気づいたときには もう 遅かったかもしれない

それでも
そう それでも

わたしは心を偽ると決めたんだ

彼の心が動かないうちに

わたしは彼の心の中で
確固たる地位を得てしまおう

動かないその気持ちを
その地位を
その――立場を

それでも もし 出来なかった時は

わたしは
一番嫌な方法を
取るしかない

そう 何より
彼の心を 守るために




deceive 1





ここに腰掛けて、どれくらい経っただろう。
とにかく、何か……悔しくて。
いやいや。
何か、じゃないな。
はっきりしてる。
彼に対して感じてしまったことに、とにかく悔しいとしか思えない。
悔しい悔しい悔しい悔しい。
そんな思いを込めながら、目の前を泳いでいく彼を見続けた。
気づいたのか、彼がぴたっと止まる。
わたしの前を少し通り過ぎた辺り。
左斜め前で、彼は泳ぐのを止めて。
わたしの方を振り返った。
「どうした?」
眉間に皺をわずかに寄せて。
彼はわたしへと、そう問い掛ける。
だからわたしは、素直に答えてあげた。
「悔しくて」
そう、一言。
「何が?」
「葉月くんって、着痩せするんだなって思ったから」
「……それが?」
「服着てるとさ、何て言うか…君って、そんな男の子男の子してないわけよ」
「?」
「だから! 見た目の綺麗さばっかり、際立つわけ! そんながっちりしてないんじゃないかなって思うぐらい、その……線が細いって言うか、何て言うか……」
「ああ…」
自分の身体をほんのちょっと眺めてから、彼はそう言葉を綴った。
わかったらしい。
とりあえず、ほっとしてみる。
彼がゆっくりと、水をかき分けて近づいてくる。
……だから言ってるじゃん。
見せ付けられると、もっと悔しくなる。
「それで?」
「だから、悔しい」
「………」
「実は君って、肩幅結構あったんだな、とか。結構がっちりしてるんだな、とかって思ったら、途端に悔しくなった」
「………」
はぁ、と短くため息を吐いて。
彼はわたしの隣りに立つ。
プールの縁に腰掛けたわたしより、彼はわずかばかりに低いだけ。
それもまた、悔しい原因。
「身長、いくつ?」
「180」
「僕、162」
「………」
「いいなー、背高くって」
「あと何センチ欲しいんだ?」
「……せめて、あと5センチ」
「そうか」
「ずるい」
「そう言われても、どうすることも出来ないだろ?」
「でも、ずるい」
またため息。
「何かやってる?」
「何もやってない」
「それでそんな身体付きなわけ?」
「ああ」
「ずるい」
「…………」
「あーもう! くーやーしーいー!!!」
バタバタと足を動かして。
八つ当たりでもするみたいに、彼の背中を軽く叩いた。
手跡が付かない程度に、軽く。
それでも音はきちんと辺りに響いた。
「仕方ないだろ」
その手を捉えられて。
それでも動こうとするわたしを、水の中へと引き込もうと、引っ張って。
「へ? えっ、ちょっ!」
バランスを崩して、わたしは敢え無く撃沈。
すぐに浮き上がったものの、急なことに、わたしの頭は働いていなかった。
彼が目の前で小さく肩を揺らす。
前髪から、ぽたぽたと水滴が落ちていくのが見えた。
肩にも、水滴が落ちていく。
「な、何すんのー!」
言いながら、思いっきり、水面を叩いた。
両手でやったものだから、飛沫は高く舞い上がって。
またわたしは、それを見事にかぶった。
「………」
わたしは絶句。
水滴がぽたぽたと垂れていく。
彼は笑う。
大声で、力いっぱい。
「笑うなー!」
怒って言っても、効果はなくて。
ただただ、笑われるだけで。
仕方なく、彼に水をかけた。
頭に向かってやったら、うまくいって。
彼は絶句する。
水滴がぽたぽた落ちる。
わたしは笑ってた。
顔を顰めた彼に、わたしはまた笑う。
「田端」
「いいじゃん、水も滴るいい男! きゃははは」
瞳に涙を浮かべて、なお笑って。
それを止めるみたいに、彼の手がわたしに伸びて。
後頭部へと、伸びて。
ぐいって引き寄せられたと思ったら、また水の中で。
押え込まれて、咄嗟のことで、息が続かなくて。
足を思いっきり蹴ってやったら、その手が緩んだから。
大急ぎで浮き上がって、息を吸った。
「ひ、酷いことするね、葉月くん」
「おまえ、笑い過ぎ」
「君だって笑ってたでしょー?」
呼吸が整わないうちから口喧嘩。
いつものことだから、彼は真面目に取り合ってくれなくて。
そう――わかってる。
これが、『男』と『女』の違いだってことぐらいは。
彼の手は大きくて。
男の人の、手で。
身長が高いのだって、男の人だからで。
体格ががっちりとしてるのだって、男の人だからで。
いくらわたしがずるいって思っても。
それはもう、仕方のないことだっていうことぐらい……わかってる。
けど。
それでも。
知りたくなかった。
同時に、いらないことにまで、気づいちゃったから。
――彼が欲しい。
――彼がいい。
よくわからないけど、そう思ったら。
彼を友達と見ていない自分に、気づいてしまった。



