういうことか、なんて。
声を待って。
俺は川の流れへと、瞳を向ける。
「とげはいつしか、やいばになるの」
「さいしょは、チクンッてするていどだったのに」
「いつしか、わたしのこころをずたずたにきりさいていくの」
「だから。だからね?」
「だれかのそばにはいたいけど」
「じぶんをまもるためには、だれのても、とっちゃいけないの」
その考え方も、俺にはよくわかって。
わかってしまって。
小さく、手を握り締めた。
その刺は。
刃は。
きっと俺にも……ある。
わかっていたのに、手を取ってくれた彼女の心に、刺を刺して。
そしていつしか、切り裂いてしまった。
だから、今の俺の立場は。
その…罰でしか、なくて。
だから今の俺には。
川の向こう岸にいる誰かにも、手を差し伸べてやることは、できなくて。
声をかけたら、どこかに行ってしまうだろうから。
それも嫌で。
できなくて。
「わたし、どうしたらいいのかな?」
その問いにも。
やっぱり俺には、答えを出すことは、できなくて。
「だれかのそばにはいたいの」
わかるよ。
ひとりは嫌だから。
淋しいから。
怖いから。
こんな暗闇の中だったら、なおさら。
「でも、じぶんをまもるためには、そばにいちゃ、いけないの」
それも、わかる。
自分は大事で。
自分がなくなってしまったら、きっと。
どう接していいのかが、わからなくなってしまう。
「いいこでいたいの。でも、うそつきになりたいんじゃないの」
「ひとりはいやなの」
「でも」
その先を、声が綴ることはなくて。
耳に届いたのは、パシャン、という、水の音だけだった。
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