綺麗なものを探す 旅に出よう?

途中で 運命の人とかにも
出会えるかも

大丈夫だよ
怖くなんか……ないよ

淋しくなったら
ここへ

この場所へ――

戻ってくるっていう選択肢

きちんと君には
あるんだから




夕闇の直前 6





特別棟へと続く中廊下。
その途中で、わたしは立ち止まった。
置いてあるガラスケースを覗き込んで。
「あ、本当にまだある」
小さく小さく、そう零す。
「何が?」
彼も同じように、覗き込む。
「あのね」
説明しながら、しゃがみこんで。
正面から、それを見る。
「アレ」
「……手?」
「手。しかも、僕の」
「?」
「中学二年の夏休み。宿題が出たんだよね。自分の手をデッサンしてくるようにって。最低三枚。開いた手は不可。それ以外なら、どんなものでもいいからって」
「…で?」
「で、これをどうするんだろうって思ってたら、二学期最初の美術の授業。全員に配られたのが、緑色の紙粘土。デッサンを基にして、自分の手を作れって」
「それで」
「それで。面白かったよ。針金で基盤作って。ぺたぺたと紙粘土、貼り付けていって。竹串使って、細かい皺とか、爪とか作っていって。ものすごく、面白かった」
終始笑顔で作ってた。
握り拳から、わずかに力を緩めて。
まるで、開こうとする――直前みたいな、そんな手を。
左手で作って、それを見ながら。
右手で細かく修正してた。
「いいものは美術展に出すって言ってて。でも僕は、作り終えるの、ちょっと遅かったし。二日ぐらいかな? 教室に飾って。持ち帰っていいって先生から許しが出たその日に、持ち帰ったんだ。我ながらよく出来たって思ってたから、ものすごく慎重に――壊さないようにって持って帰った」
「ああ、よくできてる」
「でしょう? でもね、そう思ってたの、僕だけじゃなかったんだよね」
「?」
「次の日にね、呼び出しかかったの。美術の先生から、急に。何かしたかなーって思いながら、職員室行ったら」
「さっき、職員室の前で話してたな」
「そう、あれ。持って帰っちゃったか? って聞かれて。持って帰りましたけど? って答えたら。悪いけど、持ってきてくれるかって」
「…気に入られたんだな」
「らしく。それでも、何だろうって思って、持ってきたんだよね、ここに。そしたら、飾っとくからって。すぐに返してくれるんだろうなーとか思ってたら、全然そんな気配、なくて。悔しかったな、ものすごく」
「フッ」
「笑わないでよ!」
意地悪するみたいに、トンッと肩を押してみる。
それでも彼は、バランス保って、転ばなくて。
逆に、仕返しされたわたしは、見事に尻餅付いて。
立ち上がった彼を無言で睨んで。
瞳で促されて、わたしも立ち上がろうと、体勢を変える。
悔しい。ものすごく。
差し出された手を掴んだら。
引っ張られて、簡単に立ち上がって。
やっぱり悔しかったから、思い切り、掴んだその手を握ってみたりした。
「おまえ……」
「仕返し」
「最初はおまえがやったんだろうが」
「葉月くんが僕のこと、笑うのがいけないんでしょう?」
誰もいない廊下。
わたしと彼しかいない廊下。
響き渡るのも、わたしと彼の声ぐらい。
不満、これ以上ないっていうぐらいに吐き出して。
わたしは少し…ほっとしたように笑う。
「どうした?」
頭上から、彼の声。
わずかに辟易しているようなのは、この際無視して。
「楽しいなって、思ったのさ」
「………」
「本音でぶつかれるって、いいなぁって」
「そうだな」
ぽんって頭の上に手が乗って。
それを合図にしたように、彼の顔を見上げる。
瞳が、ちょっと笑ってて。
その優しさに、嬉しくて。
わたしは大きく、頷いた。



