あの子の姿を捜して、街中を走り回ってた。
それが俺の、あの時からの日課になってた。
涙 1
森を抜けて、あの場所へ。
その道の途中。
本当に、もう少しで森を抜けられるという時に、その声は耳に入ってきた。
声を押し殺したような。
そんな――泣き声。
「…ひっく……」
森を抜けると、小さな女の子が、ぎゅっと手を握っているのが見えた。
それで目元を拭って。
小さな肩を震わせて。
見つけてしまった以上、放っておけなくて――俺はその子に近づいていった。
薄い赤茶の頭は、それ以上、上がることはない。
俺にも気づかない様子で、その子は泣き続けていて。
「どうした?」
声をかけると、ビクッと肩を震わせてた。
握っていた手を、なおも強く握って。
その拳は真っ白になる。
涙を拭って、一生懸命に、涙を止めようって、必死になって。
そんなその子の顔を、しゃがみこんで、覗き込む。
と、俺の視線に気づいたのか、その子は大きな瞳で、俺を見てくれた。
涙で潤んだ、その瞳で。
「泣いてたのか?」
問いに、その子は首を振る。
泣いていたのは明らかなのに。
けれど、そうしたいと言うのなら、と、俺はそれ以上、何も言えなかった。
「大丈夫か?」
「大丈夫……」
初めて聞いた声に、ほっとして。
立ち上がって、手を差し伸べた。
取ってくれたその子は、「ありがとう」って言って、微笑んでいて。
途端に…繋がりがほしくなった。
きゅっと手を握って。
「俺、けい。おまえは?」
名前を聞くと、その子は黙る。
どうしたんだろうって顔を見れば。
その子は不安な顔を、俺に見せた。
それから。
「あき……」
って、答えてくれたけど。
『あき』って名前じゃないことだけは、わかった。
言ったあと、小さく口が動いていたから。
「何?」
「…あき……」
「違う。『あき』のあと」
「………」
「?」
「…あきら!」
言い放って、その子はまた俯いてしまって。
その場に、蹲った。
嫌い…なんだな。
ごめんな。
思いながら、頭を撫でて。
「道、わかるか?」
問えば、その子は首を横に振る。
髪がわずかに揺れて、それを俺に教えてくれた。
ゆっくりと、髪を撫で付けて。
笑顔を見せてほしくて、言葉を選んでいく。
「じゃあ、送ってくから、俺…」
「………」
「帰ろう? あき」
呼べば、その子は驚いていた、その顔を上げて。
嬉しそうに、笑ってくれた。
あきは結構、おしゃべりだった。
「髪、綺麗な色してるね?」
「そうか?」
「うん! 目の色も。わたし、真っ黒」
言葉に、目を覗き込むと、びっくりした顔をして。
それでも、笑ってた。
「本当だ」
「だから言ったのに…」
ぷくっと頬を膨らませて。
それでも、すぐに嬉しそうな表情を見せた。
「でもね? わたしもいっぱい、素敵なもの、持ってるんだよ?」
「素敵なもの?」
「そう。けーくんみたいに、綺麗な髪も、目も持ってないけど」
けーくん。
そう呼ばれたのが、わずかにくすぐったくて。
俺も笑う。
「どんな?」
「弟。『尽』って言うんだけどね? この前、お母さんと一緒に帰ってきたの。病院から」
それでかって、考えてた。
両親がきっと、自分にではなくて、その弟に付きっ切りだから。
そう、思っていたのに。
「でもね? わたし…尽に何もしてあげられないの」
「?」
「お母さんの代わりも出来ないの。ベビーベッドの上で、ただ寝てるしか出来ない尽に、わたしは何も、してあげられなくて……」
「………」
繋いでいる手に、力が篭る。
軽く唇を噛んだあきに、それが泣いていた本当の理由なんだって知って。
俺はその髪をふわりと撫でた。
「?」
「仕方ないだろ? あきはまだ、小さいんだし」
「でも…お姉ちゃんだもん」
「そうだけど。それでも、一緒にいてやるだけで、いいんじゃないか?
