びっくりしたんだよ?
本当に。
心配したんだから。いつも以上に。
だって――あんなあなたの姿、初めて見たから。
新
鍵を差し込んで、回して。
そういう金属の低い音がリビングまで聞こえてきて。
「尽?」
って言いながら、お母さんが玄関まで迎えに出る。
その後ろ姿と玄関の戸を開ける音が重なって。
直後に、その名前は紡がれた。
「お帰りなさい。…あら、珪?」
え?
驚いたあと、大丈夫? なんて言う声が聞こえてきたから、わたしも急いでソファから立ち上がった。
何があったんだろうって、すごく気になったし。
手伝えることがあるなら、わたしだって手伝いたい。
「あ、優菜」
廊下に出たわたしを見つけて、お母さんが声をかけてくる。
視界に入ったのは、彼の姿。
ぐったりしてる彼は、尽の肩に手を回してて。
尽はずり落ちないようにって、一生懸命、その腕を支えていた。
「どうしたの?」
ちらりと瞳を向けてくれた彼のそばへと寄りながら、声をかけて。
突然の訪問にびっくりしたけど。
でも今は。
彼のそんな姿を見てしまった今は。
心配で、不安で。
……泣きそうになる。
「仕事終わってからのスタッフとの打ち上げ、誘われてさ。オレ、見学だけだったのに、一緒に行かないかって。で、行きたかったから葉月に付き合ってもらってさ。で、いろんなもの飲まされたらしくて、気がついたらこうなってた」
「なってたって…。とにかく、リビングへいらっしゃい。優菜、お父さんをソファから退けてくれる?
一時、珪をそこへ寝かせるから」
お母さんの判断に、コクンと頷いて。
わたしは、心配で仕方なかったけど、リビングへと舞い戻った。
会話が聞こえていたのか、お父さんはすでに、ソファにはいなくて。
机とか脇に寄せてくれていて。
「優菜、タオルケット、持ってきてくれ。それから、タオルを水で濡らしてこい」
って、べつの注文をわたしに投げて。
「う、うん!」
わたしは、頷くので精一杯。
もう一度廊下に出たところで、尽とすれ違った。
彼を担いだ、尽。
「大丈夫だって」
その弟にそんな風に、苦笑で言われて。
そこまでわたしは、不安そうな顔をしていたんだって、そう思ってた。
リビングへと入っていく二人の背中を、少しの間、見てから。
わたしは階段を駆け上がった。
扉が開かれたままの客間の押し入れを開けて。
タオルケットを探し出して、引っ張り出す。
それから、また階段を降りて、バスルームへ行って。
タオルを濡らしてから、すべてを持って、リビングへと戻った。
「優菜、タオルを珪の額に乗せてくれる?
タオルケットはおなかの辺り」
「うん。わかった」
その通りに動くと、お父さんが氷の入った水を持ってきて。
「珪、おまえ…弱かったのか?」
って、質問してた。
彼は腕で目の辺りを覆って。
それから、微かな声で、「よく知らない」なんて答えて。
少し離れた場所にいた尽は苦笑。
「強いよ、葉月。だから遊ばれたんだろ?
たぶん」
「わかるわー、その気持ち」
「母さんは強い方だからな」
「そう、遊ばれちゃうのよ。これは飲める?
あれは? って感じで。最終的には、強いのをブレンドされて――ちゃんぽんとかってはじまっちゃうの」
「オレ、まだ未成年だから。オレには向けられなかったんじゃないかな?」
「だから、珪くんに?」
「オレの分も葉月に行ったのかもしれないっていう意味じゃ、そうだと思うよ?」
なんて、お母さんが作っておいていた、夕飯にはしを付けながら、尽は答えてくれた。
お母さんはというと、その尽のために、飲み物を用意してて。
お父さんは尽の目の前に腰かけて、軽い晩酌の続き。
つまり――彼のそばにいるのは、わたしだけ。
彼のそばに座って。
絨毯の上に正座して。
わたしは彼の顔を見てた。
伸ばされている方の手に、わずかに自分の手を重ねて。
「尽、あんた今日、飲んでないでしょうね?」
「………」
「正直に言いなさい。べつに怒らないから」
お母さんに問われて、尽は黙り込んでたけど。
それから小さく、「ちょっと…」なんて、呟いてたけど。
そんなことよりも、彼の方が心配で、仕方がなくて。
わたしはじっと、彼を見る。
大丈夫?