うろうろと見て回って。
そして、特別棟の四階。
一番端のその部屋の前で、わたしは歩を止めた。
着たままでいるコートのポケットに手を入れて。
携帯を出して、時間の確認。
四時四十二分。
「そろそろかな」
言って、反対側のポケットから、先生から預かった鍵を取り出した。
「ここ?」
「そ、ここ。美術室」
鍵穴に差し込んで、回す。
ドアを開ければ、絵の具の独特の匂いが、鼻孔を擽った。
「中学三年の春にね、親から…引っ越すからって言われたの」
言いながら、歩き出す。
彼は、わたしの後を付いて――歩いてくる。
「はばたき市に引っ越すから、高校も、そっちのにして欲しいって。中学卒業までは、こっちにいるけど、高校からはあっちだからって。女の子一人で、下宿とか――させられないって言われて。その時はね、仕方ないって諦めた。代わりのように、好きな高校に行っていいって妥協されたから、はば学、選んだんだけどね」
窓際の席に座る。
正門の方。
教室棟ではないほうの、窓際に。
グラウンドがあるのは、教室棟の向こう。
休みの日の中学校は、こんなにも――静かなんだって、本当に思う。
高校は、部活とか、あるから。
ここまで、静かじゃない。
彼はわたしが座った席の前。
机に少し寄りかかるようにして――立ってる。
「でもね、卒業が近づいてきた…この時期にね、やっぱり、嫌だなって思い始めちゃって。一人で沈んでたんだ。もうすぐ冬休みで。それが終わったら、三学期で。すぐに卒業だって思ったら、嫌で嫌で、仕方なくて」
「だろうな」
「うん……。教室で、一人でぼんやりしてたんだよね。席に着いて、帰る気もなくて。帰っちゃったら、一日が早く終わっちゃうような気がしてたから。机をずっと…見てたんだ」
何も聞きたくなくて、耳を手で覆って。
机の木目を、ただひたすら見てた。
グラウンドから聞こえる声が鬱陶しくて。
時を刻む秒針の音でさえ、煩わしくて。
「そしたらね、中ちゃん先生に見つかっちゃって。いつも聞いてもらってるから、今日は相談に乗ってあげるよって、言われて……泣いちゃった。不安とか、怖さとか。そういうの、全部吐き出した」
夕日が傾いていく。
西日が――強くなる。
「ここに連れてこられたのは、その時」
ゆっくりとだけれど、夕日は沈む。
確実に。
「あの…一つだけ、背の高いビル、あるじゃない?」
「ああ」
「あそこ……見ててね」
ゆっくりゆっくり、夕日は沈む。
隠れていく。
ビルの――向こうへ。
「………」
「すごいでしょう? 見た時、僕も何も言えなかった」
角度とか、高さとか。
ここがちょうどいいんだって、中ちゃん先生は笑ってた。
ビルに隠れていく夕日の光が、ビルの中を通って。
逆光になっているはずだから、黒い影として見えるはずのビルの中。
ちらちらと……光が踊る。
時間にしたら、三十分ぐらいにしかならないけれど。
「世界は綺麗だって、みんな言うけど。本当は、世界が綺麗なんじゃなくて、世界に存在している一つ一つが綺麗だから。だから…世界が綺麗に見えるんだよって、先生は言ってた。その綺麗なものを、あなたは探す旅に出るんだよって。離れてしまうけど、ここにあるものは、きっと、いつまで経っても、変わらないから。寂しくなったら、戻ってくればいいよって。きっと、待っててくれるからって」
座ることも、話すことも。
瞬きすらも忘れて、彼はこの光景に魅入ってた。
二年前の、わたしと同じように。
「楽しいものは、必ず、引っ越した先にもあるだろうけれど、綺麗なものは、早々見つからないはずだからって。頑張って探しておいでって。そう…言われた」
「………」
「それ聞いたら、引っ越すの、怖くなくなった。ここに戻ってくるっていう選択肢もある。僕は、旅に出るんだって。怖くなんか、あるはずがないんだって。世界を綺麗に見せているほどの綺麗なものを、一つでも見つけて、先生に教えてあげようって。そんなことでいっぱいになってた」
「単純」
「うん。自分でもそう思った。けど…今日のこの光景だけは忘れないって、強く思ってた」
「……ああ」
それっきり、会話はなくて。
ずっとずっと、二人で窓の外を眺めてた。
光は踊る。
ちらちらと、反射を繰り返して。
空はゆっくりと、オレンジから群青へと変わる。
夜の帳が、下りてくる。
この時期だけ、世界が見せてくれる…光景。
それが終わった時、時計は五時をとうに過ぎてた。



