| あの街を見に行こう? あそこはわたしの 特別だから
大好きな場所がある
特別な街だから
わたしが知った感動を
あなたにも 教えたいから
夕闇の直前 5
十一時三十分。
五分前に辿り着いたわたしは、目立つあの姿がないことに安心するかのように、柱の一つに背中を預けた。
休日だから、制服姿はかなり目立つ。
真っ黒のコートを上に羽織ってみても、ロング丈じゃないから、結局はスカートの端が見え隠れするし。
それでも、この格好じゃないと、今度は入れないって、去年…言われちゃったし。
ふぅ、と息を吐いて、携帯を取り出して。
時間を確認。
三十…一分。
「おはよう」
「おはよう」
視界に入ったいつもの靴に、携帯に目を落としたままで、挨拶する。
返ってきた同じ言葉にため息を吐いて、わたしは身体を起こした。
目の前に、昨日と変わらない彼がいる。
首にマフラーを巻いているぐらいで、他に防寒具は見られない。
風邪ひかないのかなー、とか、ちょっとだけ思った。
だけど。
「一分、遅刻」
「……電車、まだ来てないだろ?」
「そういう問題じゃないの。時間はきっちり守る!
彼女とか出来たら、煩く言われるよ?」
「………」
「返事!」
「わかった」
瞼を伏せて、そう言って。
彼は背を向けて、歩き出す。
どこに行くんだろうって思いながら見ていたら、彼が振り返った。
「電車、乗るんだろ?」
「乗るけど…まだ、十五分もあるよ?」
「………」
「それに、そっちの方じゃなくて、こっち」
国鉄じゃなくて、私鉄。
しかも、上りじゃなくて、下り。
指で差し示せば、彼は戻ってきて。
「早く言え」
言って、ゆっくりと歩き出した。
「だって、人の話聞かないですたすた行っちゃうんだもん」
隣りに並びながら、わたしは言う。
「聞いたら言ったのか?」
「行き先は告げずに、とりあえず付いてきて、と言うかな?」
彼はため息を吐く。
わたしは笑う。
行き先は言わない。
言っちゃったら、面白くないし。
だからただ、彼には、いつものように。
『綺麗なものを見に行く』
としか、言ってはいない。
「切符、買ってくるね」
「じゃあ…」
「いいよ。僕が誘ったんだし、おごってあげる」
にっと笑って、券売機へと急ぐ。
いくらだったかを確認して。
二枚分のお金を入れて。
ボタンを押して――切符を手にする。
彼の元へと戻ろうと振り返れば、彼はすぐそこにいた。
「高いな」
見てたらしく、彼は言う。
「いいんだって。それに、高いってことは、遠いってこと。それだけの時間、君を拘束しちゃうんだから、自業自得」
そう思わせて欲しいから、切符を一枚、彼に差し出して。
受け取ったのを見てから、わたしはホームへと足を動かした。
去年は一人だった。
親友の麻衣の家に泊まりに来る時だって、一人だった。
でも今は――彼と二人で、この街に降り立つ。
「うーん、久しぶり!」
声を上げれば、彼は隣りで、まじまじと周りを見渡してた。
変わらないなって、本当に思う。
お店っていうお店の姿もあまりない。
ここに来ると、本当に少し、ほっとする。
時間がゆっくり…流れている気がするから。
「いいな」
彼がポツリと零した。
電車を乗り継いで、二時間。
もうすぐ二時になる頃に、わたしたちは目的地のある街に着いた。
目的地のある場所までは、あと、十五分ぐらい歩く。
「おなか空いたね」
「ああ」
「どうする? コンビニ行く? それとも、どっかで食事、する?」
――と言っても、実はレストランとか、あまりよく知らないんだけど。
目的地までの道程には、コンビニぐらいしかなかったりして。
あとは延々、住宅地だったり、田園風景だったり。
「いつもは?」
碧の瞳が向けられて、わたしは少し、考え込む。
「いつもは……コンビニ?」
「どうして疑問形なんだ?」
「こんなに早く、ここには来ないもん」
去年は時間ぎりぎりに来た。
昼食を家ですませてから、電車に乗ってきたから。
麻衣の家に行く時は、駅で彼女が待っていてくれて。
コンビニ寄ったり、喫茶店行ったりするけど。
「あ、喫茶店があるんだった」
