あのね
嫌なわけじゃないんだ 決してそう 決して 嫌じゃない
こうなることを望んでいた時もあったし
……でも
わたしは逃げたんだ
だからそのまま
逃がしておいて
ほしかった
deceive 2
不貞寝している彼の頭の上。
綺麗な亜麻色の髪の上に、手作りの本を一冊乗せた。
亜麻色っていうのも、変かもしれない。
光の加減で、金色にも見える、彼の髪。
とにかく、彼の綺麗な髪を覆うように、わたしは台本を乗せた。
バランスを保っているそれを、彼は取ろうともせずに、不貞腐れているままで。
ガキ!
口の中で悪態を吐いてから、わたしは椅子に腰を降ろした。
「セリフ覚えてね。来週から練習、はじめるから」
「………」
「寝たふりなのはわかってるんだよ、葉月くん。頼むから何か言ってよ」
「嫌だ」
「はいはい。でも、寝てた君が悪いんだよ」
大きくため息。
わたしは表紙を捲って、そこに書かれている名前をとりあえず、役と共に覚えはじめた。
何本か持っている色ペンで、役名を塗りつぶしていく。
セリフの部分も、同様に。
何より、自分が見やすいように。
「おまえは何もしないのか?」
「僕は監督さん。演技指導、バシバシやってあげるから。期待してて」
にっこりと笑みを浮かべて。
わずかに顔を上げてくれた彼を見る。
頭の上の台本がずれて。
彼の背中へと落ちた。
それを手繰り寄せて、彼は表紙を捲ったけれど。
すぐに飽きたように、腕の下へと置いて。
また不貞寝再開。
「君は楽だよ。あんまり動かなくていいし、セリフだって、お決まりのものだし」
「嫌だ」
「感情入っちゃえば、君はかなりいい線、行くと思うよ。見た目が豪華だから、多少セリフ間違えても、見てる人は誤魔化されてくれると思うし」
「…やりたくない」
「わがまま言わないでください。もう決まっちゃったことなんです、これは」
「………」
「睨まないでよ。君を王子役にプッシュしたのは、このクラスのほぼ全員。僕は君が王子をやるならってことで、これ書いたんだから」
「………」
無言で身体を起こして、彼は台本を読みはじめる。
わたしが書いたんなら読んでやろうってことか?
何かそれって……ほかの人に失礼なんじゃないかと思うんですけど?
「それにさ、君のイメージで、もう衣装とかもデザインされてるし。神崎さんだって、部活と両立させてくれてるし」
「………」
「ごめんねって言ったら、おもしろそうだから大丈夫って言ってくれたよ。シンデレラ自体は誰でも知ってる話だしね。台詞だって、話の流れさえあってれば、全部アドリブでもいいくらいだし」
もちろん、周りの人間がそれに対応出来ればの話だけど。
だから、どんな風に間違ってもいいように、台本は作り込んである。
セリフの意味さえあっていれば、次の人のセリフは繋がる。
そんな風に。
「君ら二人はかなりいい絵だね。それだけでもう、お客さんは入るでしょう」
「………」
「それでもなお、やりたくないって言うんなら、代役、誰かにお願いしてきてください。多分、誰も引き受けてくれないだろうけど」
「…………」
「ちなみに、このクラスの人間じゃないとダメだからね?」
念を押せば、彼はまた、ぱたっと机に突っ伏した。
観念してくれたんだろうか。
だったらいいんだけど。
「それにね、僕も見たいんだ。君の王子様」
「どうして?」
「演技力がどの程度なのか知りたい」
「俺の?」
「ほかに誰がいるの?」
「………」
「それに…神崎さんと並んだら、さぞかし綺麗だろうし」
教室の中。
彼女を中心にして、もうすでにセリフ合わせがはじまっている。
その様子を眺めて、わたしは微笑った。
おどけて、セリフが発されて。
どっと笑いが降る。
その中心で控えめに笑っている彼女。
「神崎さんってさ、美人だよね」
「そうか?」
「うん。綺麗っていうんじゃなくて、美人。性格がね」
「…確かにな」
彼が他人を誉めることは珍しい。
そうか、彼もそう思ってたんだ。
ほんのちょっと――胸が痛んだ。
ちくりと。
でも、わたしは胸に手を当てるようなことはしない。
好きじゃない。
恋じゃない。
ただ、欲しいと思ってるだけなんだから。
「ケガしないでね、王子様」
台本を丸めて、ポンッと彼の頭を叩く。
そして、わたしは立ち上がった。
わたしが台本を書くと言った理由は二つある。
一つは、わたしじゃないと書けないだろうと思ったから。
彼をうまく使う自信が、わたしにはある。
それだけ、細かく彼を見てるという、自信があったから。
二つ目は…そう。
誰かと並んでいる彼を、間近で。
同じ舞台の上で、見たくはなかったから。
なのに――。
「はぁ!?」
朝練にと早く集まった教室内。
突然の報告に、わたしの声は裏返る。
文化祭まであと一週間を切った。
ほぼ完璧になってきたその時に、事件というのは起こるもので。
「だから、神崎さんがケガしちゃったんだって!」
「………」
絶句。
何も言えない。
彼女には何も言わなかったわたしが悪いの?
