二人とも 猫好きだから
下手に ペットショップとか
触れあえる場所に行くと 厄介で

俺は 擦り寄られても 程々ですますのに
彼女はほんの少し 相手にしただけで 懐かれてしまって

帰るに帰れない なんていう状況は しばしばだった

座れば 膝の上に乗られて

そのままにしていれば 今度は肩の上

しかもそれは
一匹では終わらなくて

最低でも 二匹

どうにもならなくなってくると
彼女は俺に 助けを求めてきてた




Bridge 〜 胸中 〜





今日という日が何の日かは、もちろんわかっていて。
わかっていたけれど、何も用意せずに、そこへと車を走らせた。
ただ、ポケットには。
三ヶ月ぐらい前まで、彼女の左手の薬指に納まっていた物を、忍ばせてはいたけれど。
車を駐車場へと停めて、外に出る。
見上げた空は、今にも泣きそうな色をしていて。
俺はそこから、視線を外した。
真っ直ぐに出入り口へと歩いて。
瞬間、纏わりついたものに。
一瞬だけ、目を細めたけれど。
それらをすべて、無視するように。
シャットアウトするように、歩を早める。
入り口のそばのエスカレーターを上がって。
二階の診察室を横目に、なおも進んだ。
外来の、その診察室が並ぶ廊下を抜ければ、一気に人の数は減って。
動く人間でさえ、俺と、あと数人になる。
奥のエレベーターに、一人で乗り込んで。
四階の、そのボタンを押した。
好奇の目から逃れられたことに、安堵して。
大きく、息を吐く。
けれどすぐに、箱は上昇を止めて。
扉は開いて。
開けた視界のどこにも、人がいなかったことに、また安堵の息を吐いた。
できるだけ、足音を立てないようにして歩く。
ドアが開いたままの病室の。
その中から聞こえる声にも、耳を貸さずに。
たった一つの、そのドアの前まで歩いて。
中の様子を伺いながら、そのドアに手をかけて。
開けたの……だけれど。
「…玲?」
そこは、もぬけの殻だった。
一つの場所にじっとしていないのは、彼女らしかったけれど。
今日は、ここにいてほしかったというのが、本音で。
それでも俺は、彼女を捜しに行くために、踵を返した。