何かほしいもの、ある?
とか聞くよりも。
今は静かにしていた方がいいのかな?
「大丈夫よ」
パスッと頭を叩かれて。
わたしは顔を上向けた。
叩いたものはうちわ。
それを手渡しながら、お母さんは言う。
「とにかく、これで軽く扇いでいてあげなさい。ただ酔っ払ってるだけだから」
「うん……」
「お水がほしいって言ったら、お父さんが用意したこれ。氷が溶け切ってたら、新しく用意してあげること」
「うん」
頷くと、お母さんは優しい笑みを浮かべてくれて。
「客間を用意してはおくけど、珪がここでいいって言ったら、ここから動かしちゃだめよ?
それから、大きな声は出さないこと」
「うん」
「気持ち悪いって言われたら、お風呂場に連れていきなさい。あと、洗い物、やっておいてくれる?」
「うん。わかった」
「そのぐらい……かしらね」
言って、お母さんは一度、わたしの肩に手を置いた。
がんばりなさいって紡がれて。
わたしは「え?」って反応。
「恋人の面倒ぐらい、自分で見なさい」
「珪くんはお母さんにとって見たら、息子なんでしょう?」
「そうよ? 血は一切繋がってないけど」
「だったら……」
「こんな場所に何人いても仕方がないの。それに、私は客間を用意しなきゃいけないの」
「だけど……」
「――彼がこんなに弱ってる。その時に必要としている存在だけがそばにいればいいのよ。他は必要ないの」
「………」
「邪魔なだけなの。わかった?」
「……うん」
答えれば、お母さんはもう一度、大丈夫だからって言ってくれて。
離れていくその姿を見てから、わたしはまた、彼へと視線を移した。
ただ、酔っているだけ。
それはわかったから、もしかしたら、心配はいらないのかもしれない。
それでも、ここまで弱っている彼を見るのは、初めてに近い状態で。
彼は身体は丈夫な方で。
高校三年間で、一度も寝込んだりはしていなかったし。
体調管理って言うのかな?
それだって、きちんとやっていたみたいだし。
仕事しながら、学校へ来て。
疲れてるのかなって思うことはあっても、学校を休むっていうことは、ほとんどなくて。
わたしとは……全然違って。
だから、こんな彼を見るのは初めてで。
新鮮…なのかもしれないけれど。
けど、だからこそ。
心配で……仕方がなくて。
お母さんが出ていったあと、お父さんも尽も、部屋に戻ってしまったみたいで。
二人きりのそこは、言葉を発しないから、静かで。
どちらも動かないから、音も発されることはなくて。
落ち着かなくて。
わたしは彼の手を離して、うちわを持ち替えて。
彼の髪に指を差し入れた。
軽く梳いて、ほっと息を吐く。
子供みたい、なんて、軽く笑ったりもして。
心に余裕が出てくる。
「優菜」
急に呼ばれて、彼の顔を見る。
腕は外されていて、彼の瞳はわたしを見てた。
「なぁに?」
「手」
「手?」
「繋いでてくれ。その方が…落ち着くから、俺」
言葉に驚いて。
それから、その通りに動いた。
手を重ねると、握られて。
彼はほっと安堵の吐息を漏らした。
「大丈夫?」
聞きたくて、そう聞けば。
「たぶん」
って、返事。
それに、くすくすと笑みを零した。
強がりとか、そういうことじゃないのはわかってる。
彼は本当に、わかっていないだけ。
こんなこと、本当に彼も初めてなんだ。きっと。
「珪くん、わたしよりもお酒、強いのにね?」
「ああ……」
「大丈夫?」
「じゃない……って言ったら?」
同じことをもう一度口にしたわたしに、彼がそう切り返してくる。
平気そうに見えるけど、本当は違うってこと?
