彼女の中で
生きている人がいるそれはずっと
わかっていること
わかってはいても
タオルをバッグの中に仕舞って。
ふぅと一つ…息を吐く。
そのバッグを手にして、立ち上がれば。
当然のように、同じ部の人間からは、声がかかって。
それにやんわりと、断りを入れる。
会いたい人がいる。
その相手は、伏すべき相手だと。
きちんと、わかっているから。
「悪い。用事あるんだ」
そんな言葉を発して、俺は部室から一歩、外へと出た。
ゆっくりと、廊下を歩く。
視線が下を向いてしまうのは、きっと。
思考を働かせているからで。
考えていることなんて、ただ一つだけれど。
階段を上がって、また廊下を進んでいく。
昨日、その問いを発した本当の理由を、彼女はわかっているはずで。
願うのはただ、そばにいたいという、それだけ。
……でも、ないけれど。
思って、苦笑を零す。
視線を上に上げて。
立ち止まって、扉のガラスから中を覗き込めば。
小さな背中が、何かに向かっているのが見えた。
それでさえも、俺はわかっていて。
トントンッと、二度、ノックすれば。
中からは微かに、応えが返ってきた。
「失礼します」
言いながら、入れば。
彼女は顔を上げて。
「…橘か」
振り返って、そう微笑ってくれた。
「採点っスか?」
扉を閉めながら問えば、彼女からは肯定の言葉が、短く届けられて。
「もうすぐ終わるから、待ってて」
加えられたのは、そんな、誘い。
また、机に向かってしまった背中に、大きく目を見開いて。
――先に誘うはずだったのに。
一緒に帰ろうと、そう……言うはずだったのに。
「? それで来たんだよね?」
「え? あ、ああ…そうっスけど」
「だよね? 返答がないから、違うのかなって、思っちゃった」
どこか楽しそうな笑顔に、つられるようにして、微笑う。
考えてしまうのは、こんな時。
あの人の時も…そうだったんだろうか。
そんな風に。
知らない相手に嫉妬しても、仕方がないのに。
「おーわった!」
言いながら、ペンを置いて。
彼女は紙を上げて、見直して。
それを、後ろに回り込んで、覗き込めば。
見上げられて。
笑まれて。
思わず、固まってしまって。
「顔、真っ赤だよ?」
言われて。
「柊の所為」
綴りながら、抱き締める。
抵抗するどころか、笑ってくれるようになったのは。
俺にとっては、いいことで。
「点数は?」
「ん? これ?」
「そう」
「結構いい点数。ほかの教科はわからないけど、数学は合格点」
くすくす笑いながら、彼女はテストを置いて。
俺に、もたれてくれる。
そう。
こんな時でも――比較してしまう。
知らない相手、なのに。
そんな相手の前の彼女と。
知るわけも――ないのに。
「これ、職員室に置いてくる」
だからか、そう言われても、腕を緩められないままで。
「橘?」
「………」
気にしてるのは、俺だけかもしれない。
でも、彼女の中で、その人は確実に、生きていて。
比較されているかも、しれなくて。
その人のことを知ることができたら。
不安はなくなるのかもしれない。
けれど、もしかしたら。
不安は大きくなる一方かもしれない。
どうすればいいか、わからなくて。
軽く頭を叩かれるまま。
俺はずっと、彼女を抱きしめてた。
END
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