思い出して、道を思い出す。
ここに住んでたくせに、あまり出歩かなかったいい証拠なのが、丸わかり。
中学時代はずっと。
と言うか、ほとんど。
学校と家とを往復することしか考えてなかった気がする。
「どこだったかなぁ、喫茶店」
「喫茶店じゃ、軽食程度だろ?」
「そうだけど、食べないよりはマシじゃん?」
「………」
ため息を吐いたあと。
彼は小さく「コンビニでいい」と言ってくれた。
それを聞いて、わたしは道を歩き出す。
歩き慣れた道。
だけれど、今年は初めて歩く道。
その道を…ゆっくりと。
「こっちに行くとね、神社があるんだ。結構大きくて、初詣はいつも、そこだった」
一つ一つを説明していくわたしに、彼は何も言わずに考え込んで。
「あそこの公園にね、大きな犬が飼い主の人と、いつも散歩に来るんだ。真っ白で、大きくて。でもね、もう、ものすごく年取ってたから…今はどうかな?」
思い出しながら、言葉を紡ぐ。
と、彼の手がわたしの腕を掴んだ。
「何?」
「おまえ…ここに住んでたのか?」
「そう」
にっこり笑って、返事をして。
離れた腕の代わりのように、今度はわたしが腕を絡ませて。
急かすように、腕を引っ張って……歩き出す。
「幼稚園の年長の時に、はばたき市から引っ越して。それからずっと、引越しばっかりしてた。親の都合ってヤツ。で、ここには…中学校2年生の時、越してきたの」
彼の歩調がわたしと合って。
隣りに並んで、歩き出す。
腕は未だに、絡めたままで。
「親友に会ったのは、その時だね。で、高校からは、はばたき市」
「どこ行くんだ? これから」
「知りたい?」
見上げて聞けば、彼は何も言わずに、じっとわたしの顔を見る。
それに、「綺麗なものを見に」と、また告げた。
目の前に聳え立つ建物に、わたしは笑顔で息を吐いた。
「久しぶり」
小さく小さく、言葉を綴る。
日曜日のそこは、しんと静まり返っていて。
物音はしていなくて――この場所だけ、空間から切り取られているみたいに思える。
「学校?」
隣りで、彼も呟く。
わたしは、その表情を見ながら、大きく頷いた。
「そう。僕の母校。中学校」
コンビニの袋を提げたまま、わたしは慣れた足取りで、職員玄関へと向かう。
タンタンッと威勢よく、わずかに十段ほどしかない階段を上がって。
扉に手をかけた。
ゆっくりと引けば、それは開いて。
開け切らずに、彼が抑えてくれるのを見てから、それを離す。
そばのロッカーの、使われていない場所を見つけて、スリッパを出して。
靴を脱いで、スリッパを履いて。
別に、話をしちゃいけないわけではないのに、妙に小声で、彼にスリッパを勧めた。
とりあえず、職員室……かな。
きょろきょろと周りを伺い出した彼に苦笑しつつ、わたしは職員室までの廊下を歩き出す。
聞き慣れた声は、そこで上がった。
「田端さん?」
T字路になっているそこで。
真っ直ぐ行けば職員室…というそこで。
「中ちゃん先生!」
小走りにやってきたその女教師に、わたしと親友だけが呼ぶことを許されている呼び名を口にした。
「久しぶりね。一年ぶり…かな?」
「そうですね。一年ぶりです。麻衣の家にはしょっちゅう行ってるんだけど、こっちにはなかなか来られなくて」
「いいっていいって。元気ならば、それでヨシ」
目の前の笑顔に嬉しくて。
わたしは遠慮なく、先生に抱き付いた。
「こらこら」
中ちゃん先生はそう言って、苦笑してたけど。
「制服、着てきたねー? 高校生活は? 楽しい?」
わたしの身体を引き剥がすと、心配そうに問い掛けてきた。
その瞳に、笑いかけて。
「楽しいですよ。大丈夫」
「そうだよね。こんなカッコイイ彼氏がいちゃあね」
わたしの反応にほっとしたのか。
先生は言いながら、少し離れて立っている彼を見た。
わたしも、彼を振り返る。
「彼は違いますよ。友達」
「友達ー? 正直に言いなさい、田端玲?」
「正直に言ってます。彼、葉月珪くんは、友達であって、彼氏じゃありません!」
報告して、くすくす笑って。
そして、彼女は歩き出す。
「あれ、見に来たんでしょう?
