彼女がいれば暖かいと思えるから。
だから、彼は今日も、わずかな休憩時間。
冷たい空気の中、そこへと歩いていく。



あたたかいばしょ




「いらっしゃい」
注文を取りに来た彼女の声と笑みに彼はふっと微笑う。
ああ、と短く答えれば、彼女は笑みを崩さずに「何にする?」と綴った。
いつもと同じ光景がそこにはあって、彼はとりあえず、メニューを見る。
それでも結局は、いつもと同じものを頼んだ。
「待っててね?」
「ああ」
カウンターへと踵を返した彼女の背を視線で追って。
その中にいるバイト仲間と何かを話しはじめた彼女の声は、満席に近いこの店の中ではかき消されてしまって、彼の耳には届かないけれど。
彼はゆっくりと耳を澄ませる。
聞こえてくるのはすぐそばの誰かの声と。
低く流れるBGM代わりの有線。
それから――。
「お待たせしました」
「…ああ」
彼女が丁寧に静かに置いたカップをわずかに覗く。
白い湯気の合間の小さく波打つ水面に映っている自分の顔を見止めて、彼は笑みを浮かべて。
それから彼女を見た。
と、彼女の視線は店を出ていく客の集団に注がれていて。
「ありがとうございました」
最後の一人が出て行くその時に、彼女はそう届けて、身体を折った。
周りを見れば、あっという間に空の席が目立っていて。
「もう、夕食には遅い時間だからね」
言いながら、彼女は目の前に腰かける。
「それにほら、遅くなると、それだけ寒くなっちゃうでしょ?」
自分用にと入れてきたのだろう紅茶に砂糖を入れながら、彼女はそう紡いだ。
くるくるとスプーンでかき回すその様を見ながら、彼は頬杖を突く。
同意の言葉を発したのは、そのあとで。
「そうだな。冬…だからな」
「うん。あったかいところのがいいもん。それってやっぱり、自分の家だと思うんだよね」
ふぅーと息を吹きかけて。
彼女はカップを傾ける。
その手に…彼は眉根を寄せた。
「優菜」
「ん? なぁに?」
「その手……」
「手?」
言われて、彼女は自分の手を見て。
それから思い出したように、ああ、と声を上げる。
「洗い物とかもやってるからね。仕方ないんだよ」
「………」
「お湯使っても、結局はこんな感じ」
指先がわずかに割れていて。
赤い線も、そのそばにはあって。
痛そうだな、と思う。
「絆創膏とか張っても、やってると邪魔になってくるんだよね。だからバイト前に剥がしちゃうの。張ってる時はね」
「普段は?」
「普段も同じ。張ってても邪魔なの。授業中も気になっちゃうし。逆にないほうがいいのかなって」
「言ってやろうか?」
「いいよ。みんなやってることだもん。それに、誰かがやらないと溜まっていくし、店長ばっかりに押し付けても、って思うし」
「けど……」
「大丈夫だよ。春になれば消えるんだから、こんなのは」
手をひらひらと振って、彼女は笑っていて。
だから彼はそれ以上、何も言えなくなってしまうのだけれど。
「わたし一人がやらないせいで、誰かがわたしの分もカバーしないといけなくなるでしょう?
それってやっぱり、嫌なの。悪いなーって、思っちゃうもん」
畳みかけられて、それ以上に言えなくなって。
彼は小さく息を吐いた。
「クリームはバイト終わったあとと、寝る前に塗ってるから、これ以上は悪くならないと思うんだけどね?」
「学校は?」
「気がついたら塗るようにはしてるよ?
よくなってきたかなーって思う前に、バイトがあると、あーあって。意味ないことしてるのかなーって思うけど」
「そんなことないだろ?」
「うん。この前ね?
瑞希さんがこれいいわよってくれたのがあるんだけど。すごいんだよ? 水でそんなに流れないの! だから、それ使ってるんだけどね」
高そうなんだー、と零した彼女は、指先を擦りあわせて。
爪が傷口を掠ってしまうと、彼女は一瞬、目を瞑った。
普段は忘れているのかもしれない、とその動作を見て、彼は思う。
「無理するなよ?」
「してないよ?
自分ができる範囲でがんばってるだけだもん」
わずかだけれど、膨れた頬に笑みを零す。
寒いけれど。
それに、ほんの少し、痛みも感じてしまうかもしれないけれど。
彼女がいれば、それだけでいいと思う。
自分の家よりも、彼女がいる場所ならどこでもいいと思う。
「がんばれ」
「うん!
珪くんもね」
一緒に帰る約束をして、言葉を交わして。
店を出れば。
星は綺麗に瞬いていて。
吐き出した息は白かった。

END

 



冬って、お湯使ってても、手、荒れちゃうんだよなーなんて考えたらできたお話だったりして。
そして珪くんは、必ず心配するんだろうなーなんて。

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