本当は…気持ち悪かったりするの?
どうしよう、なんて考えて。
一人でそうやって、考え込んでたら、彼は笑ってた。
楽しそうに。
嬉しそうに。
「珪くん…?」
それでも心配で。
でも彼は、「冗談」って零してくれた。
はぁーって長く息を吐く。
「そんなに心配してるとは思わなかった」
「するよ!」
大きな声を出してしまったわたしに、彼は眉根をしかめて。
慌てて、口を手のひらで覆ったわたしは。
小さく、ごめんって謝った。
「するよ…。こんな珪くん、初めて見たし。心配で心配で、しょうがなくて……」
俯いてしまえば、彼が上体を起こして、顔を覗き込んできて。
「悪い」
そう、綴ってくれた。
頭を振って、平気なことを伝える。
でもね? 本当に心配したんだよ?
今だって、すっごく不安だし。
心配、なんだよ。
「気持ち悪くない?」
「大分、さっきよりは楽になった」
「そう…。吐いたりとか、した?」
「……少し、な」
気まずそうに、彼は紡いだけど。
でもとりあえず、それなら。
これ以上、気持ち悪いってことにはならないかもしれないって思ったから。
わたしは笑みを零した。
よかった。
そう、思ったから。
「お水、飲む?」
「ああ。もらう」
「何か食べる? おなか、空っぽじゃない?」
「今はいい」
「うん」
上体を起こそうと動いた彼を手伝うべく、背中へと手を回して。
身体をこちらへと向けて、背もたれに身体を預けた彼に、はいっとコップを手渡した。
長く息を吐いた彼は、それを受け取ってくれて。
「サンキュ」
「ううん。用意したのは、お父さんだし」
「そうか……」
って、ゆっくりと呷ってた。
けど、冷たさに顔を顰めて。
わたしはちょっと笑う。
「頭、ボーッとしてる?」
「してる」
返答に、またくすくすと笑う。
と、彼も笑ってくれて。
でも、かなり控えめなそれに、やっぱりまだ、いつもと同じようにはいかないんだって。
そう、思った。
「もう…寝た方がいいかもね」
「………」
「明日、学校…午後からでしょう? 珪くん」
「ああ」
「起こしてあげるね? わたし、午前中に一時間だけで終わりだから」
「わかった」
一応、「客間に行く?」って、聞いたんだけど。
彼はここでいいって言ったから。
わたしはコクンと頷いた。
それから、ここにいるってことを伝えて。
彼はもちろん、反対したけど、わたしは首を横へと振り続けた。
どっちにしたって、洗い物とか、やらなきゃいけなかったし。
彼が寝付いたのを確認してから、動こうかなって思ったんだけど。
時間が時間だったから。
わたしはそこから、あまり音を立てないようにと気を配って。
ゆっくりと、立ち上がった。
そのあとで、一度だけ梳いた彼の髪は。
やっぱり、綺麗だった。
洗い物を終えて、蛇口を閉める。
水が出なくなったことを確認してから、それには気づいた。
背中から聞こえるのは、規則正しい息遣い。
今日だって、仕事だったんだし、仕方ないかなって思う。
それに、寝た方がいいって言ったのは、わたしの方だし。
手を拭って、ゆっくりと彼のそばへと歩を進めた。
腰を下ろして、彼を見る。
もしかしたら、わたし――あんまり役には立ってないかもしれない。
今回だって、お母さんがいてくれなかったら、きっと。
一人でどうしようって思ってたと思う。
彼の健やかな寝顔と。
ぎゅっと握り締めた手の暖かさに。
わたしは長く長く、安堵の息を漏らして。
その直後に、あくびも落としちゃったりして。
少しの間だけ…と。
彼が眠るソファの端。
そこに頭を預けた。
うとうととし始めた頃に、頭を撫でてくれる手があって。
「おつかれ」
って、そう紡いでくれた声があったことは。
きっときっと、忘れないと思う。
END
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