きっとどこかで。
そう考えると、いてもたってもいられなくなる。
だから俺は、今日も走ってた。




涙 2





教会に着いて、一度は待ってようかなって考えた。
今日は鍵をもらってきてはいなかったから。
小さな階段に座り込んで。
けど。
座ろうと思って、下を見た…そこにあった、小さな水玉に、俺はすぐに立ち上がる。
アスファルトの、濡れた跡。
それを見つけた瞬間、俺はそこから、走り出してた。
森を抜けて。
校舎の横を走り抜けて、校門を出る。
坂を下って、住宅街を抜けて。
足を止めたのは、昨日も送っていった、その公園。
見渡して、姿がないことはわかったけど。
それでも、俺は公園に足を踏み入れた。
一度見て、いなくても。
あいつのことだから、どこかに隠れているかもしれない。
そんな気が…したから。
隠れられるとしたら。
考えながら、歩を進める。
ゾウを象った滑り台の、その下。
そこには確か、小さなベンチが備えてあるはずで。
「……見つけた」
声をかければ、ビクッと肩を震わせて。
大きな瞳で、あきは俺の姿を見てくれた。
「…けーくん?」
「ん?」
「………」
「行こう? 出ておいで」
手を差し出せば、あきはそれを取ってくれて。
離さないように、俺はそれをきゅっと握った。
握り返してくれたその手の暖かさに息を吐く。
暗い場所から出てきたあきの目は、やっぱり赤かった。
「教会、行ったの」
「うん」
「でも、けーくん、いなかったから」
「ごめん」
「ううん。でも……今日は来ないのかなって、思ったら、ここまで戻ってきてた」
「そうか」
「……うん」
ゆっくり歩いて、海岸線の見えるそこで、足を止めた。
教会まで戻ろうかって思ったけど。
防波堤まで、また歩く。
途中で、俺は身を屈めて。
その黄色い花を手折った。
「はい」
「?」
「あきにやる」
「………」
「嫌いなら…いいけど」
「ううん。大好き」
微笑って、あきは受け取ってくれた。
それが嬉しくて、あきを連れて、海岸まで降りる。
「寒い?」
「平気。キラキラしてるね?」
「ああ」
海を見て、あきはそう零す。
今日はどうして泣いていたんだろう?
聞きたいけど、また泣いてしまうかもしれないって思うと、聞けなくて。
俺はただ、あきのその横顔を見ていることしか、できなかった。




俺が先に教会に着いた時は、絵本を読んだりしてやって。
彼女が先だった時は、絶対、その場所に居続けてはいないから。
街中を走り回って、彼女の姿を捜した。
きっとどこかで、真っ赤な目をして、泣いているだろうから。
そう考えると放っておけなくて。
彼女の行きそうなところを考えて、走り続けてた。
見つけたら、手を伸ばして。
その手を取って、歩いた。
彼女の言葉を聞いて。
彼女を励ましたりし続けてた。
そんなことを――思い出していたのに。
「あーもう、開かないー!!」
聞こえた声に、俺は深く、眉根を寄せる。
何をしているのかはわかる。
たぶん、教会の扉を開けようとしているのだろうということは。
ガチャガチャと響くその音が、それを確信へと変えた。
「ったく、もう……」
小さく呟かれた瞬間。
俺はますます深く、眉根を寄せてた。
薄い赤茶の髪は、見間違えるはずもない。
小さく頬を膨らませたその表情も、あの頃と変わりはなくて。
けれど、でも。
「うわ、もうこんな時間? 入学式、はじまっちゃう!」
慌てたようにそう言った彼女は、あの頃とは違い過ぎていて。
俺は軽く、首を振る。
だから俺は、振り向いた彼女には、気づけなかった。
手首に嵌められた時計に目を落としていたらしい、彼女には。
「!」
声もなく、ぶつかって。
彼女はその場に、尻餅をつく。
「いったー…」
片目を瞑って、彼女は腰をさすっていて。
――今、目の前にいる彼女は誰だ?
そう、どうしても、考えてしまう。
それでも俺は、手を差し伸べた。
「ほら……」
「……」
「どうした? ……手、貸せよ」
「は、はい」
慌てたように手を取って。
彼女はぎゅっと、それを握ってくる。
その暖かさでさえ、あの頃と…同じ。
そう思えるのに。
立ち上がった直後、彼女はすぐに手を離す。
やっぱり、違うのかもしれない。
姿形は、あの『あき』を、そのまま大きくした、それなのに。
「あ、ありがとうございます、先輩」
「俺も一年」
「あ、そうなんだ」
ほっとしたような表情。
それでさえ、どこかで見たような――『あき』が見せていた――表情なのに。
「先輩かと思っちゃった。ものすごく落ち着いてるんだもん、君」
違う、と、思考が否定の言葉を紡ぎ出す。
「あ、僕、田端玲。よろしくね?」
差し出された手と。
紡がれた名前。
その二つが、俺を混乱させてた。
手は、俺を知らない証。
彼女の名前は、俺が知っている、それ。
だから俺は、彼女を知っている。
あき…なんだよな?
思いながらも。
あきじゃない。
そう、どこかでは、否定して。
「?」
軽く首を傾げた彼女に、自分の名前だけを、簡潔に述べて。
入学式というそれを思い出した彼女が去っていく、その背中を見ながら、小さく、息を吐いた。
何を考えたらいいのかが、わからなくて。
もう一度、軽く首を振る。
小さな階段を見下げて。
そこに座り込んで、泣いていた、小さな姿を思い出す。
「あき…?」
名を呼べば、彼女は顔を上げて。
けーくん、と、俺を呼んでくれていた。
伸ばされた手を取ろうと、手を伸ばすけれど。
それは幻なのだと、目を細めれば。
『あき』の姿は、すぐに掻き消えてしまって。
そう、そんな些細なことでさえ、昨日のように、覚えているのに。
――思い出すのはあの日のこと。
彼女を泣かせてしまったという、悔やみ切れない、想いを抱えて。
ここをあとにした、その時のこと。
待ってるからね?
なんて、泣くのを我慢して。
無理に作った微笑で、あきはそう綴っていた。
思い出せば思い出すほど、あの時に戻れたら、そう――考えてしまうのに。
「あきら…か」
名前をはっきりと告げた彼女に。
もうきっと、あの『あき』はどこにもいないのだと。
そう思わざるを得ないんだ。
なんて――それしか、考えられなくて。
俺は腰掛けたそこで、大きく肩を落としていた。


