空が青く見えるのは
空を構成する その分子の色

そう…教えてくれたのは彼女で

でも そんなことはどうでもよくて

空は青い方がいい

そう言った俺に
彼女は一瞬 きょとんとしたあとで

くすくすと笑っていた

そうだよね と 含み笑いで答えて

すぐに
俺の言葉に 同意の言葉を紡いでくれた




Bridge 〜 突然 〜





パソコンの電源を入れて。
飛び込んできた、新着メッセージを知らせるそれに、俺は小さく、息を吐いた。
俺がどんな気持ちでいようと、こうやって。
周りでは着実に、仕事の話は進行していく。
知っているだけに、深く深く、息を吐いて。
俺はそれを、開いた。
けれど、そこにあったのは、仕事のものではなくて。
『佐倉光太』……と。
件名には、それだけで。
「…光太…さん?」
小さく呟いて、俺はその文面へと、目を移す。
そこには10桁の数字。
自宅の電話番号なのか、見たことのないそれに、俺は携帯へと手を伸ばした。
『掛けてきて。力になれるかどうかは、微妙だけどね』
下に書かれていた文字に、俺は番号を押していく。
何度かのコール音の間に、べつの紙にその数字を書き取って。
メールを消去しようとした、その時に。
『はい』
と、耳に声が響いた。
不機嫌で。
女の声で。
「…葉月」
『……バカですか?』
言われて、眉間に皺を作る。
と、慌てて、べつの人間が電話に出た。
『葉月くん? 俺。光太』
発された声に、少しだけ、安堵して。
「メール、見ました」
『だろうね。しかし、本当に掛けてきてくれるとは思ってなかったから、よかったよ』
「そうですか」
『あ、それと。メールの最後の文章は、気にしなくていいから』