大体、何で温水プールだったんだろう?
提案したのはどっちだったっけ?
わたしだっけ? 彼だっけ?
そりゃ、身体動かしたいかも、とは言ったような気がするけど。
臨海公園の煉瓦道を延々歩いててもよかったんだけど。
昨日のことを思い出して。
わたしは軽く、ため息を吐いた。
今日から文化祭の準備がはじまる。
今年は何か、劇をやる…とかいうことになって。
二週間じゃ足りないから、授業の合間とか縫って。
休み時間とか、放課後とか。
とりあえず、使える時間をすべて使って。
月曜日から――つまり、今日から三週間分を、文化祭の用意に割り当てるってことになった。
まぁ、学園演劇の代表クラスになっちゃった、我が氷室学級だけなんだけど。
「ほかのクラスは、何となーく、大道具とかの手伝いするだけなんだって。ずるくない? そういうの」
ぶちぶちと文句を言いはじめたわたしの後ろの席に陣取っている彼は、すでにもう、眠たそうにしていて。
放課後に当たる今の時間は、何を題材にするかで討論されてる真っ最中。
別にやることないからいいんだけどさ。
話に加われない人間は、それぞれに好き勝手なことをやりはじめていて。
わたしだって、勝手に椅子を壁に押し付けて。
背もたれだけじゃなく、壁に――窓かもしれないけど――に、身体を預けて、腕を組んでみてる。
足首の辺りを軽く絡めて。
教室内を見回して。
一角で、有沢さんが参考書を開いているのが見えたときは、「ああ、やっぱり…」なんて思ってた。
黒板を見れば、女の子たちが挙げた演目がずらずらと書き連ねられている。
眠り姫にはじまって、白雪姫やら、人魚姫やら。
つまりそう言う、お姫様がおいしい役を持っていくものばっかり。
わかるけどね。
多分、もうすでに――王子役を見越してのことだろうぐらいは。
でも、彼にそこまでの演技力があるとは思えないから。
この場合は……。
「シンデレラ、だろうな」
ぽつっと呟く。
けど、聞いてた人はいるみたいで。
「田端がシンデレラだって!」
という一言で、黒板にそれが書き加えられた。
仕方なく、そこで挙手。
すぐ右側をちらりと見れば、彼はもうすでに夢の中で。
相変わらず寝つきいいね、なんて、ちょっと呆れた。
「あのさ、どうせ葉月くんに王子役やらせるつもりなんでしょう?」
「「「「当然!」」」」
何人かの女子が一斉に声を上げてくれる。
いい反応。
「じゃさ、シンデレラ。彼に出ずっぱりはさせられないと思う。仕事の方もあるだろうし…第一、そこまで演技力があるとは思えないし」
「………」
何が言いたいんだろうって思ってるんだろう。
周りでひそひそと話し声。
「シンデレラなら、主役が頑張れば何とかなる。王子は最後の方にちょこっと出て、気障な台詞吐いて、それで終了でしょ?」
「確かにそうね」
後ろの方、つまり…わたしからすると、右の方から、支援の声。
よく聞いて、知っている声。
有沢さんだ。
「セリフも少ないし、やることもあまり目立たないわね。王子の周りの人間が、咄嗟にフォロー出来ればの話だけど」
「出来る人間を配置する! もしくは、どんな時にでも備えられるように、台本作って練習する! ……ってことで、シンデレラをやるんだったら、僕が台本書くけど?」
にっこりと笑えば、もう、即決定って感じ。
表が動くのは、裏方が大体終わってからでないと無理だし。
それに、一番厄介なのは台本。
早く仕上げないと、すべてが後回しになっていく。
それをわたしが引き受けてあげようって言うんだから、否はないはず。
決を採るまでもなく、演目はシンデレラに決定して。
台本作成に、わたしの名前が記載された。
そこから先は早い。
王子役に彼の名前。
姫役に、男の子たちの推薦で、神崎さん。
わたしも、彼女に異議はない。
演劇部だし、演技上手だし。
何より、彼女は花形を張ってるぐらい、可愛いし。
性格だって、かなりいいし。
ほわほわしてて、クラス内の誰からも好かれているし。
性格美人だと、それが外にも漏れ出すのかもしれない。
女の子たちからの反論は、皆無だった。
どうやら、彼の王子ぶりが見られれば、それでいいらしい。
とにかく、この二人が主役。
ならば!
わたしはルーズリーフと筆箱を鞄から取り出して。
そして、文字を連ねはじめた。
彼女には、少しぐらい無理させても平気だろう。
そんな風に考えは付くし。
だったら彼に自然なセリフ運びをさせよう。
と、そっちだけに集中する。
細かい配役だとか、小道具だとか衣装だとか。
そういうものが次々と決まっていく中、わたしはずっと、物語を思い出しては反芻して。
あまり長くならないようにと気を付けながら、脚本を書き進めていた。




