たくさんの色が載せられたそれを
彼女はじっと見ていて

俺はまた
彼女が泣き出すんじゃないかと
気が気じゃ なかったのだけれど

「確かに 瑞希さんの言う通りかもしれない」

そんな風に ぽつりと呟いて

「ってことは」
「おまえもおもしろいってことだろ?」

俺が彼女の言葉に 続ければ

彼女は頬を膨らませていた




Bridge 〜 朋友 〜





彼女を隣りに乗せて、車を走らせるのは。
久しぶりのことで。
だからか、嬉しくて、仕方がなくて。
「はば学、行った?」
「卒業してから?」
「そう」
「…行ってない」
「ふーん。面白いよ? あんまり変わってなくて」
くすくす笑って、彼女はGOサインを出す。
そうやってはしゃいでいる彼女を見るのも、久しぶりで。
俺もつられるようにして、笑みを零しながら、アクセルを踏み込んだ。
「仕事、どんな感じ?」
突然の問いに、ハンドルを切りながら。
「べつに……変わらない」
そう、返す。
同じ問いを彼女にすれば。
「まぁ、ぼちぼち?」
なんて、苦笑気味に答えが返った。
ちゃんと仕事はしてる、と。
胸を張ったあとで。
彼女は質問を並べ立てる。
朝、寝坊しないで起きられてる? だとか。
スタッフさん達に、迷惑かけないでいられてる? とか。
ご飯、ちゃんと食べてる? とか。
「食べてる」
「あ、紗枝さんに作ってもらってたり?」
「…作ってもらったこと、ない。弁当でなら、一回あるけど」
「……そうですか」
「おまえは?」
「? ご飯?」
「ああ」
「………」
「玲?」
「…あのねー」
「?」
「……食べてなかった」
「………」
素直に白状した彼女の頭を、一度だけ叩く。
手を挙げた瞬間に、肩を竦ませていたけれど。
自分が悪いとわかっているから、彼女は俺のその手を妨害しようとはせずにいて。
逃げるように、窓に張りついた。
そんな彼女を固めた手の甲で、叩く。
「うー、痛い」
「おまえが悪いんだろ?」
「そうなんだけど」
「…けど?」
「でもちゃんと、昨日からは食べてるもん」
「………」
「菜穂子さんからレシピもらったんだから」
「そうか」
「そうだもん」
子供みたいな物言いに、少し笑う。
彼女がこんな態度を取るのは、俺だからで。
だから、彼女の中で、俺はまだ、特別なのだと、知ることができた。
それが嬉しくて。
窓の外へと視線を向ける彼女を、ちらりと見る。
一緒にいられていることが、本当に嬉しくて。
仕方がなくて。
俺は、この距離を守りたかったのだと。
改めて確認していた。