最後の文章?
思いながら、まだ削除していなかったメールへと目を向ける。
下へとスクロールして。
随分下げた場所に、それはあった。
『バカですか? バカでしょう? 玲の本当の部分、あなたは見えてなかったんですね。あなたに託した自分もバカですけど』
そう、書かれていて。
電話口からは、小さく、「気にしろー!」って声。
俺は苦笑を零して。
「気にしてるよ」
そう、言葉を綴った。
『いや、気にしなくていいって』
拾ってくれた光太さんはそう言って。
『玲ちゃんから、話…って言うか。端的に、麻衣がメールを受けただけなんだけど。麻衣がめちゃくちゃ怒っててさ。俺にも怒れって言うんだけど……、俺、葉月くんの立場と似てるだろ? だから、怒るに怒れなくてさ』
言葉を聞きながら、削除をして。
俺はパソコンの電源を落とす。
彼女からのメールは来なくて。
連絡は、一切、入っては来なくて。
『何があったかは、見当付くよ。俺と麻衣の間にも、実はあったからさ』
綴られた言葉に、俺はいすに座り直す。
光太さんの後ろで騒いでいた声も、静かになっていて。
いるのかいないのかは、わからなかったけど。
『相手に負担掛けないようにって、本当のことを言わないんだ。して欲しいこととか、自分がしたいこととか。言わないし、やらないんだ。で、我慢して、別のことで代わりにしようとする。相手の代わりなんて、何もないのに。誰もいないのに』
「……」
『それをわかってて、なおだから、始末が悪いわけ。俺と麻衣は、距離が離れてた。絶対、淋しい思いをさせてるってわかってた。でも、それを聞くと、麻衣は必ず、平気だって答えた。玲がいるから平気。そうやって』
「………」
それが、意味するのは?
話の流れから行けば、会いたいけど、自分のこの気持ちは、相手にとって負担になる。
だから、嘘を言って、我慢していることを悟られないようにしてるってこと。
それを。
彼女に当てはめたとしたら?
『玲ちゃんは、麻衣の影響を受けてもいるし。麻衣も玲ちゃんの影響を受けてる。だから、二人はよく似てる。服の好みも、アクセサリーの付け方も。だから…、よく考えてごらん。俺らだって、実は。一回壊れて、元通りになってるんだから』
含み笑いで言ったのは、やっぱりそばに、月宮――今は佐倉か――がいるからで。
何も言えずにいる俺の耳には。
今度は、少し高い声が入ってくる。
女にしては、低いけれど。
それでも、男からしたら、高いそれが。
『葉月さん? 麻衣ですけど』
そうやって。
「ああ」
『玲はあなたには本当のこと、言ってたと思います。でも、大半が嘘です。だから、あの子が悩んでいたことだけ、教えます。私が知ってる、一番のあの子の悩み』
「悩み?」
『…普通の彼女って、どういうんだろうねって』
「………」
『大半が嘘って言うのは、ここからわかっていただけるかと。あの子があなたに負担を掛けないためにと取った行動。わかりますよね? あの子は普通じゃない。特殊なんです。みんなとは違う。――わかりますよね?』
ここまで言われて、わからない、なんて言えるはずがなくて。
俺は、そういうことかと、ポツリと零した。
彼女が、彼女らしくない行動を取っていた理由。
その取り方。
それを思い出して。
『とりあえず、私から言えるのは、あと、もう一つだけ』
「?」
『自分の幸せ、見つけてください。出来るだけ、早く。あの子のそばにいるよりも、じゃなくていいですから、それなりの幸せを』
「それは…」
『あの子がきっと、今、一番望んでいることです。あなたの幸せ』
言われて、ズキンと、胸が痛んだ。
自分のではなくて?
俺の?
そんな風に、思考が回る。
『あの子はかなり、思考が幼稚なんです。わかるでしょう? 単純なことで、結構喜んでくれる。かと思うと、複雑なことをすると、微妙な反応しか、見せてくれない。だから、目に見える形で、幸せになってください。じゃないと、あの子が救われないから』
それじゃ。
加えて、電話は切られる。
通話を終えたという、その音が、耳に容赦なく、入ってくるけれど。
俺はまだ、携帯を耳に、当てたまま。
幸せ。
目に見える形での、幸せ。
それは…どういう意味だ?
わかっているのに、俺は、それを認めたくなくて。
俺は思考を働かせ続ける。
彼女のそばにいる以外の、目に見える幸せ。
……それは?
考えながら、携帯を耳から離す。
わかっているけれど、わかりたくないそれは。
たった、一つのことを示していて。
俺はその考えを払拭するように、緩く頭を振った。
それから、手にしていた携帯のその画面を見る。
彼女からの連絡はない。
あのCFの仕事の。
その謝罪の言葉も、俺には直接はない。
から、直接の謝罪の言葉を聞きたくて、彼女の番号に、電話をかけ続けて。
もう。
一週間。
確実に避けられていると感じるには、充分すぎるほどで。
なぜなら彼女は、着信履歴を見たら、一度は返してくるから。
コール音は、たった一度で途切れるけれど。
それでも、受け取ったという、その意思表示だけは、してくれるはずで。
けれど、この一週間。
彼女からの着信は、一切――ない。
確認して、俺は。
ゆっくりと、音を立てて。
それを閉じた。


