久しぶりに見た笑顔と。
泣き顔に。
手を伸ばそうとした、夢の中の自分。
彼女の涙を拭おうと、本当に手を伸ばしたのは遠い日の自分。
拭った涙は暖かだったことを――思い出した。
再会は初会
鳴り始めた目覚し時計を止める。
見た夢に、何となく…首を傾げてみたりして。
「どうして…いまさら」
小さく呟いた声は、すぐに消される。
いつも二度寝を始めてしまう彼のためにと、時計のアラームは何度も鳴り続けた。
その機能を停止させるボタンを押すまで。
彼が朝早く来た理由は簡単で。
中学からの友達の様子を見に――と、それだけのために。
少し早い時間の学校には、人もまばらだった。
誰かが名を呼んだ気がしたけれど、彼はそれを無視する。
どうせ――それ以上踏み込んでは来ないから。
遠巻きに見て、賞賛を述べて。
それで終わるのだから、いちいち気にしてはいられない。
「おはよう。……久しぶり、って言った方がいいか?」
声を聞き、彼の友達は一斉に――ミャア、と声を上げた。
校舎裏のその場所に住みついている猫の一家。
その一匹一匹の頭を撫で、彼は腰を降ろす。
壁に背を預けて。
一匹を抱き上げれば、一匹は彼の足をよじ登り始める。
かと思えば、順番を待っているかのように彼を見上げて鳴く子猫もいた。
「元気そうだな」
応えるように声が上がる。
嬉しくて、わずかに笑みを零した。
雲が流れる。
その様を見ながら、彼はふと思い出した。
「今日…久々にあいつの夢を見たんだ」
独白のように、言葉を紡ぐ。
聞いている猫たちは、何を言っているのかわからない、とでもいうように思い思いのことをし続けている。
「ずいぶん前に、教会で約束した女の子。名前、聞いたことなかったけどな」
俺の名前も言ってない。確か。
続けて零して。
それでも、いまさらだと考える。
中学に上がる前、母親と共に、彼はこの街に戻ってきた。
あの約束を守るため。
話の続きを教えてやるという、約束のため。
忘れられなくて、ただただ、この国に戻りたいとそれだけを考え続けた。
願い続けた。
口には――出さなかったけれど。
そしてその願いが聞き入れられて、戻ってきたその日に。
真っ先に教会に足を運んだ。
それなのに…望んだ姿は、そこにはなくて。
「悔しかったな、あの時は」
思い出して、息を吐く。
ばかだ、とそう思った。
小さな頃の小さな約束。
覚えていたのは自分だけ。
その日が来ることを待ち焦がれていたのは自分だけ。
それを思い知らされたようで……悔しかった。
あの日から、彼女のことを思い出さないようにとしていたのに。
夢でさえ、見ないようにと思っていたのに。
それを今日、見てしまった。
彼女の泣き顔に胸が詰まって。
必ず戻ってくるから、と言葉を綴った。
笑ってほしくて、そう言った。
そこまでを夢で見て、驚きの余りに――飛び起きた。
目覚し時計が鳴る、一分前。
「どうして今日…なんだろうな……?」
母猫の頭を一撫でして、彼は腕の時計に目を落とす。
入学式が始まるまで、あと十分。
中等部から持ち上がりの自分にとっては、出ても出なくても変わらない。
そう思う。
どうせ、理事長の長い話があって。
そのあとで、教室へと皆が散らばっていく。
その時に合流すれば、何の問題はない。
けれど…行きたい場所がどうしても一つ、あって。
というより、誰にも見つからない場所だったから…かもしれないけれど。
「やっぱり、気になるしな」
膝の上にいた子猫を地へと降ろす。
ごめんな、と一言添えて。
「また、あとで来る」
母猫の声を背中で聞きつつ。
彼はその場をあとにした。
その道を行くのは、本当に久しぶりで。
視界の高さが変わったことに、小さく驚いていた。
そうやって、足早に歩いていく。
まるで、何かに駆り立てられているかのように。
………。
久しぶりに瞳に移したその教会は、何も変わっていなかった。
教会、自体は。
「どうして……」
小さく、小さく呟く。
教会を見上げる少女がいる。
自分と同じ年頃の…というより、この日に学校にいるのだから、彼女も一年生なのだろう。
私立はばたき学園高等部の制服に身を包んだ――その少女。
薄い赤茶の髪を、見間違えるわけもない。
「――――…」
声をかけようとするけれど、わずかに逡巡する。
それでも、足は自然と…少女へと引き寄せられて。
覚えているだろうか、自分のことを。
忘れてしまっているだろうか、自分のことを。
考えたけれど、忘れている、と思った。
自分は――変わってしまったから。
あの頃とは、決定的な何かが、違うから。
忘れていれば、またやり直せる。
そう考えて、最後の一歩を踏み込んだ。
と、その時。
チャイムが鳴って、彼女が振り向いて。
避ける間もなく、ぶつかった。
それは運命の再会。
いつかのように――王子は姫に手を差し伸べた。
「ほら……」
「……」
「どうした? ……手、貸せよ」
「は、はい」
ぶっきらぼうな言葉。
それしか言えないから。
それでも、今の自分には精一杯だったから。
「あ、ありがとうございます、先輩」
「俺も一年」
「あ、そうなんだ」
姫は王子を覚えてはいなかったけれど。
王子はそれでもいいと思っていたから。
それなら、今の自分に興味を持ってくれたらいいと。
そう、思っていたから。
もう一度、最初から。
姫と言葉を交わしながら、王子はそう思う。
姫だって、変わってしまったかもしれないから。
覚えていないのなら、自分がそうなのだと、言うことはできないけれど。
それでも。
「表情がくるくる変わるとこは…変わってないな」
笑んで。
一瞬だけでも繋げたその手をもう一度握り締める。
ようやく聞けた名前を何度も反芻しながら。
彼は教会の入り口へと続く小さな階段に腰かけた。
END
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