星が瞬きをし始める頃。
急いで電車に乗って、はばたき市まで、わたしたちは帰った。
中ちゃん先生の、「来年はちょっと、微妙なんだよね」と苦笑してたのが、残念だったけど。
「ごめんね、長々と付き合わせちゃって」
はばたき駅に着いて、わたしはそう、彼に謝った。
どうしても見せたかったから。
そんなわがままで、今日一日、潰してしまったから。
「いい。楽しかったし…いいものも、見られたから」
彼は微笑う。
言葉と表情にほっとして。
わたしも笑みを浮かべた。
「そう言ってくれてよかったよ」
「来年も行くのか?」
「…中ちゃん先生が、いればね」
「そうか」
小さく頷いて。
わたしは時計を見る。
もうすぐ、八時になる。
「来年、もし行くなら」
「ん?」
時計を振り返ったわたしに、彼は言葉を届け始めた。
視線を彼に戻して、わたしは続きを促す。
「行くなら?」
「また、付き合う」
「ありがとう」
去年、一人であれを見た。
何か悲しくなっちゃって。
来年は誰かと一緒に――って、漠然と考えてた。
だから、その申し出は、本当に……嬉しかった。
「じゃあ、その時になったら、誘うから」
「待ってる」
「うん!」
彼が歩き出す。
それに付いて、わたしも歩く。
遅いから、送らなくていいよって言って、すぐに別れた。
明日、学校でねって。
決まり文句を発して、手を振って。
遠ざかる背中に、手を下ろした。
仰ぎ見れば、星が多くて。
それでも、あの街よりは――少なくて。
ほうっと白い息を吐き出した。






まだ、旅の途中。
世界を綺麗に見せているものを、わたしはまだ、見つけられずにいて。
それでも、毎日のように。
彼女の笑顔は見ている気がする。
「ウソ! ホントにピアス買ってきてくれたの?」
「うん。いらないなら、いいよ。僕が付けるし」
「冗談! こんなカワイイの、返すわけないじゃん!」
日曜日のうちに、わたしが教えた病院へ穴を開けに行ったなっちんは。
自分で買ったという小さなカラーストーンのピアスをして、月曜日、登校してきて。
それを見た時、少しだけ…胸を撫で下ろしてた。
用意したものと同じだったら嫌だなーって、そう思ってたから。
でも、違ったから、ほっとした。
色は赤で、なっちんらしくて。
赤が好きなのかなーってちょっと、思ってたから。
わたしも実は、赤のクロスモチーフのにしちゃってたんだよね。
「僕もね、おそろいで買っちゃったんだ、実は」
「あ、今日してるヤツ?」
「そう」
わたしのは黒で。
なっちんはすぐに、それじゃあ、と言って、付け替えてくれた。
「似合うー?」
「うん! やっぱりなっちんは、その色だよね」
「玲こそ、やっぱり黒だよね」
二人で笑って。
そうしたら、タマちゃんが加わって。
お手製だというケーキを、お弁当のあとで食べようと話していたら。
有沢さんが最後にやってきた。
「似合うわね」
「でっしょー? もう、さすが、玲だよね」
「玲ちゃんって、ちゃんと考えるよね? 何が似合うかなーとかって」
「絞り込めないから、本人に聞くんだけどね」
「そう言えば、奈津実」
「はいはい?」
「これ、私から」
小さな包みを差し出されて、なっちんは固まってた。
どう見ても、参考書の類じゃないことは、確か。
「今回、補習は免れていたから、きちんと勉強する気になったのかと思って」
そう加えて、有沢さんはお弁当に手をかける。
倣うようにして、わたしもタマちゃんも、お弁当の蓋を開けた。
なっちんはというと、リボンに手をかけて、解いていく。
包みを綺麗に取って、蓋を開けて。
「時計?」
「ちょっと、時間にルーズなところがあるから」
「いいかもねー」
「しかもそれ、奈津実ちゃんに似合いそう」
「何かアタシ、今日、いろんな物、貰いまくってるなー」
言いながら、身に付けて。
嬉しそうな笑みに、わたしは有沢さんと向き合って、ちょっと微笑った。
「そう言えばさ、姫条からももらったのよ」
「姫条くん、そういうのしそうだもんね」
「マメね、本当に」
「僕ね、相談されたよ」
もう隠さなくてもいいよねって思ったから、口にする。
なっちんは、またまた絶句。
「何を贈ったらいいかわからないって言われたから、自分が欲しい物で、なっちんに似合いそうな物にすればって」
少し違うけど。
かなり違うけど。
「で、一緒に買い物、行ったよ?」
これは本当だから、正直に。
「アンタ、まさか……」
「何?」
「………」
二の句が告げなくて、なっちんは黙り込む。
首筋で揺れているチェーンには、見覚えがあった。
ちゃんとしてるんだ。
確認して、わたしはにっこりと微笑む。

世界は今日も綺麗で。
きっとどこかで、この瞬間にも、綺麗なものは生まれて。
そして、消えて。
今日のうちに、わたしはそのどれをも見つけられないままかもしれないけれど。
明日はもしかしたら。
そう思うから。
わたしは旅を続けるんだ。
ゆっくりと。
ゆっくりと。

END

 

フィクションとノンフィクション、織り交ぜてお届けしてみる。
さて、どれが本当に樹の身に降りかかったものでしょう!?
バレバレだね、絶対(苦笑)。

女友達との会話が書けて、樹的には満足なのでした。

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