| 新しい住人 そうやって
とりあえずでも何でも
歓迎されたことは
私にとっては
ありがたかった
違う流れの中へ
「大家は…ここでいいのか?」
問えば、目の前からは、「はい!」なんて、気のいい笑みが零れた。
それにそうか、なんて答えて、持ってきた菓子折りを渡す。
年はそんなに変わらないらしい。
それに少し、息を吐く。
「鳥川柊という」
「あ、俺は桜川鷹士です」
またもや笑顔。
「確か、先生なんですよね?
セントリーフの……」
「数学教諭だ。一年間だけだが」
「そうなんですか?」
「ああ。こっちのわがままでしかないんだが…」
「ちなみに、何年生の…?」
「一年だが?」
「そうですか。いやぁー、妹がセントリーフに通ってまして。かわいい妹なんですけど……」
どこか陶酔して話しはじめられた事柄に。
わたしは小さく、肩を落とす。
妹自慢はいいよ。
思いながら、もう一度表札に瞳を向けた。
『桜川』、か。
多分、かわいいと思っているのは、この、目の前にいる人間だけのような気もするんだけど。
まぁ、妹だと気づいたら、声くらいはかけようかな。
考えて、息を吐き出す。
と。
案の定、謝罪の言葉が、届けられた。
「あぁー、すみません! お時間取らせてしまって!」
「いや…こちらから来たのだから、かまわないのだが。もうそろそろ、失礼させてもらう。荷解きがまだ、終わっていないのでな」
とりあえず、こちらからも笑みを向けて。
「それでは、これからよろしく頼む」
軽く頭を下げて、一歩、身を引けば。
いえ、こちらこそ、なんて、同じような言葉。
そして、「何かあったら、遠慮なく言ってください」なんて、言葉。
それでようやく、扉は閉まって。
私は大きく息を吐いてから、くるりと身を翻した。
始業式――厳密に言えば、入学式…だけど――から、遅れて学校に来てしまったために。
次の日にあった、集会で、簡単な自己紹介をした。
壇上から見た高校生には、特に感想を抱かなかった。
けれど、この中に、同じマンションに住んでいる人がいるのだと気づいてからは、誰がそうだろう、とか。
そんなことを考えながら、見ていた。
昨日は忙しくて、隣りの住人に、挨拶できなかったな。
思い出して。
壇上から降りる頃には、確か同じ、先生だった、ということを、思い出していた。
だから、集会が終わった直後。
先生たちが、自分の担任のクラスや、教科の用意に散っていく頃。
私はまっすぐに、保健室へと歩を進めていた。
扉の前に立って。
ノックするのも変かと、上げた手を収めて。
「失礼する」
なんて言いながら、扉を開ければ。
鼻をついたのは、タバコの臭いで。
瞳に映ったのは、それを急いで揉み消したらしい、姿。
…と、そばの灰皿から、微かに立ち上る、煙。
「………」
ここは保健室だったよね?
思いながら、視線を横へとずらす。
扉のそばにある札は、そこが保健室だということを知らせていて。
中もまた、保健室という場所に、ふさわしいものが並んでいて。
ただ、ふさわしくないのは。
「えーと、鳥川先生、でしたっけ?」
そう言葉を発した、一人の男の人。
扉を後ろ手に閉めて、それに寄り掛かる。
それから少しだけ、視線に力を込めた。
「わかっているのか? ここは保健室だ」
「…知ってます」
「まさかとは思うが、病人がここにいたとしても、おまえはそうやって、タバコを吸うのか?
副流煙だの何だのというものを、勉強してこなかったのか?」
「……してきてます」
「では、もう一度あえて問う。私の前ではいいが、生徒がいる前でも、そうやって、タバコを吸うのか?」
「吸いません」
その言葉に、息を吐いて。
私はじっと、彼を見る。
そのヘッドフォンには、何か意味があるの?
気になったのは、それだけ。
「……で? 何しに来たんですか?」
少しいらついているんだろう様子に、やわらかく息を吐き出して。
それから、扉から背を離した。
『私の前では』という部分を聞き逃していなかったらしい彼は。
箱を手にして、新しいものを取り出そうとしていて。
けれど。
「吸うのはいいが、誰か来るぞ?」
その言葉に、彼は手を止めて。
「それも、捨てておいた方がいいんじゃないか?」
そう、付け加えれば。
彼はそれに従って、灰皿に山のようになっているものを、ゴミ箱へと移していた。
それが終わった頃。
「若月先生! ……と、鳥川先生、いらっしゃってたんですか」
扉から離れた場所に、身体を落ち着けた私に気づいて、そう声をかけたのは。
確か、三年生の、学年主任。
入ってきた時の表情から察すると。
『若月先生』の素行は、今にはじまったことじゃないらしい。
「鳥川先生、なぜここに?」
「同じマンションの住人なので、挨拶に。昨日、何かと忙しくて、できませんでしたので」
「なるほど」
では、邪魔してはいけませんな。
とか何とか言いながらも、その先生は、しっかりと、灰皿の中身を確認して、去っていった。
扉がしっかりと閉まってから、私は腕を組んで。
「厄介なのに、目をつけられているな」
そう、零した。
「……同じマンションって?」
「あの人、プライド高いぞ? 変に反論すると、逆効果だ」
「人の話を聞け」
「同じマンション、同じ階。ちなみに、隣りだが、文句はあるか?」
「はぁ?」
早速、タバコに火をつけた彼に、笑みを浮かべて視線を向ければ。
それを落としそうになって、慌てる彼の姿があって。
「落とすなよ。さすがに、床に焦げた跡でもあったら、逃げ切れないぞ?」
「…そうじゃねぇだろ」
その言葉に、腕を解く。
それから、手近にあった椅子を、彼の目の前まで移動させて。
座り込んで。
「鳥川柊。多分、おまえよりも年は下だ。それから、今言ったように、一昨日から、おまえの部屋の隣りの部屋に住んでいる」
「………」
「一昨日は、荷物を運び込むので、精一杯でな。昨日は、管理人に挨拶に行くので、疲れてしまった。故に、今日、こうして、挨拶に来た」
「そうかよ」
彼の変わりように、くすくすと笑う。
こっちが本当か。
私が上から見ていたから、下手に出てくれてたんだ。
思い当たって。
なおも、笑い続けて。
なら、私も。
本性を出した方が、平等かもしれない。
「んじゃ、もういいか? 貴重な時間を邪魔されたくないんでな」
にっこりと。
どこか引きつっている笑みに、ふっと笑って。
「そう言わないでよ」
私もそう。
私らしい方で、接してみる。
「あ?」
「何か、職員室、居辛いんだもん。君といた方が、何か楽だし」
「………」
「病人来たら、出てくからさ」
んーっと伸びをして。
後方のベッドに、もたれかかってみる。
と。
「…何だぁ? おまえ……」
そんな。
問いなのか、何なのか、わからないような言葉が、彼の口からは零れ落ちた。
「柊でいいよ。えーっと…?」
「若月龍太郎」
「んじゃ、龍太郎。ここにはお茶とかないの?」
「…だから」
頬杖をついたまま、項垂れて。
彼は大きく、息を吐き出す。
私はくすくすと笑うだけで。
「何か問題でも?」
「…ねぇよ」
ったく。
ぶちぶちと文句を言いながらも、腰を上げた彼に。
また私は笑って。
今まで、わたしがいた世界とは、違う、この世界で。
何か得るものがあればと。
本気で、願いはじめていた。
END
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