価値観って
人それぞれだと わたしは思う

でも 皆が口を揃えて言う

彼は綺麗だ

彼は素敵だ

彼は……特別だ

そう 皆が言う

価値観って
人それぞれだと わたしは思うけど
彼に関してだけは
わたしだって…そう思う



価値観




体育館裏のその場所で、わたしは彼を見つける。
毎日毎日、彼はここにいて。
そして――眠っている。
周りにいる猫たちでさえ、丸くなって、眠っている。
わたしは小さく息を吐く。
そして、遠くなく、近くなく、曖昧な場所に腰を降ろす。
起こさないように。
起こさないように。
そう、心の中で唱えながら。
そう、ものすごく、気をつけながら。
だって、彼の寝顔は貴重だ。
わたしはそう思う。
もし、触れられるような場所にいたら、わたしはきっと、触れてしまう。
亜麻色のその髪に指を通して、梳いて。
そんなことをして、彼を起こしてしまいたくはない。
だって、本当に彼の寝顔は貴重。
教室で眠っているのとは、また違う。
穏やかな陽の光の下だから…とも思うけれど。
それにきっと、皆は知らないんだろう。
彼がこんな顔をして眠ること。
こんな場所で、猫たちに囲まれて。
陽だまりの中で、制服が汚れることもかまわずに。
『特別』だと思われている彼が。
こんなに……無防備な表情で眠ることを。
言ったらきっと、機嫌悪くするんだろうけど…かわいいんだよね。
くすっと小さく笑う。
立てた膝の上で頬杖を突いて、陽だまりの中で眠り続ける王子さまを眺め続ける。
わたしの視線に気がついて、彼が起きたことなど、一度もない。
近くはないから、ということもあるんだろうけれど。
だって、視線に強い想いを込めたことなど、一度もないのだから――仕方のないことなのかもしれない。
起きてほしいとは思わない。
わたしに気づいてくれなくても、かまわない。
わたしが…彼を見ていられるのなら、それでいい。
そう思っているのだから、この時間は、わたしにとってはものすごく貴重。
誰かに壊されるのだけは……嫌だから。
彼がここで眠っているのを知っているのは、わたしだけなんだ。

左手首に収まっている腕時計を瞳に映す。
彼はあたりまえのように、今日の午後の授業に出ていない。
それでも、先生方は何も言わずにいる。
言っても聞かないから諦めているのだと、仲良くなった現国の先生が苦笑気味に言っていた。
担任の氷室先生でさえ、毎回お小言を言うのは、疲れるらしくて。
今は口うるさくは言わないみたい。
どうでもいいけど、もうすぐ…バイトの時間。
あと五分もすれば、彼は自然と目覚めて。
バイト先のスタジオへと足を向けるだろう。
わたしは何も知らないフリをして、校門で彼が現れるのを待てばいい。
「せっかく隣りなんだし」とか何とか、いつも通り言葉を並べて。
彼と一緒に、わたしのバイト先である、喫茶店まで行けばいい。
この想いは届かないから。
きっと。きっと。
届けちゃいけないものだから。
立ち上がろうと、壁から背を離す。
と、それに気づいたのか、そばにいた子猫が目を開けた。
ついでのように、顔も上げて。
小さく「みゃあ」と鳴き声も上げる。
「しーっ。葉月くんが起きちゃうからね」
小さく小さくそう綴って。
わたしはその小さな頭を撫でる。
彼が一番かわいがっている子猫。
時々、彼が起きている時があって。
彼はこの子のことをずっと気にかけているから…そうなんだと思う。
この子、名前はあるんだろうけど、わたしは知らないから。
何も言わずに、頭を撫でるだけ。
「また、来るからね」
喉元を撫でて、立ち上がる。
軽く、埃を払って。
バイバイ、と小さく手を振って。
一歩を踏み出す。
彼は起きない。
彼が起きるのは……三分後。

