別に
どちらかに決めなくちゃいけないわけじゃないだって
どっちも取らないかもしれない
だとしたら
今は揺れ続けていても
いいのかもしれない
決断
資料を整理し終えて。
小さく、息を吐く。
早く帰ろうと思わなかったのは、初めてかもしれない。
優しくされるのに、なれていない。
昔は、そうでもなかったのに。
あいつがいた頃は、そうじゃなかったのに。
いなくなったら。
弱くなったら。
その途端に、優しくされるのが、怖くなった。
でもみんな、腫れ物に触るみたいに、触れてくるから。
すごく、嫌で。
でも……二人は。
何か、違う。
それだけは…わかるのに。
「あー…だからかなぁ?」
呟いて、また息を吐く。
何枚もの紙の端を、整えていた手を止めて。
窓の外を眺めれば。
大きなバッグを抱えた男子生徒が、校門の方へと歩いていくのが見えた。
それを眺めていたのだけれど。
見知った顔は、そこにはなくて。
このままここに居続けていても、彼がまだ帰らないのであれば。
いつまでいればいいのか、わからない。
龍太郎は…授業が終わった直後。
今日は用事があるとか言ってたから、早々に帰ってしまったし。
でも、ほんの少し、いたみたいだったけど。
「それを待ってる間に、この仕事をやっちゃおう、なんて思ったのが、間違いだったのかな?」
もう一つ、吐息。
気がついたら、集中しちゃって。
バスケ部が終わる時間が、過ぎていた。
終わる前に、帰る予定だったのに。
自主練しててくれないかなぁ…。
考えて。
どうしようかと、そっちへと思考を流していく。
自主練を、彼がやっていると仮定して、今、帰ってしまうか。
それとも、ただ手間取っているだけだと判断して、もう少し、ここにいるか。
考えて。
答えは出なくて。
ただただ視線を、窓の外に向け続けて。
――優しくされたいんじゃない。
普通に、接してほしいだけ。
でも彼は、優しくしてしまうと、そう言った。
なら、そばに行かないことしか、今の私が取れる選択肢は、なくて。
だから、一緒には帰れない。
龍太郎は、わからない。
わからないけど。
私の心が、わからなくなるから。
そばに行きたく、ない。
考えて。
どうすればいいか、考えて。
「鳥川先生、いらっしゃいますか?」
急に響いた声と、音。
それに思わず、びくりと、肩を震わせてしまった。
「い…いるが?」
びっくりした……。
なんて、言えなくて。
どもってしまった自分に、ほんの少し、苦笑して。
開いた扉の向こうにいた人物には、別の笑みを向けた。
「どうした? 一ノ瀬」
珍しいな。
作業を再開させても、それはすぐに終わってしまって。
机の上に、丁寧に乗せてから。
振り返れば。
彼は小さく、息を吐いていて。
「何をやっていたんです?」
「資料を整理していた」
「華原から聞きました。放課後、仕事しないそうですね」
「時と場合による」
「この前は…まぁ、テストが近かったから、なんでしょうけど」
「……そうだな」
「今日は?」
結構、直球。
思いながら、肩を下ろす。
机に寄り掛かって、腕を組んでも、彼の視線は、変わらない。
この前の仕返し?
思いつつ。
「目の前に、三つの選択肢がある」
そう、切り出してみたら。
彼の眉が、片方。
ぴくんと、跳ねた。
「一つは、自分には酷なものだ。得られるものは、少ない。今の時点では…の、話だが」
「……」
「一つは、とても優しいものだ。得られるものは、多いかもしれない。が、失うものも、多そうだ。これも、今の時点ではの話だが」
「……もう一つは?」
「どちらも取らない。現状維持」
「………」
「おまえならどうする? 一ノ瀬」
……他人の意見を聞いても、変わらないかもしれない。
思っているのに、聞かずにはいられなかった。
誰かにオモイを委ねようだなんて。
そんな不確かで、無責任なこと。
そう、思ってはいても。
選ばずには、いられなかった。
理由は簡単。
自分では、決められないから。
「先生は今。どの選択肢を捨てて。どの選択肢を、捨てようとしてるんですか」
――問いかけではなく、もっと強いもの。
そして、それはとてつもなく、鋭い。
「今日のところは――という、意味か?」
「もちろんです」
「……一つ目は捨てた。二つ目を今、捨てようとしてる」
「…でしょうね」
わかっているのに、聞いたのは。
ただの確認。
当たり前のこと。
そう、今の状況を見れば、答えはわかり切っているのだから。
「なら、いいんじゃないですか」
突きつけられた答えに、顔を上げれば。
一ノ瀬はそこで、冷めた目をしたまま、立っていて。
どこか、呆れたようにも見える瞳で、私を見ていて。
「…え?」
「どうせいつかは、三つ目の選択肢は取れなくなる。なら、その時まで放って置いたらどうですか、と言ってるんです」
「………」
「どちらがいいか、自分の心も、決まってくるでしょうし」
「…けど……」
「どちらにしても、これは俺の意見ですから。先生は先生で、ご自分で、決めてください」
放って。
そのまま、彼は踵を返す。
扉は閉めずに、廊下を歩いていく。
真っ直ぐ。
その足音が響いて、遠ざかる中。
私は一人で、そこにいた。
左手で、右の肘の辺りを掴んで。
視線を、床へと伏せて。
放って……おく?
それでいいの?
確かにそうかもしれない。
だって、その選択肢を上げたのは。
その選択肢の存在を、彼に教えたのは。
自分に、見えるようにしたのは。
ほかでもない。
私自身なんだから。
だから、それを取ればいい。
それが一番、楽。
「……楽じゃない。だって、それなら」
この、心の中にある罪悪感に似たものは、何なんだろう?
自分の身体を抱くように、小さくなる。
でもそうだ。
今日は、三つ目を取るしか、ない。
最初からそう、決めていたのだから。
考えて。
私は、自分の足で、きちんと立って。
荷物をすべて、手にしてから。
そこから一歩を、踏み出すしか、なかった。
END
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