まだちょっと早いから、校内案内してあげたら?」
「そうするつもりです」
彼女のあとを付いて、わたしが歩き出せば。
彼がそのあとを付いて、歩き出した。
「そうそう、まだ飾ってあるから、見に行ってくれば?」
「…まだ? 水野先生、じゃあ、まだこの学校にいるんですか?」
「いるわよー? それにね、あれだけは赴任しても持っていくって言い張ってるし」
「……そろそろ返してもらえないかなーとか思ってたんですけど」
「無理そうね。お気に入りだもの、あれ」
「僕だって、自分にしてはよく出来たなーとか、思ってたのに」
「それで、嬉々として家に持って帰ったのに?」
「次の日呼び出されて、何だろうって思ってたら、『あれ、持って帰っちゃったか?』って聞かれて」
「持って帰っちゃいましたって答えたら」
「持ってきてくれるか? って。展示したいからって言われて……それっきり!」
頬を膨らませれば、隣りで先生は笑ってて。
「どこか、美術展とかに出したって言うなら、諦めも付きますけど…学校内展示だったら、早く返してくれないかなーって思うのが普通じゃないですか」
「確かにねー。でも水野先生、返す気、全然ないみたいよ?
第一、返す気があったら、卒業式の時に返すでしょう?」
「そうですよね? じゃ、やっぱり、無理ってことなのかな……?」
「無理ね!」
きっぱり言って、先生が足を止めた。
わたしも項垂れながらも足を止める。
後ろで、彼の足音も止まった。
「ちょっと待っててね。カギ、持ってくるから。それと、今日私、六時にここ出るから」
「はい。それまでに、返しにきますね」
「よろしくね」
先生が扉に手をかける。
わたしはそこで、先生の顔を覗き込んだ。
「時に中里先生」
「何? 改まって」
「去年の彼氏とはどうなったんですか?」
「………別れた」
「え、えぇ〜!?」
吐き出された言葉に、思い切り驚く。
一瞬にして、涙目になってしまった先生に、どうしようとおろおろし出しちゃったりして。
「だ、だって、クリスマス一緒に過ごしたんでしょう?」
「過ごしたよ? 仕事早く切り上げて」
「お正月は?」
「彼の家で、お手製のおせち料理持っていって」
「バレンタインは?」
「ちゃんとチョコレート、渡しました」
「ホワイトデーは?」
目の前の瞳が潤み出す。
え、ちょ、ちょっと待って!
「お返し、もらったのよ、ちゃんと」
「はい」
「でね、彼の誕生日も、ちゃんと一緒にお祝いしたのよ」
「はい…」
「でもね、私の誕生日の一週間前にね、ふられちゃった……」
とうとう泣き出してしまった彼女にどうすることも出来ずに、わたしはただ、見ていることしか出来なかったけど。
でも、それでも、わたしは息を吐き出した。
慰めるの、わたしの担当だったなぁ、なんて…思い出しながら。
「よかったんですよ、きっと。その男、中ちゃん先生のいいところに気づかなかったんだから。そんなやつ、こっちから願い下げって思わなきゃ!」
「……わかってるん、だけどね…」
「それに、もっといい男がいるっていう証拠じゃないですか。諦めずに捜しましょうよ!
まだきっと、旅の途中なんですから!」
「………」
無言で、顔を上げて。
先生はわたしを見てた。
「いいことなんですって。あんな男もいたって。そういう経験が増えたんですから。自分が成長するために必要なこと…だったんです、きっと」
「…うん」
「人は、いろんな経験を積み重ねて、成長する生き物なんでしょう?
先生が前に、僕に言ったんじゃないですか。だから、今回のことも、いろんな経験の一つだったんですよ」
「そう…だよね」
「そうですよ! いつか来る、大きな幸せのための、試練みたいなものですって!」
拳を握ってそう言えば。
彼女も拳を握って答えてくれた。
「そうだよね! 乗り越えなきゃ、強くなれないのよね!