「……優菜?」
起きるのは、三分後――でしょう?
「何見てるんだ?」
いかにも寝起きだという舌っ足らずな口調。
わたしの名前を言った彼は、そう零しながら身体を起こす。
視線を向けているのはわたしじゃなくて……子猫。
子猫の名前?
わたしと同じ?
『優菜』って言うの?
子猫は応える。
「みゃぁ」と、わたしの存在を教えるかのように。
目元を擦って、小さく欠伸を零している、彼に…教えるように。
いいんだよ、教えなくて。
彼はわたしに気づかなくていいんだから。
ゆっくり、でも…素早く。
彼がわたしに気づかないうちに、そこから離れようとする。
その度に、子猫はわたしのことを彼に教えようとする。
教えなくていいよ。
この気持ちは、届かなくていいんだから。
「……おまえ…」
不意に、背中に届けられた言葉に、振り向けない。
ごめんなさい。
咄嗟に謝りそうになって、足を止める。
子猫が声を上げる。
わたしのことを、わたしが何をしていたのかを、彼に教えるように。
この場所に来て、わたしが彼の寝顔を眺めていたことを教えるように。
午後の授業に彼が来ない時、HRが終わった直後から、ここに来ていたことを教えるように。
教えなくていいよ、そんなこと。
知らない方がいいこともあるんだから!
言えないけど、心の中で叫んでみる。
と、子猫の声がぴたっと止まった。
でも、もう遅い。
きっと遅い。
彼が立ち上がったのが、気配でわかる。
埃を払って。
子猫の頭を撫でて。
わたしは――動けない。
彼はきっと、わたしに何をしていたのか、とか聞いてくるんだろうけど。
答えられるわけがない。
どうしよう、どうしよう。
そんなことばかりが頭の中でぐるぐる回る。
ぐるぐるぐるぐる回って。
それでも答えは出なくて。
「あ、あの、ごめんね。邪魔して」
振り向けないまま、わたしは俯いて…そう言って。
捲し立てるように早口だったことを、少しだけ、後悔した。
「でもあの、すぐ……」
「優菜」
「は、はい!」
今のはわたしに言った。
子猫じゃなくて、わたしに。
「バイト…行くんだろ?」
あ、あれ?
わたしはおずおずと振り返る。
そこに立っていたのは、確かに彼。
けれど、口元を大きな手のひらで覆っていて。
目線はどこを向いているのかわからない。
よくよく見れば…耳が赤い……。
「は、葉月くん?」
「嫌なら、やめる」
「何を?」
「名前……」
言われて気づく。
名前で呼ぶこと?
べつに嫌じゃないから…いいんだけど。
「優菜?」
「え? あ、えと…べつに…いいよ?」
答えを促されて、わたしはそう素直に答える。
だいたい、嬉しいってことしか頭にない。
なのに、断れって言う方が無理。
「そうか……」
彼はほっと息を吐いて。
わたしの方へと歩いてくる。
それに、反射的に彼へと向き直ってしまったわたしは、「あ、バイト……」なんてどうでもいいことを考え出してた。
わずかに視線を落としたわたしの前に彼が立つ。
「バイト、行くんだろ?」
もう、さっきまで赤い顔をしていたのがうそなくらい、平気な顔をして、もう一度聞いてくる。
「行く…よ?」
怒ってないの?
わたし、葉月くんの中に、ちょっとぐらい…踏み込んでも平気なの?
聞きたいけど、聞けない。
だから、心の中で、そう問う。
答えが返らないことは、百も承知で。
「じゃ…行くか」
その時に向けられたものは、陽だまりの中の寝顔よりも、もっと貴重。
こんなに柔らかく笑うなんて、全然知らなかった。
呆然と見上げていたら、彼はわたしの手を取って。
すたすたと歩き出す。
「は、葉月くん?」
少し引きずられるようにして、わたしもあとを追う。
彼の手は、ほんのりと冷たい。
わたしの体温が高いせいかもしれないけれど。
手は繋がれたまま、まだ生徒が多く残る校舎へと入る。
恥ずかしいんですけどー……。
わたしは顔を赤くしながら、教室へと向かう彼に従う。
鞄を取って、それからバイトへ行くんだろうとは思う。
それがわかっているだけに、四階にある一年生の教室を怨んだりもしてみた。
彼は有名人。
彼は目立つ。
だって綺麗だから。
だって素敵だから。
だって…特別だから。
皆が言う。
口を揃えて――そう言う。
わたしだって、そう思う。
それなのに、そんな彼の手に繋がれたわたしは。
べつにどこか、特別…取り上げるような部分なんかなくて。
ものすごく…恥ずかしくて。
