祖父からまたも預かった鍵を手に、少年はその道を走っていた。
まだいないとは思うけれど。
それでも、扉を開けて…少女が来るのを待つために。



笑顔の時




太陽が高い。
それを背に、少年は森を抜けた。
肩で息をして、誰もいないその場所を瞳に移す。
息をゆっくりと整えて、少年は一歩、踏み出した。
扉へ続く、なだらかな階段。
それを上ろうとした時、声は響いた。
「わっ!!」
「!」
驚きで足を止める。
そんな少年に、少女はくすくすと笑みを零し続けた。
「ど、どうして……?」
「隠れてたの。驚かそうと思って」
「………」
「全然気づいてくれないんだもん。でもね、来てくれてよかった」
「?」
「なかなか来ないから…来られなくなっちゃったのかなぁって」
ちょっと淋しかったんだ。
ペロッと舌を出して、少女はそう告げた。
少年は驚くばかりで動こうとはしない。
自分が家を出たのは、朝食をすませたすぐあとだったはずで。
祖父の制止の声でさえ、振り切ってきたのに……と。
「あのね」
少年の瞳を覗き込むようにして、少女は口を開く。
「道…よく覚えてなかったから、遅れちゃったらヤだし……。でね、早く出てきたの。朝ご飯、お弁当箱につめてもらって」
「…おまえ……」
「何?」
「ばかだな」
言うと、少女はぷぅっと膨れて見せる。
「いいもん、バカでも」
投げやりにそう言って、少女は顔ごと視線を逸らして座り込む。
その隣りに座って、少年は少女の表情を見ようと身を乗り出した。
「おい…」
「………」
「……なぁ」
「………」
「………」
「………」
はぁ、と少年は息を吐く。
そして、肩から斜めがけしていた鞄の中から絵本を取り出した。
昨日――途中までしか読んであげられなかったあの絵本。
パラッと捲ると、少女の視線が戻ってくる。
それを視界の端で確認すると、少年の顔に笑みが浮かんだ。

「むかしむかし、ひとりの王子が旅をしていました」

「そこは昨日読んでもらった!」
少女が少し怒ったようにそう言って。
少年は小さく「悪い」と零す。
「つづきでいいか?」
「うん!
昨日のつづきから!」
笑顔が戻ってくる。
それに笑みを返しながら、少年は絵本を持ち直した。

「なんと美しい姫だろう」
「王子は一目で姫を好きになりました」
「ふたりは毎日森の教会で会い、やがて深く愛し合うようになりました……」

そこまでで一度、少年は視線を少女へと滑らせる。
何を思っているのかを知りたくて。
何を考えているのかを知りたくて。
また…自分たちと同じだ、なんて思っているんだろうか、と。
「ばかだな、俺……」
ポツリと零す。
そんなこと、考えても仕方のないこと。
「どうしたの?」
「いや…ちょっと」
小首を傾げて、少女は少年の顔を見つめている。
その視線から逃れるように、絵本へと瞳を落とす。
毎日って言ったって、まだ二日目。
第一、明日も会えるかどうかはわからない。
きっともうすぐ…迎えが来る。

「ところがそのことを聞いたこの国の王は、たいへん腹を立ててしまいました」
「我が娘をたぶらかす者は誰か?
すぐに捕らえよ!」
「王は王子を捕らえると、こう言いました」
「旅の王子よ、そなたは姫を好いていると言うが、その言葉に偽りはないか?」
「姫は私の心の幸い。姫の愛さえあれば、いかなる試練も喜びに変えることが出来ます」
「ならばはるか遠く。この世の果ての外国(とつくに)に旅立つが良い」
「無事戻ることがかなえば、その時そなたの言葉を信じよう」

「こうして王は、王子を遠い国へ追放してしまうのでした……」

「ひどい!」
少女が急にそう声を上げた。
驚いて振り返れば、少女の瞳には涙が溜まっていて。
「ひどい!
ひどすぎる!」
「…………」
「何で?
何でこんなことするの? ふたりは好きどうしなんでしょ? 何で邪魔しちゃうの? お父さんなのに!」
「…ああ……」
涙をぽろぽろと零して、少女は「ひどい」と言い続ける。
その姿を見ていられなくなって、少年はポンッと少女の頭に手を置いた。
「確かに、王はひどいかもしれない」
「ひどいよ!」
「でも…大切な姫が、どこの誰とも知れない王子を好きだって言ったら…心配になると思う」
「………」
「たぶらかしてるって思っても、仕方ないと思う」
「…うん……。でも……」
まだ、少女は泣き続けていて。
大きな瞳から、透明な雫はぽろぽろと零れ落ちていて。
少年は短く息を吐いた。
「俺も、最初はそう思ったんだ」
「…本当?」
「ああ。でも…王は姫のことが心配で仕方なかったんだって、じいちゃんが言ってた」
「心配……?」
「そう。姫のことが本当に好きなら、どんなことでもしてみせるっていう王子の心が見たかったんじゃないのかなって思ったら…王の気持ちもわかったよ」
「王子様の好きっていう気持ちが本当か、知りたかったの?」
「俺は…そう思う」
「………」
涙を拭って、少女は黙り込む。
瞳を涙で潤ませて。
何か…考え込んでいるようだった。
それを少年は黙って見守る。
「………」
言葉もなく、もう一度目元を擦って。
少女は小さく頷いた。
「うん。あたしも…わかった」
小さくだけれど、確かにそう言って。
目の前を見据える。
そんな少女を見、少年は立ち上がった。
まだ、ほんの少し涙に濡れている大きな瞳が少年を捉える。
「中、入ろう」
手を差し伸べて。
「………」
それでも、少女は動かなくて。
「ほら」
手と少年の顔を交互に見て。
「どうした?
手、貸せよ」
「う、うん」
重ねられた手をしっかりと握って、少年は笑みを浮かべた。
立ち上がった少女を引っ張るようにして、扉の前へと歩いていく。
鍵を差し込んで、回して。
「あたし…」
カチッと重い音がわずかに響く。
「お姫様になれるかな?」
扉をゆっくりと、力を込めて開けていく。
「自信ない。だって、あたしだったら……きっとずっと泣いてるような気がする」
「王子が帰ってくるまで?」
「うん…。わかんないけど」
ステンドグラスは、相変わらず光を集めて、輝いていて。
少年はほっと息を吐く。
「でも…」
少年に連れられて、少女は教会へと入っていく。
その足は徐々に速くなって。
すぐに、少女が少年の手を引っ張る形になった。
「楽しかった思い出、なくさなかったら大丈夫かもしれない」
手を離して、少女は光の中でそう微笑んだ。
色とりどりの光の中、とても儚く見える少女の笑み。
瞳を見開いて、その様を見つめて。
少年もまた、光の中へと足を踏み出した。

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