彼女が挨拶をした警備員に、軽く会釈をして。
グランドの一角を占領している、野球部の声を聞きながら。
校舎へと歩を進める彼女の背中を、追っていた。
光景は、いつか見たようなもので。
服がただ、変わっただけのような、気さえした。
俺が追う背中の大きさは変わらないし。
振り返る、その表情でさえも、高校時代と同じだったから。
耳に入ってくるのは、彼女と俺、二人分の足音と。
吹奏楽部の、その演奏。
「氷室先生、いるんだねー」
「だな」
「よかった。確認してなかったからさ」
彼女に続いて、教室に入る。
食事をしなかった理由を聞こうと思ったのだけれど。
でも、その理由は。
もしかしたら、俺かもしれなかったから。
口にする勇気は、どうしても出なかった。
そんな時に、演奏が途切れて。
俺は彼女を見たのだけれど。
気づいていないみたいで。
「いいのか?」
そう、声を届けた。
それに、彼女は俺を、その蒼い瞳に映して。
小さく首を傾げる。
「? 何が?」
「演奏、終わってるけど」
「………」
ほんの少しだけ、彼女は行動を止めていたけれど。
気づいたのか、慌てたように、いすからガタガタと音を立てて、立ち上がった。
その勢いのまま、教室から飛び出したけれど。
すぐに、足を止めて、彼女は俺を振り返る。
「あのさぁ」
「ん?」
「氷室先生、僕らがここにいること、知らないじゃん?」
「……だな」
「すぐに行った方がいいのはわかってるよ? じゃないと、先生は帰っちゃうかもしれないし」
「…そうだな」
「でも、いきなり音楽室に行くのも、おかしくない…?」
「………」
腕を組んで、考えて。
そんな彼女のそばへと、俺は歩を進める。
と、彼女が徐に視線を上げて。
「氷室先生!」
そう、声を上げた。
視線の先を追えば、彼女が名を呼んだ、その人がそこにいて。
彼女は大きく、手を振って、自分がそこにいることを示していた。
見ればわかることだとは思うのだけれど。
たぶん、嬉しかったから。
向こうから来てくれるとは思わなかったのかもしれないから。
まぁ、俺も思ってなかったけど。
そんな俺たちのそばまでやってきて、先生はすかさず、口を開いた。
「君はまだ、落ち着きが足りないようだな」
って。
俺はただ、くすくすと笑う。
「葉月も来たのか」
「お久しぶりです」
「君の活躍は、いろいろなところで目にしている。ところで…田端」
「はい? 何ですか?」
「この前はすまなかった」
「いえ。今日警備員さんに聞きました。あの日は、大学に行ってらっしゃったそうですね?」
「数学の講義を聞きに言っていた。素晴らしい先生がいらっしゃって……私もそうなれたらと思っている。その方の講義だったために、どうしても外せなかった」
「目標なんですね、氷室先生の」
「そうだ」
この前?
思っていても、答えはなくて。
そのまま、二人の会話は、目の前で続いていたのだけれど。
先生が大きく頷いたことで、会話は一段落したようで。
ほんの一瞬。
氷室先生の視線が、俺に向けられた。
彼女を見ていたその視線を、先生へと向ければ。
それは逸らされる。
先生はまた、彼女を見て。
口を開いた。
「それで、今日は……」
「氷室先生!」
言葉を綴りはじめた先生を遮って。
俺から見たら、前方。
氷室先生にしてみたら、後方から、声が上がった。
バタバタと駆けてくる足音に向けて、先生は言う。
彼女に小言を言うのと、あまり変わらない、その口調で。
「中里先生、廊下は走る場所ではない」
「え? あっ、すみません……」
ぺこりと頭を下げて、その人は謝罪を述べた。
「それで?」
言葉に、顔を上げた、その顔を見て。
俺は眉根を寄せる。
中里、先生。
どこかで聞いた名前と。
どこかで見た顔。
ほっとしたような表情を浮かべて、氷室先生に向き合って。
それから、嬉しそうな顔になったのに。
目を見開いた。
そしてそれを知らせるために、彼女へと声をかける。
彼女はじっと、中里先生を見ていて。
俺はふっと息を漏らした。
「玲」
「はいはい?」
「あれ…あの人」
「うん?」
「おまえの中学の時の、音楽教師」
「………。えっ? 中ちゃん先生!?」
案の定、彼女は声を上げて。
それからとっさに、両手で口を覆う。
理由はもちろん、目の前の二人が言葉を止めたからで。
そして、その二つの視線に、晒されたからで。