ひとりって、淋しいし」
言葉にしてから、自分の声の重さに気づいた。
これは、俺の経験。
俯いて、考えていた顔に、視線が注がれて。
俺は何食わぬ顔をして、その瞳を見返した。
軽く首を傾げれば、あきはふるふると首を横に振る。
何でもない。
そう言うみたいに。
「それより、この辺か?」
聞くと、あきは少し考えて。
「多分、あそこの道を曲がったら、公園があって…」
「ああ。あるな」
「じゃあ、ここからわかるよ」
「本当に?」
「うん」
頷いて、あきは足を止める。
ここでいいって言うあきを、とりあえず公園まで送っていって。
「またね」
言って、ぱたぱたと走っていったその後ろ姿に、手を振っていたそれを下ろした。
明日、教会に来ればいいな。
思いながら、俺も家への道を歩きはじめた。
教会の扉を開けっ放しにしたままで、俺はいすに腰掛ける。
扉を開けておいたのは、いつ、あきが来てもいいように。
あきがいつ来ても、俺が気づけるように。
…来ないかもしれないけど。
思いながら、祭壇の前へと歩き出す。
と、背後でガタッと音がした。
振り返ると、逆光の中に小さな姿があった。
「あき…?」
呼べば、その顔はふにゃりと歪んで。
その場に蹲る。
そばへと駆け寄って、俺も身体を屈めた。
「あき?」
「け、けーくーん!」
ぎゅっとしがみついてくるのに、頭を撫でて。
それでも泣き止んでくれないあきに、俺はどうしようって考えはじめる。
昨日と同じように、声を押し殺して。
あきは泣き続けていて。
「あき?」
「……あ、のね…?」
「うん」
「尽、泣いてたの……」
「うん」
「お母さん…、買い物に、行ってくる…って、い…て」
「うん」
ゆっくりゆっくり、あきは話しはじめて。
俺はあきの髪を梳きながら、それを聞いてた。
あきは一生懸命なんだな。
たった一人の弟のために。
背中を軽く叩いて。
あきが泣き止んでくれるのを待つ。
母親が、買い物に行ってしまって少しして、弟は泣き出してしまって。
あきは必死に、それを止めようとしてたらしい。
頭を撫でたり、あやしたり。
でも、どうやっても泣き止んではくれなくて。
結局、母親が帰ってきたことで、それは終わりを迎えたのだけれど。
「わたし、尽にやっぱり何もしてあげられない…」
「あき……」
離れて、涙を拭って。
俯いているあきの手を取った。
俺には、兄弟がいないけど。
だから、あきの気持ちは、正直言って…わからないけど。
「そのうち、わかってくれるよ。あきの気持ち」
「……本当?」
「本当。お母さんだって、それをわかってるから、あきに弟のこと、頼んでいくんだろ?」
「…うん……」
そうだね。
呟いて、あきはぎゅっと、手を握ってくる。
目は真っ赤で。
きっと、ここに来るまでの間も、泣いていたんだろうなって、思った。
立ち上がって、俺は祭壇の前へと、あきを連れて行く。
下ばっかり向いてるけど。
上も向いて欲しいから。
「じいちゃんが言ってたんだ」
「おじいちゃん? けーくんの?」
「ああ」
「何を言ってたの?」
首を傾げたあきに、俺は一冊の絵本を開いて見せる。
祭壇の上に置くと、あきが覗き込んできて。
「王子と姫は離れ離れになっちゃうんだ。この、絵本の中の」
「そうなの?」
「ああ。王子が旅に出て、姫はそれを待ってる」
「………」
「王子が戻ってくるってことを、ずーっと、信じて」
絵本の最後のページを開くと、そこには、幸せそうな、王子と姫がいて。
あきは自分も嬉しそうに、微笑う。
それにほっとして、俺も微笑を浮かべた。
「信じてれば、叶うよ。大丈夫」
「うん!」
満面の笑みで頷いて。
あきの表情には、もう悲しみの色はなかった。
絵本をぺらぺらと捲って。
でも、読めないことに、渋面を作ったりして。
それでも、「読んで」なんて、あきは言ってこなかった。
挿し絵を見てるだけでも楽しいのか。
それとも、お願いを口にすることに、慣れていないのか。
俺には…わからなかったけど。
「珪」
呼ばれて、俺は扉へと顔を向ける。
知っている声。
だから特に、慌てはしない。
ゆっくりと入ってくる人影に、あきが俺の後ろへと回る。
それに、大丈夫だよ、なんて届けて。
手をぎゅっと握った。
『帰るのか? じいちゃん』
『ああ…。話も終わったしな。おまえはどうする?』
『俺は…もう少し遊んでいく』
言えば、じいちゃんはにっこりと笑みを浮かべて。
俺の頭を一撫でして、去っていった。
その背中が見えなくなるまで、見送って。
「さっきの…誰?」
背中に張りついているあきの声に、俺は首を後ろへと回した。
不安そうな顔に、微苦笑を零してから。
「じいちゃん」
そう、答えを返した。
「おじいちゃん? けーくんの?」
「ああ」
「…そっか」
聞きたいことはいっぱいあるだろうと、思うのに。
あきはそれで、会話を終わらせる。
やっぱり、あまり…慣れていないのかもしれない。
あきの頭を撫でて、俺は微笑してた。
「この教会、父さんが設計したんだ」
「せっけい?」
「えーと…、造ったのは大工さんだけど……。ここはこういう風にしようっていうのを決めたのが、父さん」
「へぇー。すごいんだね?」
「で、じいちゃんは。この教会の持ち主でもある、この学園の理事長と、仲がいいんだ」
「がくえん?」
「学校」
「それならわかる」
嬉しそうに笑って、あきは言う。
でもやっぱり、それ以上は聞いてこない。
何をどう言おうか、って考えて。
そうしているうちに、あきは絵本を開いていく。
読めないのに、そこに描かれている絵を見ているだけでも、飽きないのか。
あきは何度も何度も、見返していって。
「読んでやろうか?」
そう言えば。
あきは少し考えたあとで、頭を横に振った。
「どうして?」
「だって…もうすぐ夕方になっちゃうもん」
「…そうだな」
「最後まで読んでもらえないから……途中で終わっちゃうから、今はいい」
言って、あきの視線は、また絵本へと落ちる。
それに、小さくため息を吐いて。
俺も一緒に、覗き込んでた。
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