この季節になると、気にするから。
だから俺も、気になってる。自分のじゃなくて。
おまえの…だけど。
リップクリーム
「この頃……空気、乾燥してきたねー?」
顔なじみのスタッフに、そんなことを言われて。
俺は後ろに立っていたその人を振り返る。
と、一度瞬きをしてから。
その人はにっこりと笑ってくれた。
「今、葉月くんが思い浮かべた人が誰か、当ててあげようかー?」
「……べつに」
「どうせ優菜ちゃんでしょー? 恋するっていうのは、大変だよねぇ?」
「………」
前を向いても、そこには鏡があるから。
その人がどんな表情をしているのか、なんて、わかってしまって。
あんたが、今の会話で考えたのだって、一人だろ……?
そう、小さく思いながら、息を吐いた。
それに、整える前だった頭を叩かれて。
俺は鏡の中に向かって、眉根を寄せる。
「ため息吐かないでよ」
「………」
「それにしても、寒くなってくると厄介だよねー」
「…そうですか?」
「そうなの」
女の子にとってはね。
言い加えて、その人は肩を落としたけれど。
それでも、手は動いてた。
「気合い入れておしゃれしても、外でコートは脱げないじゃない?
だから、外で待ち合わせしても。会ってすぐ、服を誉められるってことはないわけだし」
「……まぁ…」
「で、どこか入って、コートを脱いだとしても。男の子だって、そこで服を誉めたとしても、今更って、気がしない?」
「……確かに」
「それに、乾燥でしょう? 水使ってると、手、荒れちゃうし。唇も荒れてっちゃうし」
「………」
「リップクリーム買わないとなーって、思うのも、この時季だよね?
毎年」
「………」
「男の子は、そういうのないの? まぁ、葉月くんは仕事上、気をつけなさいって、言われてるだろうけど」
「………」
「葉月くん?」
声なんか、ほとんど右から左で。
そんな声を聞きながら考えてたのは、やっぱり、たった一人のこと。
あいつはいつも、ちょっと唇が荒れはじめてから、リップクリーム、買いに行くな、とか。
そんなことを、考えていたから。
我に返ったのは、目の前で振られた、手に。
「…mimiさん?」
「聞いてなかったでしょう?」
「………」
「はいはい。葉月くんは、がんばって恋してるんだもんね」
零された言葉に、からかわれたように思ったから。
眉間に皺を作った。
それに、ふっと笑われて。
強めに髪が、引っ張られる。
「聞いてなかっただろうけど、一応ね」
「…?」
「堤さんから渡されたのよ。自分で渡せばいいのに」
「………」
鏡の中に見えたものを受け取るために、手を出せば。
それは現実世界で、手の上に乗せられて。
「自分で使ってもいいし。優菜ちゃんにあげてもいいし」
「…優菜にあげたら……なくなる。俺の」
「あるでしょ?」
「………」
くすくすと笑うその人を。
もう一度振り返って、視界に収めた。
そうすれば、人差し指を、唇に当てていて。
「顔赤いよー?」
なおも笑みを零しながら言われた言葉に。
俺は口元を、右手で覆ってた。
仕事が終わって。
彼女を隣りへと、迎えに行って。
それから、二人で冬の夜空の下を、歩いてた。
マフラーに顔を埋めながらも。
彼女は微笑んでくれていて。
「寒いね? やっぱり」
「…だな」
そんな会話を、続けてた。
てぶくろをした手を繋いで。
今日のことを、思い出して、届けて。
そして。
「これ…渡された」
「? なぁに?」
少しだけ、離れがたかったけれど。
繋いでいた手を解いて、バッグから、それを出す。
見せれば、大きく目を見開いて。
それでも彼女は、苦笑してた。
「買わないとなーって思ってたんだけど。まだいいかなぁって、思ってたの」
そんな風に。
「だと…思った」
「? どうして?」
「いつもそうだから、おまえ」
「……?」
「高校の時から、同じ」
「……そう…かな?」
「ああ」
くすくす笑いながら、てぶくろを取って。
パッケージから、それを出す。
蓋を取って。
「珪くん?」
「動くなよ?」
言えば、彼女は何度か瞬きをしながらも、動かないでいてくれて。
そんな彼女のくちびるに、リップクリームを塗っていけば。
彼女は笑い出しそうなのを、必死に堪えてるみたいで。
それから。
「終わった?」
離れた俺に、彼女はすぐさま、そう聞いてきたから。
まだ、と。
短く答えた。
蓋をすれば、彼女は小さく、首を傾げる。
そんな彼女の手を取って、引き寄せて。
「!」
「終わり」
腰に回した手をそのままに、離せば。
彼女は真っ赤になって。
くちびるまで、マフラーを引き上げた。
END
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