彼はピンピンしてる。
やる気になってくれたらしく、本当にケガ一つなく、ここまで来ている。
そして今、目の前で練習してくれていたんだけど。
「どこを?」
彼が聞く。
あ、そうだね。
それを聞かないことには、はじまらない。
腕ならまだ、フォローのしがいはある。
けれど…。
「足! 昨日、演劇部の方で、舞台から落ちちゃったらしくて」
ちょっと待って!
それはあんまりだ。
「捻挫しちゃったって」
「どれくらいで治るって?」
「二週間はかかるって」
「………」
大きくため息。
完璧に、事故じゃない。
故意に起きたものだと想像が付く。
大体、舞台から役者が落ちることは、絶対にない。
端ギリギリで演技することは、あまり……綺麗なこととは言えないから。
彼女が咄嗟に吐いた嘘だろう。
全く、この王子様は。
一体何人、そういう嫉妬深い女の子のファンがいるんだか。
「ねぇ、どうしよう?」
どうしようって、どうするの?
取れる対処法は一つだけ。
でも、それはわたしが嫌だ。
絶対に、嫌だ。
クラス全員が考えている。
頼むから、誰も気づかないで欲しい。
わたしは台本に目を落とす。
舞踏会のシーンがあるから、神崎さんにこのまま役をやらせるのは無理。
第一、シンデレラは王子の元から走り去るのが普通だ。
絶対に無理。
それに、もうあと一週間もない。
この中で、彼女のセリフが全部入っている人間は……わたししか、いないわけで。
あーもう、絶対に嫌だからね!
向けられた視線の意味は知っている。
よく知っている人物の視線。
それを無視するみたいに、わたしは延々、台本を見続ける。
でも、効果はなかった。
「田端」
頭の上から声が降る。
視界の中に入った足には、ものすごく、見覚えがある。
声だって、毎日のように聞いてきた。
「何?」
肩を落として、吐息交じりにそう発する。
君は気づくよね、そりゃ。
「おまえがやれ」
「……やっぱり、それしかない?」
「ない」
「姫役なんて、絶対に無理なんですけど」
「何とかなるだろ」
「逆にさ、君が姫役やらない? 王子役なら、多分うまくやれると……」
「嫌だ」
いつもより少し強めに言われて。
わたしははぁーっと大きく息を吐く。
やりたくなかったんだよね、どうしても。
だってさ、芝居とはいえ、彼に告白されるわけじゃない?
勘違いしちゃう気が、ものすごくしちゃうわけよ。
それってつまり、もう手後れってこと。
感情があとから付いてくるわたしのこの気持ちは。
どうやらもう、そこまでのものになってしまったみたいで。
ならばわたしは、今日からシンデレラを演じ切ろう。
文化祭が終わる、その日まで。
そうすれば、彼の言葉はわたしに向けられたものじゃなくて。
『シンデレラ』という女の子に向けられたものになるから。
わたしは立ち上がる。
衣装担当に加わっている友達を見る。
「衣装、大丈夫?」
「シンデレラの方は、まだ作ってないわ。今日からかかる予定だったから」
「じゃ、寸法からやり直しになるね。ごめん」
有沢さんの言葉に、わずかに安堵。
冗談じゃない!