しどろもどろになりながら、俺へと助けを求めてくるその瞳には。
俺はただ、笑ってみてた。
「え? 田端さん?」
「は、はい! じゃあ、やっぱり……」
「久しぶりね! そっか、この学校、田端さん、通ってたのよね」
合ってたか。
なんて、思う。
その合間に、彼女は中里先生に抱き着いてた。
久しぶりに会ったから、本当に嬉しそうで。
コラコラって、苦笑気味に零す先生も、嬉しそうだった。
「高校の教諭免許も持ってたの。二年前から、ここにお世話になってるのよ?」
ようやく離れた彼女に、中里先生はそう言ってた。
わずかに、中里先生の方が、背が高いから。
ほんの少しだけ、身体を屈めて。
彼女と、視線の高さを同じにして。
「吹奏楽部の副顧問もやってます! でもね、いっつも氷室先生に怒られちゃうの」
「君も田端同様、落ち着きが足りない」
「はい…」
「どうしたら何もないところで転ぶことが出来るのか、私には理解出来ない」
「それは…自分の足に引っ掛かってですね……」
はぁ、とため息が零される。
俯いてしまった中里先生の腕を、彼女は指で突ついて。
それは、彼女に、聞きたいことがあるからで。
先生は疑問顔で、彼女を見る。
氷室先生でさえ、彼女を見ていて。
彼女は本当にわずかに。
薄らと、苦笑を零してた。
「変わってないんですね、先生」
「変わりたいのー! 頑張ってるの、これでも!」
「先生の旅は終わりました?」
「まだ…。もういい。諦めた」
「先生……」
「いいのよ、別に。素敵な男性なんて、早々いないんだから」
「………」
「もういいの! 仕事に生きるのよ! だってもう、30台も半ばなんだから! 第一、こんな女、もらってくれる人なんていないものー」
泣き出しそうな顔でそう言われて。
彼女はわずかに、身体を離す。
俺に助けを求められても、どうすることもできないから。
そしてそれを、彼女もわかっているから。
小さく言葉を発しながら、考え続けていて。
けれどすぐに、そのすべてを断ち切るみたいに零されたため息に。
中里先生はビクッと、肩を震わせてた。
それでも、視線だけを氷室先生に向けて。
口を開く。
「だってそうじゃありませんか。氷室先生だっていつもおっしゃってるでしょう? 落ち着きが足りない、とか、人がよすぎる、とか」
「確かに言っている」
「だからいいんです。結婚したいなって思ってたって、相手がいないとどうにもなりませんから」
「中ちゃん先生、好きな人いないんですか?」
「……いる、けど」
俯いたままの言葉に、氷室先生を見る。
たぶん、無意識なんだろう。
氷室先生は眉間に皺を寄せていて。
それで。
そういうことかと、考えた。
「でもね、無理だもん。諦めてるの」
「付き合ってるわけじゃ、ないんですか?」
「うん。というより、ここ何年も彼氏なんていません! もうおばさんの域だもの。誰も相手にしてくれないわよ」
「………」
「落ち着きないし、子供っぽいし、頼まれたら嫌って言えないし、自分のやりたいこと、率先してやっちゃうし」
「中里先生」
「どうせ、氷室先生にも呆れられてるの。しっかりしなさい。君は教師なんだからって、毎日言われてるし。向いてないのかなって、今になって思う。というよりね、私の人生設計じゃ、もうとっくに結婚してて、教師、辞めてるはずなんだもの。だからそう思っても仕方ないのかなって……」
パンッと音が響いて。
廊下に響いて。
俺は瞼を伏せて、眉根を寄せる。
「中里先生、落ち着きなさい」
そのあとに聞こえた声に、瞼を上げて。
俺は彼女を見る。
耳を塞いでいたらしい、その格好のまま。
彼女も周りへと、瞳を向けてた。
驚いたように、目を丸くして。
手を叩いたのは、氷室先生だとわかっていたし。
理由もわかっていたけれど。
でも、大きすぎたんじゃないか、なんて思う。
作戦は当たって。
中里先生も、驚いて、目を丸くしてたけど。
まだ耳の奥で、こだましてたから。
「言っておくが、私は別に、呆れてはいない」
「…本当ですか?」
「もちろんだ」
「……でも、私のフォローに回るのはもう嫌だ、とかって思ってません?」
「………」
「ほらほらぁ、即答できないでしょう?」
「出来る。思ってなどいない」
「いいんです、別に。もう一年だけ頑張って、辞めます」
「辞めてどうする?」
「それから考えます。個人でピアノ、子供たちに教えてもいいんですし」
