一番近くにいること。
それは一番、わかっていること。
Place
一緒に歩いていたはずの姿が急になくなって。
彼女はくるりと振り向いた。
もちろん、慌てて。
「珪くん!?」
なんて、名前を呼んで。
けれどその姿は、すぐ後ろにあった。
膝を折って、彼は小さな女の子と話していて。
それに首を傾げると、ちょうど話が終わったようで。
女の子はぺこりと頭を下げて。
彼は大きな手のひらで、その子の頭を撫でると、立ち上がって。
女の子はまた、嬉しそうに頭を下げたあとで、くるりと踵を返して走り出した。
その後ろ姿をわずかな間、眺めていたけれど。
「優菜。悪い」
彼女の目の前まで歩を進めて、そう言ったのだけれど。
走っていった女の子の背を見ていた彼女は、驚いて。
「え? あ、う、うん……」
小さく肩を竦ませたあとで、そう綴った。
まだ混乱している彼女に、短く嘆息して。
彼は俯いてしまった彼女の顔を、覗き込む。
片手を――添えて。
「優菜?」
「! な、なぁに?」
「どうした?」
「え? べつに…何でもない、よ?」
その言葉に、もう一つ息を零しながら、彼は上体を起こす。
それにつられるようにして、視線を上げた彼女の視界に。
さっき、走っていった女の子の姿が映った。
彼の足元。
小さな手で、くいくいとズボンを引っ張っていて。
逆の手には、彼の笑みが表紙を飾っている雑誌。
それに気づいた彼が、またすっと膝を折った。
「これにおねがいします!」
「ああ…わかった」
雑誌とマジックを手渡されて。
彼はすぐに、キャップを取り、サインを施していく。
その様を本当に嬉しそうに眺めていたけれど。
女の子は彼女の存在に気づいて、にこりと笑みを届けてきた。
「あのね、おにいちゃんってかっこいいよね?」
「う、うん。そうだね」
答えてくれたことがよほど嬉しかったのか、女の子は満足そうに微笑っていて。
だから彼女も身体を屈めて、女の子と目線を合わせた。
「珪くんのこと、好きなの?」
「うん! ほんやさんでね、おかあさんといっしょにあるいてたときに、これ、みたの」
「それで、買ってもらったの?」
「うん! それにね、ときどき、ここであってるんだ」
「珪くんと?」
「そう! あそんでもらったりするの。やさしくって、だいすきなの!」
「そっか」
「うん!」
手をぎゅっと握ってきた手の小ささと。
その暖かさに、彼女も笑みを浮かべて。
けれどそれは、すっと差し出された雑誌とマジックに、かき消されてしまう。
「?」
「書けた」
「だーめ! ゆめちゃんへって、なまえもいれて!」
「字は?」
「じ…?」
「漢字」
「……わかんない」
ふるふると頭を振った女の子に、軽く眉根を寄せて。
「じゃあ、ひらがなでいいか?」
と、妥協案を口にした。
「うん! ゆめちゃんね」
「ああ。わかってる」
マジックを滑らせて。
それを見る女の子の瞳は、期待に満ちていて。
その二人の姿を眺めている彼女は、ふっと笑みを零した。
「あ、おねえちゃんも、すき?」
「え?」
大きな瞳に急に見つめられて。
彼女は驚きへと、表情を変える。
「けいおにいちゃんのこと! すき?」
雑誌を差し出している彼を、一瞬、瞳に映して。
それから「うん」と頷いて見せる。
「大好き」
「ゆめちゃんといっしょだね」
「そうだね」
雑誌を受け取った女の子は、嬉しそうに彼女に笑って。
彼女もまた、同じように微笑んだ。
「じゃあ、もういくね? きょう、おかあさんといっしょだから」
「ああ」
「ありがとうございました!」
駆け出して。
手を大きく振りながら、駆け出して。
その姿を見ながら、二人同時に、立ち上がった。
「かわいいね」
くすくす笑ってそう言えば、短い肯定の言葉が彼から返ってきて。
「にしても、珪くんって、あんなに小さなファンもいるんだね?」
「みたいだな」
「何か嬉しいね? 小さいし、かわいいし」
「そうか?」
「嬉しくない?」
「………」
「迷惑って、いつもみたいに言わないんだね?」
また、彼女は笑って。
ゆっくりと歩き出す。
横に、彼がすぐに並んでくれることを知っているから、自分のペースで。
「ファンってわけでもないだろ?」
すっと手が握られて。
それにちらりと瞳を動かせば、彼の視線とかち合った。
「どうして?」
「たぶん、気のいい、お兄ちゃん…じゃないのか?」
「本気かもよ?」
「それなら、迷惑だって言う」
「かわいそう……」
「おまえ…」
少し暗くなりながらそう言えば。
彼からは、少し怒ったような反応が返ってきて。
彼女はくすくすと、また笑う。
「うそ。そう言ってくれて、ちょっと嬉しい!」
手を握り返して。
それでも、
「あんな小さい子に嫉妬、なんて…みっともないかな?」
首を傾げて言えば、彼もふっと笑ってくれた。
「いや……嬉しい」
なおも握り返された手に、ほんの少し、痛みを感じたけれど。
それはすぐに、暖かさに消えていった。
END
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