夢の中で『あき』に会った、そのことの意味を。
俺なりにずっと、考えていたのだけれど。
考えることもなく、それは一つのことを差している。
彼女は――本当の意味で、信じることをしてはいないのだと。
それだけで。
心の底から信じることを、してはいないのかもしれない。
考えて。
それが、彼女の言っていた、『信じて利用する』ことに繋がるのかも、しれなくて。
信じ切れないから。
利用してしまうのかも、しれない。
目の前の扉を横へと引いて、また、空の下へと出る。
相変わらず灰色のそこに、視線を向ければ。
キシッと、小さく軋む音が聞こえた。
前方へと、視線を投げて、その音の出所を探る。
青いベンチの背もたれの上。
わずかに見えた色に、ふっと笑みを浮かべて。
俺は歩き出す。
「遊びに行きたいなー。海行きたい。ご飯美味しくないから、美味しいもの食べたい。猫さんと遊びたい」
聞こえた言葉に、くすくすと笑う。
「映画観に行きたい。水族館行きたい」
そのすべてに応えてやることはできるな。
そう考えて。
でも、猫と遊ぶっていうのは…ちょっとさせられないな。
俺的に。
空を見上げて、思ってた。
彼女の瞳は、その色を隠したまま。
俺に気づいた様子はなくて。
また一歩、近づいていく。
「そう言えば博物館でバイクの展示会やってるって言ってたなー、ニィやんが」
「行きたいのか?」
「そりゃぁもう!」
声をかけた瞬間。
彼女は身体を起こして、ぐっと拳を握ってた。
けどすぐに、表情には疑問の色が浮かぶ。
その、次から次へと変わるものに、俺はとうとう笑い出して。
彼女は俺を、瞳に映してくれた。
から。
「ほかには?」
そう、続きを促してみた。
「植物園行きたい。有沢さんのお店も覗きたい」
かまわない、と。
その意味を込めて、一度だけ頷く。
けれど彼女は、もう俺を見てはいなくて。
どこか固い笑顔は、雲で覆われた空へと向けられていた。
わがままだとしか取れない、それは。
――彼女なりの、宣言だったのかもしれない。
退院したら、必ずやるぞっていう。
その証拠に、右手は空へと突き上げられる。
本当は、両手を掲げたかったのだろうけれど。
それで俺は、彼女の左腕が、まだ動かないことを知って。
そんな彼女の姿を見ていられなくて、俺はその右手を、自分の左手で包んだ。
驚いたのか、彼女は急に振り返るようにして、俺を見て。
瞳を、大きく見開いていて。
けれど俺は。
それを無視して、彼女の身体を、引き寄せる。
抵抗も何もなく、彼女は素直に従ってくれて。
ベンチから腰を上げた。
「部屋、戻るぞ」
「………」
「雨が降る」
「えーと…、勘?」
「勘」
綴られた問いに、短く答えながら。
彼女のそばにあった、ノートとペンを拾い上げる。
手を引いて、歩き出して。
握り返してはくれなかったけれど。
彼女の手の暖かさを感じながら、無言で歩いた。
彼女も無言で。
廊下を過ぎて、階段を降りていた、その途中。
彼女の歩みが、不意に止まった。
「玲?」
振り返れば、彼女は視線を伏せていて。
何かを考えているような表情をしていた。
唯一動く右手を、俺が掴んでいるせいで。
彼女は口元を覆うこともできずに、ただ考えている。
そして。
「カンノン…?」
そう、口を開いた。
「?」
「有沢さんがくれるって言ってたんだ」
「有沢が?」
「そう。お店の、持ってくるからって。何だっけ? カンノン……」
「カンノンチク?」
「多分、それ」
「どうして?」
「知らない」
「………」
見ていると、彼女はまた、顔を伏せる。
そのまま、彼女は歩を進めて。
手を離すつもりはなかった俺は、彼女に引きずられるようにして、歩き出した。
階段を下り切って。
ほとんど無人の、廊下を進む。
開けたままだった扉から、病室に入って。
俺は手近な棚に、持っていたものを置いた。
それでももちろん、手は離さない。
離したくなかったから――離さない。
「調べたいことがあるんで、離してください」
言われて、彼女を見れば。
彼女はたくさんの本の前にいた。
「何を?」
「調べたいこと?」
「ああ」
「花言葉」
「カンノンチクの?」
「そう」
「『素直』…だろ?」
有沢から、なぜかそれだけは教えられていて。
というより、そうメールが来ていたから、知っていて。
俺はそれを、口にする。
「『素直』?」
俺の顔をじっと見て、彼女は言う。
「ああ」
何か、縋るような視線に。
俺は短く、答えを返した。
「……『素直』…」
彼女はまた、顔を伏せてしまって。
俺は彼女のそばへと、寄っていく。
目の前に立てば、開け放ったままだったらしい窓から、風が吹き込んだ。
外から聞こえてくる声が、子供たちのものだと気づいたけれど。
それよりも気になるのは、目の前の彼女。
「玲、どうし……」
「…紗枝さんは?」