我ながら、ものすごく早いとは思った。
どうしても入れたいだろうと思われるものは入れて、いらないものは省いて。
念のため、有沢さんに読んでもらったんだけど。
「いいんじゃない? 大丈夫よ、充分」
そう、誉め言葉だか何だかわからない言葉を頂けたので、文化祭実行委員に提出してみたりした。
そうしたら。
「…もう出来たの?」
「うん…。何かね、楽だった」
既存のものをやるわけだし。
過剰な脚色、するわけでもないし。
本当に、楽で。
パソコンで清書しても、たった二日。
そばで聞いていたクラスメイトも、驚いてた。
「ダメなところあったら、書き直す…けど」
黙々と読み続ける人が目の前にいると、どうも落ち着かない。
早く感想言って!
そう、叫んでしまいたくなる。
水曜日の昼休み。
衣装は出来るだけ手作りにすると決めたとかで、手芸部の人間が中心になって、服のデザインを考えていた。
その別の一角で、脚本についての相談。
というか、書き上がってるわけだから、相談も何もないんだけど。
「いいんじゃないかな?」
呟くように、そう感想が述べられて。
「主役二人がセリフ言ってるの、簡単に想像できるし」
そう付け加えられて、わたしはほっと、息を吐いた。
あと、わたしの仕事は演技指導。
脚本を台本って形に直して、役をやる人間に配ったら、そこからが勝負。
とにかく、練習は来週からやることに決まっているから、今週のわたしの仕事は、脚本を台本に直すこと。
金曜までにそれをやれば、氷室先生が人数分コピーしてくれるってことになって。
土曜にそれを配って、二日でセリフを頭に叩き込んでもらって。
月曜から、練習。
日程を頭に入れ直して。
わたしは小さくガッツポーズを繰り出した。


