はらりと舞い落ちたそれに、手を伸ばして。
途中で、それを取ることを止めた。
だって、取ってしまったら。
触れる理由が、なくなってしまう。
ついで
「見て見て、珪くん!」
急に目の前に現れた彼女に、驚きの表情を隠せなくて。
一瞬、言葉に詰まった。
「今日帰ったらね、尽がそのあとに帰ってきて。でね、これくれたんだ。何かね、小学校の敷地内のらしいんだけど、先生がくれたんだって!」
「……そうか」
「うん! 綺麗だよね? ピンク色で、小さくて!」
嬉しそうに笑って、彼女はそれを彼に見せ続ける。
とりあえず入れ、と促せば。
彼女はわずかに躊躇したけれど。
「お邪魔します……」
と、足を踏み入れた。
玄関から上がって。
真っ直ぐに彼の部屋へと行こうとする彼女を引き止める。
キッチンに寄らせて、水をコップに注いで。
「それ」
「これ?」
「ああ。そのままだと、かわいそうだろ?」
「あ、そうだね」
差し出したそれに、彼女は水の中へと手に持っていたものを入れた。
よかったね、と話しかける姿に、彼は笑みを零して。
「で、それ…どうするんだ?」
テーブルの上に置いて、彼は言う。
彼女は何度か目を瞬かせたあとで、「考えてなかった」とポツリと漏らした。
「おまえ…」
「だ、だって! 尽にもらって、嬉しくて。そうしたら、珪くんにも見せたくなって! それで、あの……」
えと…と、まだ曖昧な言葉が続くような様子を見せて、彼女は黙り込む。
視線は、桃色のそれに注がれている。
一度呆れはしたけれど。
彼女の、見せたくなった、という言葉には、ひどく嬉しくて、喜んでいて。
自然と顔が緩んでくる。
「切り口がきちんとしてるから、植えればまだ、根付くかもしれないな」
「本当?」
「ああ。でも……」
どこに、とは紡げずに。
言葉は宙を舞って、消えた。
ほっとしたような顔をして。
そして、とても嬉しそうに、笑みを浮かべて。
彼女はそれを見ていたから。
指先で花びらにちょっと触れて。
それが生きられると教えられただけなのに…自分のことのように、笑っていて。
「……どこに植えるんだ?」
ようやく聞けたのは、彼女が彼の視線に気づいた、そのあと。
「珪くんの家のお庭は? ダメ?」
「自分の家の方がいいんじゃないか? そうすれば……」
「ここのがいいよ。だって珪くんとこのお庭、ちょっと寂しいし」
言われて、言い返せなくて。
面倒くさいから、花壇だとか、そういうものは、ずっと……放置したままで。
時折やってくる従姉がぶつくさと文句を言いながらも、手入れをしている――その程度で。
コップを持ち上げて、彼女が歩いていくその背中を。
結局彼は、ため息を吐いたあとに、追うことにした。
スコップで穴を掘って。
倒れないようにと、気を使いながら、植えていく。
ポンポンッとかぶせた土を叩いて、彼女は立ち上がった。
「これでいいかな?」
「そうだな」
笑顔の彼女に、微苦笑で答える。
敵わない、こいつには。
思っただけで、口にはせず。
彼は部屋へと上がった。
「洗面所、貸してもらっていい?」
「ああ。俺も行く」
「じゃあ、珪くん、先に洗っていいよ? わたし、待ってるから」
「おまえが先でいい」
「でも……」
「いい」
土をあまり弄っていないから、と理由を言えば、彼女はすんなりと折れてくれて。
それに、台所で洗っても大丈夫だったな、と付け加えれば、「そうだね」と微笑で答えてくれた。
洗面所へと入っていくその姿を目で追って。
そのあとで、台所へと歩を進める。
昼寝をするだけの、土曜日の午後に。
突然やってきた彼女に驚きはしたけれど。
けれど、そう。
彼女といられることは、何にも代え難い…ものだから。
蛇口を捻って、水を出す。
手を洗ったそのついでに、汚れている皿にも、手を伸ばした。
足音が背後で聞こえて、止まって。
少し逡巡するような気配があったけれど。
その足音はそのまま、リビングに入っていった。
それに、ふっと笑う。
庭へと続く窓を開けた音が耳に届いて。
サッシがわずかに軋む音も、響いてくる。
気になって振り返れば、彼女の背が見えて。
その向こうにあるものを思い出して、やっぱりな、と彼はまた微笑った。
洗い終えて、手を拭いて。
二人分の飲み物を用意して――リビングへと入る。
「優菜、ここに……」
置いておくから、という言葉は、また飲み込まれる。
縁に頭を預けた彼女からは。
規則的な……呼吸が聞こえた。
顔を覗き込んで、眠ってしまっていることを確認して。
彼もまた、隣りへと腰を降ろす。
桃色のそれは、彼女がここに来た時と同じ色を称えていて。
できることなら、来年も花を付けてほしいと、彼に願わせた。
そうすれば、彼女がここに来る理由ができる。
ここに呼ぶ理由が……できるから。
花びらが一枚、そこから落ちる。
ちょうど起きた風が、それを運んだ。
部屋の中へと吹き込むような風は、ふわりと二人を包み込んでから、霧散して。
花びらはそのまま、彼女の肩へと落ちた。
幸せそうな寝顔。
それを邪魔したくはないとは…考えたけれど。
例え花びらでも、彼女に触れているのは、許せなくて。
彼はそれへと、手を伸ばす。
……けれど。
やめた。
途中で考えを切り替えた。
肩へと伸ばしていたはずの手を、髪へと伸ばす。
起こさないように、軽く触れて。
軽く梳いて。
彼女に触れるきっかけをくれた花びらは、彼女が起きる寸前に、払った。
小さな風がその花びらの着地地点をわずかにずらす。
「…珪くん……」
「帰らなくていいのか?」
「え? えーと……」
傾いている夕日に、オレンジ色の空。
その二つに慌てはじめた彼女に笑みを浮かべて。
送っていく、と彼が届けるのはもう少し、時間が経ってから。
とりあえず今は。
部屋へと上がって、携帯電話を手にして。
彼女の弟へ、少しだけ預かることを口にしてみたりした。
END
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