遮られての問いに、わずかに驚いた。
それでも、聞きたいだろうとは思っていたから。
それほどじゃ…なくて。
「あいつは…、おまえに謝りたいって言ってた。仕事辞める、とか言ってたけど、それは周りが止めてる。おまえも、それは嫌だろうから」
「うん。紗枝さん、綺麗だし」
「言うと思った。だから、それを言っておいた」
「…そっか」
「ああ。そしたら……」
思い出して。
言っていいものかどうかも、考えて。
俺はそこで、言葉を切る。
手を強く握れなくて。
ただじっと、彼女の瞳が向けられることを待っていた。
それはきっと、俺の中では、許しのようなもの。
事実のあとに紡ぐ言葉を、言ってもいいという――許し。
そうやって、沈黙が続いて。
彼女がゆっくりと。
躊躇いながらも、顔を上げてくれて。
それが嬉しくて、ふっと笑った。
「振られた」
「………」
「当たり前だけどな。紗枝は、おまえの代わりだったから」
驚いたように、ほんの少しだけ、彼女が目を見開いて。
それでもすぐに、その蒼い瞳は、涙で濡れはじめた。
彼女が泣いてしまった理由は、わからない。
わからないけれど。
抱き締めてやりたかった。
そのためには、資格が必要で。
「やり直せないか? 俺達」
「………」
「虫のいい話だっていうのは、わかってる」
何も言ってくれないことに、怒っているのかと、そう思った。
けれど、彼女は首を振って。
ぎゅっと、手を握り返してくれる。
視線は外されてしまったけれど。
まだ俺たちは、繋がっていたから。
かまわなかった。
信じる心を。
それを持っていた、『あき』を。
彼女に返してやりたかった。
「あの、ね?」
「ん?」
「わたし、すっごいわがままなの」
「ん」
「珪が仕事に行っちゃうとね、すぐに寂しくなるの。そばにいてほしいの。そんなこと――無理なのに」
「……ああ」
なぜか、夢の中の『あき』と、彼女が重なって。
それで、思い出してくれればいいと、そう思っていた。
あの、小さな存在を。
あの、暗闇の中。
ただただ、待っていてくれている、そんな存在を。
そして、迎えに行ってやってくれと。
「別に、珪が誰としゃべっててもかまわないの。わたしだって、珪以外の人と、話してるし」
「…ああ」
「でもね、ひとりにされるのは嫌なの。怖いの」
名前を呼んでくれたという、そのことで。
戻れたのだと、そう感じた。
それから、額が、胸へと押し付けられて。
久々の、その重みが。
不謹慎にも、嬉しくて。
ほっと、息を吐いてくれたのが、音でわかって。
それでさえも、嬉しくて。
抱き締めたくて、仕方がなくて。
「ごめんね? 重いよね?」
「………」
「言いたくなかったの。ずっととか、そういうの。だって嫌でしょう? 一緒に暮らしてたのに、それ以上に、だもん。わがままなのわかってたから、言わなかったの」
言ってくれてよかったのに、とは思ったけれど。
あの頃の俺には、そんな余裕、なかったかもしれない、と、考え直した。
なら、離れたことは。
離れる…ことは。
俺たちには、必要なことだったのかもしれない。
紗枝には、悪いことをしたと。
その、罪悪感は、きちんとあるけれど。
それでも、そう思った。
彼女が、身体を起こす、その瞬間を見計らって。
俺は手を離す。
そして。
逃がしたくなかったのと。
抱き締めたかったのとで。
俺は彼女の肩を抱いた。
「け、珪?」
「もう、呼び方変えるなよ?」
「え?」
「おまえに『葉月くん』って言われると、かなり傷つく」
「…………」
肩に重みがかかって。
くぐもった、けれど楽しそうな笑みが届けられる。
変なこと言ったか?
考えて。
けれど、思っていたことをそのまま届けただけだったし。
それに、彼女の笑みにも、特に悲しさとか、負の感情が含まれているわけではなかったから。
彼女の暖かさにほっとして。
彼女の背へと、手を滑らせた。
「知らなかったでしょ?」
「何が?」
肩に顎が乗せられたのか、言葉がクリアに聞こえて。
次に、背中に手が当てられる。
彼女の身体を強く抱き込んで、俺は言葉を待っていた。
「珪、一緒にいても笑わなくなってた」
「……」
「だからわたしも、笑えなかった。一緒にいて苦痛なら、離れた方がいいよ。そうすることで、珪が笑えるなら――その方がいい」
「……だから?」
「だから。別れようかって言ったの。わたしは、どんな立場にいても…珪の笑顔が見られれば、それでいいからさ」
頬を擦り寄せられて。
俺は言葉を探す。
でも、探しても探しても、それしか思いつかなくて。
俺はつい、笑みを零してしまった。
それに、顔を上げようとした彼女の行動を止めるように、俺はまた、腕に力を込める。
「やっぱりおまえ、ヘン」
背中を少しだけ丸めて、彼女の肩に、顎を落とす。
「どうせヘンだもん。オカシイもん」