「同じクラスだったんだね?」
教室に入ったと同時に、彼女はそばへとやってきた。
伺うようなその様子に、俺は目を細めて。
「…そうだな」
呟くように、そう返す。
彼女はわずかに頬を膨らませていたようだけれど。
構わずに、俺は外へと目を向けた。
すると。
「話す時は人の顔を見る!」
という言葉と共に、俺の視線は、彼女へと戻された。
両の頬に添えられた、その手によって。
かなり――無理矢理。
驚いていると、そのことに教室中が、シーンとなって。
「…やば。君、モデルなんだっけ……」
教室を振り返ってから落とされた言葉に、俺は小さく驚いていた。
誰から聞いたのかはわからないけれど。
俺が『モデル』をやっているということを知っていたのにもかかわらず。
彼女はそんなことを忘れていたらしい。
「ごめん」
肩を落としてから、そう言って。
彼女は離れていった。
友達になったらしい女生徒に声をかけられて。
微苦笑で口を開いていた。
彼女から目を離して、改めて外へと向ける。
『特別』に扱われていないというそのことが。
単純に――嬉しくて。
それでも、知らずに浮かべていた笑みを、俺はかき消していた。


夕方の空。
オレンジ色の中のそれを指差して、あきは笑っていた。
「けーくん! 一番星!」
そう言って、笑って。
俺に位置を教えてくれた。
「本当だ」
「そう言えばね? お母さんが言ってたんだけど、プラネタリウムが出来るんだって。知ってた?」
「知らない」
緩く首を振れば、あきは口元に手を当てて、くすくすと声を上げて。
「けーくんでも知らないこと、あるんだね?」
なんて、笑みを浮かべてた。
俺にだって、知らないことはあるよ。
伝えれば、あきは頷いて。
「知ってる。でも、いっつも教えてもらって、ばっかりだから」
そんな風に綴ってた。
空を見上げて。
一番星に笑みを零して。
「プラネタリウム、できたら」
「出来たら?」
「一緒に行くか? 小遣い持って」
たった一つの星で笑うなら。
たくさんの星の中だったら、あきはもっと、笑ってくれるのかもしれない。
そう思ったら、そんな言葉が口を衝いてた。
あきは一瞬、驚いてから。
「うん! 絶対ね?」
大きく、首を縦に振ってくれた。

けれど。
その約束は――守れなかった。
思い出して、息を吐き出して。
そうしながら、ぼんやりと空を見上げてた。
いい天気だな。
思っていたら。
「あ、葉月くん、こんなところにいたんだ?」
言葉に振り返れば、顔を覗かせていたのは、彼女で。
俺は軽く、眉根を寄せる。
気づいていないのか、彼女は俺の隣りに腰掛けて。
「思ったんだけど、君って綺麗だよね?」
笑みを上らせて、そう声をかけてくる。
目を細めれば。
「純日本人じゃないからっていうのもあると思うけど。……二分の一? 四分の一?」
「……クォーター…」
「へぇー。どこの?」
「…ドイツ……」
「向こうの方なんだ? でもいいね? 明るく見えたりしない? 髪、金色だし。瞳も緑で」
「べつに」
「………」
短く返すと、彼女は黙り込む。
それでも、ふっと笑っていて。
俺は小さく、首を傾げる。
「君って、本当に綺麗だね」
感慨深く言われて、俺は深く、眉根を寄せた。
意味が…わからない。
「見た目もそうだけど、中身がね。羨ましいよ、本当に」
「綺麗って…俺が?」
「うん。自覚、ないと思うけど」
「………」
「って言うか、あったら、綺麗なんて、言えないけどね」
言って、彼女は視線を伏せた。
短く、ため息を吐いて。
それからすぐに、彼女は視線を上げる。
「で、本題。繁華街にプラネタリウムがあるの、知ってる?」
問いに、一瞬、驚いて。
けれど、それを隠して、頷いた。
「だよね? 当たり前かな」
「…それが?」
「一緒に行ってほしいなーなんて、思ってるんだけど。今度の日曜、暇だったら……」
「やめとく」
言葉を遮って、そう伝える。
彼女は目を大きく見開いていたけれど。
「そっか。急だったし…仕方ないよね?」
小さく、そう、言葉を落とした。
立ち上がって、一度、空を見上げてから。
「んじゃ、僕、行くから」
「………」
「授業、遅れないようにね?」
小さく手を降って、彼女は屋上から背を向ける。
重い音を立てて、扉は閉まって。
俺は一人、アスファルトの上の、自分の影を、見つめてた。

END

 

書きながら、ちょっと悲しくなってたりして。
『あき』と『玲』は違うもの。
そう思わないといけないぐらい、彼女は変わっちゃったんだなぁと、しみじみ、確認しておりました。
まぁ、これからこれから。

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