「何て言うのかな? 嫌なわけじゃ、ないんだけどね」
電源が入ったままのパソコンを放って、わたしは電話をし続ける。
嫌なわけじゃない。
ただ、何となく……見たくない、と言うか。
「彼は綺麗なんだけど。もちろん、彼女は可愛くて、彼の隣りに並ぶには、ものすごくいいと思うわけよ」
『絵になる、ってこと?』
「そう、そんな感じ」
ギシッと、椅子が悲鳴を上げた。
背もたれに勢いよく、背を預けたからだろうとは思う。
「だからね、見てみたいっていう気はしてるんだけどね。でもその……」
『惚れたんでしょ? 結局、玲ちゃんは』
「…………」
何も言えなくて、とりあえず黙ってみる。
肯定しない代わりに、否定もしない。
それでも、電話の相手はわかってくれる。
『彼の一番そばにいるのは自分っていう自信があっても、今の関係が崩れることは嫌なんだ?』
ほらね、わかってくれる。
わからなくていいことまで、彼女は暴いてくれる。
だから、わたしは自分の気持ちに気づかされる。
「うん。というより……隣りには並べないから」
『何それ?』
「今度話すよ。ちょっと、長くなると思うから」
『はいはい。玲のそれは、結局は話さないっていう意味なんだけどね』
ぐっと言葉に詰まる。
『気長に待つよ。玲が話したいって思うまで』
うん。
いつかは話す。
だから、待ってて。
心の中で言葉を紡いで。
届くかどうかわからないけれど、彼女に向けた。
『学祭か。ウチももうすぐなんだよね』
「どうせまた、来られないんでしょ? 彼氏の方に行っちゃうんでしょ? 麻衣は」
『…いや、行こうと思えば、行けるんだけどね』
「? んじゃ、来るの?」
『多分、無理』
「?」
『学祭の用意、ちょっと抜け出せそうにないんだよね。ウチ、一週ずれてるからさ』
なるほど。
じゃあ結局、麻衣は彼には会えないわけだ。
高校三年間。
「紹介したかったんだけどな」
『ごめんね。コータはまた会いたいって言ってたよ、玲に』
「それはどうも」
言葉を切って、パソコンの画面を見る。
書き直す作業も、もうすぐ終わる。
でももう、時間も遅いから、今日はここまでかな。
そんなことを考えて、保存して。
『惚れた…ってわけじゃなさそうだね』
言葉に、電源を切ろうとしていた手は止まった。
『まだ余裕そう。彼に対して、玲は何を望んでるわけ?』
「………」
『玲のそれは恋じゃない。好きって感情が見られない』
やっぱりそうか、なんて…変に納得してる自分がいる。
恋じゃない。
それは、何となくだけど――思ってた。
「あのね、欲しいって、思ってるだけ」
『欲しいって?』
「うーん…彼氏として? どんな形でもいいから、そばにいて欲しいなってことかな。つまり、誰よりもそばにいて欲しいなってこと」
『私よりもそばにってことか』
「うん。だから、恋じゃない。それは、自分でも思ってた」
電源を落として、椅子を引いて。
わたしは立ち上がる。
「だからかな? まだ余裕なの」
『多分ね。でも、近づく気はないんでしょ?』
「…………」
『無理だと思うよ、きっと。あとから感情がくっついてくるっていうのは、一番厄介だから』
「でも……」
『無理しない程度に頑張りなさい。愚痴ならいくらでも聞いてあげるから』
息を吐いて、ベッドの端に座る。
あとは眠るだけ。
明日は、バイトがある。
帰ってきたら、続きをやろう。
「ありがとう」
素直にお礼を言って、通話を終わらせた。
願う心に蓋をすれば、何とかなる。
欲求なんてものは、いつかは納まるものだし。
無理だとしても、卒業してしまえば……彼に会わない方法は、いくらでも思い付くし。
大丈夫、大丈夫。
何かの呪文のように、そう、心の中で唱えて。
わたしはベッドの中に潜り込んだ。
新しく、明日という日をはじめるために。
迎えるために。
何もかも忘れて、わたしは一時の眠りの中に、身を浸した。

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