「葉月くん、離して」
教室に着いて、机のそばへと歩いていく彼に、そう言ってみた。
教室にだって、クラスメイトたちはいる。
まだ残ってたんだ…なんて、少し気まずく思いながら。
「どうして?」
「どうしてって……」
「じゃあ、交換条件」
「…う、うん……?」
にっと意地悪く笑った彼を凝視する。
本当に――今日は貴重な日。
貴重なものを次々と見せられる。
ほかでもない――彼自身から。
周りだって固まってるよ。
あの葉月珪が、こんな表情するなんて…って。
そんなことを考えていると、すっと彼の顔が近寄ってきて。
頬と頬が触れるんじゃないかって位置で、彼は口を開いた。
「名前…呼んでくれたら、離してやる」
「え? えぇー?」
囁きに驚いて。
わたしは一歩身を引く。
彼の言葉が聞こえたらしい男の子は、目を丸く、大きく見開いていた。
「な、名前?」
「名前」
「下の?」
「当たり前だろ」
「………」
ぶんぶんっと思い切り、首を横に振る。
それは無理! 絶対無理!
その意を込めて、首を振る。
と、繋がれていた手の力が強められた。
「じゃあ、離さない」
「そ、それは困る!」
「じゃ、名前」
教室の中で繰り広げられていることに、廊下を歩いていた生徒たちでさえ、立ち止まっている。
っていうか、最初より見物人が増えてる気がする……。
言葉を発する人は誰もいなくて。
言葉でのやり取りをしているのは、わたしと彼だけ。
みんな、わたしと彼がどこへ落ち着くのかを見ている。
彼が歩き出す。
自分の机、かばんを取ろうと手を伸ばして。
わたしも当然、引きずられるようにして、歩いて。
かばんを無事手にした彼は、今度はわたしの机へと爪先を向ける。
待って。ちょっと待って。
本気でずっと、繋いだままでいるわけ?
それに、名前…って。
わたし、そんなに踏み込んじゃっていいの?
一度許されると、どんどんわがままになるよ? わたし。
「は、離して。……珪くん」
精一杯の勇気。
総動員して、それだけを口にする。
聞こえた?
尻すぼみになった気も…するんだけど。
でもでも、がんばったんだから。
許してくれるかなーって、ちらっと彼を見る。
「………」
彼の顔。
見事に赤くて。
また手のひらで口元を覆ってる。
わたしもつられて赤くなって。
手は――まだ繋がれたまま。
「あの……」
「優菜」
「はい!」
何をどう言えばいいのかわからないままで口を開いたわたしを、彼は遮る。
何だろう? 何を言われるんだろう?
っていうより、手はまだ離してくれないのかな?
「ずっと…それな」
「……えぇ〜!?」
「決まり」
手は離してくれたけど。
それでも、出された条件に鼓動がさっきよりもずっと。
ずっと…早くなる。
「ほ、本気?」
「ああ」
「絶対?」
「絶対。今度名字で呼んだら、手を繋ぐどころじゃないからな」
……それって、どういうこと?
興味本位で、ちょっとだけ名字で呼んでみようかとも思ったけど。
すぐに考え直した。
彼の意地悪な笑みが垣間見えたから。
「ど、努力します」
決意して、それを言葉にして。
わたしは彼を追い抜いて、自分の机へと急ぐ。
鞄を取って、彼の隣りへと戻って。
「行くか」
頷いて、歩き出した彼に遅れないように足を運ぶ。
いいのかな? 届けても。
迷惑じゃないのかな? わたしがここにいること。
みんなの視線は気になったけど。
それよりも何よりも。
わたしは彼の心の中が気になって。
期待していいなら、期待しちゃうよ?
いい方に考えて、わたしは足を速める。
「珪くん」
「ん?」
「今度の日曜…プラネタリウム行かない? プログラムが新しくなったんだって。友達がね、教えてくれたんだ」
「ああ、行く」
「じゃあね……」
約束を取り付けて。
彼に対して、わがままになっていく自分を押さえ付けられなくて。
ごめんね。
なんて、胸のうちで呟いた。

END

 

最初は詩でいっかなーと書き出したんですけど。
意味がわからないので、小説へと移行。
そのため、誌面でやっているのと同じ書き方になっております。
(詩があって、それから本文っていうスタイル)

王子が名前を呼んでくれてから、樹は呼び方を名字から名前に変えているもので。
それで、こんなのが出来ました。
しかし、いろんな面で消化不良……。
もうちょっと…甘くするつもりでいたのになー……。

戻る