って思ってるけど。
仕方ない。
わたし一人のわがままで、みんなの努力を、無にはしたくない。
「かなりお転婆なシンデレラになるとは思うけど?」
「大丈夫だろ? みんな練習してきてる」
「誰かさんが鍛えてくれたおかげでな!」
笑いが降る。
こんなこと、わたしは全然、予想してなかった。
わたしはぺこりと頭を下げる。
もう、覚悟するしかないわけで。
「お願いします」
深々と頭を下げて。
わたしは軽く、瞼を閉じた。
「ごめんね」
その日、SHRギリギリになって教室に現れた彼女は、クラスメイト全員に向かって、そう言葉を発した。
みんなは口々に、彼女を労って。
そして、部の方は平気なのかと、心配して。
「部の方は何とか。元々……足の悪い女性って設定だったし」
ちょっと笑ってそう言って。
彼女はまた、謝罪の言葉を紡ぐ。
本音と演技の区別は、わたしは誰よりも――付くつもりで。
わたしは彼女の様子に、やっぱりもう少し注意しておくんだったと後悔した。
氷室先生がやってきて。
文化祭のことでの変更事項が、委員から先生へと簡潔に述べられて。
氷室先生はわたしに、大丈夫なのかと声を掛けてくれた。
それにわたしは、平常心を持って、大丈夫です、と短く答えた。
一日の日程と注意事項。
それで、SHRは終わる。
「平気?」
セリフを反芻しはじめた一角を避けて、わたしは彼女のそばへと行く。
小声で話し掛けたのに、神崎さんは気づいてくれた。
「うん、大丈夫。本当にごめんね。田端さんには迷惑掛けちゃって」
「それはいいよ。けど……本当はどこから落ちたの?」
「………」
彼女はわずかに目を見開いて。
それでも、「だから舞台から……」と言葉を紡いだ。
「そんな、舞台の端ギリギリで演技するのはよくないよ。遠近法、間違ってる」
「………。……でも」
「言い方変えるね。誰に落とされた?」
教室内は、わたしたちの会話には耳も貸さない。
気づかないまま、練習に励んでいる。
彼女は俯いて、小さく頭を振った。
「そか。ごめんね。もうちょっと…そっちの方にも気を配っておけばよかったね」
彼女はまた、首を振る。
「演劇部の方にだって、迷惑掛けちゃったし。嘘の情報、流しておけばよかったかもね」
今になって、彼女を守る方法を思い付いても仕方ないんだけど。
短く息を吐いて、ごめん、ともう一度紡いだ。
その時、一つに縛っている髪を引っ張る手があった。
「ちょっ、思いっきり引っ張るな! 痛いって!!」
「あ、悪い」
ぱっと手が離されて。
わたしはゴムを取る。
簡単に手櫛で整えて、髪を縛り直して。
やってる間に、悪戯を仕掛けてきた人間を振り返った。
「何か用?」
「……べつに」
気まずそうにそう言った彼は。
きっと、今の会話を聞いていたのかもしれない。
「君、厄介なファンがいるんだね」
「…みたいだな」
「ごめんね、葉月くん」
やっぱり、聞いてたんだ。
そう思ってたら、彼の存在に気づいて、神崎さんが顔を上げた。
それに、平気平気、とわたしが答える。
「大丈夫だって。神崎さんは何も心配せずに、治療に専念して」
「おまえが言うな」
「何で? あ、でもさ。演技指導はしてくれるとありがたいな。何せ、姫役なんて、一度もやったことないから」
「田端さんって、そういうイメージないもんね」
「自分でもそう思います」
彼女と顔を見合わせて笑って。
やっぱり、彼女のお姫様は、一度見ておきたかった。
そう、わずかに後悔した。
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