聞かれてもわからない
覚えていないそれが
正直なところ
これからは
「今日は早く帰ってくるように!」
なんて言われたのは、朝のことで。
理由もちゃんとわかっていたから、俺はきちんと頷いた。
俺に向けられた、指先を視界の端に収めながら。
そのあとで、今日のスケジュールを思い出して。
撮影があったことに、時間通りに終わるだろうかと、少し心配もしたけれど。
予定よりも少しでも早く終われたことに、ほっと安堵してた。
そして、今は。
「堤さんから連絡があったんです。予定よりも早く終わりそうよって。一時間ぐらい前に!」
そう、泡立て器の立てて、俺に突きつけている彼女の言葉を、ただ聞いて。
ただ、驚いているだけ。
早く終わった――ということは。
早く帰ってもいいのか、わからない、という日に限って、考えてしまうもので。
彼女のことだから、きっと、手料理を食べさせてくれるんだろうと、勝手に思っていたから。
確かに、そうだったのだけれど、だからこそ。
早く帰ってもいいのか、わからなかったから。
運転席に乗り込んだ瞬間に、考え込んでいた。
それでも、俺は彼女のそばに、少しでも長く、居続けたかったから。
結局、まっすぐにここへ。
早く終わったから。
彼女から聞かされるのは、そっちでの文句。
そう、思っていたのに。
なのに。
「よかったよ。早く終わったから、どこかに寄っていこうとか、君が思わなくて」
想像とは違う言葉が、俺には届けられて。
「というわけで、君をもてなす料理は、すでにできているのです!」
不敵な笑みの正体に、俺は笑みを零して。
それから、家の中へと上がる。
ニコニコと笑う彼女の頭の上に、ポンッと手を置いて。
「で?」
「ん?」
「何で持ってるんだ?」
「ああ、これ?」
下ろしていた手をまた上げて、彼女は問い返してくる。
それにこくんと頷けば。
「何かちょっと遅いなーって思ったからさ。もう一品作ろうかどうしようか、迷ってたんだよね」
それで、手持ち無沙汰に、洗ったものを拭いてまして。
続けられた言葉に、納得して。
俺はまた笑う。
手にしていたものを置いてくるといいながら、離れていく後姿に、くすくすと笑って。
荷物をソファの端に置いて。
ダイニングテーブルにつく。
「ワインね、ワイン」
言いながら、彼女が出してきたのは、ワイングラスで。
俺は頬杖を突いて、それを見続けて。
「そういえばさ、珪の二十歳の誕生日って、どんなだった?」
不意の質問に、目を見開く。
二十歳の…誕生日?
「お酒飲んだ?」
……そういう意味か。
「覚えてない」
「は?」
「いつもと同じだった。確か」
「……記念すべき日なのに?」
「ああ」
「『いつも』って、それは『いつもの誕生日と』ってこと?」
「…いや?」
「何気ない一日として過ぎ去ったってことですか」
大げさに項垂れた彼女に、俺は苦笑を零す。
覚えていないということは、そういうこと。
きっとで、たぶんでしかないけれど。
それは限りなく、確かなことだと、今までの経験上、わかっているから。
「まぁいいや。これからは記憶に残るでしょうし?」
口の端を上げて、彼女は言って。
白ワインを注いだグラスを。
勝手に、俺のに、当ててきた。
END
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