何て言うか
正直 心が揺れた

鼓動が高鳴ったのではなくて
もっと違う

そう 何かを――思い出させたんだ




書き換えられる





あの日から。
この場所に入る前には、なぜかこうして、逡巡してる。
扉を叩こうと上げた手も、そのままに。
彼に会うのが――怖いのかもしれない。
あの時のことは、忘れてない。
忘れようと思ったって、忘れられるものじゃないし。
でも。
彼と会っている時だけは。
現実を、見られている気がする。
それに――。
「柊」
呼ばれて。
慌てて、振り返る。
マズイところを見られた。
それが、正直な感想。
「何やってんだ? おまえ」
「入ろうって、思ってた」
「そうか。オレ様も、そうなんだろうなーって思って、見てたけど。おまえ、全然、叩かねぇし」
「………」
何で保健室にいなかったのか、聞きたい。
何で廊下にいて、私を見てたのか、知りたい。
とっとと、声かけてくれればよかったのに。
「………」
「柊?」
でもって。
何であの日から、名前で呼んでくれてるのかも、知りたいところ。
一回呼んじゃったら、箍が外れたとか?
そんな…ところ?
「どうした?」
「…自分がよく、わからない」
「………」
「ううん、わかってる。わかってるけど、わかりたくないって、思ってる」
「……柊…」
できれば、呼んでほしくない。
自分から……私から、そう呼んでって、言ったくせに。
あいつとは違う、声音。
あいつとは違う、言い方。
どこかぶっきらぼうだし。
優しくないし。
なのにこんなに、心は揺れてる。
何で、だろう?
「とにかく入れ」
扉が、彼の手によって開けられて。
彼が先に、入っていく。
それでも、中に入れなくて。
どうしようか、迷って。
柔らかい視線に気づいて、顔を上げれば。
彼が私を、そこで見ていた。
目が合ってしまったから、逃げられなくて。
ゆっくりと、足を踏み出して、中に入れば。
彼の手で、扉が閉められて。
目の前には、彼の胸。
ドキドキは、してない。
どっちかって言うと、混乱してる。
半分、逃げ道が塞がれているから?
扉を閉めたくせに、彼は私の前から動かなくて。
扉を閉めた手は、まだ、扉に触れていて。
私は、壁と。
彼の腕に、囲まれてしまっているのだから。
……だから?
「…退いてくれると、嬉しい」
「今、何考えてんだ?」
「……よく、わかんない」
「オレ様のことだろ?」
顔を上げれば、にやりとした笑みがあって。
何でだろう?
本当に、何で……。
「…黙るなって」
きっと、冗談で済ませたかったんだろう。
彼はそう、思ってる。
なのに、退かない。
腕も、動かさない。
何を考えてるのか知りたいのは、私だって、同じ。
「言っていい?」
「あ?」
「別に、聞かなくてもいいから」
「……何だよ?」
「名前で呼ばないで」
「最初におまえが、呼んでいいって言ったんだろうが」
「そうなんだけど」
「……けど?」
「何か、龍太郎に呼ばれるのは、怖い」
「………」
「忘れそうで……怖い」
俯いて。
床の上の、自分の足を、視界に入れる。
彼の足も、視界に入って。
改めて、どれだけ近いのか、知ってしまって。
また、怖くなる。
「柊」
「触らないで」
「……」
「お願い……」
怖い。
自分が今、いる場所は。
たとえるなら、薄氷の上。
何かの弾みで、氷は割れて。
私は、冷たい水の中へ、落ちるだけ。
「いいじゃねぇか。別に」
聞こえた声は、静かな中で、静かに響いて。
響かなくてもいいのに、心まできちんと届いてしまって。
こんなに、誰かに縋りたいと思ったのは、初めてだった。
彼がいなくなって、初めて。
「おまえなら、合格だ」
「…何言ってんの?」
「違うのか?」
「だから、何言ってんの?」
「………」
「違うもん。絶対」
「…柊」
「違う」
言い切っても、不安は胸の中で、燻ってる。
それは違うって、何かが言ってる。
ねぇ?
この選択肢は。
今、目の前にある選択肢は。
どちらを取るのが、正しいのかな?
瞼をぎゅっと、思い切り下ろす。
忘れてないよ。
忘れてない。
ちゃんと、覚えてる。
でも。
この、目の前にいる人に。
縋りたいと思っているのも。
思ってしまっているのも。
本当……なんだ。
「ねぇ」
「…何だよ?」
「龍太郎は、今、フリー?」
「……ああ」
「好きな人は?」
「…………いない」
「間があった」
くすりと笑う。
何か、泣き笑いみたいになってしまったことに、さらに笑いが込み上げた。
きっと、彼には好きな人がいる。
私と、同じような状況なのかもしれない。
ただ。
好きな人はまだ、存在しているんだろう。
「じゃあ…いいかな?」
顔を俯けたまま。
一歩、足を踏み出す。
両手を広げて。
腕を回して。
あたたかさに、縋りついて。
彼は驚きも、抵抗もせずに、そこにいるだけ。
「………」
「きっと、0に近いだろうから」
「何が?」
「いろいろ」
彼の胸で、ほっと息を吐いた。
ごめんね?
ただちょっと、ひとりで立っているのに、疲れちゃっただけ。
それだけ……だから。
だって、0に近いから。
彼が私を好きになる確率は。
きっと、0に近い。
ならないって、言い切れないけど。
でも、100じゃない。
そして、0でもないけど。
きっと、0には近い。
だから、少しぐらいなら……。
「柊」
「違うから」
「……」
「少し、疲れただけ」
「………」
「本当に、疲れただけ、だから」
「……」
彼が、身体の向きを、わずかに変える。
くっついていたから、それがわかって。
嫌なのかなって思って、ほんの少し、離れたら。
その距離を、彼によって、縮められた。
私の後ろにあるのは、扉だけ。
空間は、なくて。
「何、考えてるの?」
「………」
「龍太郎?」
顔を上げられなくて。
それでも、答えがほしくて。
そうしていれば、顎に手が添えられる。
無理矢理、上向けられて。
目を、合わさざるを、得なくなって。
「りゅう…」
ぶつかるように、キスされた。
そうと気づくまで、数瞬、必要だったけど。
でも、嫌じゃなくて。
瞼を閉じる。
ただ、重ねるだけ。
それだけで、別によかったし。
「……やっぱり、そうなんじゃねぇか」
「…違うって」
離れて。
見られて。
そう、言葉を交わして。
私はくすくすと笑う。
そう、違う。
何て言うか。
「淋しさを埋める相手が、ほしかっただけ」
「………」
「それだけ」
そしてそれに、彼はぴったりだった。
好きな人がいて。
そして、その人が。
もう、手に入らないなら。
それでも、想い続けているのなら。
そんな彼は、今の私にとって、必要だった。
そんな彼だったから、条件にぴったり、当てはまった。
そう。
ただ――それだけ。
「抱いてやろうか?」
「それはいい」
「………」
「残念そうな顔、しないの」
また笑って。
手を伸ばして。
彼の頬に、両手を添える。
もういい。
大丈夫。
明日からはまた、私らしい私でいられる。
「ありがと」
短くお礼を言って。
私から、口付けて。
すぐに離れた。
彼が驚いてる間に、保健室の真ん中へと、歩を進めて。
ちらりと振り返った彼に、また。
くすくすと笑みを零してた。

END

 

まだ甘くはなりません。
その、一歩手前と言うか、何と言うか。
というより、すぐにくっついちゃったら、わたしがつまらない、というだけ。

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