いい男はまだ、この世にたくさんいるんだろうし!」
「そうですよ。先生のいいところに気づかないバカは、いい男からは程遠いですって!」
「よしっ! 元気出た! じゃ、カギ取って来るねー」
扉に手を掛け直して、先生は勢いよく、それを開ける。
そして、中へと入っていった。
その後ろ姿に、わたしはほっと、息を漏らす。
「……何なんだ?」
ぽつりと、彼が零した。
「中里先生。音楽担当で、僕がこの学校にやってきたのと同時に、この学校に来たの。その時は…新米教師でね。僕と、僕の親友のいたクラスが、初めて担当したクラスだったんだ」
一歩踏み出して、壁に背を預ける。
手を後ろで組んで、天井を見上げた。
「先生になったばかりだったから、かなり不安だったんじゃない?
僕の親友が、それを感じ取って。それならって、力になってあげたくて――放課後、一緒に話したりしたんだ。麻衣――僕の親友ね?
――が悩みを聞き出して、僕がアドバイスして、慰めて。麻衣にそのまま話をさせると、どうしても先に結論出しちゃうから、僕が口を挟んで、ストップかけてた。他人が答えを出すことじゃない。僕らに出来るのは、アドバイスだけ。どうするかは、自分で決めなくちゃ。そうしないと、自分のためにならないでしょう?」
何度も何度も、ごめんねって謝られた。
教え子なのにねって。
そんなの関係ないって、思ってた。
だから、わたしたちは出来る限りのことをした。
先生の負担が軽くなるように。
先生が笑って、授業していられるように。
だってわたしは、先生が楽しそうに歌っているのを聞くのが、好きだったから。
機嫌がいいと、指がピアノの鍵盤を不意に滑って。
急に音楽を奏でてくれるから。
それが――大好きだったから。
「僕ね、中ちゃん先生が好きだった。だから…頑張れって、応援してたんだ」
壁から背を離す。
まだ涙が乾き切っていない瞳で、先生はわたしを見て。
職員室から出ることなく、手に持っていたものを差し出した。
「はい、これカギね。失くさないでね?」
「わかってます」
小さく手を振られて、振り返して。
職員室のそのドアが閉まったのを確認してから、踵を返した。
彼の横を抜けて、階段へと向かっていく。
「去年ね、ここに来た時に、彼氏が出来たって、嬉しそうに言ってたんだ。めちゃくちゃ惚気られたんだけど、幸せそうな笑顔見てたら……僕も嬉しくて」
よかったですねって、何度も届けた。
階段を一段一段、丁寧に降りながら。
わたしは静かなその場に、声を響かせる。
「それでも、やっぱり……寂しかったな。同時に、麻衣に彼氏が出来たっていう話を中ちゃん先生から聞いて。ここで、携帯で電話して。呼び出して――問いただしたっけ」
「付き合い始めたっていう、報告とか……」
「なかったの。聞かないと言わないヤツだから、あいつ。そんな素振り、絶対に見せないしね」
「………」
「いろいろ話し聞いて、最後に、好きなの?
って聞いたら、散々貶してたはずなのに、普通に頷かれて。寂しかったなぁ、真面目に」
一階に辿り着いて、わたしは教室に入っていく。
三年二組。
わたしが使った――教室。
窓際の一番後ろの席まで歩いて、そこに荷物を置いた。
「ここね、僕の特等席」
「そこが?」
「そう、ここが」
借りまーす、なんて言いながら、わたしは椅子を引いて。
腰掛ける。
彼は前の席に、無言で座った。
と言っても、椅子じゃなくて、机に。
しかも、ポケットに手を突っ込んだまま。
「行儀悪い」
「べつにいいだろ」
「小学校とかって、行く時ある?」
どうしてそんな話になるんだっていう顔。
それでも彼は、緩く頭を振った。
「ない」
「行ってみ? おもしろいよー。水道、めちゃくちゃ低いし、机とか椅子も同じように低いの」
「……そうか」
「うん。あの頃は、ものすごく…大きく見えたのにね」
呟いて、窓の外に視線を投げる。
そこにはまだ、太陽が自己主張を続けている、空があった。
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