「………」
中里先生は涙目でそう言って。
氷室先生は呆れてた。
彼女を見れば、また、微苦笑していて。
「本当に変わってない、中ちゃん先生」
そうかと思うと、くすくす笑って、そう紡いだ。
「十年前と同じこと言ってる」
「……だって…」
「でも結局続けるんでしょう? 教師。生徒の楽しそうな表情を見るのが好きだって、先生言ってたし」
「…でも、でもね? 迷惑かけたくないなーって人に、一番迷惑かけちゃうのって、嫌じゃない?」
「掛けられてる本人がいいって言ってるんだから、いいんじゃないですか?」
「………」
「甘えられるうちにめいいっぱい甘えておかないと! 変わるのなんて、ゆっくりでいいんですから」
「……うん」
「それに僕は、先生には出来たら、そのままでいて欲しいなって思いますよ?」
「どうして?」
「だって先生、結構人気ありましたもん。話しやすいし、可愛いって」
「…可愛い?」
「可愛い。男子とかからも、結構」
「…そっか」
うんうんって頷いて。
彼女は嬉しそうに笑う。
中里先生も笑って。
その会話で、中里先生が誰を好きなのかが、俺にもわかった。
けど、氷室先生はわからなかったみたいで。
どうしてかを、聞きたくなるぐらい、不機嫌を表に出していたから、たぶんそうなんだろうけど。
俺は短く、小さく息を吐く。
両想い、だよ。あんたたちは。
そう、教えてやりたいぐらいだったけど。
中里先生もまた、氷室先生が誰を好きなのか、わかってないみたいだったから。
俺には何も言えない。
「そうよね? まだ諦めちゃいけないわよね? 私の旅は、まだまだこれから!」
言葉を綴った中里先生は、それから氷室先生に用事を伝えて、去っていった。
部活は終了になったのに、まだ自主練したいってやつらがいるらしい。
「その子たちには、私が付いてますから。氷室先生はお帰りになって大丈夫です」
と、笑顔で言って。
「やっぱり、あのピアノの音は、どこかで聞いた音――で、あってたんだ」
彼女は手を振る。
階段を上がる前に、こっちへと目を向けた、中里先生に。
振り返してもらって。
彼女はまた、嬉しそうに笑ってた。
そのあとで、手を下ろして。
視線を戻さないまま、彼女は言葉を綴っていく。
「中ちゃん先生のこと好きだって思ってる男の子、結構いそうだよね? 案外、その中にいたりして。先生の好きな人」
「かもな」
その言葉が、氷室先生を煽っているものだとわかったから。
俺も彼女に合わせて、言葉を紡いだ。
彼女の考えそうなことは。
本当に……わかるから。
「あー、聞いておけばよかったかなー? 今年のバレンタインはどうしたんだろう? 中学の時はね、男子みんなにあげてたんだよ。中ちゃん先生から欲しいって、直々に言いに来た子たちみんなに」
「へぇー…」
「今年三年目、でしょう? 卒業式の日までに、みんな最終アプローチ、掛けるんだろうなー」
「田端」
「はい。何ですか?」
にっこり笑って、彼女は氷室先生に向き直る。
その笑顔には、俺から見れば、裏があるのはわかるのに。
氷室先生は、ただただ、睨むような視線を、床へと注いでいて。
「今の話は、本当か?」
「今の話…と言うと」
「君が中学の時の話だ」
「本当ですよ」
「そうか」
詳しくは言わずに、彼女は聞かれたことだけに答えて。
それでも、氷室先生は何かを考えているかのように、ただただじっと、視線を落としているだけ。
普通はわかるだろ?
知らない男に優しくしてる、っていう、そのことを聞いただけで。
どこにぶつければいいかもわからない、憤りを感じているなら。
自分の気持ちは、ただただ一つだってこと。
「氷室先生」
「何だ?」
「先生が今抱えてる想い、仕舞い込んじゃダメですからね?」
それだけ言って、彼女は「失礼します」と頭を下げた。
俺も軽く会釈して、踵を返して歩きはじめた彼女に付いていく。
直後、きゅっと廊下を踏む音がして。
やけに慌てた足音が、背後から遠ざかっていった。
「走る場所じゃないって、言ってたのにね?」
「だな」
くすくす笑って、校内を歩く。
二人で小さく笑いながら、廊下を歩く。
自分の気持ちがはっきりしている。
それが、羨ましいと思っていた。

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