綺麗なものを君と見たい

その言葉は本当だから

だから いつか

いつか きっと…

そう思ってた




夕闇の直前 1





寒くなってきたなぁ、なんて思いながら、わたしは空を見上げた。
家の、自分の部屋の窓から。
窓ガラスはひんやりと冷たそうで。
はっきり言って、触りたくないから…少し離れた場所に座り込んで。
あと一週間もすれば十二月。
そんな十一月の終わりに、わたしは何をするでもなく。
ぼんやりと静かな休日を過ごしていた。
青い空を、白い雲が横切っていくのが見える。
フローリングの床に、そろそろラグでも敷いた方がいいかもしれない。
足の下からの寒さに、わずかばかりにそんなことを考えた。
ゆっくりと、白い雲は空を横切る。
わたしの視界を…横切っていく。
もうすぐ、あの季節だ。
とも思う。
ここに越してくる前に知った、あの季節。
仲のよかった中学の時の恩師の言葉が、今でも耳に残ってる。
「今年…どうしようかな」
ポツリと零して。
カレンダーに瞳を向ける。
十二月…そう言えば、期末試験があったっけ。
「試験勉強なんて、やらないけど」
うーんっと腕を上方に伸ばして、肩の力を抜く。
去年は…一人で行ったんだっけ。
思い出して、目を細める。
変わってなかったなぁ。
そう思ったところで、ベッドに放っておいた携帯が音楽を奏でた。
わたしの、中学からの親友専用の着信音。
急いで立ち上がって、携帯を手にして。
ベッドの上に寝転んだ。
うつ伏せに。
顔は、窓の方を向けて。
「もしもし? 麻衣?」
『あ、玲?』
「うん。何?」
『中ちゃん先生に聞いてきた。十四日、担当日なんだって』
「十四日?」
『そう。行くんでしょ? 中ちゃん先生、待ってるって。私は用事があって行けないけど』
「そっか。中ちゃん先生に聞いてくれてありがとね、麻衣」
『いいって。それよか……』
会話が別の方向へと移行する。
十四日なら、試験も終わってるから、大丈夫かな。
考えながら、言葉を紡ぐ、わたしの瞳には。
また、大きな雲が、空を侵食していくのが見えた。






