大切な、大切な思い出。
大切な、大切な想い。
誰にも見せない。
誰にも教えない。
あの笑顔は俺のもの。
あいつは――俺のもの。
笑顔の時 1
教会を見上げる少年がいる。
嬉しそうに見上げるその少年の手には、祖父から預かった鍵が握られていた。
金色のその鍵を、ぎゅっと握り締めて。
少年は一歩、足を踏み出した。
子供の力では重いと思われる扉をゆっくりと力を込めて開け、少年はほっと息を吐いた。
自分一人が入り込める分だけを開けて、中へと入る。
見たかったものがそこにはあって。
少年は満面の笑みを浮かべていた。
正面のステンドグラスから零れた光は、磨き上げられた床へと降り注ぐ。
色付きの光は、全く同じ絵をそこへと映し出して。
やっぱり、キレイだなぁ…。
ゆっくりと足を踏み出していく。
光を全身に浴びるために。
自分も、光の一部になるために。
その時、ガタッと後方の扉から音がした。
「わぁー、キレー!!」
少年が振り向くのとほぼ同時。
耳に届いたその声に、少年は目を丸くする。
「あ、ごめんね。入ってもいい?」
薄い赤茶の髪の少女。
伺うようなその言葉に、戸惑いながらも少年はこくんと頷く。
「昨日も来たんだ、ここ。でも、開いてなかったから……」
「………」
「この頃、この辺探検してるの。ここの学校キレーだよね」
「…そう、だな」
ようやく声を発した少年に少女は満足そうに笑みを作る。
歩みを始めたその少女をじっと見つめて。
少年もまた、ゆっくりと振り返る。
「昨日ね、ここ見つけて…入りたかったんだ。外から見ただけでもキレーだったから」
「…悪い」
軽く、目の前の少女が首を傾げる。
何で謝るの?
そう聞いているかのように。
「ここのカギ、持ってるの俺なんだ」
手の中の鍵を見せて、少年は苦笑する。
「どうして…?」
「この教会を作るのに、じいちゃんが協力したんだ。ほら、あれ」
指を差した少年のそれにつられて、少女も顔を向ける。
見るたびにキレイだと思った光景を、一人ではなく、二人で見ている。
嫌だったはずなのに。
なぜかくすぐったくて、嬉しくて。
ほんの少し、わくわくする。
「あれ…?」
「そう、あれ。じいちゃんが造ったんだ。デザインから、全部」
「全部?」
「全部。で、この教会も…じいちゃんと父さんが」
「すごいね!」
驚きと笑みと。
そうやって、くるくると変わる表情を見ながら、少年も笑う。
大好きな、とっておきの場所。
そこに入り込まれたのには、確かにちょっとむっとしたけれど。
今はこんなにも楽しいから。
「でも、どうして探検なんてしてるんだ?」
不意に思いついた疑問をぶつければ、少女の顔はほんの少し曇った。
それに驚いて、少年もまた、黙り込む。
「…あたしね、弟がいるの」
ポツリと零された言葉は、椅子に腰かけながら。
「この間、お母さんと一緒に帰ってきたの、病院から」
「………」
「でもね、お母さんもお父さんも、弟にばっかりで…あたしのことはどうでもよくなってるみたいで」
「そんなこと……」
ないと思うけど、という言葉は、少女の苦笑にかき消される。
「わかってるんだけど、聞けないし。そばにいたくないから…行ったことないところに行こうって」
「そっか」
「うん……」
俯いてしまった少女に、少年もまた視線を落とす。
けれどすぐ、少年は顔を上げた。
そう言えばこの前…と、走り出す。
急に離れていってしまった少年に驚いて、少女も顔を上げた。
祭壇の上に置き忘れてしまっていた絵本を手に取り、少年は戻ってくる。
隣りに腰かけるその表情は笑みで。
「俺、お話してやる」
「お話……?」
「じいちゃんがいつも読んでくれるんだ。俺が泣いてたりすると」
表紙を見せ、少年は嬉しそうに笑む。
「? 読めないよ?」
「うん。じいちゃん、ドイツ人でさ。一生懸命、俺にわかるようにって読んでくれて。
で…覚えてるから」
淡い色彩で描かれた絵本。
その表紙をゆっくりと開き、少年は祖父の言葉を思い出しつつ、読み始めた。
馬に乗った王子さまが教会の前で、お姫さまと出会う――その絵を見ながら。
「むかしむかし、ひとりの王子が旅をしていました」
「旅の途中、ある国で道に迷った時のこと……」
「王子は森の中の教会で、美しい姫と出会いました」
「森の中の教会?」
少女がそこで声を上げる。
表情はほんの少し、明るくて。
少年はほっとしながら頷いた。
「ここみたいだね」
「そうだな。ここみたいだ」
「うん! じゃあ……」
わずかに考えて、少女はぱっと表情を変える。
とても嬉しそうなその顔に、少年は何だろう、と首を傾ける。
「あたし、お姫様!」
立ち上がってくるりと回った少女は、本当に嬉しそうで。
少年も立ち上がった。
「俺は…王子様かな?」
「そうだよ、王子様! 王子様と、お姫様!」
くすくす笑って、少女は続きをせがむ。
けれど少年は首を振った。
もう必要ないみたいだから、と。
「…つまんない」
「だって、おまえ笑ってるし。それに…もう帰らないと。俺だって、今日はこれを取りに来ただけだし」
「……つづき…いつ?」
瞳を覗き込んでくる少女に、少年は目を見開いて。
明日、と短く応えた。
「あした? また来ていいの?」
「ああ。明日。俺、ちゃんと待ってるから」
「うん!」
ぱたぱたと足音を立てて、少女は出入り口へと駆けていく。
その後ろを追いながら、少年は絵本を忘れないようにと持ち直した。
昨日も来ればよかった。
と…ほんの少し、後悔しながら。
扉を二人で閉めて。
向かい合って、二人はちょっと笑った。
陽はわずかに傾いて、空はオレンジ色で。
「あのね」
鍵を差し込んで、くるりと回す。
少し重い音が響いて、鍵がかかる。
「何?」
鍵を抜いて、握り締めて。
それから、少年は少女に顔を向けた。
「目の色。みどりなんだね」
「ああ…。じいちゃん譲り」
「ふーん。髪も、あたしと全然違うね」
「これも…じいちゃんと同じ」
みんなと違うことは、少年にとっては嫌で。
それを指摘されて、少年は少し…視線を落とした。
けれど、少女は嬉しそうに笑む。
「あのね、キレーだなって思ったの」
「え……?」
「髪の色、そんな色だったら…世界とか、もっと明るく見えそうでいいなって。目の色だって、とってもキレーだし。うらやましい!」
それじゃあね!
照れくさそうにそう言って。
少女は駆けていく。
「キレイ…?」
言われたことのない言葉は、ゆっくりと、徐々に少年の中を満たしていって。
少年は笑う。
くすくすと…たったひとりで。
歩き出したその歩調は、とても弾んだものだった。
|