夢。
これは夢だと、わかっている。
俺は暗闇の中にいて。
動けるけれど、どこに行けばいいのかわからなくて。
視界は利かないけれど、耳は周りの音を拾ってくれていた。
左手には、川があるらしくて。
水の流れる音。
大きいのか、小さいのかは、わからない。
そばへと寄ってみても、見えるのは足元ぐらいのもので。
流れは結構、速そうだった。
底は見えなくて。
見えるのは、流れていくもの。
けれどそれが、何なのかは、わからなくて。
俺は小さく、首を傾げた。
拾い上げようと、手を伸ばす。
丸いカプセルに入っているそれは。
誰だかわからない人間の思いのようで。
映像が流れ続けていた。
理由のわからないまま、俺はそれを、川の中へと戻す。
音も立てずに、それは水の中へと沈んで。
そしてすぐに、流されていく。
それを目で追って、俺は川沿いを歩きはじめた。
ここがどこか、なんて。
俺は考えてはいなくて。
ただ、どこへ行けばいいのか。
ほかに誰かいないか。
それだけを考え続けて、歩を進める。
川下へ向かって。
そうすれば、海に出るんじゃないかっていう、考えからなのかもしれないし。
ただ、進んでしまったのが、そっちだったからっていうのも、あったけれど。
川の向こう岸は見えない。
暗闇に包まれていて。
見えるのは自分の姿と。
俺のいる、極々、周辺。
聞こえるのは川の水の流れる、その音。
途中、俺はなぜか、足を止めた。
川の向こう岸へと目を向けて。
ただただじっと、目を凝らす。
小さな気配が、そこにはある。
そんな気がして。
音にかき消されそうなほどの、それを。
それが動くのを、俺はただただじっと、待ち続けてる。
その時。
パシャン、と。
よく耳を澄ませていなければ聞き取れないほど小さく、音が立った。
次の瞬間には、ギシッと、軋む音。
何が軋んだのかは、わからないけれど。
もしかしたら、こちら側には無い物が、向こうにはあるのかもしれない。
「……――…」
そう考えはじめれば、声が響いた。
何を言っているのかは、わからなくて。
俺はもっと、耳を澄ませる。
「……だれも、いないの…」
聞こえた声は、とても幼くて。
俺は思わず、息を呑んでいた。
「いいこでいたのに。みんな、どこにいったの?」
泣き声をわずかに含んで。
その声は、俺へと届けられた。
川の音が、煩いと感じてしまうほど、その声は小さくて。
気をつけていないと、聞き逃してしまうほどで。
「いいこでいたの」
「したいこともせずに、みんなにめいわくをかけないことだけ」
「それだけをしつづけてたの」
「なのに、だれもいないの」
「みんな、わたしのこと、きらいになっちゃったのかな?」
「いいこでいたのに、きらいになっちゃったのかな?」
「いいこでいちゃ、いけなかったの?」
「したいことをして、みんなをこまらせても、よかったの?」
次から次へと、疑問が上って。
俺には、そのどれにも答えは出せなくて。
視線を俯けた。
矛盾の塊。
いつかの、彼女の言葉が思い出される。
自分の言った、その言葉に責任を持てない。
『いい子』でいろと言われたから。
川の向こう側にいる子供は、型通りの『いい子』で、居続けた。
大人を怒らせることもせず。
『いい子』でずっと、居続けた。
したいことがあったら、してもいいと言われても。
本当にしたいことはせずに、当たり障りのない。
『いい子』が選ぶようなことばかりを、し続けて。
けれど、そういう子供は、大人から見たら、つまらないと思われる。
面白味のない、子供だと。
本当に――矛盾、してるな。
「いいこでいたの」
わかってる。
「ずっと、ずっと。いいこでいたの」
ああ。おまえの気持ちは、よくわかる。
わかってる。
「でも、うそつきになりたいわけじゃ、なかったの」
それも、わかってる。
俺は、困らせたくなくて、感情を殺したけど。
おまえは、自分を殺したんだよな?
周りにいる、誰をも、困らせたくなかったから。
誰にも、迷惑をかけたくなかったから。
「でも、うそつきになっちゃうの? いいたいこといわなかったら、うそつきになっちゃうの?」
……かも、しれない。
「わたし、うそつきなの?」
「だから、だれもいないの?」
「わたし、いいこでいたのに」
「いつのまにか、わるいこになっちゃってたの?」
「だから、だれもいないの?」
「なにがわるかったの?」
「わたし、なにかわるいこと、したの?」
今にも泣き出しそうな声が、響いてくる。
俺は何も言えなくて。
ただただ、その、叫びのような。
心からの叫びのような声を、聞いているだけ。
どんな子供なのかもわからず。
確認する、術も持たず。
ただただそこで。
声を聞いているだけ。
いつかの自分と、重ねあわせながら。
それを。
聞いているだけ。
――――……。

携帯から流れる音で、目が覚めた。
カーテンの隙間から射し込む光に、目を細めるけれど。
それはどこか、ぼやけていて。
目元を擦るべく、そこに手をやれば。
涙が…そこにはあった。
夢でも見てたのか? 俺……。
考えるけれど、思い出せなくて。
俺はそれを拭ってから、身体を起こした。
音を止めて。
画面を見る。
メールが一通、届けられていて。
けだるい身体を何とか動かしながら、それを開いた。
差出人は、マネージャー。
今日の仕事について、それは書かれていて。
時間を見れば、もう起きなくてはならない時間だったのだと、ぼんやりと思い出す。
朝食の用意は、自分で。
誰もしてはくれないから、自分で。
起きるのも、ひとりで。
起こしてくれる人間など、この家には誰もいないから、自分で。
彼女が、この家に来る前までやっていたこと。
できていたことが。
今はこんなにも、やる気になれなくて。
できなくて。
俺は一つ、息を吐いた。
二人で寝ていたはずの、大き目のベッドは。
俺一人じゃ、広くて。
時折、溺れそうになる。
そんな感覚に、陥ってしまう。
それでも俺は、そこから手を伸ばして。
カーテンを思い切りよく、引いた。