さて、どうするかな。
帰り支度を整えたわたしは、鞄を机の上に乗せた状態で、しばし固まっていた。
彼を誘おうと思えば、誘えるけれど。
ちょっと遠いしなぁ。
思いながら、息を吐く。
鞄の持ち手を両手で持って。
そのまま、窓際のその席から、空を仰ぎ見る。
彼に、あれを見せたい。
その気持ちは充分にある。
綺麗なものを一緒に見たい。
彼にその言葉を届けたその時から――いつかはあれを、と思ってた。
あれ以上に綺麗なものを、わたしは知らないし。
それと同時に、あれ以上に切ないものを、わたしは知らない。
彼に教えてあげたい。
わたしが、教えてもらったのと、同じように。
「田端」
声を掛けられて、わたしは振り返る。
座っているわたしのそばには彼がいて。
わたしはちょっと、笑った。
「今日はちゃんと起きれたんだ?」
「いや、何か…午後はずっと起きてた」
「……珍しいね。何があったの?」
「さあ……」
軽く首を傾げた彼に、吹き出して見せれば。
彼は怒ったように、ムッと顔を顰める。
「ごめん。何か、あまりにも…かわいかったから」
「おまえ……」
「ごめんて!」
まだ溢れ出ようとする笑いをどうにか押し込めて。
わたしは椅子を引く。
彼は察したようにわたしが立つスペースを空けてくれた。
「帰るんでしょ?」
「ああ」
「もしかして、お誘いに来てくれた?」
「まあな」
「いいよ。帰ろう」
言いながら立ち上がって。
わたしは椅子を机へと押す。
鞄を左手に持って、彼の前を歩き出した。
「これからもっと寒くなるんだよねー。今でも充分、寒いのにさ。新しいコート、買おうかなー」
「去年のは?」
「真っ黒で、好きなんだけどね。葉月くんは白が好きなんだっけ?」
「ああ」
「僕、白って似合わないからさ、ちょっとパス。君は似合うだろうね。天使のイメージ、ありそうだし」
「天使?」
「そう、天使。僕は、どっちかって言うと、悪魔じゃない? 小悪魔って、なっちんが言ってたし」
鞄を後ろで両手で持ち直して、彼に問う。
彼は少し、考えて。
「そうかもな」
と、わたしの顔を見て、言った。
「でしょう? だから、僕は黒なわけよ」
くすくす笑いながら、隣りを歩く。
歩調を合わせてくれていることを知っているから、わたしは自分のペースで歩ける。
彼は優しい。
それなのに、彼が持ちあわせている綺麗さゆえに、みんながそれに気づかない。
勿体無いな。
本当にそう思う。
「でも、いっかなー、あのコートで。自分でバイト代貯めて、初めて買ったヤツだし」
「そうなのか?」
「そうなの。だから、結構お気に入りなんだ。自分に御褒美って、ちょっと高かったんだけどね」
階段を降りていく。
すれ違う生徒の目が、わたしたちを見る。
仕方ない。
彼は目立つから。
その隣りで笑うわたしも、今は目立つ存在だし。
「秋が終わって、冬が来て。またすぐに春になって。一年ってあっという間だよね。今度春になったら、三年だよ? 僕ら」
「そうだな」
「葉月くんは、進学希望?」
「ああ」
「そっか。そうだよね。君のあの成績なら、普通か」
「おまえは?」
「ん?」
「おまえだって、行く気になれば行けるだろ? 一流」
「……パス」
「どうして?」
「大学行ってまで、学びたいことってないし。だから、試験勉強、しないんじゃん」
「してないのか?」
「してないよ?」
「いつ勉強してるんだ?」
「授業中」
最後の一段を抜かして、飛び降りる。
うまく着地して振り返れば、彼は眉根を寄せて、そこで止まってた。
「授業中って…それで、あの成績なのか?」
「そう。君が超能力なら、僕のも似たようなものかもね。一度聞いたものは、なかなか忘れないんだ。ただし、覚えようと思いながら聞いたものに限るけど」
「………」
「授業中に教科書の内容、先生が教えてくれるじゃん? それを聞いて、まず覚えて。で、先生の説明が終わらないうちに、自分の中で理解して。教科書見ながら、予習を始めるの。数学で言うなら、問題解いちゃうんだ。教科書に答えを書いていって。問題をやる時間が与えられたら、とりあえず、ノートにそれを書き取って、次のところを見ておくの。自分の中で、こうかなって理解しておいて。で、先生が説明を始めたら、その時が、復習の時間」
「…なるほどな」
「試験範囲に目星点けておいて。これ以上は覚えなくてもいいかもしれないってなったら……その時初めて、居眠りするのさ。しかも、先生にバレないように、シャーペン持ったままで、頬杖ついて。下向いておけば、先生からは、ちゃんとノート取ってるんだな、程度にしか見られないからね」
「………」
「机に突っ伏したら、あからさまだからさ。ま、君ぐらい、成績よければ、叱責も氷室先生ぐらいにしか受けなさそうだけど」
くるりと進行方向を向いて、歩き出す。
すぐに隣りに付いた彼は、隣りのクラス。
下駄箱の場所が違うから、またすぐに別れた。
上履きを脱いで、それを持ち上げて。
鞄を持ったままの左手で下駄箱を開けて、上履きを仕舞って、靴を取り出して。
閉めて、靴を下ろす。
そんな一連の作業を終えれば。
「お、玲ちゃん、これから帰りか?」
「あ、ニィやん」
そう、声を掛けられた。
顔を上げて、手を挙げたニィやん――姫条まどかくん――のそこへ、手のひらを当てる。
もちろん、力いっぱい。
「イッタイなぁ、いつもながら」
「いいじゃん。ニィやんも今帰り?」
「そうや。これから急いで帰って、部屋の掃除でもしよか、思うてな」
「大変だねー、一人暮らし」
「そうでもないけどな。でもま、学業との両立は、ちと厳しいかもなぁ」
「勉強してる暇がない?」
「しようと思う、暇がない」
「それじゃダメじゃん!」
笑いながら、靴を履く。
視界の端、彼が待っている姿が映る。
「それじゃ、僕行くね」
「あ、ちと待って」
「?」
振ろうと挙げた手。
それが、色黒の彼の手に収まって。
わたしはニィやんへと瞳を向ける。
「今週の日曜、空いてへん?」
「……暇なら、勉強するべきなんじゃないの? この時期」
「それはそうかもしれんけど……」
「また赤点取って、補習になっちゃうよ?」
「それ言われるとイタイわー」
ニィやんが苦い顔をする。
でも、何となく…彼が何をしたいのかがわかったから、わたしは仕方ない、と息を吐き出した。
「――誕生日、近いもんね」
「…わかるんか?」
「言ってないけど。自分から言うものでしょ? そういうのって」
「さすが玲ちゃんやな。隠し事、でけへんなぁ」
「いいから。買い物行くんでしょ? それとなく聞いておいてあげるよ。彼女、欲しい物はたくさんありそうだし」
「そやな、頼むわ。で、付き合ってくれると嬉しいんやけど」
「もちろん、大事な友達の頼みだしね。聞いてあげる。たーだーし、お礼の品は、用意してよ?」
「きちんと用意させてもらいます」
笑みを浮かべた彼に、笑みを返す。
そして、きちんと靴を履いて、ニィやんに向き直った。
「じゃ、待ち合わせ場所とかはおいおいね。欲しいもの聞いてから決めた方が、効率はいいし」
「そうやな、その方がええな。じゃ、頼むわ」
「オッケー」
もう一度、手を叩いて、わたしは踵を返す。
手を振って、「また明日ね」と言葉を届けて。
そして、彼の目の前で、足を止めた。
「ごめんね。待たせちゃいました」
「いや……」
笑って言ったのに、彼は笑っていなくて。
仕方ないか、と思いながら、視線を外して歩き出した彼に、付いて歩く。
夕日が傾きはじめた空は、わずかにオレンジ色で。
わたしは授業から解放されたことに、大きく伸びをした。
「一年はあっという間って思うけど、一日は結構長かったりするよね」
腕を下ろしながら、話しはじめる。
「………」
彼は無言。
まったく、どうしてそう、何にでも独占欲を向けるんだか。
わたしは大きくため息。
そのあとで、口を開いた。
「ところで葉月くん」
「…?」
顔を見る。
校門までは、あと少し。
「十二月十四日、スケジュール…空いてる?」
「……たぶん」
「じゃ、その日。ちょっと…遠出しない?」
「遠出?」
「そう。この、制服で」
「?」
彼が眉を顰めて。
わたしは悪戯な微笑を浮かべるに留めて。
「晴れるといいんだけど」
そう、願いのように、口にした。

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