「そうか」
言いながら、身体を起こして。
彼女の腰で、手を繋いだ。
離れられないことは、わかっているのに。
彼女は俺の胸に手を付いて、上半身を起こす。
俺の顔を見た途端、彼女は眉根を寄せた。
「…笑ってるし……」
「そうか?」
「うん。自覚ないの?」
「たぶん」
「…ヘンなの」
嬉しいのだから、笑ってしまうのは仕方のないことだろ?
思いながらも、言わずにおいて。
俺は彼女の額に、唇を落とす。
「約束…する」
「? 何を?」
「誓ってもいい」
「だから……」
「そばにいる。ひとりになんかしない」
「……」
「淋しくなったら言ってくれていい」
「珪……?」
「遠慮なんかしなくていい。俺…おまえが何度も別れようかって聞いてくるから、そうしたいのかと思ってた」
「だから?」
「だから、その通りにしたんだ」
そこから、ほんの数ミリだけ、離して。
俺はそれを、口にした。
それに、彼女が笑って。
俺は彼女の顔を見下ろす。
嬉しそうな、楽しそうな。
そんな笑顔が、そこにはあった。
「バカみたいだね?」
「だな」
「わたしたち、二人して相手のこと考えて…。それで沈んでちゃ、意味ないのにね?」
二人で笑って。
たぶん、嬉し涙だろうけれど。
彼女が涙を零してしまって。
俺はそれを、唇で吸い取る。
こんなことをするのも、久しぶりで。
こうして、何の躊躇もなく、触れられることが、嬉しくて。
彼女の髪を撫でた。
「明日、迎えに来る」
「うん。用意しとく」
「で、そのまま家に帰ろう」
頷いてくれることは、わかっていたけれど。
黙って頷いてくれたことに、素直に安堵する。
泣き続けている彼女の涙を、止めようとは思わなくて。
綺麗だとさえ、思っていたけれど。
笑ってほしかったから、手を使って、涙を拭ってみた。
気持ちが届いたのか、彼女は笑ってくれて。
そして、届けられたのは。
不意の、キス。
「ありがとう」
まだ、爪先立ちのままで、彼女はそう紡いでくれる。
それから、ゆっくりと、床に足を付けて。
彼女は軽く、首を傾げた。
困ったような、顔をして。
「でも、きっと大変だよ?」
「何が?」
再び繋いだ手を、離すことはしないまま。
ベッドの端へと、腰かけて。
引き寄せれば、彼女はそれに従ってくれて。
俺の両足の間に、立ってくれた。
そして、俺の首へと、右手を回してくれて。
俺は彼女の身体を、抱き寄せる。
「玲?」
彼女は少し、淋しそうな表情を浮かべていた。
それが、気になって。
まだ、彼女の不安が取り除かれていないことを知る。
「だってわたし、すっごいわがままだよ?」
「大丈夫だろ?」
「でも……」
「おまえのは、捉え方次第だから」
「……」
「確かに大変かもしれないけど。でも、簡単だって言うことだってできるだろ?」
「かも…ね」
「それに、今までの方が大変だったからな」
「今まで?」
「高校の時」
「………」
持ち出せば、彼女は言葉を失って。
俺は笑みを浮かべた。
このあとに紡がれるんだろう言葉は、もうわかっている。
「うー…ん、んじゃぁ」
「「これからも迷惑かけます」」
当たった。
思って、くすくすと笑いはじめる。
彼女は眉間に皺を寄せて、考えていて。
状況を飲み込もうと、必死で。
「あ、あれ?」
「おまえ、わかりやすすぎ」
綴って、なおも笑っていれば。
彼女は俺の肩に、また額を付けた。
そんな、彼女の後頭部に手を置いて。
俺は言葉を紡いでいく。
「わかってた、はずなんだけどな」
彼女は瞳を閉じて、ただ聞いているだけ。
静かな空間に響くのは、俺の声だけ。
「だっておまえ、わかりやすいし」
「あんまり言われると、ヘコむんですけど……」
「そうか」
「うん」
「でも、俺も考えが足りなかったのかもな」
綴って。
許してほしくて、悪い、と続けた。
でも、何を言ってほしいのかは、わかっていなかったけど。
彼女はただ、うんと言ってくれて。
頷いて、くれて。
「ごめんね?」
ついでのように、そう呟いてた。
彼女も謝りたかったのかもしれない。
けれど、もし。
それを言ったとしたら。
俺はきっと、同じ言葉を繰り返しただろう。
そしてきっと。
二人で繰り返し続けていたかもしれないから。
彼女の判断は、正しかったのかもしれない。
「明日、珪の食べたいもの、作ってあげるね?」
「じゃあ、手伝う」
「うん。ありがと」
言われて、受け止めて。
俺は彼女の髪を、撫で続けてた。
ようやく、戻ってきてくれたことが、嬉しくて。
ようやく、こうして抱き締めることができて、嬉しくて。
手放してしまったことを、こんなにも後悔したのは、初めてで。
もう絶対に離さないと。
そう、安っぽい言葉を、口にしそうになっていた。

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