今日の仕事を反芻しながら、その扉をくぐる。
自動で開いたそれの、間を擦り抜けるようにして。
ファンなんです、なんて、かけられる声を、半ば無視して。
二重のそれの。
二つ目が閉まったことを耳で確認したあとで、俺はかけていたサングラスを取った。
着ていたジャケットの、胸ポケットに押し込んで。
ゆっくりと顔を上げた、その時に。
その姿は、俺の目の前に、晒される。
手には携帯。
誰にかけるのかわからないけれど、携帯を手にして。
空いている片手は、ポケットの中。
髪型は同じ。
後ろで一つに縛って。
そんな彼女が、俺に気づかずに、歩いてくる。
何を言えばいいのかわからなくて。
口から出たのは、彼女の名前だけ。
「…玲……」
と。
本当に、絞り出すようにしてしか、紡げなかった。
そんな俺に、彼女はふっと笑みを零す。
嬉しそうに。
でもどこか、悲しそうに。
哀しそうに。
そう見えるのは、俺の願望も、入っているのかもしれなかったけれど。
「や、久しぶり」
彼女はそう言って、足を止めることなく、片手を振る。
さっきまで、ポケットに入れていた、その手を。
彼女はひらひらと振りながら、俺の前まで、歩いてきた。
手を伸ばせば、届く距離。
触れられる距離。
けれど、俺にはきっと、そうすることは、許されていない。
そんな――距離。
本当は、その手を取って。
捉まえて。
彼女の身体を抱き締めたくて、仕方がない。
本物かどうかを、確かめたい。
それでも俺には、そうすることは、許されてはいないから。
我慢することしか、できなくて。
おまえは違うのか?
俺に、触れたいとか。そういうことは考えないのか?
考えながら、彼女を見続ける。
と、彼女の表情が、すっと、変わった。
「ビデオ、見させていただきました」
「あ、ああ……」
言葉に、仕事の話だと、認識する。
今許されている、俺と彼女の関係。
今、はっきりと、俺と彼女の間に存在する繋がり。
それは仕事なのだったと、改めて、思い知らされる。
「あのさ、僕、台本に笑うように書かなかった?」
「………」
「CMの話を受けたんなら、しっかりやりなさい。僕は君ならできるって思ってるから、ああいう風に書いたんだし」
「……それは……」
「僕の所為?」
「………」
笑えるわけがないだろう、と。
そう、言いたいのに、言えなくて。
彼女が綴った言葉に、何も言えなくなった。
彼女のせいじゃない。
俺のせいだと。
あれはきっと、俺のせいなのだと。
そう言いたいけれど。
彼女は自分のせいだと、思っているから。
ここでそれを口にしても、彼女に言い包められて、終わってしまう。
だからこそ、何も言えない。
ああ言われたら、何も言えなくなってしまう。
きっと彼女は、それを知っていて。
そして、ああ言ったんだろう。
それは、容易に、考え付いた。
「言ったはずだよ。芝居をやる気なら、いくら悲しくても笑わなくちゃって」
「………」
「それが出来ないなら、もう受けないこと」
じゃね。
別れを告げる、短い言葉と。
ポンッと、軽く叩かれた肩。
どちらが彼女の本心に、より近いのだろう?
少しでも触れたいと思ってくれたから、肩を叩いてくれたのか。
それとも、さっさと離れたいから。
忘れたいから…と。
短く、別れの言葉を綴ったのか。
どちらが、彼女の思いの、核心を突いているのだろう?
わからなくて、横を通り過ぎていった、彼女の姿を見続ける。
見落としそうなほど、わずかに。
肩が下がる。
息を吐いたのか、何なのか。
それはどちらの安堵からなのか。
俺の中に、また疑問。
見続ける背中は小さくて。
追いかけて、抱き締めて。
行くなと縋り付きたいのは、俺の方なのだと、実感する。
けれど。
「僕はこれでお仕事終わりなんだよー」
戻ってきてはくれないことを、彼女自身が告げる。
仕事はない。
だから、俺と一緒にいる、意味もない。
振られた手は、きっと。
いつもそうしているから。
癖のようなものだから。
俺に引き止めてほしいから、じゃ。
きっと――ない。
自分から彼女に触れることができなかった自分自身の愚かさと。
彼女が俺に望むもの。
その二つを考えながら。
俺は奥へと、歩を進めていった。

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